雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第62話 挿話20「城ヶ崎満子部長と僕」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中学の文芸部には、様々な嗜好と性癖を持った人間たちが集まっている。
 かくいう僕も、そんな変態予備軍な人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でやっていることといえば、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、人類の廃棄物みたいな人間ばかりの文芸部にも、きちんとした人が一人だけいます。ゴミ捨て場に落ちた、一枚の純白なハンカチ。それが文芸部の先輩の三年生、僕の意中の人である、雪村楓さんです。楓先輩は、三つ編み眼鏡の、見た感じのままの文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ってきたという、純粋培養の美少女さんだ。

 そんな僕や、楓先輩の所属している文芸部に、華やかな事態が発生した。満子部長の母親が買った別荘に、夏休みを利用して、合宿に行くことになったのである。えっ、ドキドキの夏休みイベントって、奴ですか?
 そして、海水浴や、みんなで一緒の食事や雑談を堪能しつつ、合宿も数日が過ぎた。

 ――その日は雨が降っていた。夏の海を臨む避暑地は、厚く覆われた雲のため、夏の輝きを失っていた。僕たちは、間断なく降り注ぐ雨から免れるために、屋根の下で無為に時を過ごしていた。
 雷光が閃く。窓の外が白く染まり、空の轟く音が聞こえる。夏の雨雲は雷雲となり、この地に嵐の訪れを予感させる。
 僕の前には、木製の扉があった。その扉に手をかけて、暗い書斎へと足を踏み入れる。

「よく来たわね」

 女性の声が響いた。書棚に覆われた部屋の奥には、重々しい書斎机がある。その手前の、テーブルを囲んだソファーに、声の主は座っていた。僕が所属している文芸部の部長。ザ・タブーという二つ名を持つ、城ヶ崎満子さんだ。
 豊かな髪と、自信に溢れた顔。中学三年生とは思えない成熟した肉体。満子部長は、ガウンを着て、切り子のグラスを回している。その横には、一人の壮年の男性が座っていた。
 聡明そうな顔立ち。落ち着いた雰囲気。服装は黒のスーツで、その下に華麗な刺繍のベストを着ている。男性は、その姿がよく似合っていた。そういった服装が、日々の暮らしにも溶け込んでいるのだろう。満子部長の父親、城ヶ崎満は、匂い立つような色気をにじませていた。

「あの、満子部長」
「何?」
「この演出、何か意味があるんですか?」
「私のお父さんのペンネームは『ぷらむ☆すとーかー』でしょう。その名前は、『ドラキュラ』を書いた『ブラム・ストーカー』から取っているわけ。だから、吸血鬼が出そうな雰囲気で迎えてみたのだけど、気に入らなかったかしら?」
「肩が凝るから、やめてくださいよ」

 僕は、ふにゃふにゃとした動きでソファーまで歩いていき、二人の前に座った。そして、ぷらむ☆すとーかー先生に頭を下げた。

 この別荘に来て、すでに数日が経っている。その間、先生とは、食事などで何度も顔を合わせている。ぷらむ☆すとーかー先生はエロマンガ家だ。そして、一般誌のマンガで原作も書いている。そういった仕事方面の話は、この別荘では特にしていなかった。そこで今日は、満子部長を交えて創作談義をしようということになったのである。

 ちなみに、小児性愛の分野で活躍中の、ぷらむ☆すとーかー先生の代表作は「どらまてぃっく・きゅあ」、通称「どらきゅあ」である。
 可愛らしい少女たちが、世の男性たちを、ドラマティックにキュアしていく内容である。雑誌を移りながら、二十年ほど連載が続いており、「エロマンガ界のペリー・ローダン」や、「エロマンガ界のグイン・サーガ」と呼ばれている。また、過去の掲載誌がいくつか廃刊していることから、「エロマンガ界の超人ロック」の異名も持っている。
 それにしても、親子ほど歳の離れている先生と、僕は何を話せばよいのだろうか。

「サカキくん、君を今日呼んだのは他でもない。創作とエロマンガについて話そうと思ったのだ」
「はい。創作とエロマンガですね。ホワッ!」

 僕は、驚いて声を上げる。創作はよいけど、エロマンガですって? 何を言っているんですかこの人は。中学生に真顔で言うことではないですよ。それも、娘を交えた会話で。
 僕は、先生の左隣を見る。先生の娘である満子部長が座っている。いいのですか本当に? 僕は、城ヶ崎家の日常会話が、どういったものなのか想像して、少し頭が痛くなった。

エロマンガの価値は、どこにあると思うね、サカキくん?」

 どうやら、本気らしい。というか、一瞬のうちに、創作という言葉が消えてしまったのですが、よいのでしょうか?
 ぷらむ☆すとーかー先生。あなたは、中学二年生の男の子と、娘を交えて、エロマンガの話がしたかっただけなのですか?

