雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第86話「おっさんホイホイ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、趣味に明け暮れている人間たちが集まっている。そして日々、不毛としか言いようのない文化的活動を続けている。
 かくいう僕も、そういった生産性が皆無な人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、役立たずな面々ばかりの文芸部にも、世のため人のためになりそうなお方が一人だけいます。遊び人ばかりのパーティーに紛れ込んだ、真面目な賢者のお姉さん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕はモニターから目を離した。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて僕の右横に座る。そして、楽しそうな表情で、三つ編みをゆらした。僕は、その様子にぞくぞくとしながら、笑顔で話しかける。

「どうしたのですか、先輩。またネットで、新しいフレーズを見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットが得意よね?」
「ええ。白い死に神シモ・ヘイヘの、狙撃の腕前ぐらいに得意です」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自室でも修正するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで膨大な文字情報を見つけた。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

おっさんホイホイ、って何?」

 び、微妙に説明が難しい言葉を拾ってきたな……。
 言葉の意味自体は難しくない。しかしそれがなぜ、世のおっさんと呼ばれる三十代、四十代の男性諸兄を引き寄せるかは、ゲームやアニメをたしなまない楓先輩には、理解しづらいはずだ。どうすれば、その郷愁を交えた脳内スイッチを入れられるのかと思い、僕は頭を悩ませる。

「サカキ。何か困っているようだな!」

 僕の左肩に手が置かれた。誰だろう? 僕は振り向いてびっくりする。そこには一人の女性が立っていた。彼女は、面白いおもちゃを見つけた子供の目をしている。その女性とは、この文芸部のご主人様、僕の天敵、三年生で部長の、城ヶ崎満子さんだ。

 満子部長は、古い少女マンガに出てきそうな、お嬢様風のゴージャスな容姿をした人だ。しかし、この姿に騙されてはいけない。その中身は、気高くも真面目でもなく、エロに染まった品性下劣なものだからだ。
 満子部長が、そういった困った性格をしているのは、その出自のせいだ。満子部長は、父親がエロマンガ家で、母親がレディースコミック作家という、サラブレッドな家に生まれた。そういった家庭環境であるために、両親から受け継いだ、深遠にして膨大なるエロ知識を保有している。そして性格はSであり、僕をこの部室で、ちくちくといたぶるのを趣味としているのだ。

「な、何ですか、満子部長?」
「レトロなエンターテインメントの話なら任せろ。伊達に年を食っているわけではないぞ」
「年を食っているって、僕より一歳年上なだけじゃないですか~~~!」
「ふっ、甘いな。その一年の差は、無限と同じぐらい長いのだ。ゼノンのパラドックスだよ。アキレスとカメの逸話だ。アキレスはカメに追い付くために、無限の数の中間点を通過しなければならない。そのためには無限の時間がかかる。だからアキレスは、いつまで経ってもカメに追い付くことはできないのだ!
 まあ、そんなパラドックスを使わなくても、お前は一生私の年下で、私の経験を追い越すことはできないのだがな」

 満子部長は、楽しそうに話して、僕の左隣にドカリと座った。
 嫌だなあ。満子部長が隣に来ると、ろくでもないことが起きそうだ。僕は、右手にタンポポ、左手にラフレシアの、両手に花の状態になって、説明を開始する。

「楓先輩は、おっさんと言うと、どれぐらいの年齢を想像しますか?」
「うーん。二十代後半?」
「えー、先輩は今、かなりの人を敵に回しましたよ」

 僕の台詞に、楓先輩はきょとんとする。

「世間的には、三十代、四十代ぐらいの男性が、おっさんと呼ばれます。そしておっさんには歴史があるのです。
 さて、そのおっさんの若かりし頃ですが、現代の僕たちと、彼らが少年だった時代とでは決定的に違うことがあるのです」
「そうなの?」
「はい。それは文化面でのことです」
「どういった違いがあるの?」

 楓先輩の質問に、僕は一呼吸を置く。左に座っている満子部長は、今のところおとなしい。特に何かをたくらんでいる様子もない。今日は珍しく黙って、話を聞いているようだ。

「それでは話を進めましょう。違いとは、ネットの存在です。現代では、インターネットがありますが、彼らの少年時代にはネットがありませんでした。そして、マスメディアが非常に強い力を持っていたのです。
 そのため、全国的に誰もがその存在を知っているという巨大なブームが、波状攻撃のように押し寄せていたのです。実は、今おっさんと呼ばれている人たちは、そういった国民的な文化共有を経験した、最後の世代ともいうべき人たちなのです」

