雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第71話「自宅警備員」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、若者の覇気を失った面々が集まっている。そして日々、低空飛行で生活を続けている。
 かくいう僕も、そういった下降気味の人生を送る人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことである。

 そんな、やる気のない面々ばかりの文芸部にも、こつこつタイプの人が一人だけいます。ウサギとカメの徒競走。そんなウサギの群れに迷い込んだ、真面目なカメさん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は手を止めた。楓先輩は、嬉しそうにやって来て、僕の横にちんまりと座る。三つ編みの髪は楽しげに揺れ、眼鏡の奥の目はきらきらと輝いている。ああ、愛おしい。僕は、なでなでしたくなる楓先輩の顔を見ながら、明るく声を返す。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、意味の分からない言葉を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね」
「ええ、ネット界の博覧強記。ネット荒俣宏と呼んでいただいて、差し支えありません」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、丁寧に書き直すためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を使うためだった。その時、ネットも開いてみた。それが大きな曲がり角になってしまった。先輩は、ネットの情報洪水に巻き込まれた。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

自宅警備員って何?」

 楓先輩の言葉に、僕はにっこりと微笑み返す。自宅警備員は、ネットで有名な言葉だ。説明にも特段困難は生じないだろう。僕は意気揚々と口を開く。

自宅警備員は、職業の一種です」
「サラリーマンや公務員などと同じようなものなの?」
「ええ、ある意味そうです。しかし、大きく違うところがあります」

 僕は、楓先輩とのやり取りを楽しみながら声を出す。その時である。入り口近くの席から、声が聞こえてきた。

自宅警備員は、ユウスケが将来なるかもしれない職業」

 えっ? 僕は、その声の主に顔を向ける。僕の正面の席に当たるその場所には、同学年で幼馴染みの、保科睦月がいた。
 睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。睦月は、僕の真正面の席に座って、じっと僕を見つめている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。まあ、水着姿の美少女を毎日拝めるのは、素直に嬉しいんだけどね。
 そんな水着姿の睦月が、僕の目を見て、声を出した。

「ユウスケ自身がそう言っていた」

 な、何だってー! 僕は、心の中で叫び声を上げる。もし、その言葉が本当ならば、楓先輩に自宅警備員の説明をすれば、僕が将来ニートになるかもしれないと告げることになる。どうしてこうなった? いきなり説明のハードルが上がってしまったぞ。
 世界は地雷に満ちている。僕の歩く先々に罠が仕掛けられている。これは、いったいどういうことなのだろうか?

「あ、あの、睦月さん? いつ僕がそんなことを言いましたか?」

 僕は、おそるおそる睦月に尋ねる。

「先週末。ユウスケの部屋で聞いた」

 そうだったかな? 僕は、自身の拙い記憶をたどる。そして先週末のことを思い出した。

 先週の日曜日のことである。いつものように、土曜の深夜にネトゲをして寝落ちしていた僕は、肩をゆすられて目を覚ました。

「おっぱい、ブラジャー、お尻、パンティー……」

 寝ぼけた僕は、そう唱えながらぼんやりと顔を上げて、モニターを見た。パーティーのみんなはすでにログアウトしていた。僕だけが平原でさまよい、先ほど告げた言葉をフキダシで表示しながらたたずんでいた。
 そうか。僕は、画面を見ながらつぶやいたのか。エッチな台詞を口にしたのは、そのせいなのだ。よかった。僕はエッチなサカキくんではない。そのことに安心しながら、誰が肩をゆすったのだろうと僕は思った。

 横を向くと、睦月が座っていた。競泳水着で体育座りだった。僕は、寝ぼけた頭で考える。睦月は、なぜ僕の部屋で、いつも水着になっているのだろう。そして僕の家族は、何の突っ込みも入れないのだろう。
 僕の常識が間違っているのか。あるいは気付かないうちに、パラレルワールドにでも迷い込んだのか。でもまあ、美少女の水着姿はよいものだなあ。そう思いながら、僕は睦月の胸に視線を向けた。

「今日はどうしたの?」

 僕は、睦月の胸を見ながら尋ねる。

「ユウスケのお母さんに、起こしてきてと頼まれたの」
「そうなんだ」

 それで、なぜ水着になっているのだろう? 僕には、睦月の考えが分からない。

「朝ごはん、用意しているって」
「うん。でも、僕は面倒くさがり屋だからね。この場所を動きたくないんだ。変な格好で寝てしまったから、体も硬くなっているしね。だから、朝ごはんを食べるにしても、部屋の中でゲームをしながら食べられたら最高だなと、思ったりしているわけなんだ」

 僕は、人間のクズのような台詞を、幼馴染みの気安さで睦月に告げる。睦月は、どうしようといった感じの顔をしたあと、口を開いた。

「ご飯、持ってきてあげようか? ここで一緒に食べる?」
「うん。そうしよう」

 まだ寝ぼけた頭で答えると、睦月は水着姿のまま廊下に出ていき、二人分のお盆を持って戻ってきた。
 あれ? 睦月は、水着姿で僕の家をうろうろしているの? お母さんは突っ込まないの? 僕の常識は、最近少しずつおかしくなってきている気がする。

 僕は、散らかった自分の部屋で、睦月と一緒に朝食を取った。お腹がいっぱいになった僕は、再び眠くなってベッドに寄りかかった。

「眠いの、ユウスケ?」
「うん。僕は、睡眠力が高いんだ。類まれなるその力で、深く眠って脳細胞を成長させることができるんだ。いつか僕の力を使い、人類を救う時が来ると思うよ。それまでは、三年寝太郎という感じで、ぐうぐうと惰眠を貪るんだ」

