雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第116話「獣耳」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

f:id:kumoi_zangetu:20140310235211p:plain

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、そこはかとなく倒錯的な者たちが集まっている。そして日々、アブノーマルな会話を続けている。
 かくいう僕も、そういった変態的な妄想にふけりがちな人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、桃色吐息な面々の文芸部にも、清純派の人が一人だけいます。叶姉妹の群れに迷い込んだ、吉永小百合。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、楽しそうに歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。僕は先輩の顔を見下ろす。先輩は僕の顔を見上げて、えへへ、と笑う。ああ、何て可愛らしいのだ。まるで小動物のような愛らしさだ。僕はそう思いながら、笑顔で声を返した。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、知らない言葉がありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの様々なことに精通しているわよね?」
「ええ。アーネスト・トンプソン・シートンが、動物記を書くぐらい、ネットに詳しいです」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自宅でも書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、豊かな文学の生態系を目撃した。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「獣耳って何?」

 ああ、マンガやアニメをほとんど見ない楓先輩は、獣耳の文化は知らないだろう。獣耳は、オタクの世界で確固たる地位を獲得している萌え属性だ。どの動物の耳がよいかで議論になることもある。オタクであるならば、お気に入りの耳ぐらいは、持っていなければならない。また、四つ耳を許せるかどうかで、大論争になったりもする。その時への、心構えも必要だ。

 さて、そんな獣耳を、楓先輩にどう説明するか。そう思った時である。部室の一角で「ガタン」という大きな音がした。
 うん? 何だろう。僕は、その音がした場所に、顔を向ける。そこには、僕と同じ二年生の、鈴村真くんが立っていた。鈴村くんは、何か言いたそうな顔で、頬を赤らめて、僕の方を見ている。その手には、中身の分からない紙袋がある。いったい、どうしたのだろう。僕はその理由を考える。

 鈴村くんは、華奢な体に、女の子のような顔立ちの男の子だ。そんな鈴村くんには、他人に隠している秘密がある。
 実は鈴村くんは、女装が大好きな、男の娘なのだ。鈴村くんは家に帰ると、女物の洋服を着て、等身大の姿見の前で、様々な可愛いポーズを練習している。そして、女の子の格好をする時には、「真琴」という女の子ネームに変わるのだ。
 僕は、その真琴の姿を、これまでに何回か見たことがある。その時のことを頭に浮かべながら、鈴村くんの姿を見た。

「サカキくん……」

 鈴村くんは、もじもじとしながら紙袋をいじっている。いったい、どうしたというのだ。僕は思考を巡らせて、今日の昼休みのことを思い出す。そうだった。今日の昼に、僕と鈴村くんは、獣耳に関するやり取りをしたのだった。

 今日の昼休みのことである。僕は、自らの食欲を満たすために、母親の作った弁当をほおばっていた。
 母親の味という奴である。しかし悲しいことに、今朝は時間がなかったのか、簡素な弁当だった。弁当箱には、ご飯が詰められており、その中央やや上に、梅干しが二つ、目玉のように並んでいた。そして、その遥か下に、海苔で半月上の口が作ってあった。いわゆるスマイルマークである。
 分類するならば、キャラ弁になるのだろう。しかし、その実態は、梅干しが二つ、それにわずかに海苔が添えられているだけの、日の丸弁当である。成長期の息子に、何たる仕打ち。しかし、忙しい時間を割いて作ってくれたはずである。僕は不満を胸に押し込みながら、スマイル弁当を涙目で食べていたのである。

「ねえ、サカキくん。時間ある?」

 親友の鈴村くんが、声をかけてきた。鈴村くんも弁当を食べている。その内容は、ご飯が三割に、おかずが七割。そのおかずも彩り豊かで、健康によさそうだった。言うならば、砂漠の光景に、日本の四季。僕の母と鈴村くんの母親の、女子力の差が、そのままお弁当に現れているように思われた。

「時間はあるよ。しかし、僕の心を潤す、弁当のおかずがないんだ」
「僕のを分けてあげようか。僕は少食だから」

 ありがたいことだ。持つべきものは親友だ。僕は、もらったおかずでご飯をかっ込み、鈴村くんに、残りの時間を捧げることにした。

 食事が終わったあと、鈴村くんは、僕を連れて屋上に向かった。ふっ。これまで何度、鈴村くんと屋上に行ったことだろう。僕も慣れたものである。おそらく、女装の相談だろう。そんなことが想像できるほどに、僕は鈴村くんの行動パターンを熟知していた。

 屋上に着いた。幸いなことに、僕たち以外、誰もいない。僕は、屋上の手すりに寄りかかる。そして、爽やかな風を浴びながら、鷹揚に構えた。未来を知っているということは、心に余裕を作ってくれる。僕は、世界を見下ろす支配者のような心境で、鈴村くんの次の一手を待った。