 楓先輩は、なるほどといった顔をする。最近までネットを知らず、テレビも見ていない楓先輩には、分かり難い話だと思う。でも、どうにか付いてきてくれているようだ。

「まあ、何やかやで、僕たちの世代も共通の話題は多くあるので、おっさんの年になると、同じようなことを言っている可能性は高いんですけどね」

 僕は、少し表情を崩して付け加える。
 うん? 僕の左側で、何か物音がするぞ。僕は、左手の方を見た。満子部長がいなかった。満子部長は席を離れて、何か巨大な段ボール箱を引きずって、こちらに向かっている。
 あの人は、何をしているのだろう。僕は、疑問に思いながら説明を続ける。

「オタク文化的には、まずは『宇宙戦艦ヤマト』から語るのがよいでしょう。このアニメは、一九七四年に放映され、上の年齢層のオタクの人たちを直撃しました。その世代の人にヤマトの話題を振ると、猫に猫缶を与えるようにして、にゃーと飛びついてきます」

 その時である。満子部長が、机の上に、ドンッ! っと何か置いた。
 うん? 僕は振り向いてびっくりする。それは、マントに軍服の、デスラー総統のコスチュームセットだった。

「な、何ですかこれは!?」
「ふっ、すごいだろう。パーティー用の衣装として、売られていたのだよ。それを、部費で購入しておいた」
「ちょ、ちょっと待ってください。何で部費で、そんなものを購入するのですか!」
「こんなこともあろうかと、買っておいたのだよ」
「満子部長。あなたは、真田さんですか!」

 楓先輩には分からないネタで、僕は満子部長に返す。先輩は、きょとんとして、その様子を見ている。
 駄目だ、満子部長に乗せられたら。楓先輩を完全に置いてけぼりにしてしまう。

「すみません、楓先輩。話を続けます。ヤマトの次の話です。
 時代が少し下ると、今度は『機動戦士ガンダム』が、世の男子たちを直撃します。このガンダムは、今でも非常に人気がありますが、実は打ち切りアニメなのですね。
 それが、なぜ猫も杓子もガンダムを知っているかというと、実は全国各地の地方テレビ局で、夕方の再放送の枠で、何度も何度もガンダムを流していたのです。おかげで、本放送を見ていなかった年齢の人も視聴していて、幅広い年代に人気のある作品になっているのです。

 ガンダム自体は非常に面白いのですが、こういった背景がなければ、ここまですそ野が広がっていたのかは分かりません。
 この『機動戦士ガンダム』は、巨大なおっさんホイホイとして、世の中のおっさんたちを吸引してやまない存在になっています。ちなみに、おっさんホイホイのホイホイは、ゴキブリホイホイのホイホイだそうです」

 ドンッ!
 机の上に何かが置かれた。左を見ると、満子部長がプラモデルを取り出していた。なぜか、ビグ・ザムだ。

「あの、満子部長。何で、そのチョイスなんですか? そこはガンダムではないのですか? あるいはシャアザクとか」
ドズル・ザビは、いい男だ」
「えー、ドズルは確かにいい奴だと思いますけど……。満子部長の男性の趣味がよく分からないのですが……」
「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」

 楓先輩を置いてけぼりにして、満子部長はビグ・ザムを得意げに見せている。

「あの、満子部長」
「何だ?」
「もし、説明のたびに邪魔をする気なのでしたら、帰ってもらえませんか?」
「何! 適切なサンプルを毎回提示しているだろうが!」
「えー、あー、そうですね」

 僕は、棒読みで答える。仕方がない。満子部長を無視して先に進めよう。

「楓先輩。話を続けます。おっさんたちの時代には、様々な少年向け娯楽のブームがありました。特撮ブームもその一つです。そして、それらと被るようにして始まった、次の世代の娯楽があります。そう。家庭用ゲーム機の登場です。
 その大ヒットの兆しは、ゲームウォッチの普及の頃からありました。その土壌の上に、任天堂ファミリーコンピュータという巨大ヒット商品がやって来たのです。このファミコンは、日本全国で千九百三十五万台が売れたそうです。そのため、この世代の人たちは、ファミコンを筆頭とするゲーム機の話に、異常に食いついてきます」

