雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第50話「ぼっさん」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、偏った人々が集まっている。そして、奔放な自由運動を繰り広げている。
 かくいう僕も、そういったフリーダムな人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、異端な人間ばかりの文芸部にも、真面目で普通の人が一人だけいます。人類の辺境の地に迷い込んだ、文化的な文明人。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は手を休めた。楓先輩は、僕の席まで駆けてきて、軽やかに横に座る。僕は、先輩の顔を見下ろす。眼鏡の下の目は、僕への尊敬と信頼で、きらきらと輝いている。僕は、その姿に顔をほころばす。ああ、何て幸福な午後なのだろう。先輩は今日も、素敵で可愛らしい。僕は、そのことに満足しながら声をかける。

「楓先輩、どんな言葉ですか? またネットで、謎の単語に出会ったのですか」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね」
「ええ。レベルマックスの、ネット閲覧者です」
「そんなサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも書き直すためだ。その一環として、パソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を利用するためだ。そこで先輩は、無数の文章がネットに蓄積されていることを知った。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ぼっさんって何?」

 むむむ。確かにそれは、ネット初心者が疑問に思うところだろう。いたるところで見かける、ぼっさんのコラージュ画像。ちょっとぬぼーっとした感じの、謎のおじさんが、写真に写り込んでいたり、ただ立っていたり、顔だけ利用されていたりする。ぼっさんは、生きたフリー素材と言われる、謎のおじさんだ。
 まあ、危険のない知識だから、そのまま説明すればよいだろう。僕は気軽な気持ちで説明を開始する。

「『ぼっさん』というのは、『りぼんのおっさん』の略称です。このぼっさんは、アニメ『とっとこハム太郎』のキャラクター『りぼんちゃん』をハンドルネームにした一般の人です。
 ぼっさんは、語尾に『でちゅわ』『でちゅ』と付け、ネットの掲示板に出入りしていました。しかし、ある日、酔っぱらった勢いで、自分撮りの画像をアップロードしてしまったのです。三十過ぎのおじさんの画像を……。
 その後、本人が、コラージュへの使用を許可したため、様々な画像に混ぜられて、ネットで蔓延することになりました。そして現在では、どこにでも登場するキャラクターとして、本人を離れて一人立ちしているのです」

 僕は、一人たたずむ、ぼっさんの姿を思い出す。その写真が、日本中に広がり、有名人になったのは、ネット時代ならではだと思う。
 そういえば……。僕は、思い出す。数週間前に起きた、あの忌まわしい事件を。画像流出で、危うく僕も、ネットの有名人になりかけた出来事を。

 あの日は日曜日だった。その日の朝、僕は自分の部屋でまどろみから目覚めた。昨晩、夜遅くまでネットゲームで遊んでいた。そのため、寝落ちしてパソコンの前で突っ伏していたのだ。
 あれ? いつ寝てしまったのだろう。そう思いながら、僕はモニターを見た。何か、いつもと違う雰囲気だった。うんっ、ゲームをしていたんじゃなかったっけ? 目の前にあるのはネット掲示板だった。

 僕は、スレッドのタイトルを見る。画像加工スレ。マウスを動かして、一番目の書き込みを見る。画像を投稿して、職人さんに加工を依頼する場所らしい。
 ふむふむ。きっと寝落ちする前の朦朧とした状態で、なぜかこのスレッドを開いてしまったのだろう。まあ、寝ぼけ眼でよく分からないことをするのは、別に不思議なことではない。金曜の夜から二十四時間以上、ぶっ続けでゲームをしていたから、ページを見ているうちに意識を失ったのかもしれない。

 最新の投稿は、どういった内容なのかな。僕はスクロールして、最新の書き込みを見る。そこには、「時計じかけのオレンジ」と書いてあった。イギリスの小説家アンソニー・バージェスによるディストピア小説のタイトルだ。その作品を原作にして、スタンリー・キューブリックが作った映画が有名だ。
 僕は、その書き込みの末尾にある、画像掲示板のURLを開いた。

「ぶっ!」

 声を出して僕は驚く。そこには、「時計じかけのオレンジ」のポスターの画像があった。マルコム・マクダウェル演じる、主役のアレックスが、ナイフを持った拳を突き出しているものだ。その顔が、僕のものになっていた。
 何が起きたのか分からなかった。なぜ、僕が「時計じかけのオレンジ」のポスターに? 謎は、激しく混乱した。

 少しスレをさかのぼってみよう。僕は、逆向きにスクロールして、「シャイニング」という文字とURLを発見する。スティーヴン・キングが原作の小説を、やはりスタンリー・キューブリックが映画化したものだ。まさか! 僕は、おそるおそるURLの画像を確認した。
「シャイニング」のポスターは、扉の割れ目から、微笑んだジャック・ニコルソンが顔を覗かせているものだ。その顔が僕のものになっていた。どうして? 僕は、昨晩の記憶をたどろうとする。わけが分からない。僕は、いつの間にか、ネットのフリー素材になっていた。

