雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第67話「乳袋」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、そこはかとなくエロスの香りが漂う面々が集まっている。そして日々、ちょっとだけ変態な妄想や空想にふけっている。
 かくいう僕も、そういった悶々とした人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、腐臭漂う面々ばかりの文芸部にも、清楚で無垢な人が一人だけいます。泥人間の群れに紛れ込んだ、純白の衣の乙女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、ととととと、と僕の許に駆けてきて、ちょこんと横に座る。その動きとともに、先輩の甘い香りが僕の鼻をくすぐった。僕はその匂いを堪能しながら、楓先輩の顔を見下ろす。僕よりも背の低い先輩は、えへへといった様子で微笑みながら、僕の顔を見上げてきた。

「どうしたのですか、先輩。また、分からない単語をネットで見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね」
「ええ、もし僕が剣を握っていれば、宮本武蔵レベルになるでしょう。そういったネット剣豪です」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも書き進めるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を使うためだった。そのついでに、ウェブブラウザも起動してみた。それが不幸の始まりだった。先輩は、インターネットの情報の渦に巻き込まれてしまった。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「乳袋って何?」

 貧乳の楓先輩の口から、そういった言葉が出てくるとは思わなかった。僕は、思わず楓先輩の胸元を見る。その視線に目ざとく気付いた先輩は、両手をぱっと上げて胸を手の平で隠す。そして、ちょっと恥ずかしそうな顔をしながら、わずかに抗議するような目で、眼鏡の下から僕に視線を注いできた。

「もちろん、乳袋の辞書的な意味は知っているわよ。辞書を引いたら、乳房のことだと書いてあったから。でも、ネットで使われている乳袋は、ちょっとニュアンスが違うみたいなの。だから、サカキくんに聞いてみようと思ったの」

 先輩は、両手で胸を隠したまま僕に告げる。
 確かに、ネットで使われている乳袋と、辞書的な意味の乳袋とは違う。ネットの乳袋は、二次元の女の子によく見られる、特殊な表現を指しているからだ。

 マンガやアニメでは、女の子か男の子かを区別する際に、おっぱいがあるか否かで分かりやすく表現する。その効果を最大限にするために、二次元では、着衣であるにも関わらず、服の上におっぱいの形が飛び出たように描くことが多い。
 これは、リアルな表現ではない。抽象化された記号のような表現だ。本物の女性が服を着た場合は、おっぱいの形は飛び出さずに、服の布が押し上げられたような状態になる。そのために、マンガやアニメ特有の、洋服におっぱいを入れる袋があるような膨らみのことを、乳袋と呼ぶようになったのだ。

 楓先輩は、マンガやアニメの登場人物ではないので、当然乳袋はできない。もっと言うと、巨乳ではないので、たとえマンガやアニメになったとしても、乳袋はできないだろう。楓先輩自身は「できるもん!」と主張するかもしれないけど、残念ながら難しいはずだ。

 そこまで考えた時に、部室の一角で「ガタン」という大きな音がした。
 うん? 何だろう。僕は、その音がした場所に顔を向ける。そこには、僕と同じ二年生、鈴村真くんが立っていた。鈴村くんは、顔を真っ赤に染めて、僕の方を見ている。

 鈴村くんは、華奢な体に、女の子のような顔立ちの男の子だ。そんな鈴村くんには、他人に隠している秘密がある。実は鈴村くんは、女装が大好きな、男の娘なのだ。彼は家に帰ると、女物の洋服を着て、等身大の姿見の前で、様々な可愛いポーズを練習している。そして、女の子の格好をする時には、「真琴」という女の子ネームに変わるのだ。僕は、その真琴の姿を、これまでに何回か見たことがある。その時のことを頭に浮かべながら、鈴村くんの姿を見た。

 そういえば。
 僕は、今日の昼休みのことを思い出す。鈴村くんに、昼食に誘われた僕は、学食で菓子パンを食べたあと、鈴村くんに「付いてきて欲しいんだけど」と言われて、屋上に行ったのだ。
 屋上には誰もいなかった。僕と鈴村くんだけがいて、解放的な気分だった。