 ドンッ!
 また、机に何かが置かれた。

 今度は何ですかと思い、振り向くと、そこには四角ボタンのファミコンが鎮座していた。

「み、満子部長! これはどうしたんですか?」
「ふっ、発掘したのだよ。もちろん、部費で購入した」

 満子部長は、強力なおっさんホイホイを投入してきた。この部室におっさんがいたら、輪になってコサックダンスを踊りそうなぐらい狂喜乱舞しそうだ。実は、ファミコンのコントローラーには、四角ボタンと丸ボタンの二種類がある。四角ボタンの方が古く、レア度が高いのだ。でもまあ、後期の丸ボタンの方が改良型なので、操作性はよいのですけどね。

「えー、楓先輩。このようなゲーム機が、世の中を席巻したのですね。この流れは、スーパーファミコン、ニンテンドウ64といった任天堂のハード群や、ソニープレイステーション、同2、3といったシリーズ、マイクロソフトのXboxなどと続いていきます」

 ドンッ! ドンッ! ドンッ!
 今度は何だ?

 僕が目を向けると、満子部長がドヤ顔をしていた。メガドライブと、セガサターンと、ドリームキャストが並べられていた。

「み、満子部長! これも部費で買ったんですか?」
「そうだ! ふふ~ん、いいだろう。きちんと遊べるぞ。私一人の時は、たまに遊んでいるんだ」

 僕は頭が痛くなる。この調子では、PCエンジンもいつか入手してしまいそうだ。
 もちろんというか、当然というか、楓先輩は、目の前に置かれた機械のニュアンスをまるで把握していない。この三台の機械は、セガという会社が、家庭用ゲーム機メーカーの三強の一つとして、三国志的活躍をしていた時のものだ。
 そして、ドリームキャストで、みんなに夢をキャストして、そのまま夢はリターンせず、セガはフェードアウトしてしまったのだ。

「あと、ゲーム機以外のおっさんホイホイとしては、八〇年代ポップスなどもありますね。おっさんたちが若者を謳歌していた頃は、ちょうどCDが一番売れていた時代と重なります。それだけ多くの人が同じ曲を聴いて、体験を共有していたのです」

 僕はようやく、歴史の流れを語り終えた。

「へー、なるほどね。そういった文化的背景と、巨大なヒットがあったから、おっさんホイホイという、多くの人が食いつく話題が存在するのね」
「ええ。今のおっさんたちの時代には、そういった巨大なムーブメントがあったのですね。
 昔はネットがなかったので、趣味があまり断片化されていませんでした。そして、今の僕たちがネットに使っている時間が、丸ごと余っていたわけです。彼らはその時間を、そういった娯楽に使っていたわけです。
 でもまあ、昔も今もマニアな人はいますから、そういった人に対する、おっさんホイホイも存在します。ディープなものでは、パソ通とか、無線とか、枚挙にいとまがないですね」

 僕は説明を完了させた。楓先輩は納得したようにして頷いた。その日は、それでお開きになった。

 翌日のことである。部室に行くと、ピコピコとした電子音が、盛大に鳴り響いていた。

「どうしたんですか?」

 部室に入った僕は、部屋の中央で正座している楓先輩に尋ねる。楓先輩は、テレビに向かって、ファミコンのコントローラーを持っていた。
 画面に映っているのは「アイスクライマー」である。ジャンプしながら氷を砕き、山を登っていく名作ゲームだ。楓先輩は、右に移動する時は右に体を傾け、左に移動する時は左に体を傾けている。そしてジャンプのタイミングで、ぴょこんと腰を浮かせていた。

 部室の端には満子部長がいた。なぜかデスラー総統のコスプレをしている。そういえば、昨日そういったコスチュームを自慢げに見せていた。満子部長は、空のグラスを、ワインが入っているように、ぐるぐると回してゆらしている。

「あの、満子部長。これはどういったことですか?」
「異文化体験という奴だよ。楓に、オタク文化を少し教えてやろうと思ってな」

 どうやら満子部長は、楓先輩にファミコンを教えているようである。僕は、昨日満子部長が自慢げに見せたゲームハード群を思い出す。このまま行けば、順調に、メガドライブセガサターンドリームキャストと袋小路に入って行くはずだ。僕は、その怪しい道筋に、少しだけ期待を寄せた。

 しかし、満子部長の目論見はくじかれた。三日後に、楓先輩が指を痛めてしまったからだ。ゲーム慣れしていない楓先輩は、コントローラーのボタンを全力で押し続けて、指を痛めてしまったのだ。

「ねえ、サカキくん。ゲームって怖いわね」

 楓先輩はしみじみと言った。
 いや、怖くないですから!
 僕はそう突っ込もうとしたのだけど、楓先輩があまりにも真剣な顔だったので、突っ込みそびれてしまった。