雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第98話 挿話27「雪村楓先輩との夏休み」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

f:id:kumoi_zangetu:20140310235211p:plain

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、のんべんだらりとした人間が集まっている。そして日々、効率的に怠ける方法を研究し続けている。
 かくいう僕も、そういった怠惰な人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、省エネすぎる面々の文芸部にも、普通に活動している人が一人だけいます。年中冬眠しているクマの群れに紛れ込んだ、いつも起きているプーさん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

 ――僕と楓先輩の文芸部は、今は小休止。なぜならば夏休み中だからです。その夏休みも、あと少しで終わるという時に、僕は楓先輩に電話をして、遊びに行こうと誘ったのです――。

 先輩が選んだ場所は、コアキバの近くの古書店街だった。数日前にも、満子部長と来た場所だ。その入り口で、僕は楓先輩が来るのを待っている。

 先輩は、待ち合わせ時間の五分前に現れた。

「あっ、サカキくん。もう来ていたの?」
「ええ。少し早く着きましたので」

 本当は三十分ほど早く来たのだけど、それは内緒だ。楓先輩は、いつものように、ととととと、と僕の近くまで歩いてきた。
 今日の先輩は、いつもと違って私服だ。ふんわりとしたシャツに、涼しげな生地のスカート。足下は花柄のサンダルで、肩からは小さなポシェットを提げている。頭には、日よけのために、つば広の帽子を被っている。その帽子が、三つ編み眼鏡のスタイルに、よく似合っていた。

「古本屋街に行きたいとのことでしたが、どこか当てがあるのですか?」
「うん。お店の名前はメモしてきたの。でも、正確な場所は分からないの」
「名前、見せてもらえます?」

 楓先輩は、ポシェットからメモ帳を出す。きれいな表紙が付いたもので、布製の輪でペンを留めている。先輩はページを繰って、僕に渡す。僕は、そこに書いてある店名を見る。「亜流亜字風」知らない名前だ。まあ、この古書店街に、僕が来ることはほとんどないので、知らなくても当然だ。
 僕は、スマートフォンを出して、店名で検索する。ヒットしない。ネットに情報を載せていない店なのだろうか。それにしても、誰かの書き込みが見つかりそうなものなのだけど。本当に存在するのかな? そう思い、先輩に尋ねた。

「表通りにはないみたい。来る途中で、町の地図を描いた看板を見たんだけど、名前がなかったから」

 ということは、裏通りを探す必要がありそうだ。そういった奥まった場所なら、ネットを使う人が出入りしていない可能性もある。それならば、ネットに情報がなくても仕方がない。

「それじゃあ、裏通りを歩いてみましょう」
「うん。サカキくん、一緒に行きましょう」

 裏通りと聞いて、楓先輩は少し緊張した様子で身構える。先輩は、あまりそういった場所に入ったことがないのだろう。

 僕は、楓先輩と並んで、古本屋街の裏道に足を踏み入れる。足下はアスファルトではなくコンクリートだ。それも表面がうねっていて、打ち水の残りが、水たまりになり点在している。道幅は狭く、電柱から延びる電線は、無数に張り巡らされて、垂れ下がっている。店の商品は路上に出ており、通行を妨げている。壁には謎の壁画が描かれており、よく分からない看板が飛び出ていた。
 そこは、アジアの新興国の裏道といった風情だった。その雑然とした場所を、中学生の僕と楓先輩は、おっかなびっくりといった様子で進んでいく。

「看板とか出ているんですかね?」
「どうなのかな。見落とさないようにしないといけないね」
「じゃあ、ゆっくりと歩きましょう」
「分かったわ」

 あまりにも混沌としていて、お目当ての店を探しにくい。十分ほど歩いたところで、楓先輩が足を止めた。

「ねえ、サカキくん。あれじゃない?」
「風字亜流亜?」
「右から読むのだと思うけど」
「ああ」

 それは、亜流亜字風を右から左に書いた看板だった。危ない危ない、見落とすところだった。僕は楓先輩と一緒に、扉を開ける。中は薄暗く、どことなく陰鬱だった。

「いらっしゃいませ。一週間ぶりのお客様です」

 店の奥から、少しイントネーションがおかしな声が聞こえてきた。日本人ではないのだろう。そう思って顔を向けると、彫りが深く、褐色の肌をした男性が、こちらへと歩いてきた。

