第61話 挿話19「吉崎鷹子さんと僕」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中学の文芸部には、危険な臭いに包まれた人間たちが集まっている。
かくいう僕も、そんなハードボイルドな人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でやっていることといえば、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そういった、エッジな人間ばかりの文芸部にも、まろやかな人が一人だけいます。スラム街に紛れ込んだマザー・テレサ。それが文芸部の先輩の三年生、僕の意中の人である、雪村楓さんです。楓先輩は、三つ編み眼鏡の、見た感じのままの文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ってきたという、純粋培養の美少女さんだ。
そんな僕や、楓先輩の所属している文芸部に、華やかな事態が発生した。満子部長の母親が買った別荘に、夏休みを利用して、合宿に行くことになったのである。えっ、ドキドキの夏休みイベントって、奴ですか?
そして、海水浴や、みんなで一緒の食事や雑談を堪能しつつ、合宿も数日が過ぎた。
夜である。月は白々と輝いている。僕は別荘のリビングで、文芸部のみんなと一緒にくつろいでいる。すでに夕食の終わった時間だ。満子部長の両親は、仕事部屋に戻っている。僕たち文芸部の面々は、カーペットの上にボードゲームを広げて楽しんでいた。
「くっ、これで氷室の二連勝か」
三年生でちょっと強面、女番長と評判の吉崎鷹子さんが、悔しそうに声を出した。鷹子さんは、高圧的で、暴力的で、僕にアニメや、マンガや、ゲームをよく持ってこさせるモヒカン族だ。そして、僕を部室の真ん中に立たせて、それらの作品の批評や解説をさせる、恐ろしい人だ。
そんな鷹子さんに名前を呼ばれた瑠璃子ちゃんは、一年生で幼児にしか見えない女の子だ。瑠璃子ちゃんは、涼しい顔をして鷹子さんに声を返す。
「知能を競う競技でしたら、失礼ながら私の方が上だと思いますので」
鷹子さんの眉が跳ね上がる。だが、さすがに手は出ない。瑠璃子ちゃんは、小学校低学年にしか見えない。殴れば幼児虐待だ。
僕は、もし自分が同じ台詞を言ったら、どうなるかと考え、ぞっとする。きっと、正拳突きを食らい、首を絞められ、壁へと投げ飛ばされているだろう。鷹子さんは、僕を片手で持ち上げられるほど腕力がある。
「ふむ。このゲームだと、氷室ばかりが勝つな。もう少し、運の要素が高いゲームの方がよいか」
満子部長が、壁の棚を見る。そこには、満子部長の父親のボードゲームが収納されている。
現在の成績は、瑠璃子ちゃんが十勝、満子部長が九勝、楓先輩六勝、睦月五勝、鈴村くん一勝、僕と鷹子さんがゼロ勝である。
ほぼ、知能の高さと、負けん気の強さが成績に反映している。つまり、僕と鷹子さんは、知能がゼロなので、何をかけてもゼロになっているのだ。ええっ? そうなの?