 小児性愛の分野で活躍中の、ぷらむ☆すとーかー先生は、僕の前で、ダンディズム溢れる様子で笑みを浮かべている。駄目だ。深く考えたら負けだ。僕は、常識を必死に捨てようとする。

 僕は精神を集中して、先生の質問について考える。これは何かの試験なのだろうか? それとも罠なのか? いや、満子部長は、単純に雑談に僕を誘ったはずだ。僕は、この雑談に、華麗に応じなければならないだろう。

「やはり、実用性ですかね」
「その実用性は、どこから来るのだね?」
「エッチかどうかですかね」
「何をもって人は、猥褻物を性的刺激だと認識するのだね?」
「裸の絵でしょうか?」
「人はエロマンガを読み始めた頃は、単純な裸で興奮する。しかし、それは入り口に過ぎない。すぐにその刺激は鈍磨して、単純な裸体では感じなくなる。君も、その過程を経たのではないかね?」
「そのように、存じます」
「その先に、何があるかということだ。そこを探究しなければならない。私たちは、エロという地平線の向こうに旅立つ、フロンティアなのだから」

 なるほど。僕は、腕組みをして目付きを鋭くする。僕は、これまで読んで取捨選択したエロマンガについて追想する。
 それは、必ずしも絵が上手いマンガばかりではなかった。中には、それほど絵のレベルは高くないのに、お気に入りになったものもある。もっと言えば、リアル寄りの絵柄もあれば、少女マンガ風のものもあれば、一世代前の少年マンガ風のものもあった。つまり、単純に裸を描けばよいというものではないということだ。

 自分が、何についてエロスを感じるのか。その問いについて答えるには、自分の脳が、どのような仕組みで外界の刺激を受け入れているかという、自己観察が必要になる。
 僕は、頭の中で論理を組み立てて、先生の質問に答える。

「それは、二つのベクトルの想像力で表せるのではないでしょうか」
「ふむ。その二つとは?」

「一つ目は、触感の延長です。触った時の肉の重さや柔らかさを感じさせる肉感の表現。体に押し付けた皮膚の温かさや湿りけを感じさせる質感の表現。
 そして、その触感は、単純な裸体表現にとどまりません。読者は、主人公に感情移入して、通常の肉体よりも拡張した触感を獲得します。

 人間は、刀や剣といった武器を持った際、その先端までを自身の肉体の一部として認識します。また車に乗った際は、その車体を自分の体の延長として感じます。
 神経医学、脳医学、心理学の分野において、生物の身体表現は、身体像と呼ばれています。人や猿が道具を使う際は、この身体像が拡張することが知られています。エロマンガには、そういった身体像の拡張に踏み込んだ表現が、連綿と開発されてきました。

 たとえば、断面表現。これは、男性器を取り囲む女性器の内面まで、身体像を拡張した表現です。このことにより、読者は男性器の身体像を拡張して、より強い、拡張された快感を獲得することができます。
 また、男性が放出したあとの液体表現。現実的にはあり得ない量の放出物が、実際には入り込まない女性の部位にまで流入するその表現は、液体を媒介とした身体像の拡張と言うことができます。
 それらはまさに、剣豪の剣先が肉体の一部となり、拡張した感覚により達人としての動きを実現することと、同一のものだと思います」

 一つ目の僕の説明に、ぷらむ☆すとーかー先生は、満足そうに頷く。どうやら、僕の考えは的を射ていたようだ。

「二つ目はどうだね? 君は二つの想像力で、エロマンガの価値は表せると言ったね」

 先生の言葉を受け、僕は持論を展開する。

「落差と変化です。清楚そうな人が実は淫乱だったり、遊んでいそうな子が実は奥手だったり、そういった登場人物の人格の落差が、物語のダイナミックレンジとなり、読者の想像力を喚起します。また、その落差を、変化という形で時間をかけて描くことも、物語を大いに盛り上げます。

 そういった落差や変化で、読者の感情移入を招くことで、エロマンガは、単なる絵の刺激だけではない、より奥深い次元のエロスを獲得しているのです」

 僕は説明を終え、先生の反応を待つ。

「そうだ。人は何をもって、エロマンガに猥褻を感じるのか。肉体的感覚と精神的落差。その二つの刺激が不可欠だろう。
 それでは、創作についての質問に入ろう。人は、なぜ新しいエロマンガを絶えず追い求めるのだね? 今の答えを聞く限りでは、人は適切な刺激を与えるエロマンガに出会えば、そこで満足するはずだ。
 しかし、現実はそうではない。絶えず新しいものが求められる。そこにこそ、創作活動が人々に必要とされる原点があり、それを仕事とする人間の使命があるのではないか。そのことについて君に聞きたい」

 いよいよエロマンガから創作へと話が展開した。先生は、鋭い視線で僕のことを見る。
 確かに先生の言う通りだ。僕は、新しい刺激を求めて、絶えず情報を漁り続けている。それは、エロマンガに限らない。それは、いったいなぜだろうか。僕は、自身の行動原理を解き明かすために黙考する。
 僕の背後で、扉が開く音が聞こえた。しかし、今はそれどころではない。僕は集中する。人はなぜ新しいエロマンガを追い続けるのだろう。

