雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第74話「orz」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、がっかり系の面々が集まっている。そして日々、痛い活動を繰り広げている。
 かくいう僕も、そういった残念な人生を送る人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、低空飛行気味の人生を送る人間ばかりの文芸部にも、しっかりと慎ましく生きている人が一人だけいます。汚れた雑種犬の群れに迷い込んだヨークシャー・テリア。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は手を休めた。楓先輩が楽しそうに歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、いつものように明るく微笑み、僕を見上げる。僕は、そんな楓先輩を見ながら微笑み返す。先輩は、えへへといった感じで表情を崩す。ああ、愛おしい。僕は、そう思いながら、楓先輩に語りかけた。

「どうしたのですか、先輩。またネットで、知らない単語に遭遇したのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね」
「ええ。ウィキペディアと同じぐらいの知識を有しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも推敲するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を導入するためだった。その時、ネットも使ってみた。まさに運命の悪戯と言うべきだろう。先輩はそこで、大量の文章に遭遇した。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「orzって何?」

 ああ。orzという文字だけを見ても、分からないよなあと僕は思う。
 orzは、言葉ではなく絵である。アスキーアートと呼ばれる、文字で絵を描いたものだ。ネットに疎い楓先輩には、さすがに難易度が高いだろう。

「先輩は、漢字の成り立ちはご存じですか?」
「うん。確か、象形文字だったわねよね。絵を描いたものが徐々に漢字に変化していった。そういったものだと、記憶しているけど」

 楓先輩は、記憶をたどるようにして言う。

「そうです。文字というものは、その多くが絵から発生しています。漢字が、元々絵だったというのは有名ですよね。たとえば山や木は、元の姿を残しているから分かりやすいと思います。

 また、表音文字として使われるアルファベットも、起源をたどると象形文字にたどり着きます。アルファベットは、古代地中海世界の海洋商業民族として知られるフェニキア人たちが使っていた、フェニキア文字が由来だと言われています。
 このフェニキア文字の前身は、原カナン文字になります。その祖は、エジプトのヒエログリフです。ヒエログリフ象形文字になります。

 アルファベットの形にも、象形文字だった頃の名残が残っています。たとえばAという文字は、角の生えた牛の頭部を模した形に由来します。ひっくり返して、∀と書くと、その姿がよく分かると思います。
 このように、多くの言語で使われている文字は、元々絵から発生して、そののち単純化されて、記号として変化していきました。orzも、このような変遷過程を経ている記号なのです」

 僕は、orzを理解するための前提知識を述べる。楓先輩は、話を聞き逃さないようにと僕に体を寄せる。楓先輩は興奮すると、相手に近付いていく癖がある。すでに横に座っているために、それ以上進めず、僕に密着している。ああ、役得だなあと思いながら、僕は話を続ける。

「orzは、元々は文字で描かれた絵だったのです」
「文字で絵を描くとは、どういうこと?」

 楓先輩は、きょとんとした顔をする。ネット文化に疎い楓先輩は、アスキーアート、文字絵の存在を知らないようだ。僕はパソコンでテキストエディタを開き、簡単な絵を描いて見せる。

(^o^)
(>_<)
(T_T)

「あっ、顔っぽいわね」
「そうでしょう。ネットでは、掲示板、チャット、メールなど、文字だけでやり取りすることが多々あります。そのため、感情を表すための記号として、このように文字で描いた絵を利用するのです。また、感情を伝えるといった目的から、顔の絵が多いのです。そういったものの中で、orzは珍しく、人間の全身を描いたものになります」
「全身って、こういうこと?」

 楓先輩は、僕の横で手を伸ばして、指を一本ずつ立ててキーボードに文字を入力する。

(^o^)
腕胸胸腕
腕胴胴腕
手腰腰手
 足足
足足足足

 ……何だこりゃ?

