雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第123話「台風コロッケ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、美味しいものに目がない者たちが集まっている。そして日々、貪欲に食の快楽を追求し続けている。
 かくいう僕も、そういった食通もどきな人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、食べすぎな面々の文芸部にも、ごくごく控えめな人が一人だけいます。贅を凝らしたローマ貴族の食卓に招かれた、五穀断ちをした修行僧。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。そして上目づかいで僕を見て、にっこりと微笑んだ。ああ、先輩は何て素敵なんだろう。体はちんまりとしていて、顔は整っていて、優しげだ。そして、目元には眼鏡があるし、髪型は清楚な三つ編みだ。僕は先輩の姿に、心をときめかせながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。またネットで、知らない言葉に出会いましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに精通しているよね?」
「ええ。平賀源内のように、広範な知識を有しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自分の部屋でも推敲するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、未見の文化に接触した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「台風コロッケって何?」

 ああ、この言葉の意味を、楓先輩は知らないだろう。台風が来たら、コロッケを買って食べる。このネット発の風習を、楓先輩が把握しているとは思えない。というか、どっぷりとネットにはまっている人しか、知らないはずだ。

 さて、どのように説明するか。僕は無言で考える。簡単に話せば、あっさりと終わる。しかし、その成立経緯を納得してもらうには、前提条件が必要だ。風習というものが、どのように成立するのか、理解しておかなければならない。僕は、その土台となる情報を伝えるために、先輩に語りかける。

「楓先輩。世の中には、数多の風習があります。それらには、個別の成立過程があることを、ご存じでしょうか?」
「いくつかは、聞いたことがあるわよ。土用の丑の日にウナギを食べるのは、平賀源内が考えた宣伝が起源、と言われているわよね」

「ええ。ウナギの話は、蜀山人説など異説がいくつかありますが、平賀源内の話が最も有名です。
 まあ元々、丑の日に『う』の付くものを食べるという風習が、先行してあったわけです。それを効果的に利用したのが、平賀源内だったと言われています」

 僕は脳をフル回転させて、先輩の理解の土台を築こうとする。

「風習の起源というものは、意外なものだったり、思った以上に新しいものだったりします。たとえば、端午の節句の鯉のぼり。この成立は、比較的新しく、江戸時代中期になります。

 江戸時代、将軍に男の子が生まれると、五色の吹き流しや、のぼり、旗指物を立ててお祝いをしました。この風習が武家に広がり、さらに町人が真似るようになりました。そして、吹き流しに、立身出世の象徴である、鯉の絵を描くようになったのです。
 ちなみに、鯉が立身出世の象徴と見られるのは、後漢書の鯉の滝登りの故事によります。

 そういった経緯の風習なので、鯉のぼりは、関東でしか見られなかったわけです。関西の人は、あれは何だろうという感じだったわけですね。知らない人から見れば、端午の節句と鯉のぼりの組み合わせは、謎の風習だったのです」

 僕がそこまで話したところで、楓先輩は、ぱっと明るい顔をした。

「もしかして、台風コロッケというのも、そういった私の知らない風習の一つなの?」
「そうです!」

 ようやく、話の入り口にたどり着いた。僕は意気揚々と、台風コロッケの話に入る。

「台風コロッケの発端は、二〇〇一年にさかのぼります。ネット掲示板の『上陸秒読み実況スレッド』という場所で、ある書き込みがおこなわれたのです」
「どんな書き込みなの?」

 楓先輩の顔は、わくわくしている。いよいよ謎に迫れる。そういった興奮で、先輩は僕に体を密着させる。僕は、先輩の体温と、ほのかな香りを感じながら、続き語りだす。

「書き込みの内容は、こういったものでした。『念のため、コロッケを十六個買ってきました。もう三個食べてしまいました』たったこれだけです。この書き込みを切っ掛けに、コロッケを食べたくなる人が続出して、それ以来、台風が近付くと、コロッケを買うという風習が、ネットの一部に定着したのです。

 これは、台風が近付くと、気圧の関係でコロッケが美味しくなるとか、台風を利用してコロッケを作るとか、そういった話ではありません。本当に単なる、書き込みを発端に広がった風習なのです。

 そのため、そういった経緯を知らない人には、謎の行動なわけですね。上方の人が、江戸時代の鯉のぼりを、奇異の目で見るようなものです。あの人たちは、何をしているのだろう、となるわけです。まあ、分かってしまえば、何でもない話なのですが」

 僕は説明を終える。台風コロッケの話は、これ以上でも、これ以下でもない。知っているかどうかの話だ。そして、知ってさえいれば、台風が来た時に、コロッケ、コロッケと言って、ネットの仲間たちと盛り上がることができるのだ。
 楓先輩は、なるほどといった顔をする。そして、パソコンのモニターに目を移した。

