雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第54話「ヤムチャ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、人生を無為に過ごすことに忙しい面々が集まっている。そして日々、怠惰に人生を送っている。
 かくいう僕も、そういったダメ人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、やる気のない面々ばかりの文芸部にも、きちんと部活動をしている人が一人だけいます。操業停止の工場で、一人でがんばっている健気な少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、ととととと、と嬉しそうに駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。その様子は小動物のようで、ぎゅっと抱きしめて、なでなでしたくなる。そんな楓先輩は、整った顎を上げて、眼鏡の下の目を輝かせて、僕のことを見上げた。僕は、そんな可愛らしい先輩に、微笑みを向けた。

「どうしたのですか、先輩。また、ネットで謎の単語を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに精通しているわよね」
「ええ、サンジェルマン伯爵のように、様々な場所に出没して、多くの知識を得ています」
「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、熱心に推敲するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を試すためだった。ついでに、ネットも覗いてみた。その結果、先輩は、そこに豊穣な知の世界が広がっていることに気付いた。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

ヤムチャって何?」

 ぶっ! ヤムチャは、ヤムチャですよ! ヤムチャさん以外の、何者でもありませんよ! 僕は、思わず絶叫しそうになる。
 ネットでヤムチャと言えば、「ドラゴンボール」の登場人物のヤムチャ以外、あり得ない。僕は、そう思っている。
 でも、このヤムチャを楓先輩に説明するのは難しい。そもそも楓先輩は、マンガやアニメの知識がない。だから、「ドラゴンボール」も当然知らない。それに、ネットで出てくるヤムチャには、非常に特殊なニュアンスがある。その微妙な位置付けを、先輩に理解してもらうのは、想像以上に難易度が高そうだ。

「先輩は、マンガやアニメは詳しくないですよね?」
「うん。詳しくないよ」
「でも、小説を通して物語は読んでいますよね?」
「そうね。小説はいろいろ読んでいるわ。部室でも、いつも目を通しているし」

 楓先輩は、ふんわりとした笑みを浮かべる。きっと最近読んだ、楽しい小説を思い出したのだろう。

「そういった物語の中には、戦いをテーマとしたものもあります。先輩が読んでいる小説の中に、そういったものは少ないかもしれませんが、何でもよいですので、その一つを思い出してください」
「分かったわ。思い出したわ」

 先輩は、表情をぐっと引き締める。きっと、戦いの場面を思い浮かべているのだろう。

「そういった物語では、敵という障害物が立ちはだかり、その敵を乗り越えていくことで話が進んでいきます。しかし、こういった構造の物語には、少しだけ工夫がいるのです」

 楓先輩は、熱心に僕の話に耳を傾ける。そして、もっとよく聞こうとして、体を僕に、ぴったりとくっつける。
 ああ。何て、幸福なのだろう。僕は全身で、楓先輩の体温と匂いを感じる。思わず抱き付きたくなるのをがまんして、僕は、楓先輩の可愛らしい顔に視線を注ぐ。

「ねえ、サカキくん。どんな工夫がいるの?」
「それは、立ちはだかる障害の大きさを、読者に示すという工夫です。
 物語では、困難を克服した際の達成感を引き上げるために、敵がどのぐらいすごいかを読者に伝えなければなりません。具体的には、敵に大きな犯罪をさせたり、膨大な数の人を傷付けさせたり、過去の所業を臭わせたりすることで実現します。
 しかし、そういった方法以外にも、ものすごく簡単に、敵の能力を示す方法があるのです」
「どういった方法なの?」

 楓先輩は、小さな手を可愛く握り、必死に力を込めている。手に汗握る展開になってきたと、思っているのだろう。僕は、いよいよヤムチャへの道がスタートするのだなと感慨を持ちながら、話を続ける。

「それは、主人公の仲間の誰かを、敵があっさりと倒すことです。
 読者にとって、戦闘力が分かっているキャラクターを瞬殺することで、敵の能力を示す。これは空手家が、自分の能力を周囲に誇示するために、瓦を試し割りするようなものです。

 ヤムチャは、世界的にヒットしたマンガ『ドラゴンボール』の登場人物です。
 当初はメインキャラクターの一人だったのですが、物語が進んで登場人物が増えた結果、試し割りの瓦要員にされてしまった人物です。そして、物語の終盤では、その他大勢のモブキャラ扱いになってしまった不幸なキャラクターなのです。

