雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第96話 挿話26「城ヶ崎満子部長との夏休み」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、貪欲に猥雑な情報を収集する人間が集まっている。そして日々、禁断の知識へと近付こうとし続けている。
 かくいう僕も、そういった探索人の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、怪しい妖怪ハンターみたいな面々の文芸部にも、ごくごく普通の人が一人だけいます。諸星大二郎の世界に迷い込んだ、普通の女学生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

 ――僕と先輩の文芸部は、今は小休止。なぜならば夏休み中だからです。その夏休みも、あと少しで終わるという時に、文芸部のご主人様、僕の天敵、三年生で部長の、城ヶ崎満子さんに、僕は呼び出されたのです――。

「えー、満子部長。キャンプに行く時のリュックサックを持ってこいと言われましたので、背負ってきたのですが」

 僕が今日やって来たのは、コアキバから少し離れた場所にある古本屋街だ。そこには、無数の専門古書店が並んでいて、独特の雰囲気を醸し出している。
 僕は昨夜のことを思い出す。いきなり僕のスマートフォンに電話がかかってきた。そして、リュックサックを持って、指定時刻に来るようにと、満子部長に言われたのである。

「おお、ご苦労、ご苦労。サカキがいると、荷物運びになって助かるからな」
「もしかして、このリュックサックいっぱいに本を買うつもりですか?」
「おいおい、何のためにリュックサックを持って来させたと思っているんだ。そいつに本を突っ込めば、両手が空くだろう。右手と左手に紙袋を持てば、さらに運搬可能だ。どうだ。効率的だろう!」
「げげっ。合計重量がとんでもないことになりますよ」
「大丈夫だ。私は持たないから、きつくない」

 僕は、げんなりして肩を落とす。そして、楽しそうにしている満子部長の姿を観察した。
 満子部長は、古い少女マンガに出てきそうな、お嬢様風のゴージャスな容姿をした人だ。今日も豪華で派手な服を着ている。しかし、この外見に騙されてはいけない。その中身は、気高くも真面目でもなく、エロに染まった品性下劣なものだからだ。

 満子部長が、そういった困った性格をしているのは、その出自のせいだ。満子部長は、父親がエロマンガ家で、母親がレディースコミック作家という、サラブレッドな家に生まれた。そういった家庭環境であるために、両親から受け継いだ、深遠にして膨大なるエロ知識を保有している。そして性格はSであり、僕を部室で、ちくちくといたぶるのを趣味としているのだ。

「どうした? 私の買い出しに付き合うのは嫌なのか?」
「あまり嬉しくないですね」
「部費で、部の備品を買うのだぞ。部長命令だ。荷物を運べ」
「はいはい、分かりましたよ。僕は部長の奴隷です」
「それでいい。よし、古書店巡りに繰り出すぞ!」

 満子部長は、嬉しそうに拳を上げる。僕はため息を吐きながら、満子部長のあとに従った。
 一軒目で十冊、二軒目で八冊と、本は徐々に増えていく。満子部長はどうやら、端からすべて回る気のようだ。もしそうなら、僕は潰れてしまいかねない。戦々恐々としながら、僕はお供をする。本だけではない。映画やアニメといった映像メディアも買っている。その資金は、僕や満子部長が書いた、エロSSによって賄われている。

「満子部長、このペースで買っていくと、また部費が尽きますよ」
「その時は、また稼げばいい」
「そんな簡単に言わないでくださいよ」
「何、心配ない。才能とは恐ろしいものだな」

 満子部長は、まったく動じる様子はない。相変わらず無茶を言うなあと思いながら、僕は満子部長に付いていく。十軒回ったところで、とてもではないが一人で運ぶのは困難な重さになってきた。

「さて、どれぐらい載せれば、サカキが潰れるかゲームも、佳境に入ってきたな」
「えっ、そんなゲームだったんですか? ギブッ! ギブッ! もう無理です。動けません。ここらでやめましょう。そうしましょう」

 僕は悲鳴を上げる。満子部長なら、僕が潰れるまで、本気で本を載せかねない。僕は、限界であることを必死に主張する。すでにリュックサックはいっぱいになっており、両手の紙袋もはち切れそうになっている。本や映像メディアは重い。肩がだるく、腕が千切れそうだ。
 満子部長は、財布を開いて中を見る。