 僕は、必死に考える。
 あるいは僕が、マルコム・マクダウェルで、ジャック・ニコルソンだったのかもしれない。その可能性は否定できない。僕はうたた寝をしている間に、次元の狭間に潜り込み、マルコム・マクダウェルの人生を送り、ジャック・ニコルソンとして暮らしていた。だから、同じ顔になっているのだ。

 僕は自分の頬を叩く。そんな馬鹿な! 現実を直視しろ! ヒントがあるはずだ。この状況にいたった経緯が。掲示板のどこかに、情報があるはずだ。僕はマウスを動かして原因を探した。

「こ、これは……」

 僕は、唖然としながら台詞を漏らす。謎の書き込みを発見した。

 ――当方、中学二年生。わけあって、己の写真を撮らんとす。今宵、電脳網に一葉の写真を捧ぐ。三千世界に住まう職人貴兄、わが姿を変じて、電影張り紙を作りたもう。

 何だ、この文章は? 酔っぱらいか、寝ぼけた人か、あるいは厨二病の人間か? こんな文章を、いったい誰が書いたんだ? その書き込みには、画像掲示板のURLが添えられている。まさか! いや、そんなはずはない。僕は、そう思いながら、画像を読み込んだ。

 ああ。何ということだ。僕は寝ぼけた勢いで、自画撮り写真をアップロードしていた。どういった心境だったのか、まったく思い出せない。自分の部屋で、スマホのカメラを頭上に掲げて、ドヤ顔で上を向いて写っている。そのせいで、一見して本人とは分からない、非常に不細工で変な顔になっている。
 どうして、こんなことをしたのだろう? どうせなら、もっと格好いい顔で写るんだった。せっかくのイケメンが台無しだ。いや、論点はそこではない。これは、個人情報流出案件だ。いったい、誰が流出させたのだ? 僕だ。よし、犯人を訴えなければ。そう、僕を! うん? 僕は、自分が混乱していることに気付く。

 ああ、このまま僕は、ネットのフリー素材として、ぼっさん化してしまうのか? いや、それはさすがにまずい。今はいいかもしれない。しかし十年後に、僕が成人して社会人になり、真面目なサラリーマンになったあとに、過去の忌まわしき画像が出てきたらどうなる?
 面白すぎる。いや違う。恥ずかしすぎる。何とか、僕の画像を素材にして遊ぶのは、やめてもらわないといけない。
 よし、掲示板に書き込んで、職人さんたちに勘弁してもらおう。そう思って、僕は、再び掲示板の末尾に移動する。ついでに、最新の書き込みがないか、リロードした。

 僕は「燃えよドラゴン」のブルース・リーになっていた。「スカーフェイス」のアル・パチーノになっていた。「ブレードランナー」のハリソン・フォードになっていた。

 他にも「遊星からの物体X」「太陽を盗んだ男」「幻の湖」「狼男アメリカン」「ヴィデオドローム」「アトミック・カフェ」「死霊のはらわた」「逆噴射家族」「ニューヨーク1997」「ストリート・オブ・ファイヤー」「ブルーベルベット」「不思議惑星キン・ザ・ザ」「ロボコップ」「ゆきゆきて、神軍」「フルメタル・ジャケット」「鉄男」「裸のランチ」「裸足のピクニック」「スターシップ・トゥルーパーズ」「マルコヴィッチの穴」「ファイト・クラブ」……、そういったポスターと合成された画像が、たった十数秒の間に、続々とアップされていた。

 職人すげえ! そして、何だよ、このラインナップは?
 僕の写真は、そういったカルト映画に合成するべきだと思っているのか? いや、確かに、全部見ていますよ。でも、なぜ分かるんです? 僕は頭がくらくらする。そして、涙目で新しい書き込みを投稿する。

 ――すみません。画像の中学二年生です。徹夜でゲームをした勢いで、写真をアップしてしまいました。もう、コラはやめていただけないでしょうか。お願いします。

 ――嫌だね。変顔、面白すぎる。

 駄目だ。この人たち、聞く耳、持たないよ!
 それから数度のやり取りをしたあと、どうにか勘弁してもらった。もしあの時、掲示板を確認せずに、そのままブラウザを閉じていたら、僕は第二のぼっさんになっていたかもしれない。ぼっさんとは違って小心者の僕には、荷が重すぎる有名税になっていただろう。

 僕は、あの時のことを思い出して、ガクブルする。そして、意識を部室に戻して、楓先輩の顔を見る。

「どうしたの、サカキくん。顔色が悪いよ」
「いや、何でもありません。ぼっさんは肝が太いなあと思っていただけです」
「そうね、大胆な方ね。それにしても、ネットでは、何が切っ掛けで有名人になるか、分からないわね。酔っぱらった勢いでアップした画像が、ネットで有名なフリー素材になることもあるのね」
「ええ。ネットは、本当に恐ろしい場所ですから」

 僕は、そう言い添えたあと、先輩に、ぼっさんコラの数々を見せた。楓先輩は面白がって、僕が使っているパソコンの壁紙を、ぼっさんにすることを要求した。
 えっ、何で? 僕は、それから三日ほど、ウィンドウの陰から、ぼっさんに見つめられながら、ネットを巡回する羽目になってしまった。