雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第87話「ROMる」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、好奇心旺盛な人間たちが集まっている。そして日々、誰も調べないような無駄知識を収集し続けている。
 かくいう僕も、そういった生産性が皆無な人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、絶賛人生浪費中な面々の文芸部にも、真面目に人生を歩んでいる人が一人だけいます。フンコロガシの群れに紛れ込んだ、美しいコガネムシ。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、にこにこ顔で僕の席までやって来る。先輩は僕の隣に座り、嬉しそうな顔で見上げる。僕は先輩の、眼鏡のフレーム越しに、きらきらと輝く目を見る。先輩は僕を信頼して、質問してきている。よし、がんばって答えるぞ。そう思いながら、僕は口を開いた。

「どうしたのですか、先輩。またネットで、知らない単語を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットを長く見ているわよね?」
「ええ。五十六億七千万年。弥勒菩薩が、釈迦の次にブッダになる年数ぐらい、ネットを見続けています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自宅で推敲するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで大量のテキストに翻弄された。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ROMるって何?」

 ああ、これは楓先輩には分からないだろうな。インターネット以前の、パソコン通信時代からある言葉だ。元ネタの言葉も知らないだろうし、その変化も想像が付かないだろう。これはきちんと教えてあげるべきだと思った。

「ROMるは、ROMという言葉が動詞化したものです。このROMの元ネタは、コンピューターの読み出し専用記憶装置、リード・オンリー・メモリーになります。
 このROMは、読み出すことはできるけど、書き込むことはできません。そこに引っ掛けて、掲示板などで、書き込みをせずに読むだけの人を、リード・オンリー・メンバー、つまりROMと呼ぶようになったのです。

 このように、掲示板などで読むだけの人は、ROMやROM専と呼ばれます。ちなみにROM専は、ROM専門の省略形です。使い方も説明しておきましょう。普段読むだけの人が、どうしても書き込みたくなって、発言するような場合は『普段はROM専なのだが……』などと前置きしたりするのです」

 僕の説明を聞いて楓先輩は、なるほどといった顔をした。今回の説明は、特に難しい部分はなさそうなので、僕は話を進めていく。

「このリード・オンリー・メンバーのROMは、場所によって違うニュアンスで使われます。そのため、注意しておいた方がよいです。
 参加者が活発に議論する姿勢が求められる場所では、ROMは否定的なニュアンスで使われます。その場所に貢献していない、情報だけを抜いていく人として嫌がられるわけです。

 逆に、よく分かっていない人が発言するのが嫌がられる場所もあります。空気を読まない書き込みに、古参の住人がイラッと来て、『半年ROMれ』などと言ったりします。これは、半年間書き込みをせずに読み続けて、場の雰囲気をつかめ、あるいは黙れといった意味の罵倒になります。特にきつい物言いの場合では、『一生ROMれ』と言われることもあります」
「怖いわね……」

 楓先輩は、ネットの住人にびびったのか、腰が引けたような顔になる。

「ねえ、サカキくん」
「何ですか先輩?」
「サカキくんも、ネットでは古参の住人として、私みたいな初心者にROMれとか言うの?」

 先輩は、おびえた表情で尋ねる。ああ、先輩をびびらせてしまったようだ。ネット初心者の楓先輩を、必要以上に怖がらせるべきではない。ここは安心させるために、ネットは怖い場所ではないですよと、きちんと話しておいた方がよいだろう。

「大丈夫ですよ。普通の人は、そんなに攻撃的ではないですから。もちろん僕も、ROMれ何て言葉は使いません。まあ、自分では言わないですけど、言われたことならありますけどね」
「サカキくんみたいなネットの達人も、言われたりするの?」
「ええ。初めて見た掲示板や、見始めてから日が浅い掲示板では、僕も初心者なわけですから」
「へー、でも随分昔のことなんでしょう?」
「そうでもないですよ。一週間ぐらい前に……」

 そこまで告げたところで、僕は背筋がぞわっとした。そう。あれは僕が、新しい掲示板を覗いた時のことだった。僕は、その忌まわしき記憶を蘇らせる。

 その日の深夜、僕は好奇心のおもむくままに、検索エンジンに様々な単語を入力しては、上から十件のページを閲覧していた。
 あの時入力した単語は何だっただろうか? 思い出せないが、たどり着いた場所は覚えている。「眼鏡っ娘の女の子は、眼鏡の付属品です」という謎の個人ホームページだった。

 そのサイトは、時代を感じさせる雰囲気だった。ホームページのトップには、各コンテンツへのリンクがあり、訪問者数カウンターが表示されていた。そのカウンターの下には、キリ番とそれを踏んだ人の名前があり、メールを表す封筒の画像も表示されていた。
 どういったサイトかなと思い、僕は管理者のページを覗いた。八十年代風の眼鏡っ娘のイラストがあり、一九九〇年台から続く個人サイトであることが分かった。

 管理者の名前はメガネスというらしい。その名前は、百万人の死を意味するメガデスという言葉から取ったと書いてあった。バンドの名前ではなく、政治や軍事学の用語だと断りを入れてある。核戦争の甚大な被害を表現するために使われた言葉と注記してある。そのページには、「つまり……」と書いて、メガネスというハンドルネームについての説明が記してあった。

 ――世界には数多の眼鏡がある。それらは、女の子を眼鏡っ娘に変貌させる力を持っている。一人の眼鏡っ娘は、百万の人間を萌え死にさせる。それは、女の子の力ではなく、眼鏡の力なのだ。メガネスは、そういった、眼鏡によるメガデス「百万人の死」の様子を表した言葉なのである。

