雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第69話「インピオ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、性的な方向に好奇心旺盛な面々が集まっている。そして日々、怪しい知識を吸収し続けている。
 かくいう僕も、そういった探索家の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、どうしようもない面々ばかりの文芸部にも、真面目な人が一人だけいます。ハーレムに紛れ込んだ純潔の乙女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は画像フォルダーを最小化した。危ない危ない。僕の性的な探索行が、楓先輩の目に触れるところだった。楓先輩は、僕の席へと、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。楓先輩は、いつものように僕に体を密着させて、嬉しそうに見上げてきた。ああ、何て愛らしいのだろう。僕は思わず、楓先輩を抱きしめたくなる。その衝動を抑えつつ、楓先輩に声をかけた。

「どうしたのですか、先輩。ネットで、知らない言葉を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね」
「ええ、ネットのオリンピックがあれば、ゴールドメダル間違いなしでしょう」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、気の済むまで推敲するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を試みるためだった。その時、ウェブブラウザも立ち上げた。それが楓先輩の運命を変えた。先輩は、インターネットにある数々の文章と出会ってしまったのだ。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「インピオって何?」

 うわおうっ。これはまた、きわどいところを攻めてきたな。僕は、先輩がどういった界隈に紛れ込んだのか想像しながら、思わず声を漏らしそうになる。

 言葉というものは、物事に付けられるラベルでしかない。インピオは、そういったことを強く感じさせられる言葉だ。この単語は、ネットの掲示板で、インポという言葉を、インピオと打ち間違えたことで発生した。そのインピオが、なぜか違う用途で使われ始めて、ネットの二次元エロ画像収集家たちの間で定着することになる。
 初出の時はインポの打ち損じだったその言葉は、子供同士、つまり少年少女のエッチを表すネット隠語として定着したのだ。言葉の不可思議さを感じさせられる出来事である。

 そういった、インピオの成立と変遷を、そのままストレートに楓先輩に伝えるわけにはいかない。あまりにも性的な話題に立ち入る用語だからだ。さて、どうしよう。そう思った時、部室の一角から声が聞こえてきた。

「サカキ先輩は、インピオ好きです。楓先輩には、少し刺激が強すぎる言葉だと思いますが」

 ぶっ! 僕は心の中で噴き出しながら、声のした方に顔を向ける。そこには僕の苦手な相手、一年生の氷室瑠璃子ちゃんが座っていた。

 瑠璃子ちゃんは、その名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えないその外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている女の子だ。
 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「なぜ、テストでわざわざ間違えるのですか」とか、「勉強をしないその怠惰さの原動力は、どこにあるのですか」とか、「どうすれば、そんなに締まりのない顔をできるのですか」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされている。

 そういった感じで、僕にとってカエルをにらむヘビみたいな存在の瑠璃子ちゃんが、「サカキ先輩は、インピオ好きです」と言ってきたのだ。
 僕は瑠璃子ちゃんの顔を見る。瑠璃子ちゃんは、当然のような顔をしている。いったいなぜだろう。僕は記憶をたどる。そういえば、小学校時代に、そういったやり取りがあった。僕はそのことを思い出す。

 小学三年生の時である。僕は、まだ学校全体では半分以下の学年で、自身が下っ端の存在でしかないことを嘆きながら、日々を過ごしていた。
 ある時は、教室でパンチラの多いマンガを読み、ある時は校庭で上級生の女子たちの無邪気な遊戯を見て、美とは何だろうと考察しながら暮らしていたのだ。

 その日、僕は新しい鑑賞スポットを見つけて、そこで美を愛でていた。体育館の下の方にある地窓。その屋外側が、発見した場所である。そこでは、運動をする女子たちの太腿を、とても素晴らしく鑑賞できる。僕は、その絶好の鑑賞ポイントに座り、貴重な時間を過ごしていた。

「サカキ先輩」
「うん、何かな?」

 僕は、横に顔を向ける。そこには、なぜか瑠璃子ちゃんがいた。瑠璃子ちゃんも、上級生の太腿を鑑賞しにきたのだろうか。僕は、美術館に訪れた同好の士に語りかけるように、どの脚がよいか瑠璃子ちゃんに尋ねた。

「サカキ先輩は、年長の女性に興味があるのですか?」

 瑠璃子ちゃんは、射抜くような目で僕を見る。ああ、そういった勘違いをさせていたのか。僕は、瑠璃子ちゃんに誤解を与えたようだ。僕が好きなのは、年長の女性ではない。美しい女性なのだ。そして可愛い女性。年齢の上下は関係ない。美少女鑑定士である僕のお眼鏡に適いさえすれば、歳は関係なく僕の鑑賞対象なのだ。

「そんなことはないよ。僕は美の狩人なんだ。だから日々、こうやって自分自身の鑑賞眼を鍛えているんだ」

 僕は、それが崇高なトレーニングであるように言う。部活で体を動かしている生徒たちと同じぐらい、僕は真剣にその鍛錬を積んでいるのである。

「私には、サカキ先輩の好みが分かりません。サカキ先輩は、どういった男女関係を望んでいるのですか?」

 瑠璃子ちゃんは、困惑したようにして尋ねる。ああ。まだ幼い瑠璃子ちゃんには、僕の心のうちは分からないだろう。僕は、自分が罪作りな存在であることを自覚する。僕は瑠璃子ちゃんを喜ばせるべきだ。僕は、女性である瑠璃子ちゃんに、あなたと関係が持てるのならば、男性として本望ですと伝えなければならない。
 僕はジェントルマンだ。変態紳士だけど、紳士であることには違いない。僕は極上の笑みを浮かべる。そして慈愛に溢れた表情で、瑠璃子ちゃんに語りかけた。

