雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第125話「安価スレ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、未来志向な者たちが集まっている。そして日々、新しい出来事を探して活動し続けている。
 かくいう僕も、そういった、未来に生きている人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、SF的世界観の文芸部にも、過去の人が書いた本を愛する人が、一人だけいます。ドラえもんの群れに襲われた、読書好きのお嬢さん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩はいつも無邪気で愛らしい。子犬のように尻尾を振って、喜んでいるように見える。そんな楓先輩を、僕は愛おしく思っている。僕は、幸せな気持ちになりながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。またネットで、知らない単語に出会いましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットを知り抜いているよね?」
「ええ。未来人並みの知識で、数々のネット予言を的中させています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、細かく修正するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、未知の言語空間に迷い込んだ。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「安価スレって何?」

 安い値段という意味を、求めているわけではないだろう。安価スレと言っているのだから、ネット掲示板で出てくる安価の意味のはずだ。
 楓先輩は、これまでの質問を考えるに、ネット掲示板に入り浸っている。しかし、初心者すぎる楓先輩は、そこに出てくる用語のほとんどが分からず右往左往している。ここは、上級者すぎる僕が、先輩を先導してあげる必要があるだろう。そして、師匠と弟子の間柄は信頼を育み、それはいつしか愛情に……。
 僕は暴走する妄想から、辛うじて舞い戻り、先輩に向き直り、解説を始める。

「まず、安価というのは、レスアンカーのことです」
「レスは、返信のことよね。これはおそらく、レスポンスの略よね。アンカーは? 辞書の意味では、船のいかりだったと思うけど」

「ええ。いかりです。固定するもの、安定させるものという使い方もあります。他には、リレーの最終走者をアンカーと呼んだり、ニュースのメインキャスターをアンカーマンと言ったりします。そういった用法以外にも、アンカーは、インターネットでは重要な意味を持っています」

 楓先輩は、きょとんとした顔をする。僕は、先輩のそういった表情も好きだ。僕は、先輩の疑問を解消するために、解説をおこなう。

「ウェブページには、リンクがありますよね。そういった、ハイパーリンクが設定された文字のことを、アンカーテキストと言うのです。レスアンカーのアンカーは、このアンカーテキストを指します」

 楓先輩は、なるほどといった顔をする。僕は、ネットの安価を解説するために、台詞を続ける。

「ネットの掲示板では、他人の書き込みを参照する際に『>> 123』のように書いたりします。これは、百二十三番の書き込みへの返信ですよという意味です。大手のネット掲示板では、この部分が自動でリンクになるのですね。こういった書き方をした部分を、レスアンカーと呼ぶのです」
「その書き方なら見たことがあるわ。それが安価の意味なのね。あれ? でも、それなら、安価スレってどういう意味になるの。アンカーリンクがしてあるスレ?」

 先輩は、小首を傾げる。さすがにこの先は、想像できないだろう。僕は、楓先輩のために解説をおこなう。

「実は安価スレというのは、その仕組みを利用した遊びなのです。通常の返信は、過去の書き込みに対しておこなうものですが、安価スレでは、未来の書き込みに対してレスアンカーを張るのです」
「ふにゃ?」

 楓先輩は、思わず可愛い言葉を漏らして、頭の上にハテナマークを飛び散らせる。確かに、今の話だけでは、意味が分からないだろう。これは、詳しく仕組みを語る必要がある。僕は、その説明を開始する。

「安価スレは、募集と返信で成り立っています。たとえば、募集する人間がこういった書き込みをします」

 僕は、テキストエディタに、安価で募集の例を書く。

 1 : 名無し
 振られた彼女にメールを書く。
 >> 5

「これは、ネット掲示板のスレッドの、一番目の書き込みです。『>> 5』と書いてあるのが安価です。これは、五番目に書き込まれた内容で、メールを書きますというものです。こういったものは、安価メールと呼ばれます」
「へー、なるほど。未来の書き込みに対してレスアンカーを張るというのは、こういったことだったのね」

