雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第89話「メシウマ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、困ったちゃんな人間たちが集まっている。そして日々、周囲に迷惑をかけ続けて暮らしている。
 かくいう僕も、そういった残念感の漂う人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、人類廃棄物な面々の文芸部にも、至高の一品とでも言えそうな人が一人だけいます。フリーズしまくりのパソコンの群れに紛れ込んだ、クリーンインストールされたOS。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横に座る。ほんのりと先輩の香りが僕の鼻に漂ってくる。その甘酸っぱい匂いにほっこりとさせられて、僕は表情を崩す。楓先輩は、いつものように愛らしい。僕は、そんな先輩を抱きしめたいと思いながら声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、新しい言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね?」
「ええ。徳川家康の薬マニア以上に精通しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自分のペースで書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで多彩な文章に遭遇した。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「メシウマって何?」

 他人の不幸は蜜の味。僕は、ちょっと邪悪なサカキくんを、心の中で呼び出した。

 ええい、静まれブラックサカキ! 僕は心清らかな、楓先輩に頼られるホワイトサカキくんだ。だから、ネットで他人の不幸を見て「メシウマ!」なんて叫んだりしませんよ。
 僕は、自分の本性が漏れ出すのではないかと、ドキドキしながら、楓先輩の様子を窺う。

 大丈夫みたいだ。僕の心の闇は、先輩には気付かれていないようだ。よし、早々に説明を終えて、この場から逃げ出そう。それがいい。そうしよう。僕は、危険なことになる前に、メシウマについて語り、逃走することを決意する。

「楓先輩!」
「うん、サカキくん」
「メシウマは、略語です」
「飯がうまいとか?」
「そうです」
「でも、ご飯が美味しいというニュアンスでは、ないみたいだけど」
「ええ、その前に、あるフレーズが付くのです」

 先輩は、どういった言葉なのかなという表情で、体を寄せてくる。僕は布越しに先輩の体温を感じる。ああ、心地よい香りとぬくもり。僕は、すべての理性をかなぐり捨てて、楓先輩にダイブしたくなるのを必死にがまんする。

「『他人の不幸でメシがうまい』それが、この言葉の省略前の形です。元々は、『巨人が試合に負けると飯がうまい』という、プロ野球アンチ巨人スレから来ています。そもそもは、巨大な存在に対する、判官びいきの言葉だったんですね。
 そこから一般に広がって、自分の敵や、自分が嫌いな相手が不幸になると喜ぶ、といった意味で今は使われています。

 たとえば、オタクの人が、いじめっこが不幸になるのを見て、メシウマする。高学歴の鼻持ちならない人間が、下着泥棒で捕まって、メシウマする。
 そういった、普段嫌っている相手の不幸を見て、心の奥底でくくくと笑う。このようなことを、ネットではメシウマと呼びます。

 日本語の古い言い回しなら『他人の不幸は蜜の味』ですね。心理学の用語では、シャーデンフロイデというドイツ語になります。このシャーデンフロイデは、欠損のある喜び、恥知らずの喜びといった意味の言葉です。
 メシウマの反対の言葉も、ネットでは登場しています。メシマズです。こちらは『他人の幸運で今日も飯がまずい』の略称です。嫉妬の言葉ですね。
 こういったメシウマやメシマズは、あまり現実世界では使わない方がよいです。自分の品性下劣さを周囲に吹聴するようなものですからね」

 僕は、一通りの説明を終えて安堵した。これで、楓先輩が納得してくれれば、話は終わる。僕がネットの掲示板に、メシウマと書き込んでいる事実を、明かす必要はなくなる。

「ねえ、サカキくん」
「はい。楓先輩」
「サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。左甚五郎レベルの達人です。アスキーアートで、思わず眠り猫を作ってしまうぐらいの人間ですよ」
「そのサカキくんは、ネットでメシウマを使ったりするの?」

 う、うがああ~~~~~~~~~~! 何で、ピンポイントで、その質問をするのですか! 楓先輩は、僕の闇を的確に突く、サイドワインダーですか~~~~~!

 僕は固まったまま考える。先輩の質問に正直に答えるべきか否かを。楓先輩の質問は、イエスかノーで答えるものだ。イエスと言えば、茨の道が待っている。ノーと言えば、先輩に嘘を吐くことになる。偽りの言葉を述べれば、僕は罪悪感を持ったまま、その後の長い人生を歩むことになる。
 イエスの道と、ノーの道。同じ苦しみを抱えるのならば、僕は楓先輩に正直でありたい。
 雨ニモマケズ、風ニモマケズ、楓先輩ニ正直ナ人間ニ、ボクハナリタイ。
 宮沢賢治よ! 僕の守護霊になって、背中を力強く押してくれ!

「先輩!」
「うん、サカキくん」
「僕は、ネットでメシウマという言葉を使っています! それも、日に何度かです!」
「えっ?」
「正直に言いましょう。ネットの住人とともにニュースをウォッチして、DQNな人が逮捕されるとメシウマします。失恋掲示板をウォッチして、リア充が爆発するとメシウマします。官公庁の不祥事をウォッチして、逮捕者が出るとメシウマします。僕はそんなメシウマ人間です!」

 ……返事がない。
 楓先輩との会話が止まった。

 僕は額から脂汗を垂らす。失敗した。手を打ち損じた。宮沢賢治のバカ~ン。うああああ。一分前に戻りたい。そして、過去の自分にヘッドロックをかけて、「おらおら、嘘と偽りにまみれた人生を送りやがれ!」と、忠告したい。
 アア、ドウシテ、コウナッタ。僕は、自分の心の闇を、なぜ楓先輩にばらしてしまったのだろう。

「サカキくん」

 楓先輩が、改まった声で僕の名前を呼ぶ。僕は、塩をふりかけられたナメクジのような顔をしながら、楓先輩の声に反応する。

「は、はい」

 楓先輩は、真剣な表情をしている。僕は怒られる子犬のように背を丸めて、くーん、といった様子になる。

「他人の不幸を喜んでは駄目よ。それは自分に返ってくるから。それに、自分が嫌っている相手も、その人の人生があって、その人の幸せがあるのよ。だから、メシウマなんかしては駄目です」
「そ、そうですね」

 あまりにもまっとうな意見に、僕は何の反論もできずに、素直に返事をした。

 翌日のことである。楓先輩はメモ帳を持って、僕のところにやって来た。ふむふむ。メシウマのサンプルを見せてくれ? 僕は、えっと驚いた。

「楓先輩。昨日の台詞は何だったんですか? もしかして、楓先輩もメシウマする気なんですか?」

 僕は、困惑とともに尋ねる。

「ううん、違うの。創作の参考にするの。メシウマって、その人の心の闇の部分が、端的に表れているでしょう。そういったエピソードを盛り込めば、キャラクターの深みが増すと思うの」

 なるほど。ネットのメシウマを、そういった方法で活用するとは、思いも寄らなかった。

「いいですよ」
「それで、サカキくんがメシウマした話を、どんどん紹介していって」
「えっ?」

 ふんがぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
 純真無垢な楓先輩は、にこにこ顔で、僕の心の闇に絨毯爆撃を食らわせていった。