「それには、二つの理由があると思います」

 先生は、身を乗り出して僕の話を聞こうとする。僕の横に、誰かが座った。しかし僕は、お構いなしに口を開く。

「一つ目は、人間の脳の仕組みです。脳は情報の代謝器官です。健全な代謝を維持するためには、適度な入力と出力が必要になりあります。人体の器官は、使用しなければ衰えます。それは、脳も例外ではありません。生命活動を維持するために、脳は絶えず刺激を求めます。

 そして、その刺激は新しいものでなければなりません。なぜならば、同一の刺激は、その刺激に対する反応を鈍磨させるからです。
 その反応の低下は、環境に適応するための能力の一つです。しかし、その防御機構が、こと脳の情報摂取においてはマイナスの方向に働きます。だから、人は新しい刺激を求め続けなければならないのです。

 二つ目は、男性の子孫獲得の仕組みです。男性は、より多くの精をばらまけば、それだけ自分の遺伝子を多く次世代に伝えることができます。そのため、次々と女性を乗り換えていくことが、遺伝子的に勝利条件を満たしやすくできています。
 浮気性の男性ほど、多くの子供を作ることができる。社会倫理的には問題とされても、彼らは生物としては勝利者です。だから、一人の女性では満足しようとしない。

 その性向と社会的倫理の折り合いを付けるために、男性は恋人との様々なプレイを楽しむ。そして、姿を変えるコスチュームプレイを求める。そうすることで、新しい女性との交わりを疑似的に実現する。そのことにより、遺伝子の命じる欲望を統御し、飼いならすことができるのです。

 おそらく、そのような脳と性の仕組みから、人は絶えず新しいエロマンガを追い求めるのではないでしょうか。そして、絵柄は時代とともに変遷して、新しい表現が次々と登場する。ジャンルも細分化する。人は、性的刺激に変化を求めている。
 だから人類は、これまでにないエロスを求めて、地平線へと旅を続けるのです」

 僕は、一気に言い放つ。僕は、自分の左横に、誰かの体温を感じる。しかし僕は、強く集中しているので、前を向き続ける。
 僕の正面にいる先生は、膝を打ち、僕に語りかけてきた。

「うむ。なかなかよい考察だ。そして、創作には、読者の想像力を刺激することと、新規性を提供することが求められる。
 この新規性については、何がその時代に新しい刺激と見なされるか、絶えず研究が必要だ。そして、想像力の刺激のさせ方は、作り手ごとの差異になり、個性となり、武器となる」
「はい。僕もそう思います」

「その上で、サカキくん。君がエロマンガを描くとしたら、どういったものを描くかね?」

 なるほど、そう来たか。
 これは真剣勝負だ。僕は真面目な顔で考える。

 横で、つんつんと僕を突いてくる人がいるようだが、それどころではない。僕は、ぷらむ☆すとーかー先生を興奮させられるようなエロマンガを、必死に考えようとする。

「部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、清楚で貞淑なのに、エッチな現場に巻き込まれて、最初は恥ずかしがって逃げ回っていたのに、徐々にその場に馴染み始めて、最後は積極的に求めるようになって、快楽の奈落に落ちていくといった話はどうでしょうか?」
「ええっ!」

 僕の横で、女性の驚く声が響いた。

 うん? 楓先輩にそっくりな声が聞こえた気がするけど、どういうことかな?
 僕は左隣を見て絶句する。なぜ、そこにいるのですか、楓先輩!

 僕は額から汗をだらだらと流して、顔面を蒼白にする。正面に座るぷらむ☆すとーかー先生は、わが意を得たりといった様子で、膝を激しく叩いている。その横に座る満子部長は、腹を抱えて身をよじっている。

 満子部長の席からは、すべてが見えていたのだろう。僕の隣に楓先輩が座り、そのことに僕が気付かずに、楓先輩をヒロインにしたエロマンガのプロットを語り出したことが。

「えー、楓先輩。どこから聞いていました?」
「脳の仕組みがどうこうという辺りから……」

 先輩は、顔を真っ赤に染めて、顔を逸らしている。

「楓先輩……。何のために、書斎に?」
「空が晴れたから、みんなでビーチに行こうという話になって、それで私が、サカキくんと満子を呼びにきたの」

 三つ編みにした楓先輩の後れ毛が見える。僕は、その美しいうなじを見ながら、心を空っぽにする。
 窓からは、眩しいほどの光が降り注いでいる。その陽光は、闇に染まった僕の心を溶かしてくれるように思われた。官能という地下世界に身を委ねていた僕は、再び光溢れる地上に戻る。そして、かつてないほどの明るさの中で、運命の少女と対峙する。

「楓先輩……」

 闇から帰還した僕は、美しい少女に語りかける。物語の終焉を思わせるシーンだ。僕は、このストーリーが、ハッピーエンドに終わることを確信する。

「サカキくんの、エッチ……」

 駄目だった。僕の物語はバッドエンドに終わった。どうしてこうなった。
 僕は、物語と現実の違いを思い知る。というか、満子部長! 楓先輩が入ってきたなら、教えてくださいよ!

 それから一日ほど、楓先輩は、僕のことをエッチなサカキくんとして、避け続けた。「大丈夫です。僕は、エロマンガ家ではありませんから!」そう主張したのだけど、受け入れてはもらえなかった。