雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第58話 挿話16「氷室瑠璃子ちゃんと僕」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中学の文芸部には、頭のネジがゆるい人間たちが、なぜか集結している。
 そんな脱力しそうな部活に所属している僕の名前は、榊祐介という。二年生という真ん中の学年で、文芸部では中堅どころ。厨二病まっさかりのお年頃だ。そんな僕が、部室でやっていることといえば、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことである。

 そういった、ダメ人間ばかりの文芸部にも、シャキッとした人が一人います。しおれた菜っ葉の群れに紛れ込んだ、採れたてフレッシュな野菜。それが文芸部の先輩の三年生、僕の意中の人である、雪村楓さんです。楓先輩は、三つ編み眼鏡の、見た感じのままの文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ってきたという、純粋培養の美少女さんだ。

 そんな僕や、楓先輩の所属している文芸部に、華やかな事態が発生した。満子部長の母親が買った別荘に、夏休みを利用して、合宿に行くことになったのである。えっ、ドキドキの夏休みイベントって、奴ですか?
 そういったわけで、今日は僕は、電車に乗って避暑地に向かっている。合宿は、なぜか現地集合。そして僕は、どういった経緯か、僕の苦手な相手、一年生の氷室瑠璃子ちゃんの引率をしている。

 瑠璃子ちゃんは、その名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えないその外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている女の子だ。
 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「なぜ、テストで百点が取れないのですか」とか、「スナック菓子ばかり食べていたら、ピザになりますよ」とか、「早寝早起きを心がけてください。夜更かしは駄目です」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされている。

 そんな、どう見ても小学校低学年の瑠璃子ちゃんが、一人で長距離の電車に乗っていたら、周囲に心配される。だから、部活のみんなの取り決めで、小学校時代から近くに住む、ご近所さんの僕が、一緒に付いていくことになったのである。えええぇぇぇ。

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 僕は電車にゆられている。座席は、向かい合わせのボックス席。車窓からは町の景色が見え、正面には瑠璃子ちゃんが座っている。
 本当は楓先輩と、こうして電車に乗りたかったけど仕方がない。楓先輩は、前日まで祖父母の家に泊まっている。他の部員も、それぞれ別の予定があり、一緒になれなかった。
 満子部長は、夏休みの始まりから別荘にいる。鷹子さんも、なぜか満子部長に同行している。鈴村くんと睦月は、塾で遅くなるので、先に行ってくれということだった。そういったわけで、僕は瑠璃子ちゃんと二人きりで電車に乗っているのだ。

「サカキ先輩が、一人で旅行をするのは心配だから、私がきちんと先導してあげます」

 白いワンピースを着た瑠璃子ちゃんは、僕の前で真面目な顔をして言った。本当は僕が、引率しているのだけど、ジェントルマンの僕は、そこは突っ込まずに華麗にスルーした。

「目指す駅まで一時間以上あるけど、何をして時間を潰す?」

 このままずっと、互いの顔を見続けるのもどうかなと思って尋ねる。

「そうですね。この時間を使って、サカキ先輩の勉強を見てあげます」
「ええぇぇ。確かに、瑠璃子ちゃんなら、僕の宿題も解けるだろうけど、そもそも持ってきていないよ」
「私は持ってきました。はあっ、怠惰なサカキ先輩は、合宿の期間中、宿題にまったく手を付けないつもりなんですか?」

 ううっ。ちくちくといじめられている気がする。それに、どうせ文芸部の合宿に行くのだから、文芸的なことをした方がよいのではないかと思う。
 そもそも、瑠璃子ちゃんは、文章を書くのが得意でもないし、好きでもなさそうだ。僕がいるから、文芸部に入ったと言っていたけど、本当にそれでよいのかなと、少し思った。

「ねえ、瑠璃子ちゃん」
「何ですか、サカキ先輩?」
「瑠璃子ちゃんは、僕がいるから文芸部に入ったんだよね。何でなの?」

 常々疑問に思っていたことを僕は尋ねる。瑠璃子ちゃんは、僕に厳しい。だから、僕のことを、好ましく思っていないはずだ。それなのに、僕がいるから文芸部に入った。それは、満子部長のように、S気質があるからなのだろうか。

「そ、それは。サカキ先輩が、あまりにもダメ人間で、見てられないからですよ」
「そんなに、ダメ人間かな?」
「ええ。人類が百人の村なら、十人に入るぐらいのダメ人間です」
「よかった~。一番じゃないんだ」
「そういったところが、ダメ人間なんです」
「そうなの?」
「そうです」
「そんな、ダメ人間なら、放っておけばいいんじゃないの?」

 僕は、瑠璃子ちゃんが何を考えているのか分からず尋ねる。

「そ、それは。このままでは、人類にとって、大いなる災厄になる可能性があるからです。そのことに気付いた私は、看過できず、仕方がなくサカキ先輩を監視して、改善するべく努力しているわけです」

 瑠璃子ちゃんは、なぜか顔を赤く染めて、横を向いてしまった。うーん、謎だ。

「そうか、僕はダメ人間か~」

 人間、図星を指されると、へこむものである。僕は電車の座席で大きくため息を吐いて、肩を落とす。瑠璃子ちゃんは、そんな僕の顔を見て、言い過ぎたかなといった感じの表情をする。そして、僕の方を向いて、いつもよりは優しげな口調で、話しかけてきた。

「まあ、サカキ先輩にも、よいところがあります」
「本当?」
「爪の垢程度の量ですが」
「少ないね」
「サカキ先輩は、頭が悪くて、鈍感で、空気を読まず、運動ができず、身だしなみがきちんとしておらず、整理整頓ができず、怠惰な生活を送り、変態で、変人で、変質者ですが、他人を思いやる気持ちは持っています」

