雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第79話「オク」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、欲望に身を委ねた人間たちが集まっている。そして日々、趣味的人生遊戯に明け暮れている。
 かくいう僕も、そういった快楽的人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな勘違いした面々ばかりの文芸部にも、きちんと真面目に部活動に打ち込んでいる人がいます。荒廃した野球部で、一人だけ甲子園を目指すマネージャー。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕はブラウザを閉じた。危ない危ない。怪しい商品をチェックしていた。店頭では買えないような、ちょっと危険な品物たちだ。僕は、取り繕った笑顔で、先輩に向き直る。先輩は嬉しそうにやって来て、僕の横にちょこんと座る。僕は、楓先輩の可愛さを堪能しながら声をかけた。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、知らない言葉を見たのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね」
「ええ。グリーンベレーの隊員レベルの達人です」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも細かく修正するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで無限とも言える情報の海に出会った。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「オクって何?」

 あー、楓先輩は知らないよなと僕は思う。楓先輩は、ネットの超初心者だ。だから、ネットでお買い物ができたり、あろうことか、物を売ったりできるなんて想像すらしたことがないはずだ。だから当然、オークションサイトの存在も知らず、どこが最大手なのかも把握していない。
 これは解説が必要だなと思い、僕は口を開く。

「先輩は、ネットで物を売り買いできることは知っていますか?」
「えっ、そんなことができるの?」
「ええ。ネットでは、多くの小売業者が通販サイトを運営しています。これは、いわばテレビや雑誌の通販のネット版です」

 楓先輩は、へー、そういったものもあるんだー、と感心した顔で聞いている。

「そういった、ネットを介した売買の一形態としてオークションがあります」
「オークションと言うと、競売のこと?」
「そうです。商品が出品され、入札がおこなわれて、高額入札者が落札するものです。
 現実社会のオークションでは、その開催現場に行かなければ入札ができないことがあります。しかし、インターネット上のオークションであれば、入札者はネットに接続できる環境があれば、世界中どこからでも参加できます。ネット上には、そういった場所を提供しているサイトがあるのです。

 そういったオークションサイトの多くは、個人の出品を許可しており、個人間取り引きの大きなマーケットになっています」

 これで楓先輩の頭に、ネット上でオークションができるという知識が構築された。ようやく説明の本丸に切り込むことができる。

「分かったわ。オクって、このインターネットオークションの『オーク』の部分を短く言ったものなのね」
「そうです。もう少し限定的に言うと、日本で最大手のインターネットオークションを指している場合が多いです。
 この最大手は、現在ではヤフオク!という名前になっているサイトです。このヤフオク!は、昔はYahoo!オークションという名称でした。このサイトは、ネット上では単にオクと呼ばれたり、某オクと表記されたりすることもあります」

 僕は、ネットオークションにまつわる、様々な用語を思い出す。
 転売ヤー、ノークレームノーリターン、即決、自動入札、ジャンク、チャリンカー詐欺。これらは、ネットの掲示板文化とは、また違った文化圏を作っている。

「へー、ネットでオークションが利用できるのね。サカキくんも利用したことがあるの?」
「ええ、もちろんありますよ。僕はネットの達人的使い手ですからね。何度も入札を試みたことがあります」

「すごいね。ネットの達人だね。サザビーズや、クリスティーズに出入りする人みたい」
「いやあ、それほどでも」

「それで、サカキくんは、どういった商品を入札したの?」
「えっ?」

 僕は、最近どんな商品をネットオークションで入札したのか記憶をたどる。
 そう、あれは先週末のことだった。僕は、花の金曜日の深夜帯を、オークションの入札に費やしていたのだ。

 ネットの狩人である僕が狙っていたのは、某エロゲの不人気キャラクターのフィギュアだった。それは、三つ編みの髪型で、眼鏡をかけた女の子だった。そのゲームを出した企業からは、なかったことにされている不幸な存在だった。

 なぜ、世の中の人々は、三つ編み眼鏡をそれほど軽視するのか。僕は人類の嗜好に絶望しながら、関連グッズの収集が安値でできると、ほくほく顔だった。
 その日、僕は五百円から入札を始めた。毎度のことながら、敵はいなかった。このまま二十四時を迎えれば、僕は三つ編み眼鏡のフィギュアを手に入れられるはずだった。

「うん?」

 異変は二十三時〇分に起きた。五百十円で入札している人間がいる。ほほう。誰か、このキャラクターに目を付けたか。お目が高いではないですか。
 僕は、入札が妨害されたという悔しさとともに、そこに同好の士がいるという喜びに胸を躍らせた。

 さて、時間はまだある。あまり焦って値を吊り上げると、競争になりかねない。それは、財力に乏しい中学生の僕が望むところではない。相手は社会人かもしれない。そうなれば、財布に万札を忍ばせている可能性もある。ここは慎重にことを運ばなければならない。僕は時間がすぎるのを、ネトゲをしながら待った。

