雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第137話「ゆんゆん」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、何かを受信している者たちが集まっている。そして日々、宇宙に向けて、何かを発信する活動を続けている。
 かくいう僕も、そういった交信を得意としている人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、テレパスな面々の文芸部にも、特殊能力を持たない人が一人だけいます。ラジオコントロールされたロボットの群れに紛れ込んだ、普通の人間。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は楽しげに、僕を見上げる。その時に前髪が、優しげに動いた。僕はその様子を見て、表情をほころばせる。楓先輩は、軽やかで可愛い。僕は心を弾ませながら、先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。またネットで、初めての言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに精通しているよね?」
「ええ。トーマス・エジソンが霊界通信機を発明するぐらいに、のめり込んでいます」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、こつこつと書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、壮大な言語の宇宙に出会った。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ゆんゆんって何?」

 来た。大きな言葉が来た。僕は思わず、福島県立清陵情報高等学校の校歌を思い出し、何かをゆんゆんと発信しそうになる。

「楓先輩は、ポエムが好きですよね」
「うん。好きだよ。詩集などを、図書館で借りてきて読んだりするよ」
「ゆんゆんは、その詩と電波の、二つに関係がある言葉なのです」
「詩と電波? どういうこと」

 先輩は、ぽかんとした顔をする。仕方がない。そうなるだろう。僕は、どういう順番で、電波ゆんゆんの話をしようかと、頭の中で考える。

「まず、ゆんゆん自体について話します。この言葉は、詩人であり、評論家、仏文学者、翻訳家でもある宗左近が作詞した、福島県立清陵情報高等学校の校歌『宇宙の奥の宇宙まで』が元ネタです。
 ちなみに、この宗左近という名前は、ペンネームです。戦争中、眼前で母親を失った彼が、自分自身を叱咤激励して発した『そうさ、こんちくしょう!』という台詞から来ています」

「へー、だから、宗左近なのね。それで、ゆんゆんという言葉は、その高校の校歌が、元ネタなの?」
「はい。宗左近は、いくつかの学校の校歌を作っています。それらは、スケールの異常な大きさと、数々のオノマトペが特徴になっています。件の福島県立清陵情報高等学校の校歌は、こんな感じです」

 僕は、ゆんゆんの元ネタの校歌を、楓先輩に見せる。そこには「ゆんゆん」というオノマトペと、それが何かを発信している様子が記載されている。
 楓先輩は、無言で歌詞を見る。その様子を眺めながら、僕は説明をおこなう。

「この歌の中で、ゆんゆんという擬態語は、何かを発信している様子を示しています。ちなみに歌詞は三番まであります。二番では、よんよんという言葉を利用して、受信を表現しており、三番ではやんやんという言葉を使い、交信を意味していきます。

 この校歌は、ネットで非常に話題になりました。そして、この何かを発信したり、受信したり、交信したりする様子から、ゆんゆんというオノマトペは、電波の代名詞として利用されるようになりました。ちなみに、このゆんゆんは、電波ゆんゆんと、頭に電波を付けて用いられることもあります」

 楓先輩は、なめるようにして歌詞を読んだあと、僕に顔を向ける。

「非常に躍動感に溢れていて、スケールの大きさを感じさせる歌詞ね」
「ええ。宇宙的規模の何かを感じさせずにはいられない、壮大さと奇妙さを持っています。そして、人間に対する哲学的踏み込みと、情念が爆発したような感情の発露を兼ね備えています」

 僕は、楓先輩に答える。

「ねえ、サカキくん。ゆんゆんは電波の代名詞として使われると言ったけど、どう使うの? テレビやラジオの電波のことを、ゆんゆんと呼ぶの?」
「えー、実は違うのですね。この電波は、空中を漂っている電波のことではなく、電波系とか、電波さんとか、デンパ、デムパ、毒電波と呼ばれる、特殊な人や精神状態を指すのです」

 楓先輩は、きょとんとした顔をする。やはり、先輩は、こちら方面の電波の意味は知らなかったか。電波は、元々ネットの言葉ではない。しかし、サブカルやオタク寄りの言葉なので、先輩が知らなくても不思議ではない。
 僕は、電波について説明するために口を開く。