「ちっ、部費が尽きたか。運のいい奴だな。今日はここで勘弁してやろう。仕方がない。行きつけの喫茶店で休むぞ」
「はい、そうしてください」

 僕は、ほっとしながら、満子部長のあとを追った。

 満子部長は、裏通りの怪しい雰囲気の喫茶店に入った。入り口が桃色のために、ピンク系のお店かと思ったが、中はいたって普通だった。

「ホットコーヒーでいいか?」
「アイスコーヒーにしてください」

 僕は椅子の横に荷物を下ろす。全身がギシギシと痛かった。

「それにしても満子部長。こんなに買ってどうするんですか? それも、『エヴァンゲリオン』や『ターミネーター』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいに、文芸部の活動と関係なさそうなものもありますし。
 マンガもかなりありますよ。『タッチ』『うる星やつら』『わたしは真悟』『攻殻機動隊』『寄生獣』。ラインナップが、よく分からないですよ」

 僕は、購入したものの一部を挙げ、重いものを運ばされた不満をぶつける。
 まあ、きちんとしたお堅い本もある。小学校から高校までの国語の教科書という、謎のラインナップもある。それだけでなく、古い雑誌のバックナンバーもあった。
 満子部長は、僕の言葉を受けてにやりとした。

「アニメや映画、マンガなんかは、サカキにとっては、すでに見たものばかりだろう」
「ええ。まあ名作ぞろいですからね。でもなぜ、わざわざ部費で買うんですか?」

 そんなの、個人で買うなり、レンタルして見ればよいだろうと思う。

「文芸部員は、サカキばかりではないからな」
「どういうことですか?」

 僕は、満子部長の意図が分からず尋ねる。

「なあ、サカキ。人がわざわざ部活に入る理由は、何だと思う?」

 満子部長は、真面目な顔で聞いてくる。

「みんなで仲よく、わいわいしたいからじゃないですか?」
「部活には、運動部も含まれるぞ。文化部の場合でも、演劇部やブラスバンド部などがある。そういった部活に、わざわざ入る理由は何だと思う?」

 僕は、なぜだろうと考える。言われてみればそうだ。なぜ、わざわざ部活に入るのだろう。

「たとえば、野球部だったら、野球がしたいからじゃないですか?」
「野球は、野球部に入らなくてもできるぞ。でも、野球部に入って、高校野球を目指す人間もいる」

 僕は答えに詰まる。

「野球ができるだけじゃ、駄目なんですか?」
「それでは不十分だ」
「じゃあ、何が理由なんですか?」

 満子部長は、身を乗り出す。

「そこに場があるからだよ。野球ができるだけじゃなく、野球が上手くなるための蓄積があり、自分もその集団の一員となり、成長して巣立っていく環境がある。そういった場所にいる自分のイメージが描けるからこそ、部活に入るんだ。そして三年間という時間を使おうとする。文芸部にとって、そういった場とは何だと思う?」

 満子部長の言いたいことが、何となく分かってきた。満子部長が、大量のコンテンツを買って部室に置いているのは、場を作ろうとしているのだ。満子部長の考える文芸部に必要な教養に、部員の誰もがアクセスできる環境を整備しようとしている。僕みたいに、個人のお金や足で探さなくてもいいように。

「なあ、サカキ。教育にとって、一番大切なことは何だと思う?」

 いきなり、話が飛ぶなあと思う。

「正しいことを教えることですか?」

 僕の答えに、満子部長は首を横に振る。

「興味を持たせることだ。そして、興味を持った時に、自分で調べられる環境を用意して、手助けすることだ。

 文芸部はな、私が入る前に、誰も部員がいなくて潰れかけていた。そこに入りたいという人間がいなかった。そこに入り、卒業していく時に、自分がどう変わるかというイメージを、誰も抱けなかったんだろう。
 それは、文芸部に場がなかったからだ。興味の入り口となるようなコンテンツもなく、その先に進むためのノウハウもない。漠然と、本が好き、文章が好きという人が入る場所だった。
 それだけなら、部活に入らなくてもいいんだよ。仲のよい友人の家に行って、駄弁ればいいんだ。花園中の文芸部は、その代わりとして利用するだけの場所になっていたんだ。

 興味を抱くための環境の整備。そこからさらに奥に行くためのノウハウ。それは、お堅い本ばかりでなくてもいいんだよ。
 良質なコンテンツは、世界に対する興味をかき立ててくれる。この人の作品をもっと読みたい。この人が影響を受けた作品をもっと知りたい。そういった気持ちを揺り動かしてくれる。それで、どんどん世界が広がるんだよ」

