雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第49話「オナ禁」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、少し変態チックな人々が集まっている。そして、日々自らの性癖に従い活動を続けている。
 かくいう僕も、そういったアブノーマルな人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、デカダンスな人間ばかりの文芸部にも、お堅い人が一人だけいます。仮面舞踏会に迷い込んだ、素朴な女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、眼鏡の下の目を楽しげに細める。その様子を見て、僕も思わず笑みをこぼす。ああ、先輩は、何て素敵なんだ。眩しく輝いているようだ。僕は幸福を感じながら、先輩に声をかける。

「楓先輩、どんな言葉ですか? またネットで、見たことのない単語に出会ったのですか」
「そうなの。サカキくんは、ネットの生き字引よね」
「ええ。『知っているのか、雷電? うむ』といった感じで、何でも知っています」
「そんなサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、いじり回すためだ。その一環として、楓先輩は、パソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を試すためだった。そこで先輩は、活字の文章とは違う言語空間が、ネットにあることを発見してしまった。そのことが僕と楓先輩を結びつけ、ネットスラングについて質問しまくる状態を作りだすとは、何という運命のいたずらだ。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

オナ禁って何?」

 ぶっ! 僕は、思わず噴き出しそうになる。なぜその言葉を質問するのですか。というか、いったいネットのどこを、うろついていたのですか。そんな言葉が出てくる場所には、男しか出入りしていないですよ。純情可憐な先輩が、そんな危ない界隈をさまよっていたかと思うと、僕は心配で仕方がありません。

 しかしまあ、どうやって、この言葉を説明しよう。そう考え始めた時、部室の一角で「ガタン」という大きな音がした。
 うん? 何だろう。僕は、その音がした場所に顔を向ける。そこには、僕と同じ二年生、鈴村真くんが立ち上がっていた。鈴村くんは、顔を真っ赤に染めて、腰の辺りをもぞもぞとしている。

 鈴村くんは、華奢な体に、女の子のような顔立ちの男の子だ。そんな鈴村くんには、他人に隠している秘密がある。実は鈴村くんは、女装が大好きな、男の娘なのだ。彼は家に帰ると、女物の洋服を着て、等身大の姿見の前で、様々な可愛いポーズを練習している。そして、女の子の格好をする時には、「真琴」という女の子ネームに変わるのだ。僕は、その真琴の姿を、これまでに何回か見たことがある。その時のことを頭に浮かべながら、鈴村くんの姿を見た。

 あっ、そういえば!
 僕は、鈴村くんがオナ禁に反応した理由を思い出す。鈴村くんは、オナ禁マラソンスレに参加して、ネットの人々と一緒にオナ禁を試みている。そのスレッドでは、オナ禁日数によって、少佐とか中佐とか、少将とか中将とか称号が決まる。そして、四ヶ月以上のオナ禁を達成すれば、元帥と呼ばれて尊敬を集める。

 僕は、鈴村くんの様子を窺う。男の娘の鈴村くんとオナ禁は、容易に結びつく。僕とは違い、男性としての欲求が少ないだろうと想像が付くからだ。アイドルがトイレに行かないのと同じだ。一級品の男の娘である鈴村くんがオナ禁状態でも、誰も不思議に思わないだろう。
 そうだ。僕は、数日前のことを思い出す。鈴村くんは、僕に相談事があると言い、昼休みに学校の屋上に呼び出したのだ。

 あれは三日前の出来事だった。僕は、鈴村くんの招きに応じて、昼休みに屋上に行った。階段の先にある扉を開けて、風の吹く屋上に、僕は足を踏み出した。
 目の前には、大きな青空と、町の様子が広がっていた。その景色の中に、はかなげに立っている鈴村くんがいた。鈴村くんは僕の姿を認めて、手招きで近くに引き寄せた。僕は、同じ部活の同級生、そして親友の間柄という気安さもあり、何気ない気持ちで鈴村くんの立つ場所に歩いていった。

「ねえ、サカキくん」

 鈴村くんは、もじもじとした様子で告げた。

「何だい、鈴村くん。屋上に呼び出すということは、他人には聞かせられない話なんだね」

 鈴村くんは顔を赤く染め、こくんと頷いた。僕は、優しげな笑みを見せる。これまでにも、こういうことは何度かあった。僕は鈴村くんの相談に乗り、そのたびに的確なアドバイスを返したり、協力をしたりしてきたのだ。

「実はね、サカキくん」
「うん、何だい?」
「一ヶ月来ていないの」
「何が?」

 鈴村くんは、軽く握った拳を、恥ずかしそうに口元に添えた。
 どういうことなのだろう。一ヶ月来ていない? 何が来ていないのかな? 僕は、脳内の膨大な物語ライブラリから、こういったシチュエーションに合致する内容を探そうとする。検索終了! 一件の結果が合致しました。それは、イケメン男子が、遊んでいた女の子に事実を告げられるシーンだった。「私、生理が来ていないの」そう告白するシーンだ。

