雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第70話「草不可避」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、やる気がなさそうな面々が集まっている。そして日々、だらけきった活動を続けている。
 かくいう僕も、そういった怠惰な人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、ゆるい感じの面々ばかりの文芸部にも、てきぱきとした人が一人だけいます。幼稚園の悪ガキの間で奮闘する、可愛い先生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は手を止めた。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。いつものように、スカートがふわりと広がり、ぱすんと閉じる。その動きに合わせて、三つ編みの髪が楽しそうに揺れる。僕は、楓先輩の顔を見る。眼鏡の下の目が嬉しそうに細められる。僕は、その様子に心が躍る。そして、楓先輩に明るい声を返した。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、分からない言葉を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに精通しているわよね」
「ええ、スターウォーズで言えば、ヨーダのような存在です」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、夜遅くまでいじるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を見るためだった。その時、ネットも確認した。それがいけなかった。先輩は、ネットに公開された無数の文章を発見してしまった。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「草不可避って何?」

 ああ、これは、変化の過程を知らなければ、元の単語にたどり着くのは困難な言葉だ。というか、草不可避の文字の中に、元の言葉は一つも残っていない。まったく予備知識なしで、ここから元の単語を想像できれば、エスパーとしか言いようがない。

 説明自体は、順にたどればよいだろうが、一ヶ所だけ困難を生じる。その変遷の過程に、ホモビデオのファンたちの活動が入るためだ。そこはぼかして解説しなければならない。割とメジャーになっているネットスラングの中には、「真夏の夜の淫夢」というホモビデオが、ネタ元になっているものが少なからず存在する。草不可避もそういった言葉の一つだ。
 そのビデオのファンの間では、動画掲示板のコメントに「www」を書くことは、雰囲気を壊すということで、それ以外の表現が使われた。そういった経緯で生まれたのが、草不可避という言い回しだ。ここの部分だけは、端折って楓先輩に解説をしよう。僕が、なぜホモビデオのことを知っているのか、無用な突っ込みを浴びかねないからだ。

「楓先輩!」

 僕は、世界の秘密を暴く、天才数学者のような雰囲気で語り始める。

「言葉というのは、様々な置き換えがおこなわれるものです。私たち人類は、過去の歴史で、そういった体験をしてきました。
 その昔、携帯電話の普及の前に、ポケットベルという通信手段が主流だった時代があります。そのポケットベルでは、今の携帯電話やスマホと違い、数字しか送れませんでした。そういった制約の中、『14106』と送ることで『アイシテル』と読ませたり、『3341』と送ることで『サミシイ』などと読ませたりしていました。
 また、ある表現を避けるために、様々な言い回しをすることもあります。たとえばトイレに行くことを、『お花摘みに行く』などと置き換えます。トイレ自体も、雪隠、不浄、手洗い、手水場など、様々な言葉で言い換えます。
 草不可避という言葉も、そういった変換が複数回おこなわれて誕生した言葉なのです」

 楓先輩は、僕の説明に聞き入り、体をぐっと近付ける。楓先輩は、集中すると我を忘れて、興味の対象に接近する癖がある。だから僕の話に興味を持ち、もっと聞こうとすると、知らず知らずのうちに距離を縮めて、体を押し付けんばかりに密着するのだ。
 僕は、制服の布越しに楓先輩の体温を感じる。そのぬくもりとともに、甘い香りも嗅ぐ。ああ、芳しい。僕の体が、楓先輩に包まれているようだ。僕は、その状況を堪能しながら、草不可避の説明に突入する。

「草不可避は、元々は『笑い』という言葉です。文章の末尾に『(笑い)』『(笑)』と書く。こういった使い方は、演劇のト書きなどで見られる書き方です。ネット上のチャットなどでは、言葉だけでコミュニケーションをおこないます。そのため、微妙なニュアンスを伝えるために、こういった感情や表情を添える表現がよく用いられます。この笑いという言葉が、度重なる変換を受けて、草不可避になっていくのです」

