雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第99話「そっ閉じ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、人生の虚しさやはかなさを知っている者たちが集まっている。そして日々、達観した様子で暮らしている。
 かくいう僕も、そういった仙人系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、人生を試合放棄したような面々の文芸部にも、ずんずん人生を歩んでいる人が一人だけいます。ダメ仙人の山に迷い込んだ、真面目な女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、楽しそうにやって来て、僕の隣に座る。その動きに合わせて、制服のスカートが膨らみ、軽やかに閉じた。先輩はいつも、こんな感じでふわふわしている。僕は、そんな先輩を愛おしいと思いながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、未知の単語に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに習熟しているわよね?」
「ええ。騎馬民族が馬を乗りこなす以上に、ネットを乗りこなしています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でもいじるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、怪しい情報に翻弄された。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「そっ閉じって何?」

 楓先輩は、いつものように僕を見上げて言う。今回は、それほど難しい単語ではないな。僕は安心しながら返事をする。

「そっ閉じは、そっと閉じるの略です」
「何を、そっと閉じるの?」
「ウェブブラウザで今見ているページをです。そっ閉じは、主にネット掲示板のスレッドを閉じる際に使われる言葉です」
「そうなのね。でもなぜ、そっと閉じるの?」

 楓先輩は、どうしてなんだろうといった顔で尋ねる。楓先輩はネットの経験が浅い。だから、いろいろなタイプのスレッドを見たことはない。当然、そっ閉じしたくなるような状況に遭遇した回数も少ないだろう。あるいは、まったくない可能性もある。

「そっ閉じは、幅広い状況で使われます。それは、人が様々な状況で、その場をそっと立ち去るのと同じです。楓先輩は、現実社会ではどういった時に、そっと立ち去りますか?」
「そうね。購買のパン売り場が混んでいて、買えそうもない時かな」
「えー、そうなんですか? ネットでは、混雑で見られない場合は、単に表示されないだけなので、あまり適切な例ではないですね。それよりも、パンが買えなかったあと、楓先輩は、お昼ご飯はどうするのですか?」
「うーん。抜くかな」
「えっ。お腹減りませんか?」
「減るよ。だから、放課後まで必死にがまんするの」
「えーっ」

 楓先輩は、およそ思春期の若者らしからぬ言動で、僕を驚かせる。そりゃあ、先輩は痩せているはずだ。まあ、人と争うことが、あまり得意ではない先輩らしいと言えば、らしいのだけど。

「先輩、きちんと食べてくださいよ」
「普段は食べているよ。お弁当だもの。お母さんが、作る暇がなかった時だけパンになるの。それよりも、ネットの、そっ閉じは、どういった使い方をするの?」

 楓先輩は、そんなことはどうでもいいから、早く知りたいといった様子で、僕に聞いてくる。先輩は、どうやら食欲よりも知識欲らしい。僕はそんな先輩の、知識欲を満たすために説明をおこなう。

「見ているページの内容がつまらなかったり、書き手や内容が痛々しくて見ていられなかったり、状況が悲惨でいたたまれなかったり、見なかったことにしたい文章だったり、そういった時に使われます。
 古い映画のシーンでたとえるのならば、報告書を読んだ主人公が、ふーっとため息を吐いて、窓際に歩いて行き、やるせない表情で煙草を吸う。そういったシーンが差し挟まれそうな状況の時に、そっ閉じはおこなわれます。

 また、そういった意味から派生して、面白くない、ひどいといった罵倒の言葉として使われることもあります。さらには、そっと閉じて遁走しやがった、みたいな、相手が逃げ出したことを揶揄するような用法も見られます。
 そっ閉じから派生した言葉もあります。ほっ閉じです。タイトルを見て、そんな馬鹿なと思って内容を見たら、嘘だったことが分かり、ほっとして閉じる。そういった状況が、ほっ閉じです。こちらは、そっ閉じほどには普及していないですね」

 僕は、そっ閉じの説明を一通り終える。今回は楽勝だった。危険な罠もなく、滞りなく解説をおこなうことができた。僕は肩の力を抜く。

「ねえ、サカキくん」
「何ですか、楓先輩?」
「私は、そっ閉じするような状況になったことはないの。サカキくんは、ネットの経験が長いから、何度もあるのよね?」
「ええまあ、そうですね」
「最近あった例を教えて欲しいの」
「いいで……」

 そこで僕は凍り付く。ああ、罠が待っていた。僕の前に安逸な道はなく、僕の後ろに安穏な道はない。前も後ろも罠だらけだ。僕の人生は何と起伏に、というか穴だらけなんだろう。