 うん? 僕は混乱する。鈴村くんは男の子だ。だから、妊娠とは無関係な存在だ。いやいや、分からないぞ。鈴村くんは男の娘だ。そういったことがあってもおかしくはない。エロマンガやエロゲでは、そういったファンタジーがまかり通っている。

 そうか、一ヶ月来ていないのか。それで、父親は誰だろう。僕は、そういったことを考える。
 えっ? 僕に聞かせてきたということは、僕がお父さん? ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。僕はいつ、そんな行為をしたのだろう? 僕には、そんな記憶はない。しかし、人間の記憶は容易に改竄される。僕の記憶だって、どういった経緯で上書きされたか分からない。あるいは、そこだけ抜け落ちた可能性だってある。

 これは困ったぞ。どうすればいいんだ。僕は、記憶にない行為に対して、責任を取らなければならないのか? 裁判の被告席に立たされた僕は、どういった言い訳をすればよいのだろう。ああ、人生が詰んだ。僕は、あまりにも突然な運命の変転に呆然とする。

「それで、来ていないのは分かったけど、どうするつもりなんだい?」

 僕は、駄目な男の典型みたいな台詞を吐く。ああ、一時間前の自分が、今の自分を見れば軽蔑するだろう。僕は、心の弱い、ダメ人間です。そう落胆しながら、鈴村くんの返事を待つ。

「うん。このまま、様子を見るつもり」
「でも、そのままじゃ、まずいことになるだろう。鈴村くんは、まだ中学生なんだし」

 鈴村くんは、艶のある笑みを見せる。その瞬間、鈴村くんは、女の子の真琴の表情になった。僕は、その変化に戦慄しつつ、真琴の答えを聞こうとする。

「真琴、どうするんだ?」
「でも、僕以外にも、同じことをしている人はいるわけだし」
「他人は他人、君は君だろう。この先、どうするつもりなんだ?」
「四、五ヶ月は様子を見ようと思う」
「そんな。後戻りできなくなるよ!」
「うん、覚悟している」

 僕は頭を悩ませる。ああ、親友が大変なことになっているのに、僕は無力だ。僕がお父さんではないと思いたい。だけど、もしかしたら、本当に記憶のないところで、そういったことになっているのかもしれない。僕は、そのことを明らかにしようと思い、質問する。

「それで、相手は誰なんだい?」
「相手?」
「その、……そういうことになった、切っ掛けの人物だよ」
「ネットの仲間たちかな」
「仲間たち? 一人ではなく、複数なのかい?」
「うん。みんなでやっているんだ」

 えっ? もしかして乱交なのか。僕は鼻血が出そうになり、顔を押さえる。駄目だ。僕は、真琴が複数の男たちと淫らな行為をしている様子を想像してしまう。

「真琴。真実を話してくれ。僕は、親友として、すべてを受け入れるつもりだ」
「ありがとう。この一ヶ月、続けているんだけど、夢精がまったくないんだ。この状態は、どうなのかなと思って、そっち方面に詳しいサカキくんに、相談しようと思ったんだ」
「えっ?」

 僕は、きょとんとした顔をする。一ヶ月夢精がない? どういうこと? 僕は詳細を問い質す。

「うん。ネットのオナ禁スレを見て、オナ禁を初めて一ヶ月経つんだ」
「そ、そう……、そうなのかい……」

 僕は、脱力して、その場に座り込んでしまった。

 そういったことが三日前にあったのだ。その時のことを僕が思い出していると、楓先輩は鈴村くんの許まで行き、手を引いて戻ってきた。

「ねえ、鈴村くん。今、サカキくんに、オナ禁って何、と聞いていたんだけど、鈴村くんはもしかして知っているの?」

 あああああ、何を聞いているのですか楓先輩! 先輩の無邪気な質問をぶつけられた鈴村くんは、顔を真っ青にして思考停止している。ああ、何という無自覚な快心の一撃。僕は、鈴村くんに同情する。
 このままでは、僕の親友の鈴村くんは、恥辱にまみれて、ベッドの枕を濡らすことになる。それは可愛そうだ。僕は、一人の男として、友のために立ち上がることを決意した。

「楓先輩!」

 僕は先輩をこちらに振り向かせる。

「何、サカキくん?」
オナ禁について知るためには、人間という動物の生理について熟知する必要があります」
「そうなの? オナ禁は、人類の生態に関わる、重要な言葉なの?」
「そうです。この問題を知るには、人体とその精神の作用について理解しなければならないのです」