 僕は、それがいかに困難なグレートジャーニーなのか、表情と身振りで主張する。東アフリカで誕生した人類が、長い時を経て南米大陸の最南端までたどり着いたように、笑いという言葉が、いかにして草不可避に変化したかを解き明かそうとする。

「この『(笑)』は、ポケベルが数字しか使えなかったように、ある時期、その使用に制限を受けていました。
 オンラインゲームの黎明期、それらは海外のものが中心で、日本語環境は考慮されていませんでした。一九九六年に発売された『DIABLO』というゲームでは、そのためアルファベットでしか会話ができませんでした。そこで使われていたのが『(warai)』という表記だったのです。

 これは、徐々に短くなり『(w』だけで、笑いを意味するようになりました。その後、ネット掲示板などでも一般的となり、括弧を除き、wを複数回重ねる用法が登場します『うはwww』などのように書いて笑い声とする。そういった使い方が普及し始めます。ちなみにwは『ワラ』、wwwは『ワラワラワラ』などと読みます。
 このwが並んだ様子は、マンガ的な表現の草むらによく似ています。そのため、草、芝、草原、大草原などとも呼ばれ始めます。そして、いよいよ、草不可避に繋がっていくわけです。

 この草不可避の発祥は、ネットで人気の出た、あるビデオのファンたちだと言われています。彼らは、その作品に関わるコメントをする際に、笑いを表すwの表現が、その作品の独特の空気を壊すと考えました。
 そして、草不可避、つまり『笑わずにはいられない』『笑ってしまう』という遠回しな表現で、笑いの代用とし始めたのです。こういった置き換えは、トイレに行くことを、わざと隠してお花摘みに行く、と言うようなものです。
 この草不可避という表現は、現在では、そのビデオのファンたちの枠を超えて、ネットに普及しています。

 このように、非常に度重なる変化を経て、草不可避という言葉は誕生しました。このことは、ネット上では『笑う』という感情を伝える表現が、非常に強く求められているということを意味しています。
 人間が持つ多彩な感情のうち、笑うという言葉に関する表現が、ネットでは特に多用されている。そのことは、人類が笑いに対して、いかに飽くなき欲求を持っているということを、僕たちに教えてくれているのではないでしょうか」

 歴史的経緯を取り込み、僕自身の考察も交えつつ、草不可避についての説明を終えた。
 完璧だ。そして性的な話も華麗に回避した。僕は、自分の頭脳の冴えに、失禁しそうなほど感動を覚える。これは惚れるだろう。楓先輩は僕に惚れざるを得ない。そのことを確信しながら、僕は楓先輩の反応を待つ。

「なるほど、そういった変遷を受けて、『笑い』が『草不可避』になったのね」
「そうです」
「それで、この草不可避は、どういった風に使われるの? 最近サカキくんが体験した実例を教えてちょうだい」
「えっ?」

 僕は、時が止まったように硬直する。
 実例ですか? ええ、まあ最近、使ったのではなく、使われたことはありますよ。

 そうあれは、三日前のことだった。僕はいつものように、自室でネット掲示板に向かって、言論活動を繰り広げていた。その時のテーマは、眼鏡っ娘だった。僕は、徹夜気味の頭で朦朧としながら、これは負けられないと思った。
 掲示板には、眼鏡っ娘派と、非眼鏡っ娘派の論客がそろっていた。おそらく、そのほとんどは社会人だろう。僕は、年若い中学生だったが、眼鏡っ娘への愛では劣ってはいないと自負していた。僕は、「吾が輩は、眼鏡っ娘十字軍である」と思いながら、キーボードを軽やかにタッチした。

「僕の学校には、リアル眼鏡っ娘の美少女さんがいます」

 僕は、楓先輩のことを思い浮かべながら、ッターンとキーボードを叩いた。

「w」

 あまりにも短い反撃のジャブに、僕は眉をぴくりと上げた。ほほう。そういった返しをするのですか。いいでしょう。受けて立ちましょう。僕は、冷静沈着に、丁寧な言葉を返すことにした。