 そう。それは二日前のことだった。僕は適当にネットの掲示板をぶらついていた。その時に、一つの変わったタイトルを発見したのである。髪型落語スレ。上方ではなく髪型? いったいどんな話をしているのだろうと思い、クリックした。
 それは、髪型をネタにした小話を書き込むスレッドだった。僕は、その内容をスクロールしながら読んでいく。ロング、セミロング、ミディアム、ショートといった長さをネタにしたものもあれば、お団子、ワンサイドアップ、ツインテール、ポニーテール、サイドポニーといった、結び方を題材にした話もある。おかっぱ、ぱっつん、アフロという言葉も見えた。

 なるほど、だから髪型落語か。面白いなあと思いながら、僕はすべての書き込みに目を通した。しかし、一つだけ納得がいかないことがあった。それは、三つ編みが一つもなかったことである。このスレッドの住人は、髪型には詳しいらしいが、三つ編みという重要なピースを忘れている。それは、卵かけご飯に、卵を入れ忘れるようなものだ。つまり、それは髪型落語として成立していないということだ。

「ふっ」

 求めておる。求めておるのう。
 全国三千万人の三つ編みファンが、僕の到来を待ち望んでいる。今こそ僕は、三つ編み十字軍として、果敢にこの髪型落語スレに降臨しなければならない。僕は、ワルツを奏でるように文章を書き、ッターンと投稿ボタンを押した。内容は、人類が三つ編みに飢え苦しみ、そこに三つ編み神が現れるという神話的物語だ。

 僕は、お風呂に入ってさっぱりしたあと、パソコンの前に戻り、レスが付いていないか確認した。

 ――三つ編みは、髪を傷めるからNGです。

 ぴきり。僕のこめかみに血管が浮く。何だ、この的外れな感想は?
 僕は、他のレスを見る。似たり寄ったりだ。この髪型落語スレには、三つ編み好きはいないのか。ええい者ども、出会え、出会え! 戦じゃ、戦じゃ! 反三つ編み派を根絶やしにするのじゃ!
 僕は、そういった気持ちをぐっとこらえて、三つ編みについての神話的物語に補足を書き込んだ。

 ――髪、それすなわち神。三つ編みとは三位一体の象徴。ゆえに絶対神。三つ編みを否定する者は、異端審問で裁かれるべし。

 ええと、ネタですよ? 先ほどの文章を補うものです。僕はそこまで狂信者ではありませんから。ここは、あくまで髪型落語スレ。髪型にまつわるネタ文章を投下する場所ですから。

 僕はしばらくネットを巡回したあと、再びスレを見た。

 ――前にもいたよね。三つ編み好きで、こういった原理主義者的な人。
 ――ただの髪型なのに、なぜそこまでこだわるかなあ。
 ――三つ編みをブロックワードにしてくれない? 管理人。
 ――管理人です。三つ編みを禁止ワードに登録しました。

 ……。
 僕は、そのスレを数秒見つめた。そして、そのスレをそっ閉じ、席を立った。僕は窓際に行く。そして窓を開けて窓枠に背中を預ける。そして夜の町に視線を向けた。

「ふっ、世界が僕を拒否ってやがる。いいだろう。真に素晴らしいものは、万人には理解されないものさ」

 僕は、ささくれ立った心で、つぶやいた。そんな苦い思い出が、そっ閉じにはあったのである。

「ねえ、サカキくん。そっ閉じで、最近経験した例を教えて欲しいの」

 そういえば、そうだった。楓先輩に尋ねられていたのだった。僕は、長い追憶から戻ってきた頭で考える。三つ編みをこよなく愛する先輩ならば、僕のこの気持ちが分かるだろう。

「先輩。ネットの掲示板で、三つ編みのよさを理解してもらえず、僕はそっ閉じしました」

 遠い目で語る僕に、楓先輩は、はてなを飛ばした顔を見せる。

「えーと、どういうこと?」

 楓先輩は、子犬のような無邪気な目で僕を見ている。僕は、思わず先輩の三つ編みに手を伸ばして、じっくりと観察した。

「あ、あの。サカキくん、何?」

 楓先輩は、顔を真っ赤にして、驚いたような声で尋ねてくる。

「三つ編みは最高です。三つ編みこそ至高です。三つ編みは心を潤してくれます。人類の生み出した文化の極みです。そう感じませんか? 楓先輩」
「……サカキくんも、三つ編みにしたいの?」

 楓先輩は、探るようにして聞いてきた。
 えー、そう来るのか。あのー、えーと、僕がしたいわけではないです。はい。
 僕の三つ編み愛は、楓先輩に上手く伝わらなかった。

 翌日。先輩は、髪留めゴムを持ってきた。そして僕の後ろに立ち、僕の髪を少しだけ束ねて三つ編みにしてくれた。

「えへへ、おそろいよ」

 楓先輩は嬉しそうに告げる。ああ、先輩は何て素敵なんだろう。僕は、心を弾ませながら鏡を見た。僕の三つ編みは、絶望的なまでに似合っていなかった。素晴らしい髪型も、人によるらしい。ああ、何ということだ。僕は、残酷な事実を知ってしまった。