「なあ、満子。もっとさあ、ばーん! どーん! とした感じのゲームはないのかよ」
鷹子さんは、自分の知能の低さを露呈するような表現で、運の要素の高いゲームを要求する。僕も鷹子さんの陰で、そういったゲームで、少しは勝たせてくださいよと唱和する。ダメ人間二人の、ダメ音頭である。その負け犬の遠吠えに、瑠璃子ちゃんが冷ややかな視線を浴びせる。
その時である。庭で何かが鳴った。カランコロンという音だ。何だろう。リビングの全員は声を止め、耳を澄ませて窓の外の気配を窺った。
「満子部長、何の音ですか?」
沈黙に耐えかねた僕は尋ねる。
「鳴子の音だな。昨日、庭に仕掛けておいた」
「忍者ですか!」
「いや、そこは、くの一ですか! と突っ込むところだろう。私は女なのだからな」
満子部長は、くの一っぽい媚態を見せる。
「いや、部長のエロティックなポーズはどうでもいいですから。それで、何で鳴子を?」
「おいおい、私がせっかくサービスカットを見せているのに、つれないな。
実はな、昨日警察が来て、ここ数日、変質者が出ているので、気を付けてくださいと言ったのだよ。だから、仕掛けたのだ」
「外部からの侵入者を警戒して?」
「いや、サカキが、他の別荘に下着を盗みに行かないようにだな」
「何で、僕が犯人なんですか!」
僕は、あまりの信用のなさに、抗議の意思を表明する。その僕の横で、鷹子さんが立ち上がった。
「満子、私が見てこよう」
「頼むわね」
「よし、行くぞサカキ」
「はい、鷹子さん。……って、僕もですか!」
「当たり前だろう。この中で、男に見えるのはお前だけだろう」
「ええっ?」
僕は、鈴村くんもいることを主張しようとして、斜め前を見る。可憐な容姿の鈴村くんは、フリルの付いたシャツを着て、ショートパンツをはいている。そして、まるで女の子のように、お尻をぺたんと床に着けて、女の子座りをしている。
うっ、さすが鈴村くんだ。座り方にも隙がない。可愛らしい女の子にしか見えない。これでは、鷹子さんが、僕以外に男子がいないと錯覚しても仕方がない。
いや、ちょっと待てよ。鷹子さんは、鈴村くんが男の子だって知っているじゃないか。いったい、どういうこと? 僕だけ男扱いって、ひどくありません?
僕が、その疑問を鷹子さんにぶつけると、当たり前のような声が返ってきた。
「敵が武器を持っていたら、盾が必要だろう。鈴村が怪我をしたら、かわいそうだ。サカキなら、少々でこぼこになっても、あまり変わらないから問題ない」
「ええっ! 僕って、盾の代わりなんですか?」
「リビング・シールド、生きた盾だ」
「何ですかそれは~~~!」
「行くぞ!」
僕は、鷹子さんに連れられて、無理やり玄関を抜けて、庭に連れ出された。
建物の外は静かだった。人の声は聞こえず、近くの浜辺から届く波の音が、わずかに感じられるだけだった。鷹子さんは、鋭い目付きで周囲を探る。その様子は、まるで女暗殺者といった風情である。
「誰もいないみたいですね」
僕は、鷹子さんの陰に隠れながら声をかける。
「建物の周りを一回りしよう。鳴子が音を立てたということは、何かが侵入したはずだ。動物なら、そのまま引き返せばいい。人間なら放っておくわけにはいかないだろう」
僕は、ごくりと喉を鳴らす。これは大変なことになった。まさか、合宿で捕り物がおこなわれるとは思っていなかった。
こんなことならば、格闘技の一つでも学んでおくべきだった。僕は、数年前に見た、雑誌の広告を思い出す。「通信講座ジークンドー~あなたも今日からブルース・リー」それを申し込んでおけばよかった。自分の先見性のなさを嘆く。
月明かりの下、僕と鷹子さんは、ゆっくりと庭を進んでいく。鷹子さんは、周囲を警戒している。その痛いほどの殺気が、僕へと伝わってくる。僕はというと、おっかなびっくりといった様子で、鷹子さんの斜め後ろを歩いている。
「そういえば、鷹子さん」
「何だ?」
「鷹子さんは、なぜ文芸部に入ったんですか?」
「満子に借りがあるからな」
「前にも、そういったことを言っていましたよね。どういった借りですか?」
僕は、少し足を速める。そして、鷹子さんと並んで夜の庭を歩く。しばらく経ったところで、鷹子さんが口を開いた。
「小学五年生の頃にな、満子に助けられたんだよ」
