雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第90話 挿話23「氷室瑠璃子ちゃんとの夏休み」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、危険な研究に手を染めている人間たちが集まっている。そして日々、知らなくてもよい知識を吸収し続けている。
 かくいう僕も、そういったマッドな人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、狂的科学者と間違われそうな面々の文芸部にも、普通の人生を歩んでいる人が一人だけいます。狂った科学者ディスティ・ノヴァ教授の群れに紛れ込んだ、可憐なお嬢様。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

 ――僕と先輩の文芸部は、今は小休止。なぜならば夏休み中だからです。その夏休みも、あと少しで終わるという時に、文芸部の後輩、僕の苦手な相手、一年生の氷室瑠璃子ちゃんに、僕は呼び出されたのです――。

 アパートが立ち並ぶ道を歩いて、森の小道に入っていく。緑の景色を抜けると、前方に二階建ての中華風の店が見えてきた。入り口には、金色の文字で「氷室漢方実験所」とある。瑠璃子ちゃんの家、その家業の漢方薬屋だ。

 今日僕は、瑠璃子ちゃんに誘われて、氷室漢方実験所で店番のアルバイトをすることになっている。僕は昨晩のことを思い出す。いきなり僕のスマホが鳴り響き、瑠璃子ちゃんが話しかけてきた。
 両親が材料の買い出しに行くので、瑠璃子ちゃん一人で店番をしないといけなくなった。とはいえ、小学生にしか見えない瑠璃子ちゃんが一人で店番をして、何かあったら困る。そのため、近くに住んでいて、よく顔を出す男子である僕に、アルバイトを頼むことになったらしい。

「本当は、私一人でも店番は大丈夫なのですが、両親を安心させるために、男の子である先輩を呼ぶことになりました。仕方がないから、アルバイト代を出す代わりに、先輩に店番を手伝ってもらうことを、依頼しようと思います。断ったりはしないですよね?」

 どうして、瑠璃子ちゃんは、こんなに僕に高圧的なのだろう。僕は、恐怖でガクブルしながら、その頼みを聞くことになったのである。
 僕は、氷室漢方実験所の入り口を開けて、店内に入る。カウンターには、なぜかチャイナドレスを着ている瑠璃子ちゃんがいて、僕の顔を見て、鋭い目付きをした。

 瑠璃子ちゃんは、その名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えないその外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている女の子だ。
 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「なぜ、わざとミスをするのですか」とか、「勉強をさぼるという思考はどこから来るのですか」とか、「怠惰な生活を改めなければ地獄に落ちますよ」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされている。

 そんな僕にとって天敵みたいな瑠璃子ちゃんが、僕を手招きしてきた。僕は先輩の威厳を保ちながら、優しげに声をかける。

「おはよう瑠璃子ちゃん」
「おはようございます、サカキ先輩。今日は店番です。一日きちんと仕事をすれば、日当として五千円が支給されます」
「中学生の店番にしては高額だね」
「私はただ働きですけどね」
「そりゃあ、瑠璃子ちゃんは、この家の子供だからね」
「なぜ、きちんと働く私が無給で、締まりのない顔をしているサカキ先輩が有給なのか、納得がいきません」
「えー、あとで、何かお菓子をおごってあげるよ」
「仕方がないですね。それで手を打ちましょう」

 僕は、前途多難だなと思いながら、カウンターの奥に入り、瑠璃子ちゃんの横に座った。

 午前中の客は五人ほどだった。売り上げは二万五千円。なるほど、このペースなら、アルバイトを雇って五千円出しても何の問題もない。昼の時間になった僕は、瑠璃子ちゃんの作る中華料理を食べて、腹を太らせた。

「ねえ、瑠璃子ちゃん」
「何ですか、サカキ先輩」
「人間、お腹がいっぱいになると、眠たくなるものだね」
「サカキ先輩には、意志の力はないのですか?」
「うん。僕は、本能に忠実な人間なんだ」
「動物ですか?」
「そうだね。その生き方を理想としているよ」

 瑠璃子ちゃんは呆れたような顔をして、うつらうつらする僕の腕を、時折ボールペンでつんつくしてきた。
 僕がいい具合にまどろみに入った頃、入り口の戸が開いた。僕は寝ぼけ眼でその場所を見る。黒いマントで全身を隠し、黒いチューリップハットを被っている。顔には白いお面を付けている。まるで、「千と千尋の神隠し」のカオナシだなと思いながら、僕は眠い目をこすった。