「はい。この安価は、メールだけでなく、お題募集の用途でも利用されます。たとえば、絵を描く人が、何を描くか募集する際に、この安価が利用されます。少し実例を書いてみましょう」

 1 : 名無し
 藤子不二雄の絵柄で、キャラクターを描くよ。
 安価>> 20

「こんな感じで募集するわけです」
「分かったわ。でも、この書き込みの安価は、二十になっているから、たどり着くのが大変そうね」

「ええ、そうですね。そういった際には、他の人がkskと書いたりします。このkskは、加速という意味です。返信を飛ばして、すぐに安価の番号まで数を増やす目的で使います」
「ねえ、サカキくん。二十番目の書き込みがkskになってしまって、通り過ぎたりしないの?」

 先輩は、不安そうに尋ねる。

「その場合は、二十一番目が安価として採用されたりします。また、そういったことを見越してkskstと書き込むこともあります。これは、加速下の略です。加速はするけど、安価になってしまった場合は、下の書き込みを採用してねという意味です。安価については、こんなところでしょうか」

 僕は、ネット掲示板における安価の意味を説明し終えた。今回は、危ない言葉ではなかったので、特に問題はなかった。先輩はきっと満足してくれるだろう。そして、僕への信頼を揺るぎないものにする。そして、その信頼は、いつしか愛情に……。

「ねえ、サカキくん。私も安価をやってみたい」
「へっ?」

 妄想から引き戻された僕は、思わず疑問の声を漏らす。

「ネットで募集して、何かしてみたいの」
「えー、あのー、大丈夫ですか? 安価の遊びは、書き込まれた内容には、そのまま応じないといけないのですよ。あまりにも無茶な場合は、再安価されたりもしますが、基本は従う必要があります。大丈夫ですか?」
「うん。がんばるよ。チャレンジしてみたいから」

 僕は、嫌な予感がする。というか、やばいフラグが立ちまくっているようにしか思えない。
 大丈夫だろうか。危険なのではないか。しかし、試してみる前から、楓先輩の行動を妨げるのはまずい。それでは嫌われかねない。僕は渋々ながら、先輩の要求を飲み、ウェブブラウザを起動した。

「それじゃあ、募集するね」

 楓先輩は、キーボードを人差し指で押して、文字を入力する。

 1 : 名無し
 隣に座っている、部活の後輩に話しかけます。
 >> 10

 ぶっ! 僕は思わず噴きそうになる。ちょっと待ってください。僕をダシにして、安価をするのですか? これは、やばいことになりそうだ。僕の妖怪アンテナが、びんびんに立っている。危険な妖怪が、出てきそうですよ。

 2 : 名無し
 1は男? 女?

 3 : 名無し
 女です。

 4 : 名無し
 1の後輩は男? 女?

 5 : 名無し
 男です。

 6 : 名無し
 ktkr

 7 : 名無し
 ksk

 8 : 名無し
 kskst

 9 : 名無し
 「好き」と言う。

 10 : 名無し
 「わたし、きれい?」と尋ねる。

 11 : 名無し
 「嫌い」と言う。

 一気に十一番目まで書き込みが進んだ。
 ぬお~~~。何て心臓に悪いロシアンルーレットなんだ。十一番だったらへこむし、九番だったら、信じてよいのか分からない。楓先輩は、書き込みを確認したあと、僕に顔を向けた。

「わたし、きれい?」
口裂け女ですか!」

 僕は思わず突っ込む。すると先輩は、カタカタと報告を書き込んだ。

 12 : 名無し
 「わたし、きれい?」と言ったら、「口裂け女ですか!」と返されました。
 次は、何と言いましょう?
 >> 15

 ちょっと待った~~~~! まだ続けるのですか? 僕は、ドキドキしながらレスを待つ。

 13 : 名無し
 ksk

 14 : 名無し
 ミミズバーガー食べたことある。

 15 : 名無し
 ツチノコ見せて。

 16 : 名無し
 八尺様って知っている?