 二十三時三十分になった。僕は十円値段を上げて、五百二十円にした。即座に五百三十円に値が上がった。自動入札か。あるいはこの商品に張り付いているのだろう。
 まだ焦ってはいけない。僕はもう一度商品の内容を確認しようと思い、情報を見直した。

 出品者への質問が表示されていた。見ると、僕と争っている入札者の質問のようだ。僕はその内容を確認する。

 ――この商品の味は、甘酸っぱいでしょうか、苦いでしょうか?
 ――出品者は、舐めたことがないので分かりかねます。

 ――この商品の舌触りは、滑らかでしょうか、ざらついているでしょうか?
 ――出品者は、舐めたことがないので分かりかねます。

 ふっ、ふざけんな! 僕は金曜深夜の自室で、思わず吠えそうになった。何だこの入札者は。僕の三つ編み眼鏡を、どうする気なのだ! こんな変態に僕の娘はやれない。彼女は、こいつの許に行くべきではなく、僕と添い寝をするべきだ! 僕は怒りとともに、この入札者を倒すことを決意した。

 六百円!
 六百十円。

 七百円!!
 七百十円。

 千円!!!
 千百円。

 ぐぬぬぬぬ。僕は、中学生である自分の財布を心配する。ここは軍資金を確認しなければならない。僕は、財布と貯金箱を確認して、何円までなら戦えるのか現状把握をする。六千円と少し。厳しい布陣だ。僕は次の一手を指した。

 二千円!!
 二千百円。

 三千円!!!!
 三千百円。

 ぐおおおおおっ!!! オークション終了の時刻は刻々と近付く。僕は、三つ編み眼鏡の美少女フィギュアを守るために、一線を踏み越えることを決意した。

 五千円!

 ついに大台に乗った。敵は沈黙している。時刻は二十三時五十八分。終了まであと二分。僕は息を潜めながら、結果を見守る。五十九分になった。敵は動かない。僕の必殺の一撃に恐れをなして沈黙している。五十九分三十秒。僕は息を殺して時間を待つ。
 二十四時が来た。僕は戦いに勝ち、三つ編み眼鏡の美少女さんを手に入れた。そして、深夜の自室でガッツポーズを取って喜んだ。

 五分ほどして、徐々に熱が冷めてきた。僕は、このフィギュアの定価が四千五百円だったことを思い出す。敵が退いたのも当然だ。普通に買える商品を、定価よりも高い値段で手に入れる道理はない。
 ああぁぁ……、何ということだ。僕は自分の浅はかさに絶望する。しかし僕は、一人の美少女を変態の魔の手から救ったのだ。僕は、そのことに誇りを持った。

 後日、出品者から宅配便が届いた。僕は、自分が救った美少女を、段ボールという檻から解放してあげた。箱には、封書が入っていた。出品者から僕に向けてのメッセージだろう。いったい何が書いてあるのか? 僕は封を切って、便箋を開いた。

 味は保証しません。
 ふっ、ふざけんな! 出品者は、僕と、もう一人の入札者を混同していた。出品者は、僕が三つ編み眼鏡の美少女フィギュアを、ぺろぺろすると思って送ってきたのだ。
 この世界は、何と汚いのだろう! 自分の娘を、そんな相手と分かって送り出す人間がいるなんて! 僕は世界に絶望した。そして、その心の傷を癒やすために、フィギュアと添い寝をしたのだった。

 僕は部室に意識を戻す。苦い思い出だった。トラウマになるような出来事だった。

「それで、サカキくんは、どういった商品を入札したの?」
「えっ?」

 そういえば、そういう話だった。僕は、素直に答えるべきか考える。僕が手に入れた、三つ編み眼鏡の美少女フィギュアについて語るべきだろうか? 僕は考える。僕は、楓先輩に対して、真摯でなければならない。嘘を吐くことはできない。ここは、すべてを覚悟して、真実を告げるべきだろう。

「楓先輩にそっくりな、三つ編み眼鏡の美少女フィギュアを落札しました」
「えっ?」

 なぜ、そういったフィギュアを? そういった表情を、楓先輩はする。それからわずかな間を置いて、頬を赤らめる。僕が、なぜ三つ編み眼鏡の美少女フィギュアを手に入れたのか、悟ったのだ。

「サ、サカキくん……」
「何でしょうか先輩!」
「そのフィギュア、大切にしてね」
「ええ、もちろんですとも!!!」

 僕は、胸を張って答えた。

 それから三日ほど、楓先輩は、ネットオークションで手に入れたフィギュアを見せて欲しいと、僕に頼み続けた。いや、すみません。さすがに見せられません。三つ編み眼鏡の美少女フィギュアは、エロゲのキャラなので、かなり恥ずかしいポーズをしているのですよ。
 僕はそのことが説明できず、曖昧な答えを繰り返すことしかできなかった。