「えー、違います。体の部位の名称を並べるわけではありません」

 僕が指摘すると、先輩は、しゅんとした顔になる。そ、そんなに落ち込まないでくださいよ。どうやら楓先輩は、快心のできだと思っていたらしい。

「orzの前身は、こういった絵になります」

_| ̄|○

「何だか、落ち込んでいるようね」
「そうでしょう。この絵は、元々は人を表していたわけではありません。図式化されたカバーとケーブルだったそうです。それがひざまずいて、がっかりする人のように見えることから、そういった用途で使い始められたのです。
 その後、様々な派生や変遷を経て、より短く書けるorzが主流になっていきました。このorzは、元の絵と左右が逆転しています。oが頭、rが腕と胴体、zがひざまずいた足になります。

 ちなみに読み方は諸説あります。というか、元々絵なので、読み方があったわけではないです。
 くずおれる男、失意体前屈、オルズ、オルツ、オーズ、オーツ、オアズ、ガックリ、ガックシ、オーアールゼット、オーアールズィー、ドゲザ、アーッ、などがあります。
 また、米糠に特有の成分であるγ-オリザノールの表記が『γ-Orz』であることから、オリザノールと呼ぶのはどうかといった提案もなされました。しかし、こちらは定着していないようです。

 orzの意味は、落胆や絶望になります。土下座をしているように見えるために、謝罪を表すと勘違いする人もいますが、そういった意味はないので注意が必要です。ただし、土下座そのものを示す絵として利用されることはあります。
 使い方は、『どうしてこうなったorz』などと使います。orzは、ネットでよく見られる表現なので、覚えておくとよいでしょう」

 僕は、楓先輩のために、懇切丁寧に説明をおこなう。先輩は感心した様子で、僕のことを見つめる。

「ねえ、サカキくん」
「何ですか、楓先輩」
「様々な派生や変遷を経たと言っていたけど、他にも表記があるの?」
「ええ、あります。ついでですから、それらもここで紹介しておきましょうか?」
「うん。お願い」

 僕はキーボードに向かって、入力を始める。orzは、元々絵なので、どの文字を使うかといった制約はない。それに、向きも様々なものがある。

_| ̄|○ ○| ̄|_ ○|_| ̄  ̄|_|○ sto szo orz or2 ots z_/o STO OTL OTZ OLS ZJO no on ou uo _/ ̄|○ ○| ̄\_ _ト ̄|○ ○刀乙 oyz osz……

 うわっ、かなり変な感じになった。orzがゲシュタルト崩壊を起こしている。僕は、途中から、朦朧とした状態になりながら、様々なorzを記入した。

「えーと、こんな感じですかね」
「ねえ、サカキくん。これは何? 一つだけ、ちょっと変わったものがあるんだけど」
「どれですか?」

 楓先輩はモニターに手を伸ばして、一つの文字絵を指差す。どれどれ? 楓先輩が指し示した文字を僕は見る。

_ト ̄|○

 ぶっ! 僕は思わず噴き出しそうになる。がっくりしている人の中に、そうではない人が一人だけ紛れ込んでいた。
 これは、勃起している男性の文字絵だ。なぜ僕は、こんな危険なものを楓先輩の前で書き込んでしまったのか。ああ……。orzゲシュタルト崩壊によって、僕の精神が壊れかけていたからだ。

「ねえ、サカキくん。この尖っている部分は何?」
「な、何でしょうね」

 楓先輩は「ト」の部分を指で示しながら尋ねる。
 先輩。そんな場所を指差してはいけません! 年頃のお嬢さんが、おちんちんを指でいじるのは駄目です! 僕は、そんなことを言えるわけもなく、目を逸らして、曖昧にごまかそうとする。

「サカキくんが教えてくれないなら、私が自分で読み解いてみるわね。これは足のところで枝分かれしているわね。片足を前に出しているということかしら? そうだとするならば、陸上のクラウチングスタイルかしら?」
「全然違いますよ! チンだけ合っていますけど! これは、勃起している男性ですよ!」

 僕は、思わず突っ込みを入れる。

「あっ……」

 先輩は、驚いて顔を赤く染めている。しまった、卑猥な文字絵を紛れ込ませてしまったことを、白状してしまった。

「サ、サカキくん……」
「はい」
「サカキくんのエッチ……」

 すみません。僕は、楓先輩に平謝りした。

 翌日先輩は、僕のことをorz系だと主張した。「どういうことですか?」と尋ねたところ、「たまにがっくりとさせられるから」と答えた。ああぁぁ……。ええ、まあ、そうですね。僕は涙目で、そういった反応を返した。