「初めまして。店主のアブドゥルです」

 アブドゥルさんは、痩身で背が高く、その体を優雅に折り曲げて、お辞儀をした。僕と楓先輩は、慌てて同じように頭を下げる。どうも、変わった場所に来てしまったようだ。楓先輩は、いったいどんな本を、ここで買うつもりなのだろうか。
 先輩は、再びポシェットからメモを出して、ページを開く。購入する本の名前を確認しているのだろう。僕は顔を近付けて、覗こうとする。すると先輩は、恥ずかしそうにメモを隠した。
 楓先輩は、こっそりとメモを見ながら、アブドゥルさんに声をかける。

「あの……」
「お客様。その先は、どうか言わないでください。ここは特別な本屋です。言われた商品をお出しすることはありません。自由に歩いていただき、手に取った本を気に入れば購入していただく。そういった場所なのです」

 僕と楓先輩は、顔を見合わせる。そういう本屋もあるのか。僕は、この店の雰囲気や、店主のアブドゥルさんの風貌から、何となく納得してしまった。

「それじゃあ、楓先輩。店内を歩いて探します?」
「うん、見つかれば買えばいいわけだし」
「それと……」

 僕たちが進もうとすると、アブドゥルさんが口を開いた。

「……一番下の階には、足を踏み入れないように、お願いします」
「一番下は、何階になるのですか?」
「地下四階です」
「けっこう深いんですね」
「ええ。そこには、特別なものがありますので」

 何となく不穏な空気を感じながら、僕は楓先輩とともに、店内を歩き始めた。

 一階の棚をぐるりと回った。しかし、先輩の探している本は見つからなかった。

「先輩。地下一階ですかね?」
「そうね。ここにはないから、下に行くしかないわよね」

 僕たちは階段を下りていく。そうやって、地下一階、地下二階、地下三階を探した。しかし、先輩のお目当ての本は見つからない。楓先輩は、本のタイトルを教えてくれなかった。だから、僕は先輩に付いて、ぶらぶらと歩くしかない。

「あとは、地下四階ぐらいしかないですよ」
「うーん。でも、入ったらいけないと言われたし」

 僕は周囲に視線を走らせる。上の階も覗いてみたが、アブドゥルさんの姿はない。

「大丈夫じゃないんですか。このお店、古そうだから警報とかもないでしょうし」
「いいの?」
「いいと思いますよ。怒られたら、謝ればいいだけですし」

 僕は、楓先輩の手を引いて階段に向かう。最初は戸惑っていた先輩は、覚悟を決めたのか、僕を追って付いてきた。
 地下四階は、これまでとは雰囲気の違う場所だった。上の階も光が少なかったが、この階はさらに暗い。闇の中に、微かに明かりが灯されているといった感じだ。徐々に目が慣れてくると、この階には本棚がないことが分かった。部屋の中央に台座があり、その上に一冊の本が置いてある。その空間には、ただならぬ気配が漂っていた。

「この階には、あの本しかないようですね」
「他の場所にはなかったから、きっとあの本よ」

 楓先輩は、ずんずんと進んで台座に近付いていく。僕は、腰が引けながら、そのあとを追いかける。

「あった~! これだわ!」

 楓先輩は、台座から本をひょいと持ち上げ、嬉しそうに言う。その本は、革表紙の古そうな本だった。先輩は、その表紙に手をかけて、ぱっと開く。

「そ、その本を読まないでください!!!」

 階上から声が聞こえた。いつの間にか、階段の上に、アブドゥルさんが立っていた。その顔は青ざめている。何かまずいことでもあるのだろうか。いきなりの声に驚いて、あわあわしている楓先輩の手から、僕は本を抜き取る。そしてページを閉じて、表紙に目を落とした。

 ――根暗の遺恨

 謎のタイトルの下には、著者の名前が書いてあった。アブドゥル・R・安里。えー、もしかして、作者は店主のアブドゥルさんなのでは? 僕がそのことを尋ねると、アブドゥルさんは、乙女のように恥じらいながら答えてくれた。

