第115話「○○だけど、何か質問ある?」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、人生に疑問を抱いた者たちが集まっている。そして日々、自分探しの旅に出て、帰ってこない生活を続けている。
かくいう僕も、そういった戻ってこないブーメラン系の人生を送る人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、人生迷走中な面々の文芸部にも、真っ直ぐに生きている人が一人だけいます。迷子の小学生の群れを引率する、近所のお姉さん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は顔を上げて、僕のことを見上げる。眼鏡の奥の目は、きらきらと輝いていて、僕への信頼に溢れている。さあ、がんばらないと。僕はそう思いながら、笑顔で声を返した。
「どうしたのですか、先輩。ネットで、意味の分からないフレーズがありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの様々なことに詳しいわよね?」
「ええ。両津勘吉ばりに、いろいろな技能を身に付けています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも推敲するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、まぶしいほどの輝きを持つ情報の星屑に遭遇した。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「○○だけど、何か質問ある? って何?」
ああ、先輩が知ったら、延々と読みふけりそうなスレの種類だな。僕は、好奇心旺盛な楓先輩に教えてあげた方がよいだろうと思い、さっそく説明を始める。
「○○だけど、何か質問ある? というのは、ネット掲示板でよく立つスレッドの一種です。『質問ある?』スレでは、変わった職業の人や、珍しい経験を持つ人が、スレ主、つまりスレッドのホスト役として、質問を募集します。そして、投稿された質問に答えていくのです。これは最終的には、Q&A方式の面白いコンテンツになります。
この、『○○だけど、何か質問ある?』は、ネット掲示板を使う以外にも、Q&Aサイトや、こういった形式に特化したサービスを利用しておこなわれます。また、この手の質問スレをまとめたサイトもあり、ネットでは読者の多いコンテンツとなっています。
実際の内容としては、『グーグルで働いてるけど何か質問ある?』『 アフィリエイトで生活してるけど何か質問ある?』『インド人だけど質問ある?』のようなものがあります。お金にまつわる話や、普通には聞けない職業の話、異文化体験の話などは、普遍的に人気がありますね。
また、変則的なものとしては、自分が経験したことのないことを、適当に想像で答えるという亜種もあります。この場合は、スレ主のセンスが問われます。
内容としては、『アップルで働いたことがないけど何か質問ある?』『空手の黒帯を持っていないけど何か質問ある?』みたいな感じです。こちらも、けっこう面白いですよ」
楓先輩は、興奮したような顔をする。やはり好みの内容だったようだ。こういった話は、先輩も読みたいだろう。かくいう僕もけっこう見ている。楓先輩は、どういった「質問ある?」スレに関心を持つのだろうと、僕は考えた。
「ねえ、サカキくん」
「何ですか先輩」
「私もやってみたい!」
「えっ、何をですか?」
「『質問ある?』スレの、スレ主を!」
そ、そう来ましたか。僕は予想外の展開に、ちょっと驚く。先輩は、読む方ではなく、質問を受け付ける方に、興味を持ってしまったようだ。
とはいえ、ネットにあまり慣れていない先輩が、赤裸々に情報を書き込むのは危険だ。僕は妥協案として、テキストエディタに、先輩がスレ主として書き込み、僕が質問するという、模擬「質問ある?」スレを提案する。
「それでいいわ。私が質問を募集して、サカキくんが書き込んで、私が答えるのね」
「はい。ネットを使わずに、テキストエディタでやってみましょう」
僕はエディタを起動して、先輩にキーボードを渡す。先輩は、拙い指さばきで文字を入力する。
――雪村楓だけど、何か質問ある?
ああ、ネットにいきなり、書き込ませないでよかった。個人情報ダダ漏れだ。というか、本名を書き込んでどうするのですか。僕は、そのことを、やんわりと楓先輩に指摘する。
先輩は、少しだけしゅんとした顔をする。その表情が元に戻るのを待ってから、僕はキーボードを手元に寄せる。僕と先輩は、一つのキーボードで交互に入力を開始する。
――雪村楓さんは学生ですか、社会人ですか?
――学生です。
――学年は?
――中学三年生です。
――部活に入っていますか?