 何なんだ、この文章は? 僕は、頭を横に振りながらトップページに戻る。そこには掲示板へのリンクがあった。どうしようかとためらったあと、クリックして掲示板に移動した。

 書き込まれている文章の日付を見る。日に数十件と、個人サイトとは思えないほど、活発な交流があることが分かった。
 どうやら、眼鏡っ娘至上主義者たちと、管理人のメガネスが、延々と十年以上も論争を繰り広げているらしい。議題は、眼鏡っ娘という存在においての、眼鏡と女の子の主従関係だ。
 僕はレスを読む。ほとんどの人は、女の子が主で、眼鏡が従だと書いている。それに対してメガネスと、メガネス騎士団という謎の集団が、眼鏡こそが主で、女の子は従であるという主張を展開している。世の中に、これほど不毛な掲示板があったのかと僕は思った。

 とりあえず、最新の一ヶ月分の書き込みを見て、僕もその議論に参加しようと思った。僕は、眼鏡っ娘には一家言ある。だから、この掲示板を無視して通ることはできなかったのだ。
 現在の流れは、「眼鏡っ娘は、眼鏡の絵だけで、その存在を窺わせることができるが、女の子の絵だけでは同じ結果にはならない」というものだった。メガネスと、メガネス騎士団は、大量の眼鏡イラストを投稿している。それに対して、女の子派は劣勢に陥っている。

 僕は、楓先輩を思い出しながら考える。僕は眼鏡っ娘が好きだ。だから楓先輩が好きだ。でも、楓先輩が眼鏡をかけていなくても、きっと好きなはずだ。
 楓先輩だって、寝る時は眼鏡を外して横になる。世の中の数多の眼鏡っ娘も、同じように眼鏡を外して眠る。だからといって彼女たちは、非眼鏡っ娘と言われるわけではない。僕はそういった論旨の書き込みをした。

 ――十年ROMれ。
 ――その議論は、九年三ヶ月前に通った道だ。なぜ、きちんと読んでいない?

 即座にレスが付いた。
 ぐぬぬ。僕は住人の厳しさに舌を巻く。そりゃあ、彼らからしてみれば僕は新参者だ。この掲示板を、ついさっき見つけたような部外者だ。だからといって、ここまで叩かれる必要はないだろう。
 そもそも、彼らは十年も読んでいるのか? 僕は、管理者のページを思い出す。マジで読んでいそうだ。少なくともメガネス本人は、十年以上この場所に常駐している。十年ROMれという言葉も、心の底からそう思って書いているのかもしれない。

 この怪しい掲示板から身を引くべきか? しかし、そうするには惜しいような独特の雰囲気が、この場所にはあった。
 あともう一度だけ書き込みをしよう。僕は論理を構築する。
 眼鏡からレンズを取り除き、フレームだけをかけた場合でも、外部からは眼鏡っ娘として認識されるはずだ。その際、フレームだけの眼鏡は、眼鏡としての機能を持っておらず、それは眼鏡ではあり得ない。しかし、眼鏡っ娘は成立している。だから、女の子が主で、眼鏡が従である。そう書き込んだ。

 ――十一年ROMれ。
 ――その議論は、十年十一ヶ月前に通った道だ。なぜ、きちんと読んでいない?

 ぐああああああああ。何だよ、このメガネスとメガネス騎士団の奴らは! 僕は深夜の自室で絶叫しそうになる。怒った僕は、キーボードをカタカタして、非難の書き込みをした。

 ――そんな長い期間ROMれって言っていますけど、メガネスさん、無茶だとは思わないんですか?

 僕は返事を待った。

 ――私ことメガネスと、その強力な信者であるメガネス騎士団は、インターネットが日本に上陸する前、パソコン通信の時代から、この議論を続けている。その前は、FAXとミニコミ誌で交流していた。さらに前は、雑誌の文通欄を利用して、仲間を募り、闘争を繰り広げてきた。十年は、つい最近のことだ。

 ……す、すみませんでした。僕は、ブラウザをそっと閉じ、部屋の窓を開けて、夜の町並みを眺めた。

 そういったことが先週あったのである。苦い記憶である。その、半分トラウマのような経験を、僕は楓先輩の言葉で思い出したのだ。

「どうしたの、サカキくん?」

 楓先輩は、心配そうな顔で、僕に語りかけてきた。

「え、ええ。ROMれと罵倒された記憶を思い出していたのです」
「ネットは怖いところなのね」
「そんなことはないですけど、恐ろしい妖怪のような人がいることは事実ですね」

 僕は答えたあと、大きくため息を吐いた。

 翌日、僕が部室で静かにモニターを見ていると、楓先輩が、ととととと、とやって来た。

「どうしたのですか、楓先輩?」
「もしかしてサカキくんは、部室の会話をROMっていたの?」
「へっ?」

 どうやら楓先輩は、僕がリード・オンリー・メンバーのように、部室で黙って会話を聞いていると思ったようだ。

「そんなことはないですよ」
「だって、サカキくんは、私が話しかけないと、部室でいつも黙っているでしょう?」

 あれ、そうだったかな?

「あの、楓先輩。もしかして僕は、ROM専みたいな人間だと思われていますか?」
「うん」

 あ、ああ……。僕は、コミュニケーションができていると思っていたのだけど、どうやらそうではなかったらしい。もっと積極的に話さないといけないのか。僕は自分のコミュ力のなさを嘆いた。