雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第53話「サムネ詐欺」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、そこはかとなく迷走気味の面々が集まっている。そして日々、人生を踏み外す活動を続けている。
 かくいう僕も、そういった脱線気味な人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、注意力散漫な面々ばかりの文芸部にも、きちんと前を見て歩いている人が一人だけいます。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は動画ファイルを閉じた。危ない危ない。性的な動画を部室で見ていた。そんなことがばれたら、先輩に軽蔑されてしまう。僕は先輩の心の中で、真面目なサカキくんで通っている。そのパブリックイメージを崩さないように、努力を怠ってはならない。

「どうしたのですか、先輩。また、ネットで知らない言葉を見つけたのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね」
「ええ、マエストロと呼んでください。あるいはファンタジスタでも構いません」

 楓先輩は、ととととと、と笑顔で駆けてきて、くるりと向きを変えた。スカートがふわりと浮かび上がり、お尻とともに、すとんと椅子に納まる。先輩は僕の横に着席して、嬉しそうに見上げてきた。僕は、先輩の眼鏡の下のきらきらした目を見て、幸せな気持ちになる。

「その、マエストロのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、帰宅後も書き直すためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を利用するためだった。ついでに、ネットも開いた。その結果、先輩は活字以外にも、大量の文章がネットにあることを知ってしまった。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「サムネ詐欺って何?」

 ああ、どうやら先輩は、動画サイトにたどり着いたらしい。動画サイトは、掲示板サイトとはまた違う文化圏だ。文化が違えば、言葉も異なる。いわば、山を越えて別の村に行ったら、言葉が通じないような状態だ。これは、ネットマイスターの僕が、華麗にエスコートしてあげないといけない。

「先輩は、サムネイルという言葉はご存じですか?」
「ちょっと待ってね。英語よね? えーと、サムが親指で、ネイルが爪だから、親指の爪? もしかして、サムネ詐欺のサムネは、サムネイルの略なの? 親指爪詐欺……、いったいどんな事件なのかしら」

 楓先輩は真剣な顔をして考え込む。
 えー、そんな不思議な事件の話をしているわけではないですよ。サムネイルは、他にも意味があるのですよ。そのことを告げようとすると、それよりも早く、先輩は自分の推測を口にし始めた。

「指で詐欺と言えば、『指狩り族』を思い出すわね。手指の欠損事故を偽装して、保険金を得るという手法を本で読んだことがあるわ。でも、親指の爪? それで詐欺事件が働けるのかしら。そこにはきっと、黒い秘密が隠されているに違いないわ」
「あのー。サムネ詐欺は、そういった詐欺事件とは関係ありません」
「えっ?」

 楓先輩は、きょとんとした顔をして、首を傾ける。その動きに合わせて、三つ編みにした髪が小さく揺れた。眼鏡の下の目は、不思議そうになっており、僕からの説明を待っている。
 おそらく先輩は、貴志祐介の「黒い家」辺りを読んだのだろう。それも、割と最近。読書家で濫読家の先輩は、文芸作品も、ミステリーも、ホラーも、ぱくぱくと食べる。だから、勘違いしたのだろうと僕は考える。

「サムネイルという言葉はですね、親指の爪が小さいように、ごくごく小さなものを指します。そして、パソコンの世界では、画像を小さく表示したものや、動画の一コマを小さく抜き出したもののことをサムネイルと言うのです」
「へー。さすが、サカキくん! 詳しいね!」

 先輩はにこやかな顔をして、僕に体を近付ける。楓先輩は、興奮すると相手に近付く癖がある。元々間近にいた先輩は、僕に体を密着させる。ああ、先輩の体温を感じる。そして、かぐわしい香りを堪能する。先輩のぬくもりと匂いに包まれた僕は、ほくほく顔でその先を説明する。

「サムネ詐欺はですね。たとえば動画で、『おっ、この動画、よさそうだぞ』と思って再生したら、サムネイルとはまったく違う内容だったり、逆に『何だよ、このひどいサムネは!』というものを閲覧したら『すげー! 何だよこのハイクオリティは!』となったりするような、サムネイルと中身が著しく食い違った、よい意味でも悪い意味でも、期待を大きく裏切られる動画を指します。
 これは、動画だけでなく、画像でも使います。サムネイルで、よさそうだなと思って画像を開いたら、実際の絵や写真はいまいちだった。そういった時にも、この言葉は利用します」

 僕は軽やかに説明を終える。うん。今回は、危険な言葉ではなかったから簡単だったぞ。これにて一件落着。楓先輩は、僕を尊敬して、好感度アップ。親密度も上昇して、むふふなイベントも近付くはずだ。

 その時である。僕の席の正面にいた、同学年で幼馴染みの、保科睦月と目が合った。
 睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。そして、僕の真正面の席に座って、じっと僕を見つめている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。まあ、水着姿の美少女を毎日拝めるのは、素直に嬉しいんだけどね。
 そんな水着姿の睦月が、僕の目を見て、声を出した。

「ユウスケが、この前見た動画、サムネ詐欺だった」

 ほへっ? 僕は心の中で、変な声を上げる。そして、記憶をたどり始める。

 先週末のことである。僕は自分の部屋で、パソコンに向かって日課の動画探索をしていた。その横には水着姿の睦月がいて、僕の部屋のマンガを読んでいた。
 僕は、ちらりと横の睦月を見る。マンガに集中して、完全に没入している。一流アスリートが体験する究極の集中状態、ゾーンに入っている。睦月は、水泳部の部員でもあるからアスリートだ。そんな彼女は、僕とは違い、類まれな集中力を持っている。僕は、そのことを確信する。