 僕は、医者が患者に相対するように、真面目な顔をする。これから話すことに、やましいことは含まれていません。すべて、学術的、生物学的、医学的な内容です。そういった態度で楓先輩に臨む。
 先輩は、熱心な生徒のように僕の横に座る。そして、母親が連れてきた子供のように、鈴村くんもその横に座らせた。ああ、哀れな鈴村くん。僕は親友のために、心を痛める。

「人間に限らず、様々な動物の雄は、自慰行為をします。その中でも、特に人類の雄は、人生の少なくない時間をその行為に費やします。その理由は、人類の大脳の発達と、可処分時間の豊富さが原因だと、僕は考えています。

 人という動物は、高度に複雑化した大脳を持っています。そのため、想像力により疑似的な性交を容易におこなうことができます。また、農業の開始による生産性の向上で、文明と文化を発達させてきた背景を持ちます。このことが、人類の性行動に大きな影響を与えています。
 文明の発達は、人間に生産以外の用途で自由に使える時間を増大させました。また、文化の発達は、自慰行為を補助するための視覚的刺激物物の普及をもたらしました。そういった背景を元にして、人の雄は、有り余った時間を使い、高度に発達した大脳で、自慰行為に積極的に励んでいるのです。

 しかし、ある行為が可能であれば、歯止めが利かなくなるのもまた人間です。膨大な時間を、自慰行為に費やしてしまうことで、生産性が落ちることもあります。さらに、インターネットの登場で情報過多になった現代では、ネット・ポルノ依存という問題も登場しています。これは性依存症という病気の一つでもあります。

 そういった時代背景の中で、まったく逆のことがネットで流行ったりもしているのです。それが、オナ禁です。これは、オナニー禁止の略で、自慰行為を一定期間禁止することを指します。特に、ネットの掲示板には、オナ禁マラソンといった名称で、多くの人が互いに連帯感を持ちつつ、禁止を継続することがおこなわれています。
 そういったネット上のオナ禁では、様々な精神的、肉体的メリットが報告されています。たとえば、精神の安定や、体調の回復などです。これは軽度の性依存症から脱して、健全な状態になった結果と解釈すればよいでしょう。

 ただ、長期のオナ禁は、逆に問題を引き起こすことも付け加えておかなければなりません。たとえば、男性の精液に含まれる健康な精子の数は、定期的に射精をしないと減っていきます。
 動物の体は、使わない部位の能力を低下させて、全体のコストを抑えるよう設計されています。そのため、生殖機能を使わなければ、その能力は減退していきます。長期のオナ禁のような、過度の禁止行為は、不妊の原因に繋がります。そのため、控えるべきだと僕は考えています。
 だから、鈴村くんも、オナ禁を続けるのではなく、適度な放出を心がけるべきでしょう」

 僕は、怒涛の勢いでオナ禁について解説をおこなった。
 ああ、楓先輩がドン引きしているのが分かる。途中で、かなり性的な話も交えてしまった。きっと、卑猥なサカキくんと思われただろう。しかし僕は、オナ禁について詰め寄られている鈴村くんを救うために全力を尽くした。これで鈴村くんは、羞恥プレイから解放されるだろう。

 僕の台詞があまりにも長かったせいか、楓先輩は、必死にその情報を飲み込もうとしている。

「ちょっと待ってね、サカキくん。話を総合すると、ネット時代の精神病理として、ネット・ポルノ依存がある。オナ禁というのは、自慰行為を禁止することで、そこから脱するのに役立つ。そして鈴村くんはオナ禁中」

 あれ? 鈴村くんの話も、ぽろりと言ってしまったかなと、僕は振り返る。

「ねえ、サカキくん。つまり、鈴村くんは、ネット・ポルノにはまっていたから、現在オナ禁中?」

 そこまで台詞を言ったあと、楓先輩は自分の台詞に含まれる、ポルノとか自慰とかの言葉に、みるみる顔を赤く染め始める。
 ああ、僕は何て罪作りなんだ。愛する楓先輩に、そんな恥ずかしい台詞を言わせるなんて。その横では、僕に衝撃の暴露をされた鈴村くんが、魂を失った状態になっていた。ああ、ごめんさい、鈴村くん! 僕は君を救うことができなかった!

 楓先輩は、僕と鈴村くんの姿を見比べたあと、恥ずかしそうに声を漏らした。

「サカキくんと、鈴村くんの、エッチ……」

 す、すみません。

 それから三日ほど、楓先輩は鈴村くんの射精状況を遠回しに心配した。鈴村くんが、オナ禁をやめたかどうか、僕は恥ずかしくて聞き出せなかった。