 満子部長は、ふんぞり返って、楽しそうに笑みを浮かべる。

「満子部長。もしかして、国語の教科書や、古い雑誌のバックナンバーを買ったのは、そういったことに関わりがあるんですか?」

 僕は、疑問に思ったので尋ねる。

「ああ。国語の教科書というのは、よくできているものだ。名作や傑作の、よいところ取りの豪華本だ。その中で面白かった作者の本を読むだけでも、随分勉強になる。
 雑誌にはな、インタビューが載っている。マンガ家や、ゲームデザイナーが、影響を受けた作品について、熱く語っていたりする。そうやって書いてあると、見たくなるだろう。そういった感じで、興味の扉と、その先にいたる道標を用意しておく。

 部室で過ごしているうちに、たまたま手に取った本が、そういった本なら、先に進んでみたいと思うだろう。遊びのつもりで手に取ったゲームやアニメの、作者の対談があるので読んでみた。なるほど、こういった背景があったのかと気付いたら、その背景も調べたくなるだろう。

 私は、文芸部の先輩として、後輩にそういった手助けをしたいと思っているんだ。それが、潰れない文芸部に必要なものだと考えている。
 世の中の多くの人はな。サカキのように、自発的に調べることのできる人間ではない。サカキにとっては通り過ぎた道かもしれないが、多くの人にとっては、まったく知らない道なんだよ。

 サカキは、自分で知の世界を開拓できる。それは一つの才能だ。人間は、みんなオタクに生まれてくるわけではない。ごく少数の、生まれながらのオタク以外は、何かの切っ掛けでそういった生き方を知るんだよ。
 そして文芸部のように、何かを表現する場所には、オタクの気質が必要だ。世界と先人に対する好奇心。そして、その広げ方を学ぶ環境が必要なんだよ。

 だから私は、学校から支給される部費を越えて、お金を注ぎ込み、文芸部という大地を耕そうとしているんだ」

 僕は、アイスコーヒーを口に運びながら考える。僕は、文芸部員として、そういったことに頭を使ったことはなかった。ただ、遊び場としてしか捕らえていなかった。異常に居心地のよい場所だなとは思っていたけれど。

「そういった話は、他の部員にもしているんですか?」

 満子部長は、肩をすくめる。

「僕だけなんですか?」
「まあ、そうなるな。サカキはもう、入り口を通り過ぎた人間だからな。それに……」
「満子部長は、僕を次の部長にと、考えているから?」

 僕の言葉に、満子部長は笑顔を見せる。

「卒業まで、あと半年と少ししかない。環境を作り、後継者を育てる前に、私が消える時期が近付いている。
 サカキはな、私が育てた人間ではない。お前は入部した時からすでに、扉を通り過ぎていた。サカキは、私に一番近い位置に立っている。だからお前に、次のバトンを渡すのが最適だと思っている。
 私の役目は、ここまでだ。サカキ、次はお前の番だよ」

 僕は、無言のまま考える。僕は文芸部の部長に、相応しい人間なのだろうかと。

 満子部長が立ち上がり、伝票を手にした。

「そろそろ行くぞ。その本やメディアを、夏休みで誰もいない部室に、こっそりと運び込んでおくんだ。こういうのはな、誰も知らない間に進めておくから面白いんだよ」

 満子部長は、いつになく上機嫌だ。
 僕は席を立ち、リュックサックを背負い、両手に紙袋を持った。その重さは、これから僕にかかるかもしれない責任の重さのように感じた。
 満子部長が、二人分の代金を支払う。並んで店の外に出ると、夏の熱気が襲ってきた。

「暑いな」
「暑いですね」
「こりゃあ、日射病になるかもしれないな」
「この重さの荷物だと、途中でぶっ倒れるかもしれないですね」

 僕が軽口を言うと、満子部長が手を伸ばしてきた。満子部長は、僕の左手の紙袋を手に取り、軽やかに歩き出した。

「可愛い後輩のためだ。負担を少し軽くしてやろう」
「そりゃあ、どうも」
「恩に着ろよ」
「はいはい、分かりましたよ」

 満子部長は、楽しそうに笑い声を上げる。まいったな。僕は苦笑気味に、そう思った。

 夏の日差しの中、僕と満子部長は歩いていく。山のような知識の扉を抱えて。
 僕は、満子部長の考える文芸部について、少しだけ理解できたような気がした。