「そうだね。インピオかな。僕は、インピオこそが、至高の関係だと思っているんだ」

 瑠璃子ちゃんは幼い少女である。僕は、紅顔の美少年である。その二人が愛を結ぶとすれば、ネットスラングで言われているインピオの関係になるだろう。僕は、幼女である瑠璃子ちゃんのために、その言葉を贈った。

「インピオですか」
「うん。インピオだ」
「分かりました。私、インピオを目指す!」

 えっ? それは児童ポルノ法的何かに引っ掛かってしまうからやばいですよ?
 僕は、自分の台詞が瑠璃子ちゃんに与えた影響を考えて狼狽する。しかし、あまりにも真剣な顔をして、拳を突き出している瑠璃子ちゃんの顔を見て、何も言えずにその場を流してしまった。

「ねえ、瑠璃子ちゃんは、インピオを知っているの?」

 僕は、楓先輩の台詞で、現在に意識を戻す。そういえば、楓先輩がインピオについて尋ねていたのだ。

「ええ。私は知っています。その昔、サカキ先輩が私に教えてくれましたから」

 なぜか瑠璃子ちゃんは、頬を赤くしながら告げる。いや、ちょっと待った! その言い方だと、僕が瑠璃子ちゃんに、肉体的にインピオを教えたみたいだよ! 僕は、激しく突っ込みそうになる。

 どうやら事態が悪化したようだ。
 インピオは子供同士のエッチである。そのインピオを、小学生時代の瑠璃子ちゃんに僕は教えた。そのことが分かれば、楓先輩は僕を蔑みの目で見るだろう。そして、「おまわりさんこっちです」という感じで、タイーホを望むかもしれない。

 どうする僕? 瑠璃子ちゃんの口から告白するよりも、僕自身の口から言った方が、まだダメージが少ないのではないか?
 僕は、これまで数々の危機に遭っている。そこで多くの教訓を得てきた。ここは、その経験から編み出したダメージコントロールの技術を披露するべきだろう。

 僕は、自身のダメージを最小限に抑えるために、自ら情報開示を試みる。爆発反応装甲、イクスプローシブ・リアクティブ・アーマーと同じ原理だ。装甲に爆発性の物質を仕込むことで、攻撃を弾き飛ばして、その威力を軽減する方法だ。

「楓先輩! インピオについて解説しましょう!」

 僕は、胸を張って颯爽と告げる。楓先輩は、ようやく始まる僕の説明に、体をぴったりとくっつけてくる。

「教えてサカキくん。インピオはどういった意味なの?」

 僕は、楓先輩からの信頼と尊敬を感じながら語り始める。

「インピオは、ネット掲示板が発祥の言葉です。インポテンツを意味するインポという言葉を書き込もうとした人が、キーボードを打ち間違えてインピオと打ってしまったことが、その単語を生み出しました。
 キーボードのiとoの位置は並んでいます。そのため急いで打つと、『io』と押してしまうことがあるのです。このようにして、インピオは誕生しました。

 しかし、このインピオと言う言葉は、その後数奇な運命をたどります。なぜか、少年少女の性交を表す言葉として、ネットの卑猥な領域で定着していくのです。
 この言葉は、生成過程も特殊であれば、その意味も特殊であるために、初めて見た人には意味がまったく分からない単語になります」

 僕は、学者が生徒に講義するように、楓先輩に告げる。意味は伝えた。これで話を締めくくれば、最小限の被害で説明を終えることができるはずだ。

「楓先輩! サカキ先輩は、私が小学二年生の時に、私に直接インピオを教えてくれました」

 瑠璃子ちゃんは恥ずかしそうに照れながら言う。ちょっと待った~~~~~! それは誤解を招く言い方だ! 僕は瑠璃子ちゃんの発言を撤回させようとする。しかし、時は遅かった。楓先輩は石化していた。目は真っ白になり、魂は抜けていた。

「あの、楓先輩、誤解です。僕は瑠璃子ちゃんにインピオを教えたわけではありません。手取り足取り、くんずほぐれつなんてことは、ありませんから。ただ、体育館の裏手で、瑠璃子ちゃんに教えてあげただけなんです!」

 僕は、真剣な顔で力説する。
 うん? 僕は今の自分の台詞を振り返る。これだと、体育館の裏手でインピオにおよんだように聞こえないか?

「サ、サ、サカキくんの……」

 楓先輩は、顔を真っ赤に染めて、口をあわあわとして、眼鏡の下の目を涙でにじませながら声を出す。

「何でしょうか、楓先輩!」
「……エッチ~~~!」

 楓先輩は、右手と左手をお団子みたいに握り、僕をぽかぽかと叩いてきた。誤解ですよ~~! 楓先輩~~~~!

 その日、楓先輩は僕と瑠璃子ちゃんに、インピオ禁止令を出した。だから、僕はそんなことはしていないですから! 僕は楓先輩に、事情を必死に説明した。結局誤解を解くまでに三日ほどかかった。その間、楓先輩は、僕と瑠璃子ちゃんの顔を見るたびに、顔を真っ赤にして逃げ回った。