雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第100話「乗るしかない このビッグウェーブに」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、日常がお祭り気分な者たちが集まっている。そして日々、どんちゃん騒ぎをしながら暮らしている。
 かくいう僕も、そういった遊び心いっぱいの人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、遊興三昧な面々の文芸部にも、真面目で慎ましやかな人生を歩んでいる人が一人だけいます。寅さんの群れに迷い込んだ、可憐なヒロイン。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は手を止めた。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の隣にちょこんと座る。いつも可愛い先輩は、楽しそうな顔で僕を見上げてきた。ああ、信頼されている。僕は先輩の期待に応えるために声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、また知らない言葉を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。源義経が、鵯越から逆落としをしかけて成功するぐらいの達人です」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でもずんずん書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、怒涛のネット情報に出くわした。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「乗るしかない、このビッグウェーブに、って何?」

 楓先輩は、目をぱちくりとさせながら尋ねる。ああ、このフレーズを見るだけでは分からないよな。それに、楓先輩はそんなに高いテンションで生きていない。先輩はどちらかというと、ほんわかとしたのんびりさんだ。
 この言葉は簡単だから、さらりと説明してあげよう。僕は、にっこりと微笑んで、楓先輩に声をかける。

「乗るしかない、このビッグウェーブに、はテレビでインタビューされた、ある人物が口にした台詞です。そのことを説明する前に、少しだけ行列の話をしたいと思います」

 僕の台詞に、先輩は頷く。その顔には、なぜ行列なのかなといった、疑問の表情が浮かんでいる。僕は、そんな楓先輩の顔を見ながら説明をおこなう。

「人気の商品の続編が出る際には、店頭に行列ができることがあります。古くは『ドラゴンクエスト』という人気ゲームの続編や、プレイステーションなどのゲームハードの最新版。ウィンドウズの最新OSなどでも、行列ができたことがあります。
 また、商品ではなく、イベントで行列ができることもあります。たとえばコミックマーケットという同人誌即売会では、徹夜組と呼ばれる人たちが前日から列を作り、近隣に迷惑をかけて問題になっています。
 このように、行列というのは人気のバロメーターなわけです。そして、この行列と『乗るしかない、このビッグウェーブに』の間には、強い関係があるのです」

 僕の華麗な語り口に、楓先輩は目をきらきらとさせている。先輩は、僕に強い関心を抱いている。今がチャンスだ。乗るしかない、このビッグウェーブに! 僕は、そう思いながら果敢に解説をおこなう。

「この台詞が出てきたのは、二〇〇八年のアイフォーン3Gの発売時でした。その人気を報道するために、テレビ局のスタッフが、原宿表参道のソフトバンクの行列を取材したのです。
 そのインタビューの様子を見た視聴者は、度肝を抜かれました。画面に映ったのは、モヒカンにヒゲに太い腕、サングラスにタンクトップ姿の、ワイルドな男性だったのです。
 その人物の名前は、のちに判明しますがBUTCHさんといいます。ネットでは、ビッグウェーブ男と呼ばれたりもします。その彼が言い放った台詞が、ビジュアルインパクトとともにネット民の心を鷲づかみにしたのです。

 ――世界的ですもんね。乗るしかない。このビッグウェーブに。

 それ以来、ネット上の祭りなど、多数の人が盛り上がっている話題に参加する際に、このフレーズは利用されるようになりました」

 僕が説明を終えると、楓先輩は、なるほどといった顔をする。

「確かに勢いのある台詞だものね。何となく、参加しないといけないような気になるわ」
「楓先輩も、そういった感じで、行列を作って参加したくなるようなことはありますか?」

 先輩は、そういったことは、しそうにない人だ。そんな先輩の、意外な一面を探ろうとして僕は尋ねる。

「本が出る時かな」
「どんな本ですか?」
「好きな作家の本が出る時には、行列に並ぶよ」
「そうなんですか!」

 楓先輩も行列に並ぶことがあるんだ。僕は意外に思って、どういった作家の本で並ぶのか尋ねる。

「そうね、村下冬樹の本が出る時には、列に並んだよ」

 聞いたことのない名前だ。それに何だか、ぱちもの臭い。
 僕は、先輩の好きな作家を把握するために、どういった作品を書いているのか尋ねる。

「代表作は『ノルネンの森』よ。ノルネンは、ゲルマンおよび北欧神話の運命の女神で、三姉妹なの。姉妹の名前は、ウルド、ヴェルダンディスクルド。舞台は現代で、彼女たちが、大学生の森里K一のところに現れるの。だから『ノルネンの森』という名前なの。日常と非日常の間を行き来するラブコメディなんだけど、なかなか面白いわよ」