「喧嘩でですか?」
「違うよ。教室で、ちょっとした事件があったんだよ」
僕は、その事件に興味を持つ。そして、どういったものだったのか尋ねた。
「うちの家はな、父親が空手の師範で、母親が柔道の選手だったんだよ。だから武闘派で、家でもそういったノリだったんだ。
だがな、私も女の子だから、可愛いものに興味がある。しかし両親は、私を男らしく育てて、鍛えようとする。そのせいで、小学五年生の頃には、周囲よりも身長が高く、体格がよく、両親好みの強面な感じになっていたんだよ」
なるほど。そういった両親の許に生まれてきたから、こういった感じになるのか。そりゃあ、ヤクザを相手に喧嘩をしても、退かないわけだと思う。
「それで、家で両親がいない時は、こっそりと可愛いアニメを見ていたんだ。家にはお人形とか、ぬいぐるみとか、マンガとか、そういうのはなかったが、テレビはあったからな。そして、お小遣いをこつこつと貯めて、ある日、魔法少女のグッズを買ったんだ。
でも、家の中で遊ぶわけにもいかない。今は自分の部屋をもらっているが、当時はなかったからな。だから、そのおもちゃを学校のカバンに忍ばせていた。そしてある日、学校で事件があったんだ」
鷹子さんは、過去を振り返るような顔をする。僕は、どういった事件があったのか、鷹子さんに聞く。
「クラスの女子が、学校に持ってきたおもちゃがなくなったと、騒いだんだ。それで、その子の友人たちが、クラスの子のカバンを調べて回った。そうしたら、私のカバンからおもちゃが出てきたんだよ。
たまたま同じものだったんだ。そして、私がそんなものを持っているはずがないという先入観があったから、私が盗んだと疑われた。
私はそんなに口が上手い方じゃない。普通の喧嘩なら、相手を一発殴って終わりにすればよいが、ここで手を出せば私が犯人だと思われる。その時、教室の片隅で高笑いの声が響いたんだ。
声の主は満子だった。満子は私たちの間に割って入って、不敵な笑みを浮かべた。そして、こう言ったんだ。
『残念ながら、あなたの推理は間違っているわ。なぜならば、これは双子のトリックだからよ。そして、なぜそのことを私が知っているのかは簡単よ。
鷹子のカバンにおもちゃを入れたのが私だからよ。私が、事件を混乱させるために、私の持ってきたおもちゃを、鷹子のカバンに突っ込んだのよ。そして、真のおもちゃは他の場所にある。その場所とは! うーん、どこかしら?』」
僕は脱力して、思わず転びそうになる。何だその台詞は? 満子部長は何を考えているんだ? まあ、満子部長らしいと言えば、らしいのだが。
「その台詞のせいで、場は白けてしまった。そして、おもちゃを探し直すということになったんだ。そうしたら、玄関の下駄箱の中に入っていた。
おもちゃには、白いビニールテープが貼ってあり、そこにマジックで名前が書いてあった。だから、落とし物を拾った人が、下駄箱に放り込んでくれたらしい。
馬鹿な話だろう。名前が書いてあったのなら、自分のものかどうか、すぐに分かったはずなのに。まあ、私がテープをはがして捨てたと思ったのかもしれないが」
鷹子さんは、楽しそうにくすくすと笑う。
「それ以来だよ。その時の借りがあるからな。満子と行動をよくともにするようになった。あいつの家には、マンガやアニメがたくさんあるから、たまに借りたりもした。そういった話をして、引かない相手は、満子ぐらいしかいなかったからな。まあ、私にも遠慮があったから、そんなに借りたわけじゃないが」
なるほど。鷹子さんと満子部長の間には、そういったことがあったのか。全然タイプの違うように見える二人が、よく一緒にいるのは、そういったわけだったのか。
「それで、文芸部に?」
鷹子さんは頷く。
「花園中学の文芸部はな、満子の母親が在籍していた部活だそうなんだ。しかし、私たちが入学した時点で誰も部員がおらず、このままでは廃部になるという状態だった。満子は文芸部に入り、勝手に私の名前を入部届に書いたんだ」
「ちょっと待ってください。勝手に書いたんですか?」
「そうだ」
満子部長らしいなあ。
「しかし、私の名前を書いても、廃部は防げないことが分かった。最低部員数は三名だった。つまり、一人足りなかったわけだ。仕方がないので、私と満子は、部室でふんぞり返って、やさぐれていた。そうしたら、扉が開いて、三つ編み眼鏡の女が入ってきたんだよ」