――入っています。文芸部です。
――文芸部の中に、好きな人はいますか?
――秘密です。
――好きな芸能人のタイプは何ですか?
――秘密です。
――身長体重を教えてください。
――秘密です。
――スリーサイズを教えてください。
――秘密です。
――……。
――秘密です。
「ちょっ、先輩! 秘密ばっかりじゃないですか!」
「だって、サカキくんが、答えられないような質問ばかりするんだもの」
「そもそも、個人名で質問を募集するのが間違っているのですよ。有名人ならともかく、一般人は、本名で質問を募集したりしませんから」
楓先輩は、だいぶへこんだ顔をする。そして、キーボードを僕の方へと押しやった。
「じゃあ、サカキくんがスレ主役をやってみて。それを参考にするから」
「仕方がないですね」
何だか、話が妙な方向に進んできた。僕がスレ主の振りをして、先輩に質問をされるなんて、まったく予想していなかった展開だ。
「それじゃあ、書き込みますね」
僕は、華麗にキーボードをタッチする。
――リアル中学二年生の、真正厨二病患者だけど、何か質問ある?
楓先輩は、僕の入力した内容を見て、どう質問するべきか一生懸命考える。
――あなたは、もしかして、私の知っているサカキくんですか?
――どうだろうね。僕のこれまでの人生で、サカキという苗字の人物に転生した経験はないからね。でも、過去の記憶は、何かの切っ掛けで蘇ったりするものだよ。だから、僕がサカキくんという存在でなかったということは、言い切れないと思うよ。
僕は、露骨すぎる楓先輩の質問に対して、やんわりと、それっぽく答える。
――厨二患者さんは、普段は何をしているのですか?
――僕は学生だからね。学業にいそしんでいるよ。それだけでなく、部活にも熱心だね。毎日部室に行っては、調べ物をしているんだ。そして多元宇宙を横断するエターナル・チャンピオンとして、きたるべき瞬間に備えた知識を、吸収しているんだ。
――厨二患者さんは、何かと闘っているのですか?
――そうだね。運命と闘っているかな。世界は常に、法と混沌のどちらかに傾くものだからね。僕はそのバランスを取るための、天秤のようなものなんだ。僕の双肩に世界の命運がかかっていると思うと、責任重大だよね。
――そんなに重責だと、プレッシャーに押しつぶされたりはしないのですか?
――それは、よく心配されることだね。だからたまには、仲間と集まって愚痴を言いたくなる時もあるよ。そういった時は、タネローンに行くんだ。同じ運命を抱えた、僕の化身たちが一堂にそろって壮観だよ。でも、普通の人には行けない場所だからね。まあ、僕のような、特殊な運命を持っている人ならではの、ことだと思うよ。
――そんな厨二患者さんは、どこか行ってみたい場所はありますか?
――うーん。いっぱいあるね。でも、どこか一ヶ所を選ぶとすれば、メルニボネかな。夢見る都イムルイルに行って、その様子を眺めてみたいね。
「……と、こんなところですか」
僕は手を止めて、楓先輩の顔を見る。楓先輩は、僕のレスに喜んでいるようだ。これは、親密度が一気にアップしたかな。僕は、三つ編み眼鏡姿の先輩の様子を、じっと見つめる。
「サカキくん。何となくやり方が分かったわ。自分の名前や住んでいる場所といった、個人情報は書いたら駄目なのよね?」
「そうです」
「ということは、自分のことを、ある程度抽象化しないといけないわね」
「ええ。その上で、他の人が興味を引きそうな部分を、前面に押し出して、そのことにまつわる質問を、受け付けるわけです」
「じゃあ、本番ということで、掲示板に書き込んでみるわね」
先輩は、唇に指を当てて斜め上を見る。どんな文面で募集するか、考えているのだろう。しばらく経ったあと、ぱっと表情を明るくして、キーボードを人差し指で押し始めた。
――中学三年生の女の子だけど何か質問ある?
質問が殺到した。
有象無象のロリコン紳士たちが、怒涛の勢いで押し寄せてきた。その質問を、楓先輩は、千切っては投げ、千切っては投げし始める。
――恋人はいるの?
