第72話「小並感」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、間の抜けた面々が集まっている。そして日々、人生に役立たない活動を繰り広げている。
かくいう僕も、そういった迷走気味の人生を送る人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことである。
そんな、人生を回り道している面々ばかりの文芸部にも、しっかりと真っ直ぐ歩いている人が一人だけいます。つる草の繁みに生えた一輪のヒマワリの花。真っ直ぐ大空に向かって成長している健全なお方。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。僕は先輩の顔を見下ろす。先輩は、えへへと微笑んで、僕を見上げる。僕は、思わず先輩を抱きかかえて持って帰りたくなるのをがまんして、明るい笑みを浮かべた。
「どうしたのですか、先輩。また、知らない単語を、ネットで発見したのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットが得意よね」
「ええ。普通の人が通常のドライバーなら、僕はF1レーサー。それぐらい、ネットの利用に長けています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、大量に書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を導入するためである。その時、ネットも試した。それが運命の変転を招いた。そこで先輩は、無数の文字情報に遭遇した。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「小並感って何?」
ああ、簡単だ(小並感)
僕は心の中で、小学生並みの感想を漏らす。そう。小並感は、小学生並みの感想の略だ。読み方は、「しょうなみかん」でも「こなみかん」でもよい。その読みから、粉みかん、コナミ感などとも書かれる。
意味としては簡単なものだが、説明には少しだけ注意が必要だ。「真夏の夜の淫夢」というホモビデオのファンの活動が元ネタだからだ。この作品の男優が出ていた、他の作品中の台詞に対して、小学生並みの感想とコメントが付けられた。そのことが、この言葉の由来になっている。
その部分は省いて説明した方がよいだろう。そうしなければ、僕が、なぜホモビデオのことを知っているのか、無用な突っ込みを浴びかねないからだ。
「楓先輩。小並感は、小学生並みの感想の略語です。ネット掲示板などで、自分の書いた感想の最後に(小並感)と付けたりして使います」
「へー、さすがサカキくん、よく知っているね。それで、小学生並みの感想というのは、どういった感想なの?」
「えっ?」
僕は思わず声を上げる。どういったものと言われても、ちょっと困る。
そうだ。僕自身の小学生時代をエミュレートしよう。公開霊言のようなものだ。僕自身の小学生時代を呼び出して、語らせればいいんだ。僕は精神を集中して、小学生時代の僕を呼び出す。そして、対話可能な状態にした。
「楓先輩。準備はできました。何の感想でも小学生並みに答えますよ。好きな作品について、感想を尋ねてください」
「そうね……」
楓先輩は、可愛らしい唇に指を当てて考える。
「シンデレラの感想とかどう?」
「分かりました。小学生時代の僕に感想を聞いてみましょう。どうだい、小学生の僕?」
僕は、小学生時代の自分に気軽に尋ねて、シンデレラの感想を語らせる。
「シンデレラ、それは灰かぶり姫を意味する。この物語の感想を端的に述べるのならば、それは足に対するフェティシズムに尽きるだろう。この物語で最も注目すべきところは、王子の、女性の足に対する偏愛ぶりである。
主人公である灰かぶり姫は、王城で王子と出会ったあとに、ガラスの靴を残す。王子はその靴を手がかりに、主人公を探すのである。
物語は、過酷にして残忍。グリム童話のシンデレラでは、主人公の姉たちは、王子の愛を得るために、足の指や、かかとを切り落として、無理やり靴に足を合わせようとする。
こういった狂った事態を招いた王子とは、いったい何者なのだろうか。彼はシンデレラと踊り、その顔を見ていたにも関わらず、彼女の手がかりは残された靴しかない、と主張した。
このことから分かることは、王子はシンデレラの顔など一顧だにしていなかったということだ。彼は、シンデレラの足しか見ていなかったのだろう。
王子の心の内を、僕は想像してみる。おそらく王子は、そのガラスの靴で、自分が踏み付けられる姿を想像していたに違いない。彼は、そのことを夢見ながら、舞踏会の間中、シンデレラの足を鑑賞していたのだ。