 瑠璃子ちゃんの台詞は、ほぼすべてがマイナス評価だ。それはつまり、僕がダメ人間だということだ。

「それに……」

 僕が、どんよりとした気分になっている中、瑠璃子ちゃんは台詞を続ける。

「……小学一年生の時、私が一人で過ごしていたら、声をかけてくれましたし」

 瑠璃子ちゃんは、とても恥ずかしそうに言う。
 そんなことがあっただろうかと僕は考える。そういえば、あったような気がする。僕は、その時のことを思い出す。

 あれは、僕がまだ、うら若き小学二年生の頃だった。紅顔の美少年という奴だ。僕は、その自負とともに、校庭の片隅で一人たたずんでいた。

 特に理由があったわけではない。強いて言うならば、直前まで、六年生の女の子たちが、遊んでいたからだ。少女として花開き始めた肉体のライン。僕は子供なりに、それを眩しいものだと感じながら眺めていたのである。
 しかし、それも過去のことになっていた。すでに彼女たちは去って久しい。五分間という悠久の時間が、僕の前から過ぎ去っていた。そのことに時の流れの虚しさを感じながら、僕は引き上げようかと考え始めていた。

 一人の少女が見えた。それは小学一年生だろうと想像が付いた。二年生以上の美少女ならば、僕が把握していないはずがない。彼女は美少女だった。僕は美少女鑑定士だった。二人が引かれ合うのは運命と言うべきだろう。僕は、その一年生の幼女の許に歩いていき、何気ない様子で声をかけた。

「どうしたの?」

 少女は、目元に涙をたたえていた。何かあったのかな。僕は彼女の横に立ち、自己紹介をした。

「僕は榊祐介。小学二年生を生業にしている。君はどういった人物なんだい?」

 僕は優しげな笑みを浮かべて、返事を待った。

「氷室瑠璃子。学年は一年。両親は、漢方薬を売って生計を立てているわ」

 想像以上の、しっかりとした受け答えに、僕は少し戸惑った。

「何かあったのかい?」
「それは、見ず知らずのあなたに話すことですか?」

 瑠璃子ちゃんの声は鋭い。僕は、柔和な表情で声を返す。

「知らない相手だから話せることもあると思うよ。僕は、そこらの木石だと思えばいい。瑠璃子ちゃんは、独り言を話す。僕は、たまたまそこにいる。だから、好きなことを言えばいい。僕はただの木や石なんだからね」

 そう告げたあと、その場に座り込んだ。瑠璃子ちゃんは、少し考えたあと、僕の横に座った。美少女と時を過ごすことは、有益なことだ。僕は心を無にして、その瞬間を楽しんだ。

「クラスの友達に馴染めなくて」
「いじめられているの?」
「そういうわけではないのですが、何だか私だけ浮いていて」

 戸惑うようにして言う瑠璃子ちゃんの様子を見て、それも仕方がないと思った。普通、小学一年生は、こんなにしっかりとしていない。もっとお子様だ。そのことに、彼女自身は気付いていないのだろう。ただ、違和感だけを覚えて、友達の輪に入っていけないのだ。

「笑えばいいと思うよ」

 僕は、脳内のライブラリから、適切な台詞を選び出す。

「どういうことですか?」
「瑠璃子ちゃんはきっと、教室でもそういった、きりっとした顔をしているのだろう?」
「ええ、まあ、そうですね」
「だから近寄り難いんだよ。もっと隙があった方がいい。笑顔を見せれば、人は寄ってくるよ」
「そういうものですか?」
「うん」

 僕は、自分が教室で孤立しがちなことを棚に上げて、年下の少女に偉そうにアドバイスをする。

「分かりました。努力してみます」
「それがいいと思う。それに、もし駄目だった場合は、僕が話し相手になってあげるよ。だから、瑠璃子ちゃんは、どちらに転んでも一人ではない」
「ありがとうございます」
「うん。その時は、僕のお医者さんごっこに付き合ってくれればいい」

 爽やかな笑顔とともに、僕は言った。瑠璃子ちゃんは、僕の横で明るい顔を見せてくれた。

 僕は電車にゆられている。そういえば、小学一年生の時に、そういったことがあったなと思い出した。僕は、一人で寂しそうにしている瑠璃子ちゃんに声をかけた。その時のことを、瑠璃子ちゃんは評価しているようだった。

「そういうこともあったね」
「ありました。サカキ先輩は、少しだけ優しいからずるいです」

 瑠璃子ちゃんは、困ったような顔をして、窓の外に顔を向けた。僕も、視線を景色に移す。街並みは消え、林の向こうに、海岸線がちらほらと見え始めていた。

「それで、結局、水着はどういったのを持ってきたんだい?」

 僕は、海を眺めながら尋ねる。

「先輩、相変わらず空気を読まないですね」
「そう?」

 僕は苦笑しながら声を返す。

「ビキニタイプの水着を買いました。満子部長が、そういうのにしろと言いましたから」

 瑠璃子ちゃんは、顔を耳まで真っ赤にしながら答える。

「大胆だね。半裸を見られることになるよ」
「まあ、見せるつもりで買いましたから。サカキ先輩に」
「えっ?」

 瑠璃子ちゃんは、カバンを開き、分厚い本を読み始めた。うーん、女心は分からない。

「夏、海、水着」

 僕は、歌うようにして言う。その時、景色が大きく開け、ビーチが目に飛び込んできた。僕の夏が始まる。そして、美少女たちが、僕のために、水着姿になってくれる。僕は、そのことを期待して、海のきらめきを眺め続けた。