楓先輩のことだ。僕は、その時のことを聞こうと思い、耳を傾ける。
「『ここは、文芸部の部室ですか?』と聞いてきたから、『それ以外の何に見えるんだよ』と、ガンを飛ばした。そいつは廊下に逃げていき、五分後ぐらいにまたやって来た。そして『ここは、文芸部の部室ですよね?』と尋ねてきた。私はそいつをにらんで、言ってやったんだ。『だから、何だ。道場破りか?』とな」
「何で、そうなるんですか!」
僕は、思わず突っ込んでしまう。
「まあ、私もやさぐれていたんだ。そういう時期だったからな。その時、満子が立ち上がった。そして、扉の女に声をかけたんだ。
『もしかして、入部希望者かしら?』
『そうです』
『ふむ、私がこの文芸部の部長の、城ヶ崎満子だ。この文芸部に入部するには、三つの試練を突破しなければならない。それは天の試練、地の試練、人の試練だ。失敗すれば魂を失い、永遠にこの世をさまようことになる。さあ、この試練に挑み、わが文芸部に入部するか!』
そう言い放ったんだ」
「ちょっと待ってくださいよ! 文芸部存続の危機なんですから、普通に入部させてあげましょうよ!」
僕は、激しく抗議する。
「まあ、試練は、それほど難しいものではなかった。天地人、それぞれの漢字で始まる単語を書けというものだった。文芸部らしい試験といえば試験だろ?」
「そうですね。それなら、楓先輩は、難なく突破できそうですし」
「ああ。ただし、天地人に続く漢字は、全部同じものでなければならない。そして、天界、地界、人界というのは駄目だ。サカキ、お前は答えられるか?」
「うーん」
僕は、頭をひねって考える。しかし、にわかに答えは出てこない。
「それで、楓先輩は、何と答えたんですか?」
「天気、地気、人気。天体、地体、人体。天神、地神、人神。三つも答えやがった。満子は、すぐに合格を出したよ。そして、文芸部は廃部の危機を免れたんだ」
鷹子さんは、楽しそうに言った。
「なるほど、よく分かりましたよ。満子部長の態度が大きいのは、二年以上も部長をやっているからですね」
「そういうことだ」
その時である。前方で音が聞こえた。
目を凝らすと、黒い服を着た人間が、壁を登ろうとしていた。背中にはリュックを背負い、その隙間からは、パンティーが顔を覗かせている。下着泥棒。そのことが、すぐに分かった。
「鷹子さん!」
下着泥棒は、僕たちに気付き、逃げ出そうとする。
「よし、サカキを使うぞ!」
「はい! ……えっ?」
鷹子さんは、僕をむんずとつかみ、投擲武器として下着泥棒に投げ付けた。何で!
僕は下着泥棒と激突して、地面に倒れる。下着泥棒も転び、周囲に盛大に女性用下着をぶちまけた。その様は、パンティーとブラジャーの大洪水である。僕は、その下着の海で、泥棒とともに横になった。そして、下着泥棒と目が合った。
下着泥棒は、四十近くのおっさんだった。おっさんは、僕の目を見ると、恥ずかしそうに頬を赤らめて視線を逸らした。
何でですか? 乙女みたいに、恥じらわないでよ!
その直後、大きな音がして、下着泥棒の顔が苦悶の表情で歪んだ。鷹子さんが、下着泥棒の腹に蹴りを入れたのだ。
「ゆ、許してください……」
下着泥棒は、かすれた声で言う。
「許さん。警察に突き出す」
鷹子さんは、下着泥棒の腕をねじって、僕を伝令に走らせた。
一時間後、警察への引き渡しも終わり、僕たちはリビングに戻ってきた。
「さすがね、鷹子」
満子部長は、笑みを浮かべながら言う。
「大丈夫だった、サカキくん?」
楓先輩は、心配そうに僕に尋ねる。
「残念でしたよ、楓先輩。僕の華麗で力強いジークンドーをお見せできなかったことは」
僕は、先輩がいなかったことをよいことに、話を盛ろうとする。習ってもいないジークンドーで、敵を倒したことにしようとした。
「まあ、サカキは、下着泥棒と一緒に寝転がり、パンティーとブラジャーと戯れていただけだがな」
「鷹子さん!」
僕は、激しい抗議の声を上げる。鷹子さんは大きな声で笑い、楽しそうに僕の背中を叩いた。僕は、仕方がないなあと思い、泥棒逮捕の顛末を、面白おかしく楓先輩に説明してあげた。