 書き込まれたレスに、僕は固まる。ここの住人は、都市伝説マニアですか? それはいいとして、十五の書き込みは卑猥すぎる。しれっと紛れ込んで違和感がないけど、これは危険な言葉だ。
 楓先輩は、モニターから顔を上げて、僕を見る。

「ツチノコ見せて」
「見せません!」

 先輩は、自分の口にした台詞の意味を、まるで分かっていない様子だ。男性に、太くて長いものを見せてくれなんて言ってはいけません! そう指摘できるはずもなく、僕は顔を赤く染めて、目を逸らした。
 きょとんとした先輩は、その報告をスレに書き込んだ。

 17 : 名無し
 「ツチノコ見せて」と言ったら、「見せません!」と赤い顔で返されました。
 次は、何と言いましょう?
 >> 20

「まだ続ける気ですか!!!」
「えっ!?」

 僕の声にびっくりして、楓先輩は、目をぱちくりとさせた。先輩は、F5キーに指を置く。ウェブブラウザがリロードされた。

 18 : 名無し
 ksk

 19 : 名無し
 ksk

 20 : 名無し
 ねえ、付き合わない?

 先輩と僕の動きがぴたりと止まる。これまでの流れをぶち切って、都市伝説ではない台詞が投下された。いや、最初の方のレスでは、好きとか、嫌いとか書いてあった。その流れが、今になって復活したのだろう。
 楓先輩は、どうする気なのか。安価の通り、僕に二十番の台詞を言うのか。僕は、楓先輩の様子を窺う。先輩は、顔を真っ赤に染めてモニターを見ている。ええい、じれったい。僕は先輩の背中を押すために、口を開く。

「先輩。安価は絶対です!」
「う、うん。サカキくんに聞いたから知っているよ」

 キタコレ! これは、先輩が僕に「ねえ、付き合わない?」と言う流れだ。僕は期待の眼差しで楓先輩を見る。よもやこんな日が来ようとは。嫌な予感がしたけど、まさかこんな展開になるとは思ってもいなかった。僕は先輩をじっと見て、台詞を待つ。さあ来い。どんと来い! 僕の心は、お祭り状態になる。
 先輩は、一分ほど固まり続けたあと、文字を入力した。

 21 : 名無し
 校則違反になるから無理です。再安価。
 >> 999

 ええ~~~~! そりゃないですよ!
 僕は心の中で、抗議の声を上げる。せっかく、楓先輩が告白してくれると思ったのに。校則って何ですか。その理由で断るなら、一分も悩む必要なんか、なかったじゃないですか。
 ……もしかして先輩は、校則を守るか破るかで、揺れていたのですか? 僕は、楓先輩の表情を読み取ろうとする。しかし、先輩は顔を逸らして、見せてくれなかった。

 翌日のことである。部室に僕が顔を出すと、楓先輩が、ととととと、と駆けてきた。

「ポマード! ポマード! ポマード!」

 ???

 僕は、意味が分からず硬直する。

「あの、楓先輩。何でしょうか?」
「九百九十九番の書き込みが、ポマード! ポマード! ポマード! だったから」

 ……。ぬおっ! 先輩の安価スレは、密かにレスが伸びて、九百九十九番まで行っていたのか。そして、一周回って、口裂け女の話になり、口裂け女から逃げる呪文が書き込まれていたのか。

 せっかくなら、九百九十九番ではなく、二十番の書き込みを口にしてくれればよかったのに。そうしたら、即答で「付き合いますよ!」と答えていたのに。
 そこまで考えたあと、僕は、はたと気付く。もしかしたら、嫌な予感がしたのは、こういった結果を予想したからかもしれない。先輩からの告白は、安価ですら無理。僕の未来予知の能力は、そのことを察知したのかもしれないと思った。