シンデレラという物語は、このように、足を偏愛する王子と、その性癖が巻き起こす、王国を巻き込んだルナティックな惨劇を描いた話である。
この物語を、僕はどう解釈すればよいのか。やはり、物語の主題である足に焦点を当てて語るべきだろう。
僕が最も気になることは、ガラスの靴をはいたシンデレラが、素足だったか、靴下をはいていたかである。
普通に考えるのならば、靴下をはいていたと考えるべきだろう。しかし、それでは解決できない問題がある。なぜ王子は、王国を巻き込むほどの狂気を孕んだ行動をとったかである。そこには、常識では計り知れない、何かがあったと考えるべきだろう。
主人公であるシンデレラは、靴下をはかず、ガラスの靴をはいていた。それこそが答えではないかと僕は思う。
王城での舞踏会。そこに訪れる数多の着飾った華やかな男女。彼らは美麗な衣装で身を包んでいたはずだ。そして、王子の性的対象である女性は、腰を縛り、胸を強調して、女であることを主張していただろう。
そういった中にあって燦然と輝く、透明なガラスで覆われた素足。それが極上の足であったことは想像に難くない。その足が、どれだけ王子の心を捕らえたのか。この物語を味わうには、やはり、そこに思いを馳せなければならないだろう。
僕はこの物語に対して、以下のように感想を持つ。
王子の心を惑わしたのは、ガラスの靴から透けて見える美しい足先だった。僕は王子に感情移入して、その足の優美さを愛でる。そして、王子とともに、その蠱惑的な足の媚態に心を奪われて、狂気の道へと走る。
話はここで終わらない。『シンデレラ』には、その先の隠された物語があるからだ。王子はシンデレラを手に入れたあと、何を考えたのか。僕は、そのことを想像せずにはいられない。この足を永遠に自分のものにするには、どうすればよいか。そう考えたはずである。
物語では、その結末は語られない。その先は、読者の想像に委ねられている。これは僕に対する、物語からの挑戦状だ。僕は、その挑戦を受け、答えるべきだろう。自分の心を魅了して、王国を混乱に導いた魔性の足を、永遠に手に入れるにはどうすればよいかを。
王子はいずれ知るだろう。シンデレラが魔女に出会い、その魔法の力を借りたことを。その魔法使いならば、シンデレラの時を止めて、永遠の美を作ることができるかもしれないと。
その事実を知るにおよんで、王子は重い腰を上げる。自らの欲望のために、王国を揺るがした王子である。彼に躊躇という言葉はない。王子は、魔女を狩り、シンデレラの時を止めることを画策する。
何も知らないシンデレラは、魔女と出会った時の様子を王子に語る。王子は一人ほくそ笑み、罠を考える。そして、王国の兵士たちを率いて城を出発する。王子は、魔女を狩るために、精鋭兵とともに冥府魔道へと旅立ったのだ(小並感)」
小学生の僕は、そこでようやく感想を止めた。楓先輩はドン引きしている。僕もドン引きである。
何だよ、この感想は! 僕は、そんな変態的かつ妄想的な視点で、シンデレラを見てはいないよ! もっと普通に「面白かった(小並感)」みたいな感想を考えているよ! 僕は、自分の小学生時代は、こんなだったのかなと頭を悩ませる。
「サ、サカキくん」
「何ですか、楓先輩」
楓先輩は、言葉の海に翻弄されてぷるぷると震えている。
「今どきの小学生は、そんな変態的で怖いことを考えながらシンデレラを見ているの?」
「そんなことないですよ!」
僕は両手を振り上げて、先輩に必死にアピールする。
「じゃあ、サカキくんだけが、そういった視点で小学生時代にシンデレラを見ていたのね……」
「いや、そういうわけでは……」
僕は言葉の罠にはまり、自分の変態さを認める形になる。
「ええい、楓先輩! 小学生の視点は捨てます。小学生になり切った感想はやめです。僕自身が、小学生っぽい感想を言いますよ! 大丈夫です。信用してください。ばっちりな例を挙げてみせますから!」
僕は、必死に明るい口調で言う。楓先輩は、引きつった笑顔で僕の感想を促した。
「行きますよ。シンデレラの感想です。シンデレラの足を、なでなでしたい(小並感)」
二人の間に、冷たい風が吹いた。楓先輩は目を糸のようにして、呆れた様子で僕のことを見ている。
「やっぱり、サカキくんって変態(小並感)」
うわあああぁぁぁっっっっっ! 小学生でも、中学生でも、結局僕は、楓先輩に変態だと思われる運命なのかぁぁぁっっっっっ!
それから三日ほど、僕は楓先輩に蔑む目で見られ続けた。ああ……。ちょっとだけМな僕は、その視線のせいで、新しい何かが目覚めそうになった。そして、できれば楓先輩の可愛らしい足に、ぐりぐりと踏まれたいと思った。