雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第95話「人柱」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、人生で先走りしすぎる者たちが集まっている。そして日々、先行者利益を得ることなく自爆し続けている。
 かくいう僕も、そういった前のめりな生き方をしている人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、ブレーキの利かない面々の文芸部にも、安全運転を心がける人が一人だけいます。暴走族の群れに紛れ込んだ、若葉マークの車。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、楽しげにやって来て、僕の横に座る。僕は思わず表情をほころばせる。楓先輩は、眼鏡の下の目を細めて、柔らかく曲げる。先輩は僕に心を許している。そのことに喜びながら、僕は声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、意味の分からない単語がありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに慣れているわよね?」
「ええ。柳生宗矩レベルに老獪です」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿に、家で手を加えるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで一生かけても読み切れない文字情報を見つけてしまった。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「人柱って何?」

 楓先輩は、僕を見上げながら言う。

「あのね、サカキくん。土木工事の時に、人間を生贄にするという意味は知っているの。でも、ネットで使われている人柱は、そういった意味ではないみたいだし」

 なるほど。確かに、本来の意味とは少しずれている。だから上手く理解できないのも分かる。僕は、様々なソフトウェアのベータ版を果敢に試している。そして、人柱として不具合や改善点を報告している。その僕に尋ねてくるなんて、楓先輩は何と運のよい人なのだ。

「まあ僕は、イノベーターですからね」

 僕は、胸を張って告げる。

「イノベーターって何?」

 おっと、どうやら楓先輩の知らない言葉だったようだ。僕はすぐさま説明を加える。

「イノベーターは、イノベーター理論の用語です。イノベーター理論は、米国の社会学者エベレット・M・ロジャーズが提唱したイノベーションに関する理論です。これは、商品の普及の段階を、その担い手によって五つに分けたものです。

 革新者であるイノベーターは、新しいものを積極的に採用して、最初に手を出す人たちです。初期採用者のアーリーアダプターは、流行に敏感な層で、イノベーターの次に購入して、商品普及の火付け役になります。
 前記追随者と呼ばれるアーリーマジョリティーは、平均よりも早く新製品を手に入れる層です。後期追随者のレイトマジョリティーは、その後に続く層になります。最後のラガードは定番商品にしか手を出さない保守層になります」

 僕の言葉を聞いて、楓先輩は目を輝かせる。

「ということは、サカキくんは、積極的に新しいことをする人ということ?」
「ええ。自慢ではないですが、そうです」
「その革新性と人柱は、どういった関係があるの?」
「そのことについて、思う存分語りましょう」

 僕は、自分の縦横無尽なネットでの活躍を開陳するために、前のめりになる。

「人柱という言葉は、楓先輩もご存じの通り、元々は土木工事をおこなう際に、神に供える生贄を指すものでした。生きた人間を、土中に埋めたり、水底に沈めたりする。そこから転じて、何かの目的のために、犠牲になった人を指すようになりました」
「ということは、ネットで使われる人柱も、何かの犠牲になった人を指すの?」

 僕は、指を立てて横に振る。自分に関わる分野なので、得意満面だ。

「ネットで使われる人柱は、少し意味合いが違います。この人柱は、オンラインソフトなどのコミュニティで使われる言葉です。
 ソフトウェアでは、その開発段階において、製品としてのリリース版以前に、いくつかの段階を踏むことがあります。まだ粗削りなアルファ版、ユーザーに試用してもらい、改良するためのベータ版などが、その代表的なものです。

 アルファ版は、社内での実験版という意味合いが強いため、公開されることは少ないです。しかし、ベータ版は公開され、新しもの好きの人たちに触ってもらって改良することが多いです。
 そうすることで、会社や開発者は、ソフトウェアをテストする人件費を節約できます。また、事前の広報もできます。ユーザーも、新しいものを先行で試せるという満足感を得られます。
 僕は、そういったベータ版を数多く試して、様々な報告をしてきました」