「今日は、とっても晴れているね」

 僕は、両手を上げて背を伸ばしながら、明るい声で鈴村くんに言った。鈴村くんは、少し恥ずかしそうにしている。いったいどうしたのだろうと思い、理由を尋ねた。

「実は最近、新しい女装の練習をしているんだ」

 探究心が豊かで、行動力に溢れる鈴村くんは、変態街道まっしぐらな活動を続けている。その熱意とひたむきさに、僕は心の中で賛辞を送る。僕は鈴村くんに、どういった練習をしているのか尋ねた。

「その成果を、サカキくんに見てもらおうと思って、今日は制服の下に、その格好をしてきたんだ」

 大胆だなあ。そう思いつつ、僕は最近鈴村くんの変態さに麻痺してきているかも、と不安を抱く。
 いったい、どんな女装なのだろう。普通の女装だったらいいな。男の娘の鈴村くんは、別に女装をしなくても女の子にしか見えない。僕は、どんな服装をしてきたのかと思い、鈴村くんを観察した。

 鈴村くんは、太陽の下、青空に囲まれた学校の屋上で、学生服の上着を脱ぎ始めた。ブラジャーでも着けてきたのかなと思い、僕は余裕溢れる表情で、鈴村くんの姿を見続けた。鈴村くんは、ボタンを上から順に外していき、はらりと上着を脱ぎ捨てた。

「ほおぉーーーっ」

 僕は予想外の展開に驚いた。鈴村くんの胸元は大きくせり出しており、その下乳はきゅっと引き締められた布で、絶妙のカーブを描いていた。横から見ると、ちょうどアルファベットのPにそっくりな姿。僕は、現実世界ではお目にかかることは不可能だと思っていたリアル乳袋に遭遇して、驚嘆の声を漏らした。

「その乳袋はどうしたんだい?」
「うん。ネットを見ていたら、現実世界でも乳袋を作る方法が紹介されていたんだ。だから試してみたくて、やってみたんだ。サカキくん。上手くできているかな?」

 なるほど。鈴村くんは、おっぱい鑑定士である僕の能力を頼ってきたわけだ。これは、きっちりと鑑定しないといけないぞ。僕は鈴村くんの胸元に顔を寄せる。そして、左右に体を動かしながら、様々な角度でおっぱいの形を確かめる。

「胸はどうやって作っているんだい?」
「シリコンのパッドを買って、利用しているんだ」
「ブラジャーは?」
「通販で買ったんだ」
「実によい。実によいよ。このふわんとした造形に、ぷよんとした膨らみ。華奢な鈴村くんの体に、男を惑わす豊かな胸の膨らみがあるというギャップ。そそるね。実にそそる。これは、乙だと言わざるをえない出来具合だよ」

 僕は快心の笑みを浮かべながら、鈴村くんの胸の下で顔を上げた。
 あっ!
 僕はそこで気付く。マンガやアニメ特有の乳袋。その本当の魅力を。
 乳袋の下から相手の顔を見上げた時、そこには胸に包まれ、押しつぶされるような、おっぱいの世界が展開される。僕は、そのおっぱいの世界を通して、鈴村くんの、いや、男の娘である真琴の顔を見上げた。

「胸に顔を埋めたい」
「えっ?」

 僕は本音をぽろりと漏らしてしまった。真琴は驚いた顔をしたあと、恥ずかしそうに僕を見つめた。

「サカキくんがしたいなら」

 真琴は、顔を真っ赤に染めながら、胸の上から僕を見下ろしてくる。真琴の体からは、いい匂いがした。そして胸は、僕を待つように、たわわに実っていた。僕は吸い寄せられるようにして、乳袋に近付いていく。あと少しで、その袋に身を委ねようとした時、屋上の扉の向こうから、何人かの声が聞こえてきた。

「鈴村くん! 服を着て!」
「う、うん!」

 僕たちは慌てて離れ、鈴村くんは急いで上着を着た。

 今日の昼休みにそういったことがあったのだ。そして、放課後の部活である。僕は現在に意識を戻して、楓先輩に何を質問されたかを思い出す。
 そうだ。乳袋だ。
 僕は、鈴村くんの姿を見て、思わず「ぶっ!」と噴き出しそうになる。鈴村くんは、胸元に手を当てて、もじもじとしている。現在進行形で乳袋を装備している鈴村くんは、僕の説明を支援するために、その恥ずかしい女装姿を、部室で公開しようとしているようだ。