 ヤムチャについては、それだけではありません。敵の動きが速過ぎて見えないといった台詞を吐くなど、物語の途中から完全に引き立て役に甘んじて、万年一回戦ボーイになります。
 また、女関係のへたれぶりもありました。登場当初、女が苦手だった彼は、その女嫌いを克服して、ヒロインと付き合うことになります。しかし、浮気を繰り返し、そのヒロインは、元敵だったベジータというキャラクターと結婚して、子供を儲けます。

 そういった背景から、ヤムチャという言葉は、噛ませ犬、へたれ、グループ内で実力が劣った人物などの意味を、ネット上で持つようになったのです」

 僕は、ヤムチャについての、ネット上での意味合いを解説する。これで、楓先輩は満足して、僕を尊敬するだろう。そして、好感度はアップして、恋愛イベントの発生が近くなる。僕は、楓先輩と結ばれて、ハッピーエンドにいたるのだ!

 ……あれ? 僕の説明を聞いた楓先輩は、気まずそうな顔をして目を逸らした。どうしたのかな。僕の説明に何か問題があったのかな。不安になって、僕は楓先輩に理由を尋ねる。

「う、うん。今日の昼休みにね、たまたま二年生の教室の前を通ったの。そうしたら、サカキくんのクラスの子が、話していることが耳に入ってきたの」
「へー、どんなことを話していたのですか?」

 その話と、楓先輩が気まずそうにしていることに、どんな関係があるのかな? そう思いつつ、僕は答えを待つ。

「その子たちが、『サカキは、ヤムチャだろうな』って言っていたの」
「ふえっ?」

 僕と楓先輩の間に、微妙な空気が横たわる。

「それで、ネットでヤムチャという言葉を何度か見たことがあったなあと思い出して、サカキくんに質問してみたの」

 ぼ、僕がヤムチャ? 確かに、へたれで、噛ませ犬で、刺身のつまみたいなところはありますけど、僕がヤムチャ? そ、そんな! 僕は茫然となる。
 あ、あまりにも的確すぎて反論できない。いや、これからヤムチャと改名した方がよいかもしれない。そういう気さえしてきた。

「あ、あの楓先輩?」
「何、サカキくん」
ヤムチャにも、よいところはありますよ」
「そうなの?」
「ええ。『ドラゴンボール』の中では、人類でもトップクラスに強いですし、爽やかイケメンで、自分と死闘を繰り広げた相手とも、遺恨なく接しますし。仲間意識も人一倍強く、グループの潤滑剤役として動いたりもしますし。けっこういい奴ですよ」

 僕は一転して、何とかヤムチャを持ち上げようとする。
 僕がヤムチャならば、ヤムチャの地位を上げればいいのだ! 僕は、一瞬のうちに手の平を返して、ヤムチャ向上計画を展開する。

「それで、その話には続きがあるの」

 楓先輩は、言うべきか言わざるべきか迷っている表情をする。言ってください! 僕は、楓先輩の言葉なら、何でも受け入れますよ! 僕はそのことを、全身を使ってアピールする。

「私は、その『ドラゴンボール』について詳しくないから、それがどういった意味を表しているのか分からないの」
「はい、何でも言っていただいて構いません!」
「その子たちはね、『俺は、ケーキだ』『でも、サカキはヤムチャだろう』『どうする?』と、話していたの」
「そ、それは、中華料理の飲茶の話ですよ!!」

 僕は、激しく突っ込みを入れる。
 そういえば今日の朝、クラスの友人たちと、小テスト明けの週末に、コアキバに行く話をしていた。その流れで、買い物をしたあとに何を食べるかという話題になり、僕は飲茶がいいなと答えていたんだった。

 クラスの友人たちが話していたのは、僕がヤムチャみたいだという話ではなく、僕が飲茶を食べたがっているという話だった。「ドラゴンボール」の初期のキャラクターは、その多くが中華料理のメニューから取られている。だから、話が混ざってしまったのだ。
 いやあ、変な陰口を叩かれているかと思って、大慌てをしてしまったよ。

「サ、サカキくん、重いよう」
「えっ?」

 僕は、安心とともに脱力して、先輩に寄りかかっていた。先輩は両手で僕を抱えて、うんうん言いながら、必死に倒れないように支えていた。図らずも僕は、先輩に抱きかかえられる形になっていたのである。僕は、得したなあと思いつつ、どう見てもへたれな顔で、デレデレとした。

 数日後、学校全体で小テストがあり、後日、結果が戻ってきた。部室の中で、赤点を取ったのは僕だけだった。楓先輩は、そんな僕を見て、「もしかして、ヤムチャ?」とささやいた。違う。僕は、ヘタレでも、噛ませ犬でもありません! そう先輩に主張したかった。でも、部員の中で、一人だけ能力が劣っているのは、事実のようだった。