「実は今日は、女装の件ではないんだ」
「ふぇっ?」
「違うものを持ってきたから、サカキくんに見てもらいたいんだ」
「ホワッ!」

 僕は、自分の予測が外れたことに、うろたえる。危うく、手すりから落ちるところだった。僕は、必死に平静を保ちながら、鈴村くんの姿を観察する。

 鈴村くんの手には、紙袋があった。そのことから、一つのことが想像できた。今日は、女の子の服を着ていない。制服の下は、おそらく普通の男の子の格好なのだろう。
 そこからさらに、僕は推測する。鈴村くんは、これから何かを装着する。それも、女装ではない何かの姿になるのだ。

 鈴村くんは、僕の予想してない、未知の領域に突入しようとしている。アウターゾーンである。いったい、どんな超常の展開が待っているのか。僕は緊張しながら、鈴村くんを観察する。

「実は、通販でいろいろと買ったんだ。可愛かったから、思わず衝動買いしちゃった」

 照れくさそうに鈴村くんは言う。僕は、紙袋に視線を注ぎながら、何が出てくるのかを警戒した。

 それは、僕の前に姿を現した。
 カチューシャだった。それも普通のものではない。頭上に当たる部分に、猫耳を付けたものだ。鈴村くんは、手で自分の髪をすいて、耳を隠し、猫耳カチューシャを装着して、猫耳男の子に変身した。

「にゃんっ」

 鈴村くんは、手を軽く上げて、にこやかに言う。駄目だ。可愛すぎる。僕が何かに目覚めてしまう。日本の夜明けは近いぜよ。僕は、必死に理性を保とうとする。

「……へー、鈴村くん。猫耳のカチューシャを買ったんだ」
「うん。でも、猫耳だけではないよ。いろいろとあるんだ」

 頭の猫耳を取ったあと、鈴村くんは紙袋の中を、再びごそごそとする。次は犬耳だった。それも、少し垂れ気味の。それを頭にはめた鈴村くんは、嬉しそうに声を出す。

「わんっ」

 やばい。犬耳美少年なんて、何てマニアックで可愛いんだ。そして、鈴村くんだから、ポーズもばっちりだ。軽く手を持ち上げて、お手の姿勢をしている。そのまま首輪を付けて、家に持ち帰りたい衝動が沸き起こってきた。

「どう、サカキくん?」
「う、うん。とってもいいんじゃないかな」

 僕は、しどろもどろになりながら返事をする。鈴村くんの表情が柔和になる。それは、男の娘のものだった。鈴村くんは、真琴の表情で、僕に熱い視線を送ってくる。

「次は狐耳だよ」

 真琴は耳を交換する。先ほどの子供っぽさから一転して、少し年上のお姉さんといった雰囲気になる。その目には、妖艶な輝きが浮かんでおり、僕をもてあそびそうな笑みが、口元に現れている。
 真琴は、僕に体を寄せてくる。そして、百年以上生きた妖狐のような表情で、僕に顔を近付けてきた。

「どう、サカキくん?」
「と、とっても似合っていると思うよ」
「僕の耳、触ってみる?」
「いいの?」
「うん。サカキくんに触れてもらいたいんだ」

 僕は、生唾を飲み込み、指先で狐耳をつまむ。その瞬間、真琴は「あんっ」と声を上げて、顔を赤くして身を引いた。本物の獣耳。まるでそう思えるような仕草だった。現実と非現実の境界が崩れていく。僕は、不可思議な世界に迷い込んでいる。その異空間の中で、真琴はさらに耳を取り換えた。

 今度の耳は、ウサ耳だった。それを身に着けた瞬間、真琴の表情は、お色気たっぷりに変貌する。これは、バニーガールの表情だ。僕は、実際には見たことのない、その姿を想像する。大きく開いた胸。網タイツによるハイレグの脚線美。真琴は学生服を着ている。しかし、そのなまめかしい姿は、バニーガールの姿を容易に想像できるものだった。

「サカキくん。僕の耳は好き?」
「う、うん」
「なでてみたい?」
「い、いいの?」
「サカキくんならいいよ。僕の好きなところを、なでてもらって」

 僕の脳内ブレーカーが落ちた。僕の理性はメルトダウンする。リミッター解除ですよ。僕は両手を振り上げ、ビーストモードに移行する。その時である。屋上へと続く階段を、のぼってくる人たちの声が聞こえた。