 これは、まずい。鈴村くんの女装癖がばれてしまう。学校に、乳袋を作って通っていると思われてしまう。
 そして、そのおっぱいの大きさを目撃してしまった楓先輩の精神も、壊滅的なダメージを受けてしまう。男子におっぱいで負けてしまった。そのショックは、楓先輩のプライドを打ち砕き、貧乳廃人になってしまうだろう。

 僕は、鈴村くんの尊厳と、楓先輩の自尊心を同時に救わないといけない。それも、乳袋の説明を通してだ。僕は、世界を滅亡から救うヒーローのような決意を胸に秘めて、高らかに乳袋について語り出す。

「乳袋とは、マンガやアニメなどで特有の表現です。女性のおっぱいを強調するために、着衣でありながら、下乳が分かるように胸の膨らみを描き、現実の女性の服では、あり得ないような状態になっているおっぱいのことを指します。
 マンガやアニメをほとんど見ない楓先輩には、分かり難いと思います。なので、僕がこれから実践して見せます!」

 僕は颯爽と、学生服の上着を脱ぎ捨て、シャツのボタンを外す。そして、カバンに入れていたブラジャーを出して、そこに丸めた紙を詰めて、胸に装着する。
 だが、これで完成ではない。この状態でシャツのボタンを付け直しても乳袋はできない。僕はボタンを付けたあと、シャツの下乳の部分を、ブラジャーの下へと引っ張り入れる。これで、リアル乳袋が完成した!

 これは、鈴村くんに教わった方法だ。僕は学習する動物なので、新しい知識はすぐに自分のものにする。恐ろしい子、自分! 僕は、日々成長する自分自身が恐ろしくなり、乳袋の姿で、鳥肌を立てずにはいられなかった。

 これですべてが解決する! 鈴村くんが男の娘であることをばらさず、楓先輩が、可愛い男の娘に、胸の大きさで負けたというショックを受けることもない。僕が乳袋を作るだけで、すべてが丸く収まるのならば、甘んじて辱めを受けよう。僕は、人類を救ったヒーローのような顔つきで、楓先輩に熱い視線を注いだ。

「サ、サカキくん……」
「はい。楓先輩!」

 僕は、映画俳優のように、優しげな笑みを浮かべる。視界には、鈴村くんの姿も入る。鈴村くんは、驚きの表情で僕のことを見ている。僕は、楓先輩に視線を戻す。先輩は、口をあわあわとしながら、僕のことを見ている。

「なぜ、ブラジャーを持っているの?」
「はい?」

 楓先輩の質問に、僕は考える。言われてみればそうだ。僕はなぜ、ブラジャーを持っているのだろう。それも、カバンの中に?

 僕は、自身の拙い記憶をたどる。そうだった。今日の放課後、部室に来る前に、僕は鈴村くんと話したんだ。
 乳袋の作り方の復習をしたい。だから、ブラジャーを貸して欲しいと。
 学校の勉強は、ろくに復習などしない癖に、こういったことは熱心に習得しようとする。そして鈴村くんはトイレに行き、自分が着けてきたブラジャーを外して、僕に貸してくれたのだった。

「サカキくんの変態……」

 楓先輩は、僕の目を見て、恥ずかしそうに言った。いや、誤解ですよ! 僕は、鈴村くんの尊厳と、楓先輩の自尊心を救おうとして!
 ……そこで僕は気付く。鈴村くんは、今はブラジャーを着けていない。だから、鈴村くんの乳袋は存在しないし、それを見て楓先輩が落ち込むこともない。僕は、完全に無駄な自己犠牲をしていたのだ。これではただの変態さんである。楓先輩の台詞ももっともである。

 それから三日ほど、楓先輩は僕に、ブラジャー禁止令を出した。そんな! 僕は普段、ブラジャーなんか持ってきていませんから! そんな僕に、鈴村くんは「必要ならば、こっそりと差し入れするけど」と、温かい言葉をかけてきた。いや、そういうことじゃないですから! 僕はどうやら鈴村くんに、変態仲間だと思われているみたいだった。