 楓先輩は、感心したような顔をする。パソコンもネットも初心者の楓先輩には、完全に知らない話のはずだ。僕は世間に貢献している。中学二年生の僕は、そういった縁の下の力持ち的働きで、世界の平和と経済を陰ながら支えているのだ。

「それと人柱と、どう関係があるの?」

 そもそもソフトウェアの開発など、微塵も知らないであろう楓先輩は、不思議そうな顔をする。僕は、世界の黒子として、その関係を説明する。

「まだ製品として完成していないベータ版には、不具合が多いのです。そのために、ベータ版をテストする人、ベータテスターは、様々な困難に巻き込まれるのです。
 ソフトが止まるなどは生ぬるい方です。PCがクラッシュしたり、起動できなくなったりすることもあります。ベータテスターは、そういった艱難辛苦を乗り越えて、果敢に新しいソフトに挑むのです。

 ソフトウェアは、そういった多くの人の協力の上に完成します。そのため、ベータ版で苦労をする人たちを、尊い犠牲ということで、敬意を表して人柱と呼ぶことがあるのです。
 また、ネットでは人柱のことを、ひとばしらではなく、じんちゅうと呼ぶこともあります。これはネットの掲示板で、じんちゅうと書き込まれたことが由来になっています」

 僕は一通りの説明を終えた。僕がどれだけ世界に貢献しているのか、楓先輩もきっと分かったことだろう。僕は先輩の表情を窺う。先輩は、右手を軽く握って口元に当てている。知らない世界の話なので、一生懸命考えているようだ。

「それで、サカキくんは、ネットのどこに、埋められているの?」
「へっ?」

 どうやら、まったく理解していないようだ。

「サカキくんは、人柱に志願したのよね?」
「ええ、そうです」
「でも、実は生きていて、私の前にいる。もしかして、サカキくんってゾンビ?」
「何でそうなるんですか?」

 今回の話は、楓先輩には少し高度すぎたらしい。僕の大活躍も、理解されなかったし、ネットの人柱も上手く伝わらなかったらしい。仕方がないので、それから三日かけて、僕は先輩の前で、簡単なプログラムを書いて、楓エディタという、謎のテキストエディタを開発した。

「先輩。ベータ版ができました。楓先輩の名前を冠した、楓エディタです!」
「すごいね、サカキくん」
「ベータ版ですからね。楓先輩に、ベータテストをしてもらいます。つまり、今からおこなうのが、ネットの人柱の仕事になります」
「私、埋められちゃうの?」

 楓先輩は、捨てられた子犬のような、悲しげな顔をする。

「大丈夫です。ベータ版のソフトで、ちょっと痛い目に遭うだけですから」

 僕の言葉の意味が分からないまま、楓先輩は両手の人差し指を立てて、文章を入力し始めた。

「これで、保存すればいいのね」

 楓先輩は、メニューから保存を選ぶ。その瞬間、ウィンドウがいきなり消えた。

「えっ? 何が起きたの」
「先輩。これが、ベータ版の不具合でございます」
「えっ?」

 楓先輩は、ぽかんとしている。そして、今書いた文章のファイルが、どこにあるのか探し始めた。

「ね、ねえ、サカキくん。今書いた文章はどこにあるの?」
「失われております。先輩は、尊い犠牲、人柱となりました」

 先輩は驚き、魂が抜けたような顔をする。どうやら楓先輩にも、人柱の何たるかが分かったようだ。

「どうですか先輩! ネットの人柱の意味が分かりましたか?」
「わ、私の文章が……」

 先輩は、本気で涙目である。あれ? 僕、やってしまいましたか? 
 ……どうやら、やらかしてしまったらしい。

 その日、それから二時間かけて、僕は落ち込んだ楓先輩を慰めた。楓先輩は、もう二度と人柱にはならないと、僕に涙ながらに語った。