「三つ編み姿で、貧乳で、とっても可愛い人なのですよ」
「w」

 敵は僕と議論を噛み合わせようとしない。ただ、嘲笑の言葉を書き込むことで、僕の精神力を削ごうとしてくる。
 なるほど、持久戦か。敵は兵糧攻めを考えている。僕の眼鏡っ娘への愛が、枯渇するのを待っている。

 ふっ。僕はモニターの前で笑みを漏らす。そして、見知らぬネット上の相手に、心の中で告げる。
 浅はかだったな、名無しよ。僕は、知将だ。頭脳派のネット武将だ。僕の灰色の脳細胞を駆使して、必殺の一撃を与えてあげよう。
 僕は華麗に、敵の発言を引き出す作戦に出た。

「どうやら、あなたは眼鏡っ娘否定派のようですね。では、あなたが眼鏡っ娘について、よくないと思っていることを、三つ挙げてください」

 ふふふ。これで、何か発言せざるを得ないだろう。巧妙な罠だ。孔明の罠だ。知彼知己、百戦不殆。敵を知り、己を知れば百戦危うからず。孫子の兵法、第三、謀攻篇の一節だ。
 僕は、敵に三つの意見を述べさせて、そこから情報を探ろうと試みる。敵情を把握し、自分の現況を知る。そうすれば、勝利への道も自ずと開くだろう。

「www」

 何だそりゃ~~~~~!
 三つ挙げろというのは、三文字書けということじゃないぞ!

 僕は思わず、深夜の自宅で絶叫しそうになる。駄目だ。wが、これほどまでにコミュニケーションにおいて、相手にダメージを与えるものだとは思っていなかった。
 僕はどうにかして議論を成立させようとして、次なる書き込みをする。

「w禁止でお願いします。眼鏡っ娘が、いかに素晴らしいかについて、きちんと議論をしましょう」
「草不可避」

 ぐぬぬ。敵は手強かった。僕は、ネット民の知謀に絶望した。

 そういったことが三日前にあったのだ。しかし、そのことを楓先輩に告げるには、僕の眼鏡っ娘に対する愛をひけらかす必要がある。それはまずい。たぶん、先輩はドン引きだ。そして、「私よりも眼鏡の方がよかったのね!」と、謎の嫉妬の言葉を残して立ち去るだろう。
 しかし、だからといって、先輩に嘘を吐くことは心苦しい。仕方がない。僕は、暗澹たる気持ちで重い口を開く。

「僕が、眼鏡をかけた女性への熱烈な愛情を、ネットで力説しましたところ、そのことをあざ笑う人から、草不可避の言葉を投げかけられました」
「ひどいわね。人の好きな物事を笑うなんて」

 楓先輩は、少し怒ったように意見を述べたあと、はてなと首を傾けた。
 先輩の顔が、みるみる赤く染まる。僕の台詞に隠された意図、「眼鏡をかけた女性」が、誰を意味するのかを読み取ったのだ。

「サ、サ、サカキくん」
「はい先輩」
「眼鏡をかけた女性とは、誰のことなの?」

 僕は考える。ここで愛の告白をするべきだろうか? いや、どうだろう。
 眼鏡っ娘は、楓先輩だけを示す言葉ではない。楓先輩を包含する、もっと大きな集合だ。これは、一挙両得な眼鏡っ娘全体への愛を、高らかに歌い上げるべきだろう。

「全人類の、眼鏡をかけた女性たちです」

 僕は、眼鏡人類への愛情を、胸を張って主張する。

「もうっ! ちょっとだけ期待したのに~~~!」

 楓先輩は、目をつむって両拳を上げて非難の言葉を告げる。
 えっ、僕の選択肢は間違っていましたか? 僕は、自分の浅はかな決断を後悔する。楓先輩は、両手を膝の上に置き、少しすねたような顔をして、僕を見上げてきた。

「でも、許してあげる。草不可避」

 え、ええ~~~~~~。
 新しく知った言葉を使いたいのは分かるのですけど、何かその使い方は嫌ですよ……。

 それから三日ほど、楓先輩は、語尾に草不可避やwを付けて部室で会話した。かなりうざいんですけど、先輩……。
 そのことを告げると楓先輩は、「ごめんなさい」と、顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに謝った。