雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第105話「てへぺろ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、人生の選択を誤ってしまった者たちが集まっている。そして日々、周囲に迷惑をかけながら生き続けている。
 かくいう僕も、そういったミスの多い人生を歩んできた人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、欠陥人生を邁進する面々の文芸部にも、至高の一品のような人が一人だけいます。訳あり商品の棚に迷い込んだ、きちんとした商品。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は手を止めた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。その拍子に、三つ編みが揺れて楽しげに動いた。僕は心を浮き立たせる。先輩との会話は僕の心を弾ませる。僕は、これからの時間を楽しみにしながら、先輩に声を返す。

「どうしたのですか、先輩。またネットで、未見の単語を見かけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。書聖である王羲之のように、死後は僕の行動が模倣されることでしょう」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも気ままに書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで宝物庫のような情報を発見した。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

てへぺろって何?」

 説明は簡単だな。一瞬そう思ったあと、僕はその考えをひるがえす。なぜならば、この言葉を説明したあとの、楓先輩の行動を想像したからだ。
 いつもの通りならば、先輩は新しく覚えた言葉を使ってみようとする。それは、新しいおもちゃを与えられた時の、子供の行動と同じだ。だから、楓先輩は、てへぺろを使うだろう。

 しかし、てへぺろという言葉は、うざ可愛いキャラの人が使うべきだと僕は思っている。つまり、真面目で万事控えめな楓先輩の性格には、あまり似合わないのだ。もし楓先輩が、てへぺろを使うと、おそらく寒いことになるだろう。
 先輩は、この言葉を使ったあと、そのことに気付いて恥ずかしい思いをする。そうなることが分かっていながら、それを防がないのは、楓先輩を守る騎士である僕には、許されざる行為のはずだ。
 ここは慎重を要するぞ。僕はそう思いながら説明を開始する。

てへぺろは、何か失敗をした際に、その場の空気を和ませるために発信される、台詞およびポーズです。女性が愛嬌を持って言う『てへっ』という台詞と、舌を出している状態『ぺろ』を組み合わせた言葉です。
 このてへぺろにはポーズもあります。ウインクをしながら、顔の横に斜めのピースを置きます。そういったポーズがあることから、文字として表記される際には、アスキーアートが添えられることもあります。てへぺろの表記の例を少し書いてみましょう」

 僕はメモを近くに寄せて、素早く書いて見せる。

てへぺろ
てへぺろ
てへぺろ(・ω<)

「このてへぺろを積極的に使ってはやらせたのは、声優の日笠陽子です。TVアニメ『けいおん!』の秋山澪役で有名な彼女は、この言葉を持ちギャグとして多用していました。それが、芸能人にも飛び火して、その後ギャル層にまで普及していき、多くの場所で使われるようになったのです。
 このフレーズは、何か失敗した時に、その場を和ませたい時に用います。基本的には、よくミスをしてしまうドジっ娘と、相性がよい言葉だと言えるでしょう」

 僕は、てへぺろの説明を終えた。先輩が使用を試みるであろうことを想定して、それを阻むトラップも用意しておいた。
 先輩は、きちんとしている人だ。ドジっ娘とは、ほど遠い存在だ。そこで、てへぺろドジっ娘の相性がよいことを事前に示しておくことで、先輩がてへぺろを使いにくいように、牽制を仕込んでおいたのだ。
 何という策士であろう、自分。僕は自分の知力に驚嘆する。孔明も真っ青な知謀である。人類の中でも、賢人の部類に分類されるだろう。ああ、僕は自分の才能が怖い。ここまで自分の知性に恐れを抱いた人間が、過去にいただろうか? いや、いない。僕は人類がかつて体験したことのないゾーンに突入しながら、楓先輩の反応を待つ。

「それじゃあ、てへぺろを実際に使う練習をしてみるね」

 ノ~~~~~~~~~~! 僕のトラップに、まるで気付いていないように、楓先輩はその台詞を言ってきた。
 楓先輩! 僕の発した空気を読んでくださいよ! 先輩はKYですか? もしかしたら、僕のサインの出し方が間違っていたのかもしれない。いや、そんなことはないはずだ。僕は自身の能力に疑問を持ち、アイデンティティーを半ば崩壊させながら、楓先輩の次なる一手を待つ。