「いらっしゃいませ」

 僕は、店番の責務を果たすために声をかけた。カオナシもどきは、カウンターまでするすると歩いてきて、僕と瑠璃子ちゃんの前に立った。

「あっ、あっ……」

 何だろう。どんな薬が欲しいのかな。夏の季節にこんな格好をしているぐらいだから、冷え性なのかな。どんな漢方薬がよいのか分からないけど、瑠璃子ちゃんがきっと最適なものを出してくれるだろう。そう思いながら、カオナシもどきが話しかけるのを待った。
 黒いマントが、すっと割れた。そこから腕が出てきた。その手には拳銃が握られていた。その黒い光沢を見た瞬間、ああ、銃かと思った。
 ……うん、銃だよね。
 って、マジですか? 僕は目を覚まして、全身を緊張させた。

「そ、それは何ですか!」

 僕は、慌てて尋ねる。

「薬を出せ」
「な、何の薬でしょうか? きちんと料金をいただければ、この店にある薬なら出せますが」

 僕は恐怖で顔を引きつらせながら答える。横を見ると、瑠璃子ちゃんは凍り付いている。いつもは強気の瑠璃子ちゃんも、この事態にはさすがにびびっているようだ。

「……て薬だ」
「えっ? 何ですか」

 声が小さすぎて、よく聞こえなかった。

「モテ薬だ。この店には、非売品の秘薬があると聞いてきた。それをおとなしく出すんだ!」

 あ、ああ……。そういうことですか……。
 僕は、目の前の相手が、非モテの男性であることに気付く。童貞をこじらせて、あまつさえ二周か三周人生を迷走した男。彼は、モテ薬を手に入れて一発逆転しようとたくらみ、この場所にやって来たのだ。
 僕は、目の前のカオナシもどきが、他人事とは思えなくなった。

「ねえ、瑠璃子ちゃん」

 僕は、小声で隣の瑠璃子ちゃんに話しかける。

「何ですか、サカキ先輩」

 瑠璃子ちゃんの声も小さい。

「モテ薬って、このお店にあるの?」
「さあ、耳にしたことはありますけど、実在するかどうかは」

 つまり、薬を差し出して難を逃れるという手は使えないということだ。その時、銃声が響いた。カウンターの上にあったビンが割れて、ガラスの破片が床に散らばった。
 僕と瑠璃子ちゃんの顔は青くなる。本物の銃だ。偽物を使って脅しているわけではない。これは対応を間違うと、怪我人や死人が出る。僕は唾を飲み込み、打開策を考えながら口を開いた。

「お客様。モテ薬がご入り用とのことですが、すぐにお渡しすることはできません。秘薬は、作り置きをせず、注文があった時に調合しているからです。盗難を避けるための処置なのです」

 僕は、心の中でおびえながら、毅然とした態度で言う。カオナシもどきが動揺している。脅せばすぐに手に入ると思っていたのだろう。僕は必死に平静を装う。相手が自暴自棄になって暴れるのを防がなければならない。

「ですから、今から調合すればお渡しできます。幸い、今日、この場所には、この氷室漢方実験所の跡取り娘がいます。この子です。彼女に、薬を調合させます。しかし、持ち帰ることは禁止します。ここで飲んで帰ること。これは転売や横流しを防ぐための処置です。秘薬とは、そういったものなのです。お分かりいただけますでしょうか?」

 そこまで告げたあと、僕は相手の反応を窺った。カオナシもどきは、狼狽しているようだ。あっ、あっ、と言いながら体をゆすっている。

「分かった。お前は、そこにいろ。娘だけ、道具と材料を持って、ここに戻ってこい」

 僕は瑠璃子ちゃんに目を向ける。瑠璃子ちゃんは、僕の目を見たあと、はっとした顔をして、真剣な顔で頷いた。
 瑠璃子ちゃんは店の奥に消える。僕は、時間を繋ぐために、延々とオタク知識を披露する。その反応を見ながら、相手の年齢を、オレオレプロファイリングして、三十代前半ぐらいと推測した。
 しばらくすると、いくつかのビンと薬研を持った瑠璃子ちゃんが戻ってきた。僕とカオナシもどきの前で、瑠璃子ちゃんは薬を調合し始める。僕たちはその様子を見守る。瑠璃子ちゃんは十分ほどかけて薬を完成させて、小ビンに入れた。その薬は、なぜかゲル状で、緑と紫の混ざった怪しい色をしていた。

「できました。モテ薬です」

 瑠璃子ちゃんは、自信満々に言う。その薬を見たカオナシもどきは、びびっている。人間が飲むようなものには見えない。少なくとも僕は飲みたくない。しばらく沈黙が続いたあと、カオナシもどきは小ビンを手に取り、中身を一気に飲み干した。

「プギャー!」

 危険な奇声を上げて、男はぶっ倒れた。僕は、へなへなと椅子に座り込む。瑠璃子ちゃんは、難しい顔をして声をこぼした。

「どうして、私が作った薬で、患者が失神するのでしょう」
「さあ、大宇宙の神秘じゃない? 空飛ぶスパゲッティモンスターの影響とか」
「先輩の作戦は、よく分かりましたけど、正直へこみました」
「ごめんね、瑠璃子ちゃん。最善の方法だと思ったんだ」
「はあっ。サカキ先輩が失敗するのなら分かるのですが、私が失敗するのは納得がいきません」

