雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第64話「冨樫仕事しろ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、人生を休みがちな面々が集まっている。そして日々、部室で暇を持て余して駄弁っている。
 かくいう僕も、そういった休眠状態の人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、引きこもり一歩手前な面々ばかりの文芸部にも、きちんとした人が一人だけいます。ニートの集団に紛れ込んだ、働き者の真面目人。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の前でくるりと向きを変えた。僕の目の前で、スカートがふわりと広がる。楓先輩が椅子に座るとともに、そのスカートは、ぱすんといった感じで楽しげに閉じた。
 先輩は、ちょこんと椅子に腰かけ、楽しそうに僕を見上げる。僕は、小動物のような先輩の姿を見下ろして、嬉しい気持ちになる。僕は幸福感を覚えながら、先輩に声をかけた。

「どうしたのですか、先輩。また、ネットで知らない単語を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね」
「ええ、ネット七賢人の一人と呼ばれています」
「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でもじっくりと書き直すためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を利用するためだった。そのついでに、ウェブも見てしまった。その結果、ネットに大量の未見の文書があることに気が付いた。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「冨樫仕事しろって何?」

 ああぁぁぁ、早く続きが読みたいぃぃ~~~~~~~っ!! 僕は思わず心の叫びを上げそうになる。その衝動を必死に抑えながら、先輩の表情を窺う。
 先輩は、アニメもマンガもほとんど知らない真面目人だ。だから、冨樫義博というマンガ家について、名前は聞いたことがあるかもしれないが、どんな人なのかは把握していない。

 冨樫義博の代表作は、「HUNTER×HUNTER」と「幽☆遊☆白書」だ。通の人は「レベルE」を推してやまない。「てんで性悪キューピッド」を挙げる人は、自分が古くから冨樫義博を知っていることをアピールしたい人だろう。

 圧倒的に面白いマンガを描くマンガ家だけど、「幽☆遊☆白書」時代、週刊少年ジャンプの過酷な週刊連載で、いろいろと壊れかけの状態になってしまった。その後、健康と精神をいたわりながら、「HUNTER×HUNTER」という作品を、年によっては休載率九十パーセントを超える、圧倒的な不掲載率で週刊連載を続けている人だ。

 それって、連載していないんじゃないの? という突っ込みは、ここではしてはいけない。
 何せ、「幽☆遊☆白書」は、全十九巻で、累計発行部数五千万部を超えている。そして、「HUNTER×HUNTER」は、三十二巻の時点で、累計発行部数六千五百万部を超えている。圧倒的に売れているマンガ家なのだ。

 まあ、言ってみれば、冨樫義博という人物は、マンガ界の天照大神だ。みんなが天岩戸の前で、「天照大神様、出てきてください!」と言うように、マンガファンも冨樫義博のマンガを待ち望んでいるのだ。
 そして、たまにジャンプに現れて続きを描くと、滅法面白い。ベタもトーンも貼らない、描きかけみたいな状態で掲載されても、面白すぎるのだからたちが悪い。

 そういった、冨樫義博という才能に対して、「早く続きを描いて!」と渇望の声を上げるファンの叫びが「冨樫仕事しろ」なのだ。そのことから派生して、ものすごく真面目に仕事をする人の逸話を聞くと、誰もが対比として冨樫を思い浮かべ、思わず漏らしてしまう台詞が「冨樫仕事しろ」なのである。

 さて、そのことを、楓先輩に話そうとして、僕ははたと思考を停止した。冨樫仕事しろの説明をすると、もしかして僕に被害が降りかかってくるのではないか? サカキ部活しろ。そういう風に思われてしまうのではないか?
 僕の才能にほれ込み、僕が部活動をすることを渇望しているであろう楓先輩が、僕の作品を待ち望んで、そういった台詞を吐くのではないか……。

 ああ、僕は何て罪作りな男なのだろう。そこまで愛され、惚れ抜かれているとは。
 これは、いやはは困ったぞ。僕は、冨樫仕事しろの説明を、僕に波及しないように、上手いことしないといけない。才能溢れる男は辛いな。そう思いながら、僕は説明を開始した。

「楓先輩!」
「うん、サカキくん。何か、ものすごく長い時間、考え事をしていたみたいだけど、いよいよ説明開始ね!」
「はい。冨樫仕事しろについて、説明しましょう!」