てへぺろ

 楓先輩は、懸命にその台詞を言う。そして、ぎこちない様子で、僕の説明したポーズも試みた。うん、あまり似合っていない。僕は、どう突っ込むべきか考えながら、その場にたたずんだ。

「どうだった、サカキくん?」

 僕の反応が薄かったせいか、不安げに楓先輩は尋ねてきた。

「そうですね。先輩にはドジっ娘要素が足らないですからね。そもそも、てへぺろは何かミスをした時に使うものですからね。いきなり、てへぺろだけ使っても、正しい用法とは言い難いです。
 言うならば、何もない時にいきなり、ごめんなさいと言われても戸惑うのと同じです。言葉には、しかるべき使用のタイミングがあります。それを外して使うと、真意が伝わらずに、場の雰囲気を壊すことになります」

「なるほど、言われてみればそうね。朝にいきなり、こんばんはと言うようなものね。何か失敗をしてしまったあとに、てへぺろを使わないといけないわけね。
 そのためには、何かミスをする必要があるのか。まずはそこから、がんばらないといけないわね」

 楓先輩は、可愛いらしい手を、ちょこんと握り、決意の表情をする。
 うん? 何か話が変な方向に向かっているぞ。てへぺろの話をしていたはずなのに、楓先輩が、がんばって失敗をする話になっている。よいのか、これで? 僕は、話の展開に戸惑いながら、楓先輩の様子を窺う。

「ねえ、サカキくん。私がしそうなミスというと、どんなのがある?」
「えっ? そうですね。先輩は、基本的にきちんとしていますから、あまり思い浮かばないですね」
「でも、何かあるでしょう。私、正しいてへぺろをしてみたいの」

 困ったな。僕は必死に、楓先輩の欠点を考える。僕にとって楓先輩は完璧超人だから、特に瑕疵などない。やることなすこと丁寧だから、ドジっ娘的なところもない。何かミスする要因はないだろうかと考えたあと、一つの事実を思い出した。

「そういえば先輩は、運動音痴ですよね」
「うっ……」
「体育の授業で、バレーボールをしている時に、ミスをしたりするんじゃないですか?」

 先輩は、ずーんと暗い顔になった。あっ、触れてはいけないところに、触れてしまったようだ。思い当たる節が、ありすぎなのだろう。

「ねえ、サカキくん。そんな時に、てへぺろなんかしたら、みんなイラっとこない?」
「くると思いますよ。それが許されるキャラの人が、てへぺろを使いこなせるわけです」
「そ、そうなの?」

 先輩は、そこはかとなくキョドり始めた。てへぺろと自分のキャラが合っていないことに気付いたようだ。

「じゃ、じゃあ、外では恥ずかしいから、部室の中でだけ練習してみるね」

 そこら辺が、先輩の妥協点なのだろう。外で使わないのは懸命な判断だ。部室内なら大丈夫だろうと思い、僕は声を返す。

「分かりました。どうぞ」
「バレーボールの真似をするね」
「はい」

 楓先輩は立ち上がり、ボールを受ける格好をする。そのポーズを見るだけで、ああ運動が下手なのだろうなと分かった。腰が入っておらず、ふらふらとした姿勢だ。その姿勢で、ボールを受け損なった振りをして、先輩は部室の床にひざまずいた。
 くずおれて二秒ほど経ったあと顔を上げて、先輩は僕に視線を向けた。そして、真面目な表情で口を開いた。

てへぺろ☆」

 絶望的にキャラが合っていなかった。僕は、見なかったことにして視線を逸らす。楓先輩は、ふにゃあという感じで、泣きそうな顔をした。

 翌日のことである。僕が部室に行くと、先輩は、重ねた本を、ふらふらとした足取りで運んでいた。

「どうしたのですか先輩? 何をやっているのですか」

 疑問に思ったので、僕は先輩に尋ねる。

「失敗の練習をしているの」
「へっ?」
「効果的に失敗をして、てへぺろを発動させるための試みをしているの」
「あっ……」

 どうやら先輩は、新しい言葉を使うために、ドジっ娘属性を修得しようとしているらしい。でも、そうやって真剣に練習している時点で、道は険しいなと思ってしまった。