「鈴村くん! その頭のものを取って、紙袋に戻して!」
「う、うん!」

 鈴村くんは、素早くウサ耳を隠した。僕は冷や汗をかきながら、平静を装う。そういったことが、今日の昼休みにあったのである。僕は、そのことを思い出した。

 僕は意識を部室に戻す。目の前には楓先輩がいる。そして、きょとんとした顔で、僕の様子を見ている。

「どうしたのサカキくん?」
「な、何でもないです。ええと、獣耳の話でしたよね?」
「うん。教えてちょうだい」
「分かりました」

 僕は、一呼吸おいて説明を開始する。

「獣耳は、オタク業界では、重要な萌え要素の一つです。ケモ耳、動物耳と呼ばれることもあります。どういったものかと言うと、人間の頭に、様々な動物の耳を載せたものです。人間の体の一部を動物化するわけですね。キャラクターによっては、その獣度合いは千差万別です。単に耳が付いたものもいれば、もふもふとした体毛があるものもいます。

 さて、萌え要素と言いましたが、獣耳は、女の子キャラを可愛らしく見せる、記号の一つです。
 オタクの世界では、これまでの膨大なマンガやアニメの作品群から、記号的要素による、キャラ設定の類推がおこなわれます。たとえば、眼鏡キャラは知的で物静かとか、垂れ目は優しくて母性的だとか、様々な外見的な記号により、キャラクター設定を読み解くことができるのです。

 獣耳も、そういった記号的な可愛さの一つです。その中で面白いのは、どの動物の耳を付けるかで、性格も類推できるという点です。犬耳のキャラクターは人懐っこいとか、狐耳のキャラクターは、お姉さん系で妖艶だとか、ある程度の傾向が見られます。
 この獣耳の中では、猫耳が最大勢力です。そのため、猫耳は性格を類推させるというよりは、単に可愛さの記号として使われることもあります。その証拠に、普通のマンガの中で、可愛い仕草をする時に、猫耳を付けた絵にするという技法があります」

 楓先輩は、へーっといった顔をする。普段、マンガやアニメに慣れ親しんでいない先輩には、新鮮な話だろう。僕は続けて、獣耳における四つ耳問題にも、触れておくことにする。

「実は獣耳には、よく論争になることがあるのです」
「どういうことなの? 獣の種類で、もめるとか」
「確かにそれでも紛糾しますが、それよりも大きな話があるのです。それは、獣耳を付けたキャラクターに、人間の耳を付けるかどうかという問題です」

 楓先輩は、きょとんとした顔をする。僕はメモを手元に寄せて、二つ耳の場合と、四つ耳の場合の、簡単な絵を描いて見せる。

「人間の頭に、動物の耳を単純に載せた場合は、耳が四つになってしまうのですね。これは生物としておかしい。だから、獣耳を付ける際は、人間の耳を消すべきではないか。それが、獣耳における、二つ耳、四つ耳問題です」
「なるほど。言われてみればそうね」

 楓先輩は、僕の絵を見ながら納得した顔をする。

「とはいえ、獣耳をアクセサリーとして付ける場合は、その限りではありません。人間の耳が消える方がおかしいわけですから」
「ねえ、サカキくん。獣耳には、具体的には、どういったものがあるの?」
猫耳、犬耳、狼耳、狐耳、トラ耳、ウサ耳、ネズミ耳、クマ耳、タヌキ耳とかですかね。それ以外にも、動物の耳なら何でもありですよ」

 その時である。ドサリという音とともに、机の上に、大量の何かが置かれた。それは、鈴村くんが紙袋に入れて持ってきた、大量の獣耳カチューシャだった。

「サカキくん。僕の獣耳を使って」

 鈴村くんは、なぜそれらを持っているのか一切言わず、僕と楓先輩に獣耳カチューシャをすすめる。

「えーと、鈴村くん。もしかして、僕と楓先輩に、これを付けろってことなの?」

 鈴村くんは、恥ずかしそうに頷く。

「面白そうね」

 楓先輩は乗り気だ。仕方がない。僕もカチューシャの山に手を伸ばす。僕と楓先輩は、同時に獣耳を装着した。
 楓先輩は、ちんまりとした可愛らしい猫耳娘になった。僕は、犬耳少年に変身した。鈴村くんが、楓先輩に耳打ちする。その言葉を、ふんふん、といった様子で聞いたあと、楓先輩は、明るく声を出した。

「にゃんっ♪」

 うおおおお~~~~~~っ。鈴村くん、君の提案は素晴らしすぎるよ。僕は、興奮マックス状態になり、楓先輩の犬として、すかさず返事をした。

「わんっ! わんっ! わおおお~~~~んっ!」

 先輩に受けた。超受けた。先輩は、とても楽しそうに、猫耳と犬耳のやり取りを続けた。

 それから三日ほど、楓先輩は部室で、猫耳姿で過ごした。眼福だった。獣耳はよいものだなあ。僕は、心の底からそう思った。