 僕が胸を張り、颯爽とした様子で告げると、楓先輩は両手の拳を可愛く握り、ドキドキした様子で、僕のことを見上げてきた。
 ああ、楓先輩は、何て純真で素直なのだろう。僕の説明を熱心に聞くその様子は、きらきらと輝いている。眼鏡の奥の目は、興奮で潤んでおり、唇は緊張のせいか、きゅっと引き締められている。その様子は、とても愛らしくて、家に連れて帰って、飾りたくなるぐらいだ。
 僕は、そんな楓先輩の姿を見ながら、冨樫仕事しろの説明を開始する。

「冨樫仕事しろというのは、冨樫という人物に、仕事をして欲しいというマンガファンの、心の叫びなのです」

 楓先輩は、驚き、そして僕に体を寄せる。楓先輩は興奮すると、説明している僕に、ぴったりと寄り添う癖がある。僕は先輩の体温を布越しに感じながら、必死に理性を保とうとする。

「その、冨樫という人は、そんなに仕事を待望される人なの?」
「そうです。彼は、希代のマンガ家です。彼は、週刊少年ジャンプという週刊マンガ雑誌を、活躍の舞台としています。そして、頭脳バトルマンガの名手として知られています。また、卓越した演出能力で、読者を魅了する物語の紡ぎ手でもあります。

 彼は、『幽☆遊☆白書』という圧倒的人気を誇った作品を描いている際に、そのハードワークから、体と心を病みかけてしまいました。そして、人気絶頂の時に、自らの意志で連載を打ち切った過去を持ちます。
 その後、長期週刊連載として始めた『HUNTER×HUNTER』では、休載の多い作風でマンガ読みの間で有名になりました。しかし、このマンガが滅法面白く、たまに掲載されると、その週はネットでその話題が席巻するようになりました。

 彼の休載率は、年々上がり、掲載率は連載開始の頃から比べて、圧倒的に落ちています。その彼が、マンガの続きを描くと分かると、数週間前からネットがお祭り状態になるような事態になっているのです。
 そういった、冨樫義博というマンガ家に、マンガの続編をこいねがう絶叫が『冨樫仕事しろ』という言葉なのです。そして、真面目に仕事をしているマンガ家のインタビューなどが出ると、その対比として『冨樫仕事しろ』と誰かが口にするのが、ネットの一部で、お約束になっているのです」

 僕は、説明を終えたあと、先輩の様子を窺う。先輩は、今日初めて知った冨樫義博というマンガ家について、ものすごい巨匠のイメージを抱いているみたいだ。

「はー、そんなにすごい人がいるのね」
「ええ」
「それだけ、才能を待ち焦がれられているって、本当にすごいね」
「残念ながら、面白いんですよ本当に」

 世の中には、仕事をしてくれないけど、マンガを描くと、悔しいほどに面白い人が存在する。「喧嘩商売」「喧嘩稼業」の木多康昭は、その典型例だろう。

「そうね。才能がある人は、仕事をして欲しいわよね。小説とかでも、とても面白いけど、続編をなかなか書いてくれない人が、山のようにいるもの」

 うっ、小説界には、非常に多いな。マンガ家と違って、連載ではなく、書き下ろしが多いから、書かない人は、本当に書いてくれない。できれば、死ぬまでにきちんと完結させて欲しい人は、指を折ると、すぐに両手が埋まる。
 そういったことを考えるとともに、僕は、先輩のすぐ傍にも、そういった人がいますよというアピールをさりげなくする。

「僕なんかも、もっと書いた方がいいんでしょうけどね」

 爽やかに告げると、楓先輩は、頭の上にハテナを浮かべて、首を横に傾けた。

 あっ……。僕は、思い出す。僕が、この文芸部で書いている文章のほとんどは、満子部長に言われて書いた、エッチなショートショートだ。
 満子部長は、それをキンドルで売って、部費の足しにしていると言っていた。だから、それなりに僕のファンはいるのだ。中学生で、エッチな小説を書いているのはまずいから、ペンネームなのだけど。
 そして、満子部長に「サカキ、お前は将来、立派な官能小説家になれるぞ」と、嫌なお墨付きをもらっているのだ。

 そんな裏の活動を、この文芸部でおこなっていることは、純真無垢な楓先輩には秘密だ。だから先輩は、僕がほとんど文章を書いていないと思っている。まあ、まともな文章は書いていないのだけど。