 自分でも何を言っているのか分からなくなりながら、僕は答える。
 僕の顔を見ていた睦月が、少しだけ困ったような顔をした。

「どうしたの睦月?」
「ユウスケは、将来引きこもりになりそうで心配。きちんとした仕事をして、社会生活を送れるのかなあ」
「睦月は優しいなあ。そんな心配をしてくれるなんて」

 僕の言葉に、睦月は顔を恥ずかしそうに赤く染める。僕は、そんな睦月を安心させるために台詞を告げた。

「大丈夫だよ。僕はきちんとした仕事に就く。自宅警備員という崇高な仕事に従事するんだ。そして神の目のように、ワールドワイドにネットを監視して、掲示板の荒らしを駆逐したり、ネトゲの世界を救ったり、動画サイトに適切なコメントを投稿したりするんだ。
 僕は、情報社会の申し子だからね。僕に必要なのは、あとは電脳化することぐらいだ。僕は、ネット空間の中に常駐して、神の一柱になるんだ。榊電脳主命とか、そんな感じの神様にね」

 僕は、ゴーストのささやきに従い、思いのままに言葉を紡ぐ。

「それって、ニートよね?」

 睦月の鋭い突っ込みに僕は視線を逸らす。なぜ、ばれた。睦月は僕の幼馴染みなので、僕の思考や嗜好を、よく把握している。

「ま、まあ、そうとも言うかな」

 僕は、ちょっと恥ずかしくなってベッドによじ登る。そして、ごそごそと布団の中に潜り込んで、顔だけ出した。

「ねえ、睦月」
「何、ユウスケ?」
「もし僕が、自宅警備員になったらどうする?」
「少し困る。私が世話をしないといけないから。でも、困るのはこれぐらい」

 睦月は手を出して、親指と人差し指で長さを示す。その幅は一センチぐらいだった。それぐらい困ってしまうらしい。僕がその長さを見ていると、睦月は顔を真っ赤に染めて、体育座りの膝の間に顔を埋めた。

「ユウスケが自宅警備員になったら、私が世話をしてあげるね」

 睦月は、顔をわずかに上げて、恥ずかしそうに僕を見た。睦月は嬉しそうに手を伸ばして、小指をちょこんと出してきた。
 指切りげんまんの小指だ。僕は寝ぼけたまま、その指に自分の小指をからませた。睦月は、光が溢れるような笑顔を見せた。そういったことが、先週末の日曜日の朝にあったのだ。

 僕は、意識を文芸部の部室に戻す。そして、寝ぼけていたとはいえ、その言動と行動のあまりにもダメ人間っぷりに、恥ずかしくなってしまった。
 家で睦月が相手だと、どうも僕は気がゆるみすぎるようだ。僕は、本当はもっとキリっとした人間なので、気を引き締めないといけない。

「ねえ、サカキくん。それで、サカキくんが将来なる自宅警備員って、どういった職業なの?」

 ぴったりと僕に寄り添った楓先輩が尋ねてくる。そうだった。僕は、自宅警備員の解説をしないといけない。しかし、それには困難がある。僕が将来、自宅警備員になるかもしれないと、睦月に暴露されたことだ。
 この難局をいかにして乗り切るか。そのためには、自宅警備員の素晴らしさを、楓先輩に存分にアピールする必要があるだろう。

「先輩! 自宅警備員とは、いにしえより存在して、この現代社会に適合した、古くて新しい職業なのです!」

 楓先輩は、僕に興奮の目を向ける。いいぞ。楓先輩は僕の言葉に聞き入っている。このまま一気に説明をしてしまうぞ。僕は、手を振り上げて熱弁を振るう。

「かつて人は、様々な理由で自らの家宅にこもることがありました。たとえば平安時代。物忌みと称して、貴族たちは建物の中で時を過ごし、世界の吉凶と折り合いを付けながら暮らしていました。
 現代でも、人は多くの理由で外出を控えます。しかし現代では、それは休息の時ではないのです。テレビを通して、多くの情報を摂取することができます。また、インターネットを使うことで、自宅にいながら世界を監視し、干渉することも可能だからです。

 オンラインゲームで魔王を追い詰めたり、ネット掲示板神託をもたらしたり、アニメやマンガを鑑賞して世界情勢を読み解いたり、新しいおもちゃをオークションで手に入れて匠の技を堪能したり、八面六臂の大活躍をするわけです。
 このように自宅警備員とは、自宅にいながら、自宅および世界を監視して希望に導く、ガーディアンたちなのです」

 僕は、自宅警備員の説明を華麗に告げる。きっと僕の背中には白い翼が見えているだろう。ガーディアン・エンジェル、守護天使。僕は自宅警備員の、誇り高き精神を具現する存在として、その場に屹立する。

「サカキくん」
「はい、楓先輩」
「つまり、それって引きこもりのこと?」

 ノ~~~~~~~~~! 僕は心の中で絶叫する。今の説明を聞いて、どう判断すれば、引きこもりになるんですか~~~~~!
 ……ああ、なりますね。

 楓先輩は、将来自宅警備員になりそうな僕を、かわいそうな捨て犬を見るような目で見る。僕は、がっくりと肩を落として、顔に無数の縦線を浮かび上がらせる。そうしていると、睦月が席を立ち、僕の許までやって来た。

「大丈夫。ユウスケが自宅警備員になったら、私が養うから」

 その台詞に、僕と楓先輩は驚いた。

「駄目~~~! サカキくんは自宅警備員禁止! きちんと就職して、働きなさ~~~い!」

 楓先輩は、眼鏡の下の目を、泣きそうな感じにして両手を振り回して主張した。

 それから三日ほど、先輩は僕に自宅警備の仕事を禁止した。仕方がないので僕は、その分、部室警備の仕事をがんばった。僕の警備の仕事は、主にネット監視である。僕がネットの海にダイブする時間は、差し引きゼロという感じだった。