 ……? どこかで聞いたことのあるような話だな。僕は、「ああっ女神さまっ」というマンガを頭に思い浮かべる。しかし、作家の名前も、本のタイトルも違うから、偶然の一致だろう。もしかして、村下冬樹という作家は、パスティーシュ作家なのだろうかと疑問を持つ。

「その、村下冬樹さんの本が出る時には、本屋に並ぶのですか?」
「うん。四年に一度しか出ないんだけどね。よく分からないんだけど、周囲の作家さんたちからは、日暮さん、と呼ばれているらしいの。私は一度だけ、小学生の頃に並んだわ」

 四年に一度。日暮。そのキーワードは、楓先輩には分からないだろう。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の登場人物、日暮熟睡男を指しているはずだ。ちなみに熟睡男は、ねるおと読む。
 村下冬樹は、いろいろと変わった作家なのだろう。その周辺の人間も、パロディ好きだと想像できる。でも楓先輩は、その元ネタが分からないまま、本を読んでいるようだ。

「楓先輩。それで、その作家の本が出る時には、行列ができるんですか?」
「うん。近所の本屋に、私を含めて三人の行列ができたわ」
「それは、行列を作らなくても買えるんじゃないですか?」
「それが、そうでもないのよ。本屋に数冊入ればよい方だから」
「注文すればよいのでは?」
「印刷数がそもそも少なくて、すぐに絶版になるのよ。だから、本屋に入ってきた本を並んで買うしかないのよ」
「えー、それは人気がないがゆえに、貴重になっているだけですよね」
「でも、行列ができるよ。だから、ビッグウェーブ男さんみたいな人がいても、おかしくないんじゃない?」

 楓先輩は、自分が好きな作家のすごさを何とか伝えようとする。しかし、そうやって主張すればするほど、マニアックすぎて誰も知らない作家という位置付けが、浮き彫りになっていく。

「他に、有名な作品はあるのですか?」
「そうね。最近の作品だと『IQ八四』とかかしら。ジョージ・オーウェルの近未来小説『一九八四年』を下敷きにして、IQが八十四の主人公が、元暴走族の駆け出し弁護士に出会い、東大受験に挑むという話なの」

 う、うん。何だ、そのストーリーは? よく分からないけど、村下冬樹作品は、楓先輩のツボに入っているらしい。

「それ、面白いんですか?」
「面白いよ。今度貸してあげようか? 私、村下冬樹作品は二冊ずつ持っているから」

 えー、印刷数が少なくて、手に入り難いという話を、今していたような気が。その作家の作品を、二冊ずつ持っている楓先輩は、実は非常なマニアなのではないだろうか。

「その村下冬樹の本が出る場合には、テンションが上がるのですか?」
「うん、とっても上がるよ。乗るしかない、このビッグウェーブに! そんな気分になるわよ」
「じゃあ、今度本が出る場合には、一緒に並びますか?」

 行列で待つのは大変そうだし、一人で二冊も買うと、行列に並ぶ他のお客さんににらまれそうだ。僕は、そう思いながら提案する。

「サカキくんも、村下冬樹作品に興味を持ったの?」
「えー、まあ。先輩となら、どんなビッグウェーブにも乗りますよ」

 作品自体は、微妙な気がするのだけど、そう答えておく。並んでいる間、楓先輩とお話ができればラッキーだ。

「あっ!」

 楓先輩は、急に声を上げる。

「どうしたんですか?」
「そういえば、四年経っていたわ!」
「何から……、もしかして、村下冬樹の本が前回出てからですか?」
「そうよ。サカキくん。ネット得意よね」
「ええまあ」
「調べてちょうだい。本が出ているかを」
「ええと、待ってください」

 僕は検索エンジンで調べる。発売日は今日になっていた。というか、ネットで本の作者名を調べて、結果が百件程度しかないのは、どういうことだ?

「今日なのね! 乗るしかない、このビッグウェーブに!」

 楓先輩は小さな手で拳を握り、真剣な顔をして突き出した。先輩の目が燃えている。ここまで熱血している先輩を始めてみた。

「というわけで、私は今日は帰宅するから。さようなら!」
「えっ!」

 驚く僕をしり目に、楓先輩はカバンを持って部室から出ていった。あとに残された僕は、ぽかんとする。というか、一緒に並ぶことを提案したのだから、連れていってくださいよ! 僕は、ビッグウェーブに乗り遅れた人間として、寂しく部室で放心した。

 翌日、部室に来た先輩は、窓辺の自分の席で、村下冬樹の最新作を読み始めた。

「あの、楓先輩……」
「あとにしてもらっていい。今、いいところだから!」
「は、はい……」

 先輩が、そのビッグウェーブから戻って来るのには三日ほどかかった。僕も乗りたい、先輩と同じビッグウェーブに! しかし、僕は丘サーファーばりに、波に乗ることができなかった。そして、ビッグウェーブに楽しそうに乗る先輩を、遠目に眺めているしかなかった。