 もし、睦月がゾーンに入っているのならば、周囲の景色や音は意識から消えている。ということは、隣にいる僕が、何をしても睦月には分からないということだ。僕は、自身の灰色の脳細胞をフル稼働させて、一つの結論を導き出す。
 よし、このチャンスに、エッチな動画を検索しよう! 僕は、肌が触れ合うほどの距離にいる水着の美少女を放置して、ネットの海に放流されている至高の動画と出会うために、オペレーションを開始した。

 検索語を入力して、期間を限定して、人気順に並べ替える。それはまるで、組み手のような技の掛け合いだった。この検索語では駄目か。では、この組み合わせはどうか。なるほど、そう来たか。では、こう攻めればどうなる? その戦いは、徐々に膠着状態に陥り、ついには千日手にいたるかと思われた。

 その時である。一つのサムネイルにたどり着いた。それはアニメ絵だった。僕の好みの絵柄の美少女が二人、退廃的な雰囲気の部屋で、あられもない格好で向かい合っていた。
 僕はそこで一息吐いた。ここで、がっつくのは、紳士の所業ではない。もし僕が、貴族であるならば、数年の時を経て手に入れた嗜好品を、すぐさま貪り食うだろうか? 否。断じて否である。まずは眺め、そして香りを嗅ぎ、指先の感触を楽しみ、これまでの時間とこれからの時間を秤に乗せ、充実感を味わうだろう。

 僕は紳士だ。変態紳士かもしれないが、心は貴族たらんとしている。僕はまず、微笑みを浮かべた。次に、両手の指でフレームを作り、サムネイルを囲んで存分にその姿を味わった。そう、これこそが貴族の所業だ。
 それは、時間にすれば五秒ほどだっただろう。そこで僕の欲望は理性を凌駕した。ここからは本能に身を委ねよう。僕は、自身の本質をさらけ出して、手に入れた至高の財宝を確認した。

「ちくしょうっ! なんだぁようぅっ~~~~~これはっ!!!!!」

 僕は血涙とともに絶叫した。アニメの美少女の、むふふなシーンだと思ってクリックしたその動画は、まったく関係のない内容だった。鳥人間コンテンスト。そのマッシュアップ動画だった。ひたすら墜落する様子が繰り返される、美少女たちが交合する様子などまるでない、素人編集のムービーだった。

 動画は三十秒ほどで終わった。最後の二秒ほどに、サムネイルの映像が入っていた。僕は絶望した。ネットの狩人だと思っていた僕が、こんなにも簡単に、罠にはめられるとは思っていなかった。

「サムネ詐欺だった?」
「へっ?」

 気付くと、睦月がマンガを閉じて僕のことを見ていた。あれ? いつから見られていたのだろう。ゾーンに入っていたのは、睦月ではなく僕の方だったのかな? エロのアスリートである僕は、変態ゾーンに突入していたのかもしれない。

「あの、睦月さん。いつから、僕のこと見ていました?」
「エッチな言葉を大量に検索する辺りから」

 ああ……。僕は、どんよりとした雲を頭の上に載せ、体育座りになる。

「ねえ、ユウスケ。エッチな動画を見たいの?」
「えっ?」
「隣には私がいるよ」

 睦月も体育座りをして、顔を真っ赤に染める。えっ、どういうこと? 僕は睦月の表情を窺う。睦月は顔を染めたまま、僕に微笑みかけた。
 その時である。部屋の扉が、勢いよく開いた。

「こらっ! 祐介! 何、大声を出しているの!」
「げっ! 母さん」

 母さんは、ゴジラのように僕の部屋に侵入してきて、僕の頭上で拳を振り上げた。うぎゃああぁ! 僕は母さんに拳骨を食らった。どうでもいいけど、母さんが叱る声の方が、十倍ぐらい大きかった!

 ……先週の週末に、そういったサムネ詐欺事件が、僕の部屋であったのである。僕は、その時の絶望を思い出しながら、文芸部の部室に意識を戻す。

「ねえ、サカキくん。この動画は、普通の動画なの、サムネ詐欺の動画なの?」
「うん?」

 気付くと、楓先輩がマウスを握って動かしている。先輩はサムネイルをクリックして、僕が閉じた動画を再生し始めた。

「ああっ、駄目です! その動画を再生しては!!」

 僕は声を出すが、遅かった。それは、サムネ詐欺でも何でもない、エッチな動画と分からないように、サムネイルを細工したエロ動画だった。
 ああ! 主よ、我をお許しください!
 部室のパソコンのモニターに、危ない動画が再生された。僕の方を見ていた睦月は、やれやれといった様子で、手元の本に視線を戻す。僕の横にいた楓先輩は、顔を真っ赤に染めて、目をぐるぐるまなこにして、口をあわあわとさせた。

「サ、サ、サ、サカキくん!」
「はい! 楓先輩!」
「こ、こ、こ、これは何ですか!」
「はっ! 見知らぬ動画です。おそらくはサムネ詐欺で、紛れ込んだ動画だと思われます!」

 僕は、旧日本軍の兵士のように敬礼して先輩に判断を仰ぐ。その時、部室の入り口の方に座っている睦月が、本に目を落としたまま、ぼそりと言った。

「楓先輩。そのパソコンは、ユウスケしか使っていません」

 くっ、裏切るか! おのれ、卑怯な! 僕は、睦月の非情な攻撃に、心の中で叫び声を上げる。

「サカキくんの、エッチ~~~!」

 楓先輩は、恥ずかしそうに目をつむり、手をぐるぐる回して、僕をぽかぽかと叩いてきた。

 それから三日ほど、楓先輩は僕に、部室のパソコンの使用を禁止した。げえっ! 何もやることがない! 仕方がないので僕は、スマートフォンで、ちょっとむふふなサイトを巡回して暇を潰した。