 僕は肩をすくめて、よろよろと立ち上がった。

「それで、この人どうする?」
「いちおう、薬が欲しかった人みたいですからね。両親に確認してみます」

 瑠璃子ちゃんは電話をかけ、カオナシもどきの処遇を尋ねた。

 夕方になり、瑠璃子ちゃんの両親が戻ってきた。カオナシもどきは柱にくくりつけてある。瑠璃子ちゃんのお父さんは、カオナシもどきの仮面を外す。その下から、寡黙そうな精悍な男の顔が出てきた。僕が推定したように、年齢は三十すぎだった。

「どうして、モテ薬が欲しいんだね?」
「……不器用なものですから」
「どうして今日、ここに来たんだね?」
「……好きな相手に告白しようとして。上がり症なので、まともな会話ができませんから」

 瑠璃子ちゃんのお父さんは、店の奥に行き、古そうな壺を持って戻ってきた。

「お金は持ってきているかい?」
「はい」
「一粒三万円だけど、払えるかい?」
「大丈夫です」
「縄を解いてあげなさい」

 僕は、カオナシもどきを解放する。彼は立ち上がり、瑠璃子ちゃんのお父さんから丸薬を受け取った。

「これを?」
「ああ。これで口下手は解消され、流暢にしゃべることができる。今ここで飲んでいきなさい。効果は半日しか続かないから、すぐに女性のところに行って告白しなさい」

 男は薬を飲む。そして、代金を支払った。瑠璃子ちゃんのお父さんは、男を見送り、店内に戻ってきた。

「いいんですか? お店を襲撃してきた相手を、そのまま返して?」

 警察を呼ぶ必要はないのだろうかと僕は思った。

「ヤクザ者ぐらいなら、たまに来るしな。それに、困っているようだから助けてやったのさ」

 瑠璃子ちゃんのお父さんは、カウンターの椅子に座り、肩を回した。

「しかし、モテ薬なんて、すごい秘薬ですね」
「ああ? あれは偽薬だよ」
「えっ?」
「こういう時のためにな、それっぽい古い壺を用意しているんだよ。そこに、何の薬効もない丸薬を収めている」

 瑠璃子ちゃんのお父さんは、平然と言う。

「でも、三万円もらいましたよね?」
「ああ。迷惑料だよ。それに、ある程度高くないと、それが本物の薬だと思いこまないだろう。値踏みして、財布に入っていそうな金額を口にした。すぐに告白するようにと言ったから、一生懸命、愛の言葉を告げるだろう」

 僕は唖然とする。僕みたいな子供とは違い、大人はそんなことを考えるんだと思った。瑠璃子ちゃんのお父さんは、手にした三万円のうち、二万円をレジに入れた。そして、残りの一万円を僕に渡してきた。

「サカキくん。よい対応だったよ。おかげで娘が助かった。アルバイト料は二倍にしておく。それで、瑠璃子と美味しいものでも食べてきなさい」
「は、はい」

 僕は、図らずも一万円を手に入れた。瑠璃子ちゃんのお父さんの様子を見ると、何事もなかったように平然としている。どうやら、こういったことは日常茶飯事らしい。この家では、特別なことではないようだ。
 僕は、もらった一万円を持って、瑠璃子ちゃんとともに店をあとにした。

 瑠璃子ちゃんと僕は、森の小道を歩いていく。

「ねえ、瑠璃子ちゃん」
「何ですか、サカキ先輩」
「瑠璃子ちゃんは、何を食べたい?」

 僕は、氷室漢方実験所の跡取り娘に、敬意を表して尋ねる。

「サカキ先輩の好きなものでいいですよ」
「うーん、特にないなあ」
「じゃあ、美味しい点心を食べに行きましょう。私が、絶品点心のお店を紹介します」

 僕と瑠璃子ちゃんは顔を見合わせる。そして、互いに笑みを浮かべた。点心は、僕の好物の一つだ。

「ねえ、瑠璃子ちゃん。今日の僕のアルバイトはどうだった?」
「サカキ先輩にしては上出来でした。百点満点として、居眠りでマイナス十点、呆けた顔でマイナス十点、おつりの計算間違いでマイナス十点、あくびを十回したのでマイナス五十点。合計二十点ですね」
「少ないね」
「それから、強盗を捕まえたのでプラス八十点です」
「おっ、珍しく百点だね」
「ええ。今日のサカキ先輩は上出来でした」

 瑠璃子ちゃんは、嬉しそうに微笑み、僕の手を握ってきた。僕は瑠璃子ちゃんと並んで歩く。そして、絶品点心とやらを食べるために、町へと歩いていった。