「そうです。その本は、私の回顧録なのです。自費出版で制作したのはよいのですが、献本以外はまったく世に出なかった禁断の書物なのです。この店の店頭に十年ほど置いていたのですが、全然売れなかったので、地下の奥深くに封印していたのです」

 アブドゥルさんは、さめざめと涙を流しながら語った。

「なぜ、一冊だけ台座に置いてあるのですか?」

 僕は、手に持った本を掲げながら尋ねる。

「一冊だけではありません。すべての在庫を、その場所に置いてあります」

 アブドゥルさんは、台座を指差す。僕は目を凝らして、その台座を見る。暗がりで分からなかったが、それは本が詰み上がったものだった。つまり、楓先輩はその一番上にあった一冊を手に取ったわけだ。

「えー、なぜそんな稀覯本を、楓先輩は探していたのですか?」

 僕は、疑問に思ったので尋ねる。

「えっ? 満子に面白いと薦められたから。売っているお店も教えてもらったし」
「本の題名を僕に隠していたのは?」
「満子推薦の本だから、エッチな本だったら恥ずかしいでしょう。だから、中身を確かめてから買おうと思っていたの」
「あー」

 何となく話が繋がってきた。アブドゥルさんが献本したうちの一冊が、どういう経緯か、満子部長の手に渡った。その本を読んだ満子部長が、楓先輩に面白かったと薦めたのだ。だから、楓先輩はこの場所にやって来た。
 僕は、さらに詳しい話を聞こうとして、アブドゥルさんに声をかける。

「あの、アブドゥルさん。つかぬ事をお聞きしますが、献本は何冊おこないましたか?」
「一冊です」
「誰に対してですか?」
「親友の、城みつる氏にです」

 そういうことか。城みつるは、満子部長のお父さんが使っているペンネームの一つだ。僕は状況を完全に理解した。
 僕は、手に持っている本に視線を落とす。売れなかったわけも、おおよそ分かる。この本、何だか生温かいのだ。アブドゥルさんに聞いてみると、表紙に電源が仕込んであり、手に取ると人肌に温まる機能が付いているそうだ。

「こだわりの逸品です」

 アブドゥルさんは得意げに主張する。でも、この機能はいらないよなと思った。だって何だか気持ち悪いんだもの。

「あの、もしかして、この店は、こういった本ばかり置いてあるのですか?」
「はい。この店にある本は、すべて私が自費出版したものです。それぞれ趣向を凝らしたエポックメイキングな本ばかりです。この前衛さが、なかなか分かってもらえず、月に数冊しか売れず、私は嘆いております」

 アブドゥルさんは、心底落胆したようにして言う。

「よく、それで生活できていますね」
「はい。私の父は、王様ですから」

 どうやらアブドゥルさんは、石油で儲けている国の王族らしい。そして母親は日本人だということだった。そんな人が、なぜここで本屋をやっているのだろう。そのことを尋ねると、その複雑な経緯は「根暗の遺恨」に記されているとのことだった。
 ああ、それは、ちょっとだけ読んでみたい。僕は、革表紙の本を見ながら、不覚にもそう思ってしまった。

 その日、楓先輩は、人肌に温まる謎の革表紙の本を購入して、店をあとにした。
 僕と楓先輩は、再び来た道を引き返す。ちょっと奇妙なお買い物だったけど、充実した一日だった。

「先輩。今日は楽しかったですか?」
「うん。とっても!」
「それは、よかったです」

 楓先輩は、手に入れた本を抱えて、にこにこしている。僕は、先輩との時間が過ごせたので、ほくほく顔だ。

 古本屋街の頭上にあった太陽は、今は傾き、長い影を作っている。僕は、その景色の中、楓先輩と影を並べて歩いている。
 夏休みが終われば、再び学校が始まる。楓先輩と毎日顔を合わせて、部活を楽しめる。僕は幸せ者だ。心の底からそう思う。僕はそういった思いを胸に抱きながら、先輩とともに古書店街の裏道をたどっていった。