第135話「木亥火暴」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、新しい表現に果敢に挑む者たちが集まっている。そして日々、前衛的すぎる活動を続けている。
かくいう僕も、そういった常識を超越した人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、人外な面々の文芸部にも、健全な市民が一人だけいます。岡本太郎の群れに紛れ込んだ、うぶな美大生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、僕の許へと歩いてきて、右横にふわりと座る。先輩のよい匂いが、僕の鼻をくすぐる。先輩は、とてもかぐわしい空気を、その身にまとっている。僕は思わず、くんかくんかしそうになりながら、先輩に声を返す。
「どうしたのですか、先輩。またネットで、知らない言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、先進的なネット使用者よね?」
「ええ。ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツが独創的な概念を生み出したように、僕は無数のネット概念を考案しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも少しずつ書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、未知の言語表現に遭遇した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「木亥火暴って何?」
先輩はその言葉を、もくいかぼうと読んだ。えー、それは核爆ですね。僕は頭の中で文字を変換して、本来の意味を読み取る。どうやら、先輩閣下は、クサチュー語に興味をお持ちのようです。
それにしても、もくいかぼうとは何事だ。先輩はこの単語の意味を、どう思っているのだろう。僕は興味を持ったので、尋ねてみることにする。
「先輩は、その言葉は、どういう意味だと思いますか?」
「そうね。五行や十二支に関係があるのかしら。最後の暴だけ違う漢字だけど、それ以外はそういった漢字だから」
ああ、木火土金水の木火と、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の亥だと思ったのか。しかし、それは全然違う。
「先輩。その言葉は、五行や十二支とは、何の関係もありません」
「えっ、そうなの?」
「はい。これは、クサチュー語と呼ばれるものです。クサチュー語は、昔の大手掲示板の常連であった、腐れ厨房さんがまとめた、ネット文章の表記方法、およびその類似物です。その記法では、様々な文字で別の文字を置き替えたり、複数の文字を組み合わせて、別の一文字を表現したりします。
先輩が挙げた文字は、そのクサチュー語の一つで、核爆と読みます。核爆弾の最初の二文字ですね。爆笑の一段上の表現として使われることが多いです。(笑)(爆笑)(爆)(核爆)みたいにも書かれます。
また、ちゅどーんといった派手な効果音的使用法や、爆弾発言、自爆の表現、古いマンガやドリフの寸劇にある爆発オチ、リア充爆発しろ的な爆発表現で用いられるケースも見られます。木亥火暴には、核爆発を表す、きのこ雲のアスキーアートが、添えられることもあります。
この木亥火暴のような、複数の文字を重ねて別種の文字を使う方法は、倍角文字や四バイト文字のような呼び方がされることもあります。
本来の意味の倍角文字は、ワープロなどで文字を横長にしたりする機能です。これと、同じ言葉を当てているのですね。また、四バイト文字も、文字コードの関係で四バイトになる文字を指すのですが、こちらも同じ言葉を用います。
というわけで、百聞は一見に如かず。クサチュー語を、いくつか紹介します」
僕は、テキストエディタを起動して、クサチュー語を書いていく。
クサチュー語 → 勹廾千ュ-語
日本語 → θ夲語
風変わりな → 風変ゎЧTょ
電子メール → 電孑乂―儿
メルヘンチック → 乂儿∧冫千ッ勹
イカした → イヵνT=
超絶核爆 → 走召糸色木亥火暴
爆死 → 火暴歹ヒ
神社 → ネ申ネ土
終 → 糸冬
儲 → 信者
チート → 升
「サカキくん、よくこんなの覚えているわね」
「ええ。暇人ですから」
僕は、胸を張って言う。そして、さらに説明を続ける。
「このクサチュー語に似たようなものに、携帯電話のギャル文字があります。しかし、こちらは、おそらく出自は別だと思われます。ユーザー層が被っていませんので。ギャル文字の方は、ひらがなやカタカナを、別の文字で置き換えたものが多いです」
「へー、こういった書き方は、ネットやメールなどで、自然発生するものなのね」
「そうだと思います。元々ひらがなやカタカナだって、漢字の置き換えなわけですし。似たようなものと言えますから。
あと面白いところでは、マンガの主人公の名前に、こういった表記が用いられているものもあります」
「そうなの?」
「ええ。アニメ化もされた、久米田康治の『さよなら絶望先生』という作品が該当します。主人公の教師は、イトシキノゾムと読む、糸色望という名前です。この糸色を横書きで書くと、絶という文字になります。そのため、糸色望先生で、絶望先生になります。
作者の久米田康治は、ネットを含めたサブカルチャーに造詣が深いので、クサチュー語というものを分かった上で、こういうネタを仕込んでいるのだと思います」