「ねえ、私が知らないだけで、もしかしてサカキくんは、たくさん文章を書いているの?」
「いや、そんなことは、ないこともないこともないこともないこともないですよ」

 どっちだ自分! 僕は、自分に突っ込みを入れながら、必死に先輩から目を逸らす。

「もしかして、私も、サカキくん仕事しろって、言った方がいいの?」
「いや、言わなくていいですよ」
「そう」

 楓先輩は、少し考えたあと、台詞を続けた。

「それとね、サカキくんが書いている文章を読んでいないのは、同じ文芸部員として、よくないと思うの。どんな作品を書いているのか見せてちょうだい。私、読むから」

 楓先輩は、僕を押し倒さんばかりに身を寄せて尋ねてくる。
 ああ。僕は、楓先輩の忠実な下僕だ。だから、楓先輩の願いは、叶えてあげなくてはならない。それは、僕のエロ小説を、楓先輩に見せるということだ。僕は、絶望に身をよじりながら決断する。そして、最近書いたエロショートショートを、モニターに表示して楓先輩に見せた。

「えーと」

 楓先輩は、僕の書いた文章を、声を出して読み始める。

「……男のベッドの上で、柊は制服を脱ぎ始めた。ただ、脱ぐだけでなく、自分が、どの服を、どのように脱いでいるのかを、口に出しながら衣類をはぎ取るのだ。
 それは、男の命令だった。自分が何をしているのかを、目の前の男に説明する。自分の行動を自覚しなければ、できない行為だった。男に命じられて、裸に近付いている。しかし、その作業は、自分の手によってなされている。その過程を、自分の口を通して相手に説明している。

 それは、自分で考え、手足を動かしているということだ。自分の意志で、男に裸体をさらしている。柊はその羞恥に、身を震わせる。自分が何をしているのかを、他人に伝えることが、これほどまでに恥ずかしいことだとは知らなかった。

 柊は眼鏡を取ろうとする。男は、それを止める。三つ編みにした髪をほどこうとする。男は、そのままでいいと言った。
 いつもの姿で、肌だけをさらさないといけない。柊は、自分の顔が赤く染まっているのが分かった。首から上は日常のまま、その下は淫らな姿に近付いていく。理性を残したまま、肉体だけが裸身になっていく。
 自分の体が火照っているのが分かった。全身が熱を帯びているように熱かった。なぜ、自分の肉体が、そいった反応をしているのか。それが、男の命令によるものなのか、あるいは、実況するという自分の振る舞いによるものなのか、柊にはその理由が分からなかった。
 ただ、あと一枚の布を捨てれば、男の前に、自分の白い肌があらわになることだけが分かった……」

 そこまで読み終えた楓先輩の動きが止まる。表情も完全に消えていた。
 ああ。僕は両手で自分の顔を覆う。せめて、ヒロインの名前を柊という、楓先輩に似た漢字ではなく、別のものにしておけばよかった。そして、眼鏡ではなく、コンタクトにして、髪型もポニーテールにしておけばよかった。

「ねえ、サカキくん」

 抑揚のない声が、楓先輩の口から漏れる。

「は、はい。何でしょうか、楓先輩」

 僕は、おそるおそるといった様子で尋ねる。

「この女性、私に似ている気がするのだけど、気のせいかなあ」

 完全な棒読みだ。棒読みの破壊力恐るべし。僕は、そのあまりにも感情の感じられない声に、心の底からガクブルになる。

「き、気のせいだと思いますよ」

 僕の、にこやかな表情にも関わらず、楓先輩の無表情は続いている。ああ。僕はどうすればいいんだ!

「楓先輩! 大丈夫です。このヒロインは、先輩がモデルではないですから! 僕の妄想です。空想の産物です。まったくの事実無根。フィクションですから!」

 僕は、楓先輩の両手を握り、真剣な目で見つめた。
 無表情だった楓先輩の顔に、表情が戻ってくる。それは、天岩戸に隠れた天照大神が、顔を覗かすようだった。
 ああ。楓先輩の感情が戻る。それは、冨樫義博が仕事をしてくれたのと同じぐらいの、嬉しい出来事だった。

「サカキくんのエッチ……」

 天岩戸から出てきた楓先輩は、恥じらってその台詞を言った。
 え~~~~、そうなんですか! まあ確かに、天岩戸の前で踊っているアメノウズメって、実はおっぱい丸出しなんですよね。そりゃあ、エッチですよね。うん。僕もエッチだ。エッチだ。エッチだ。……僕は、灰になって、その場で崩れた。

 翌日、楓先輩は僕に、エロ小説禁止令を出した。僕は、マンガファンが「冨樫仕事しろ」と待ち焦がれるように、楓先輩も、もしかしたら僕のエロ小説を待望してくれるかなと思った。
 しかし、二日経ち、三日経ち、何の音沙汰もないことで、まったく期待されていないことが分かった。ああ、僕も、「仕事しろ」と言われてみたいなあ。