――いません。不純異性交遊は、校則で禁じられています。
――これまで付き合った人の数は?
――ゼロです。そういったことは、まだ早すぎる年齢です。
――エッチなことに興味はあるの?
――あなたは、中学生の女の子に、面と向かってそういったことを言う人なのですか。
――出会わない?
――あなたは、出会うという言葉を、どのような意味で使っているのでしょうか。辞書を引くと分かりますが、出会うと言う言葉には複数の意味があります。
偶然に、人や動物に遭遇すること。ふと目にしたり、体験したりすること。喧嘩などで、表に出て相手になること。男女が示し合わせて会うこと。
これが「出会い」となると、さらにその意味は拡大します。先ほど述べた意味に加え、調和すること、川や沢が合流すること、密会、交際、勝負、順序を決めずに出るに任せること、連歌や俳諧で順序を決めずに、できた者から句を付けること。そういった意味を持ちます。
よもや、公衆の面前で、女子中学生に対して、男女の秘め事を問い合わせるはずがありません。もしそうならば、警察に通報する必要があります。そうでないとするならば、偶然に遭遇することが、一番可能性として高いでしょう。
それならば、すでに一期一会の会話をこの場でおこなっている私たちは、すでに出会っているわけです。
ということで、私は、こう返事をしたいと思います。出会いました。それが私の答えです。
楓先輩は、拙い手つきで、時間をかけて、文字を入力していく。その文章を返された相手が、モニターの前で頭を抱えている様子が、目に見えた。
楓先輩は、自分の素性を隠しながら、真面目系女子中学生として、華麗にネットの大人たちを翻弄していく。その要素を見て、僕は拳を握る。僕は、矢吹丈を応援する丹下段平のような気持ちになる。
質問はさらに続く。
――本当に女子中学生?
――本当です。
――証拠は?
楓先輩の手が止まる。どう答えればよいのか、考えているようだ。僕は、「立て、立つんだカエデー!!」と心の中で叫びながら、はらはらした気持ちで、楓先輩の次の一手を待つ。
先輩は、ふにゃあとした表情になって、僕に顔を向けてきた。
「サカキくん助けて~~。個人情報を書かずに、どう答えればいいの~~」
先輩は泣きそうである。先輩は、僕に助けを求めている。僕は、キーボードを手元に引き寄せて、一気に文字を入力した。
――すみません。僕は、本当は男なんです。……厨二病の中学二年生の男の子だけど、何か質問ある?
スレが阿鼻叫喚で埋め尽くされた。
本物の女子中学生と会話していると思っていた、世のロリコン紳士たちが、悲鳴を上げている。彼らが、ネットの海の藻屑となり、轟沈していく様子が、ありありと見えた。僕は、先達の変態さんたちに敬礼を送りながら、ネットの海が次第に凪いでいく様子を観察した。
「もう大丈夫です先輩。スレに巣くった魑魅魍魎たちを退治しましたから」
「サ、サカキくん」
「何ですか先輩?」
「私、本当は、厨二病の中学二年生の男の子だったの?」
「へっ?」
先輩は、混乱で目を丸くしながら尋ねてきた。
あっ、先輩には、こういった方便は通じないのか。僕は、面倒なことになってしまったと思った。
翌日、部室に行くと、僕の席に楓先輩が座っていた。
「あの、楓先輩。そこは僕の席なのですが」
「ワタシハ、厨二病ノ、中学二年生ノ男ノ子デス。ココハ、ワタシノ席デス」
うえっ! 楓先輩が、厨二病の中学二年生の男の子になってしまった! というか、先輩の中で、厨二病の中学二年生の男の子って、僕限定なのですか?
「先輩。元に戻ってください!」
「ワタシハ、厨二病ノ、中学二年生ノ男ノ子。ワタシハ、厨二病ノ、中学二年生ノ男ノ子。……」
けっきょく楓先輩が元に戻るには、その日、一日かかってしまった。スレ主となり、キャラになり切っている時に、設定を変えるのはやばかったらしい。何にでものめり込む先輩は、そのまま自分のキャラ設定を信じ込んでしまったようだ。僕は、自分のとった作戦は失敗だったと反省した。