僕は、一通りの説明を終える。クサチュー語については、こんなところだろう。これで義務は果たした。先輩は僕のことを、頼もしい男性と見なしたはずだ。そして、その信頼は徐々に愛へと変わり、僕の恋愛フラグが、野を覆うばかりに、立ちまくるはずだ。
「ねえ、サカキくん。私もクサチュー語を使ってみたい。特に倍角文字を」
どうやら、楓先輩のツボにはまったみたいだ。先輩は、こういった言葉遊びが好きだ。これは気合いを入れて付き合う必要がある。そして、遊び相手として、いつも一緒にいたいサカキくんと、先輩に認識してもらうのだ。
「いいでしょう。僕も、言葉の魔術師と、人生で一度だけ言われたことのある男です。言葉については、衆人を抜きん出て、破天荒な使い方をできると自負しています。先輩を酔わせる文字選びで、先輩と倍角文字の共演を果たすそうではありませんか」
僕は、ビジュアル系も真っ青なポーズを取りながら、先輩に相対する。楓先輩は、僕からキーボードを受け取り、テキストエディタに何を書き込もうかと、考え始めた。
「そうだ」
先輩は、ぱっと明るい顔になり、人差し指で文字を打ち込む。
――木風
先輩の名前だ。楓先輩は、これでいいのかなという顔で、僕の方を見る。
「よいと思いますよ。他には何かありますか?」
楓先輩は、またしばらく考えたあと入力する。
――食台と革便
飴と鞭だろう。
先輩はなぜ、この言葉を選んだのか。僕に飴と鞭を与えるということなのか。先輩からいただくものなら、小生、飴であろうが鞭であろうが、大歓迎ですよ。
――月旨月方
ちょ、ちょっと待ってください。今、僕をちらりと見たあと、脂肪と書き込みませんでしたか? 僕は、頭を悩ませながら、先輩の手元を見る。
――才巨糸色
ぐああああ~~~! 拒絶って何ですか? 僕を拒絶したいのですか! 先輩、それはないですよ~~~。
「こんな感じかな、あれ、サカキくんどうしたの?」
楓先輩は、無邪気な顔で尋ねてくる。僕は、呼吸を整えてから姿勢を正す。
「な、何でもないです。それでは、今度は僕が、倍角文字をお見せしましょう」
――木示申
「えっ、三文字?」
「榊と読みます。僕の名前ですね」
――メ几
――木又
「えっと、四文字?」
「殺と読みます」
――十十
――日月
「これは十月十日?」
「萌えです」
――不
――正
「不正?」
「歪むです」
僕は、先輩の問いに答える。
「へー、いろいろあるのね」
「ええ。三倍角、四倍角、縦倍角など、様々な表現があります。元々漢字は、会意文字や形声文字、日本で作られた国字のように、二つ以上の文字を合成することで、新たな文字を生み出してきました。だから、こういった表現には向いているのですね。
漢字には、様々な種類と成り立ちがあります。象形文字は、山川日月といった、絵が元になった文字です。指事文字は、上中下のように、概念的記号が元になった文字です。会意文字は、鳴明休のように、意味を組み合わせたものです。形声文字は、清時地のように、音と意味を合成して作ったものになります。
こういった漢字の話で面白いものと言えば、ミュージシャンのスガシカオの本名があります。菅止戈男と書くのですが、この止戈というのは、『春秋左氏伝』に出てくる『止戈為武』という言葉が元になっています。
ちなみに戈は矛、止は足の象形で、行くという意味です。武という文字は、武器を取り進むという、止戈の会意文字になります。
ただ、言葉というものは時代によって変遷します。『春秋左氏伝』の頃には、止は止めると解釈され、『戈を止めるを武と為す』と見なされていたようです。スガシカオの本名は、こちらの意味から採られているそうです」
先輩は、面白そうに僕の話を聞く。僕は、こういった小ネタを拾うために、日夜ネットをさまよっているのだ。
「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩」
「私の苗字の雪村は、縦と横に漢字がくっついているから、あまりきれいにはクサチュー語では表現できないね」
「そうですね。もし書くなら、こんな感じになるでしょうか」
僕は、文字を入力する。
――雪木寸
「あっ、そうか。無理やり全部開かなくてもいいのね」
「ええ」
「それじゃあ、サカキくんの下の名前はどうなるの?」
僕はキーボードを叩いて、自分の下の名前を入力する。
――ネ右介
ついでに、苗字も付け足してみる。
――木示申ネ右介
あれ? 読むのが滅茶苦茶難しいぞ。
僕の横の楓先輩は、画面に顔を近付けたあと、口を開いた。
「三文字、二文字、一文字と、徐々に文字数が少なくなっているから、読みにくいのね。だんだん小さくなるのは、サカキくんらしいけど」
うえっ? どういうことですか。もしかして僕って、竜頭蛇尾、尻すぼみ野郎と思われているってことですか? 僕は先輩に尋ねる。先輩は、気まずそうにしたあと、こくりと頷いた。
「だって、だいたい最後は、ぐたぐただもの」
がっくり。僕は、心に深い傷を負って、その場で轟沈した。
翌日のことである。先輩が、ととととと、と駆けてきて、何かプリントアウトした紙を僕に渡した。
「サカキくんの倍角文字を作ったよ」
「えっ! そうなんですか。ありがとうございます!!」
僕は、さっそくその文字を見た
⊥二由
个小|
⊥ナ
个口
/\
||
それは、あまりにも細切れにされて、何が何だか分からなくなっている、文字の羅列だった。
さすがにちょっと、使えそうもない。僕が、そっと横を見ると、先輩は、僕が喜んでくれると思い、期待の眼差しで反応を待っていた。
えー……。
「とても嬉しいです」
「うん。使ってね!」
先輩は、いいことをした、という顔で去っていく。この文字、どこで使おう……。僕は使いどころが分からず、頭を悩ませながら、一人たたずんだ。