「今朝のニュースで、台風が近付いていると言っていたわ。サカキくん。台風の進路は分かる?」

 そういえば、そんな話があった。だから、楓先輩は、台風コロッケの話を聞いてきたのだろう。
 僕は、ウェブブラウザを立ち上げて、天気予報サイトを表示する。台風は、僕たちの住む町を直撃していた。そういえば、窓の外は、大粒の雨が降っている。

「楓先輩。台風は、僕たちの町にやって来ています」
「台風かあ。コロッケ、食べたくなっちゃった」
「そうですね。僕も欲しくなりましたよ」
「でも、部室にはないから残念ね」
「大丈夫です、任せてください。僕が買ってきますから!」

 これは、ポイントを稼ぐチャンスだ! 僕は、瞬時にそう考えて、声を出した。

 動物の雄は、雌のために餌を取ってきて気を引く。それと同じだ。ここで僕がコロッケを買ってくれば、先輩は僕を、頼りがいのある雄として認識してくれるはずだ。
 これは、フラグが立つぞ。いや、僕の手で立たせるのだ。鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス。僕は、秀吉ばりに狡知を尽くして、楓先輩の心をつかんで見せますよ!

「不肖、サカキユウスケ。ただ今より、コロッケ買い出し隊として、出陣して参ります!」
「えっ?」
「それでは、しばしお待ちを!」

 僕は部室を飛び出し、下駄箱に向かった。そして、傘立てから傘を引き抜き、玄関から外に飛び出した。

 ビュ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!

「ふんぎゃあ~~~~~~~~~~~~~~~~~!」

 僕は、横から吹き付ける雨に殴打された。それは石つぶてのように僕の全身を叩き、脆弱な僕のやる気を、こてんぱんにやっつけた。ふええ、帰りたいよう。
 しかし、その時、僕の頭に、楓先輩の顔が浮かんだ。楓先輩がコロッケを待っている。台風コロッケを待っている。僕は台風の中、身を挺して、コロッケを調達しなければならない!
 僕は、雨に濡れながら猛然とダッシュした。そして、校庭を突っ切り、校門を駆け抜け、道路を走り、最寄りの肉屋に飛び込んだ。

「おじさん。コロッケください。十六個!」
「そんなに、食うのかい?」
「部活です!」
「おおっ、なるほど! じゃあ、一つおまけしておいてやろう」
「あざーっす!」

 僕は、紙袋に包まれたコロッケを、ビニール袋で厳重にガードして、学校に向かった。
 先輩は、きっと喜んでくれるはずだ。僕は、校門を通り、水びたしの校庭を走り、下駄箱の前まで駆けてきた。全身ずぶ濡れである。傘を傘立てに戻し、廊下を進んで部室に到着する。

「楓先輩。コロッケです!」

 先輩は、窓際の自分の席の前に立っていた。窓からは校庭が見える。楓先輩はきっと、僕の雄姿を見ていてくれたのだろう。

「サカキくん……」

 楓先輩は、逆光の中、窓の外を指差す。逆光の中? 僕は疑問に思って、窓の外を見る。
 ……外は晴れて、日差しが見えていた。えっ、どういうこと? 僕は、意味が分からず呆然とする。

「台風の目に入ったみたい」
「あ、ああ!」

 ――父さんは、竜の巣の中でラピュタを見たんだ!
 ――バカな。入った途端に、ばらばらにされちまうよ!

 僕の脳内で「天空の城ラピュタ」の台詞が再生される。

 台風の目か……。僕が必死に走ってコロッケを買いに行く間に、台風は移動して、その目の中に、学校がすっぽりと覆われたのだ。

「サカキくん、ずぶ濡れ」
「う、うぇぇ……」

 僕は、がっくりとうな垂れる。あともう少し待ってから外出すれば、全身雨に打たれることはなかったのだ。

「……先輩、コロッケです」
「せっかくだから、みんなで食べましょう」

 僕は部室で、部員のみんなにコロッケを振る舞った。僕自身は、物陰に隠れて、服を脱いで体を拭いた。悲しく、寂しく、虚しかった。

 翌日のことである。僕が部室に行くと、楓先輩が、ととととと、と駆けてきた。

「どうしたのですか、楓先輩」
「昨日はごめんね」
「いえ、ご心配にはおよびません。僕が勝手に買いに行っただけですから。ぶわっくしょん!」

 僕は、少し風邪っ引きになっていた。

「大丈夫?」
「熱はないみたいです」
「そうなの?」

 先輩は、自分の前髪を上げて、おでこを僕の額にそっとくっつけた。うわ~~~。僕の顔は、恥ずかしさと嬉しさで、真っ赤に染まる。

「ちょっと熱っぽいみたい」

 それはきっと、楓先輩のせいです。

「風邪が治ったら、今度はサカキくんに、コロッケを食べさせてあげるね」

 先輩は、にっこりと微笑んだ。ああ、台風コロッケは最高だ。僕に、とんでもないご褒美を与えてくれた。
 僕は、台風にコロッケという風習を作ったネット民に、心の底から感謝の気持ちを抱いた。