第112話「(棒)」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、やる気のない者たちが集まっている。そして日々、無為な時間を過ごしている。
かくいう僕も、そういったけだるい雰囲気の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、人生に意欲を感じられない文芸部の中にも、明るくまっとうに生きている人が一人だけいます。ゾンビの群れに紛れ込んだ、生き生きとした女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、楽しそうに歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。僕は、先輩の甘酸っぱい匂いを嗅いで、幸せな気持ちになる。先輩はお菓子のような、甘さとふわふわ感を持っている。僕は、そんな先輩の姿に、笑顔になりながら声を返した。
「どうしたのですか、先輩。ネットで、知らない言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。ウィリアム・テルも真っ青な、ネットの腕前を持っています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、こつこつと書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、膨大な言語情報に触れた。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「(棒)って何?」
そうか。棒じゃ分からないよね(棒読み)
ネットで使われる棒読みの意味も、楓先輩は知らないだろうなと、僕は想像する。それならば、棒読みの本来の意味から、ネットの棒読みまで説明しないといけない。少しだけ手数が必要だ。とはいえ、危険なトラップはない。説明に問題はないだろう。
……ないよね。ないよな。ないですよね?
僕はいつも墓穴を掘るので、自分の推測に自信がなくなる。まあ、大丈夫だろう。僕は見切り発車で説明を開始する。
「(棒)は、ある言葉が略されたものです」
「そうなのね。じゃあ、ちょっと考えて当てて見せるわ」
楓先輩は、唇に指を添えて考える。
「棒グラフ?」
「会話の最後に棒グラフと付けて、どんな意味があるのですか?」
僕の答えを聞いて、楓先輩は真剣な顔をする。どうやら、やる気に火が付いたようだ。
「じゃあ、棒に振る」
「意味としてはありそうですが、それではありません」
「棒立ちかな?」
「それも、意味的にはいけそうですね。しかし、正解ではありません」
「じゃあ、棒倒し」
「遠くなりましたね」
「棒高跳び?」
「不正解です」
「棒大?」
「違います」
楓先輩は、悲しそうな顔をする。あまり長引かせると、楓先輩がふにゃあという感じになってしまいそうだ。僕は、正解を教えてあげることにする。
「答えは棒読みです。(棒読み)と書いたりもします」
「そうだったのね。でも、何で文章の末尾に、棒読みなんて言葉を添えたりするの?」
「それを理解するには、棒読みの本来の意味から説明していくと分かりやすいでしょう。というわけで、順に語っていきますね」
「分かったわ」
楓先輩は居住まいを正して、僕の顔を正面からじっと見る。
「棒読みの元々の意味は、漢文で返り点などを無視して読むことを言います。そこから転じて、演劇などで、感情や抑揚を無視して、台本の文字をそのまま読むことを指します。
ネットのオタク世界では、後者の棒読みが、主にアニメの声優に対して使われることが多いです。容姿はよいけれど演技力のない声優や、実力がまだない新人声優などは、棒読みということで非難されたりします。
ネットの文章中で使われる(棒読み)はそこから一歩進んだ意味になります。感情を伴わずにその台詞を言っている、という意味になります。
これは、無理やり言わされている感を伴い、『実際に思っていることとは、反対の言葉を話しているよ』という、言外の意思表示になります。また、心にもない台詞をわざと言っているということで、嘲笑や皮肉の意味にもなります。
ネットの文章といえども、それが会話であるならば、感情表現が伴うものです。それは、文字で作られた顔文字で表現されたり、感嘆符や音符といった記号で示されたりします。こういった、感情表現をあえて切り捨てて棒読みで読んでいる。そういった意思表示をすることで、反対や嘲笑や皮肉の効果を導き出しているのですね」
楓先輩は、なるほどといった顔をする。
ネット上の文章は、その多くが、会話を文章でおこなっているものだ。本物の会話ならば、表情や身振りで、豊かな感情表現を伝えることができる。しかし、文字だけではそれが難しい。そのために、顔文字や、携帯電話の絵文字が、それらを補うようにして発展してきた経緯がある。
(棒)(棒読み)といった表現は、そういった、文字による感情表現を逆手に取り、あえて抑揚を切り捨てることによって、言外の意味を付加した、高度な文字表現と言えるものだ。
「ねえ、サカキくん」
「何ですか、楓先輩」
「この(棒読み)の練習をしてみたいの。付き合ってくれる?」
「ええ、付き合いますとも。地獄の底まで、お供しますよ」
僕は、鼻息荒く返事をする。楓先輩に、付き合ってくれと言われて、断る道理はどこにもない。楓先輩と付き合えるのならば、艱難辛苦を乗り越えて、がんばりますとも、このサカキくん!
「じゃあ、いくわね」
「はい。いつでもOKですよ」
「サカキくんは、とってもいい人(棒読み)」
うっ、うう。何だ、このもやもや感は。褒められているはずなのに、どうしても素直に受け入れることができない。というか、(棒読み)と付いているから、反対の意味だったり、嘲笑や皮肉の意味だったりするんだよなあ…‥。
「あの、先輩」
「何? サカキくんは、文芸部の人気者(棒)」
ぐっ、何か胸に針でも刺されたような気分だ。
「サカキくんは、ネット上でお友達がいっぱい(棒読み)」
ぐふっ。小生、吐血しそうでありますよ。
「サカキくんは、教室でもみんなに好かれているはず(棒)」
……た、倒れそうだ。
僕は、必死に精神を保ち、先輩に話しかける。
「せ、先輩。棒読みは、口にしていることと反対の意味になるのですから、そういった台詞はやめませんか」
「あっ、そうね。反対の意味になるんだったわね。じゃあ、少し考えるから、いい?」
「ええ。あまり、精神的ショックの大きな台詞はやめてください」
僕は、先輩の言葉を待った。
「サカキくんは、文芸部の嫌われ者(棒)」
ぐ、ぐぐ。駄目だ。先ほどの台詞の反対なのに、全然嬉しくない。僕は、先輩に棒読み自体をやめるように懇願した。
しかし、楓先輩の棒読みは簡単には止まらなかった。それから三日ほど、怒涛の棒読みが継続した。
「おはよう、サカキくん(棒読み)」
「サカキくん。ネット詳しいわよね(棒読み)」
「教えて欲しいことがあるの(棒読み)」
「サカキくん、どうしたの(棒読み)」
うわ~~~~~~~~!!!
僕は、精神が壊れかけた。
棒読み怖い。棒読み怖い。棒読み怖い。棒読み怖い。棒読み怖い(棒)
僕は、感情豊かな楓先輩の方がいいなと思った。