「先ほど述べた電波ですが、これは、精神疾患の症状の一つを表しています。心の病では、時に自分が何かに命令されて動かされているといった、奇妙な精神状態に陥ることがあります。
 そういった症状を持つ人の中には、頭の中に何者かの声を聞いたり、思考を届けられたりといった体験をする人がいます。このような思考干渉、思考吹入、思考奪取などは、させられ思考とも呼ばれます。
 また、その状態の当事者が、自分の置かれた状態を、電波に命令されている、妨害電波に苦しめられていると、表現することがあるのです。そこから、特殊な精神状態や、その状態にある人を指す、電波という言葉が誕生しました。

 この電波という言葉は、元々このような、精神疾患的な妄想に起因しています。そして、九十年代のサブカルチャーや、オタク層を中心に広がりました。そこから派生して、頭がおかしい人、行動が突飛な人、関わりたくない言動をする人、薬物で頭がやられた人、そういった状態の人が作った作品や表現などを、指す言葉になりました。
 また、その用途の広がりに呼応するようにして、電波自体の表現も多様化して、様々な婉曲表現、置き換え表現が出現したのです。そこからさらに展開して、頭をやられそうな突飛な歌詞と中毒性を持った歌を、電波ソングといったり、相手を罵倒する言葉として使ったりというように、電波の用法は拡大していきました。

 こういった電波という言葉と、先の校歌が結びつくことにより、電波な人や、電波を発していそうな人を、ゆんゆん、電波ゆんゆんと呼ぶようになったのです。

 インターネット時代になり、様々な人が、ネットを通して情報発信するようになりました。その結果、電波な人と関わることがなかった人も、そういった発言に触れる機会が多くなりました。
 また、いわゆる電波と呼ばれる人の中には、強迫観念を持って情報発信する人もいます。他には、躁状態で文章を書き殴るケースもあります。そうなると、他人にはよく分からない謎の文章を、ネットに大量に投下することになります。その結果、電波な人が目立つようになったのですね。

 そういった人は、いろいろと治療中だったりします。なので話題にせず、喧嘩をしたりせず、そっとしておくのがよいです。病気なわけですから」

 僕は、電波についての説明も終えた。楓先輩は、なるほどといった顔をしたあと、口元に拳を当てて、じっと考え始めた。

「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩」

「もしかして、サカキくんって電波系?」
「えっ、どういうことですか?」

 僕は、意外な言葉に驚き、尋ねる。

「うん。だって、一人でいる時に、何かぶつぶつと言っているでしょう。あれって、何かを発信していたり、何かを受信していたりするの? あるいは、交信しているとか」

 えー、あのー、楓先輩。僕は一人で、ぶつぶつとしゃべっているのでしょうか?
 そんなことはないと思うのですが。もしかして、自覚症状がないだけなのでしょうか? 僕は頭を悩ませる。

「楓先輩。つかぬ事をお聞きしますが、僕はどんなことを口にしていますでしょうか?」

 僕は、おそるおそる尋ねる。ここは、精神的ダメージを受けてでも、現状認識をきちんとしておいた方がよい。そして、問題点を修正するべきだ。
 僕は楓先輩に、カイゼンができるサカキくんであることを、アピールしようと考える。そして、社会人になった際の有能さを、示そうと目論む。そうすれば僕は、頼るに相応しい男として、楓先輩に認識されるはずだ。

「そうね、サカキくんがよく言っているのは、デュフフとか、オウフとか、フォカヌポウとか、コポォとかかなあ。どう聞いても、電波な言葉だと思うんだけど」

 ――デュフフコポォ、オウフドプフォ、フォカヌポウ。

 僕は思わず、二〇一二年の「第七回あなたが選ぶオタク川柳大賞」の佳作作品を脳内再生する。
 えっ、もしかして、これ、電波を受信していますか? そして、そんな言葉を、知らず知らずのうちにつぶやくということは、何かを発信していますか?

 どうやら僕は、電波の海に飲み込まれているようだ。そして、毒電波にまみれた脳みそになっているようだ。僕は、その電波を漏らさないように沈黙した。

 翌日のことである。僕が部室に行くと、楓先輩が僕に何かをそっと手渡してくれた。何だろう。プレゼントかな。あるいは、季節外れのチョコレート。
 僕は、先輩がくれるものなら、何でも大歓迎ですよ! そう考えながら、僕は渡されたものを見た。
 それはアルミホイルだった。これで電波を防げということだろう。オウフ。僕は仕方がなく、アルミホイルを頭に巻いた。そして、その状態で、それから三日ほどを過ごした。