雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第48話「みさくら語」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、退廃的な人々が集まっている。そして、日々不毛な活動を続けている。
 かくいう僕も、そういったダメ人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、世紀末的な人間ばかりの文芸部にも、きちんとした人生を歩んでいる人が一人だけいます。狂乱の宴に紛れ込んだ、清楚なお嬢様。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は作業を止めた。楓先輩がやって来て、僕の横に可愛らしく座る。僕は先輩の、眼鏡の下の顔を見る。目がきらきらと輝いている。その瞳には、僕への信頼と尊敬がにじんでいる。僕は、その眩しい視線を浴びて、幸福な気持ちになる。

「楓先輩、どういった言葉ですか? またネットで、知らない単語を見つけたのですか」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね」
「ええ、すべてを網羅しています。アカシックレコードと呼んでも、過言ではないでしょう」
「そんなサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも修正するためだ。その一環として、楓先輩は、パソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を試すためだった。そのことが、楓先輩の人生を変えた。先輩は、ネットに広大な言語空間があることを知った。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

みさくら語って何?」

 んぉほぉぉォォ。なぜ、その言葉を知っているのだ? 僕は激しい突っ込みを入れたくなる。みさくら語は、エクストリームで危険な言葉だ。どの方面から説明しようとしても、そこには無数の罠が立ちはだかっている。三百六十度、全方位地雷。そういった用語である。僕は、先輩の質問に対して、そもそも答えるべきか苦悩する。

「あ、あの。先輩は、みさくら語とは、どういったものだと思いますか?」

 僕は、先輩がどの程度、みさくら語について把握しているかを尋ねる。戦争でも、ビジネスでも、まずは情報収集が大切だ。楓先輩の理解度を測り、その上で、どのレベルの説明をするか判断するべきだ。僕は、そういった方針を瞬時に決めて、先輩の返事を待った。

「最後に『語』と付くぐらいだから、言語だと思うの」

 まあ、それは間違っていない。あれは、一種独特の言語だと言ってよいだろう。

「先輩は、みさくら語を見たことがありますか?」
「何度か見たわ。平仮名がたくさん並んでいて、にわかには意味が分からなかったわ。でも、断片的に日本語らしき部分が混じっているようだから、おそらく日本語の派生語、あるいは方言や、職業語の一種だと思うわ」

 楓先輩は、自分の知識の範囲内で、みさくら語を分類しようとする。
 僕は、先輩の台詞から思考を押し広げる。みさくら語は、職業語が一番近いかもしれない。性的に危険なマンガやゲームの業界で、使用される言葉だからだ。まあ、そのものずばりを言うのならば、「みさくらなんこつ」というエロマンガ家が使う、卑猥さを強調するための言語表現なのだけど。

 しかし、そういったストレートな説明を、楓先輩にするわけにはいかない。先輩は、純真可憐な乙女である。性的な知識に僕が染まっていると知れば、驚き、憐れみ、侮蔑の視線を残して、離れていくだろう。そういった最悪の事態を避けるために、僕は、自身が持っている危機回避能力をフルに使って、問題のない範囲で、みさくら語について話さなければならない。これは、非常に難易度の高い行為だと、僕は自覚する。

みさくら語は、『みさくらなんこつ』という、ある一人の人物によって生み出された、特殊な分野で使われる言語表現です。その表現が、あまりにも際立って特徴的であるために、周囲の人々から『みさくら語』と呼ばれるようになりました。
 そして、対応表が作られたり、日本語をみさくら語に変換するプログラムが開発されたりして、多くの人に受け入れられるようになったのです」

 僕は、性的にきわどいことにならない、ぎりぎりのラインで説明を試みる。楓先輩が、これで納得してくれれば御の字だ。そうすれば僕は、破廉恥な話をせずに済む。願わくば、先輩の知的好奇心が、ここで止まってくれればと、僕は神に助力を求める。
 僕がじっと見ていると、楓先輩は可愛らしく小首を傾げて、口を開いた。

「『みさくらなんこつ』という名前は、宮武外骨のような、ペンネームなの?」
「ええ。本名ではありません。桜に、柔らかい骨という、御桜軟骨名義も一部あるようです」
「その『みさくらなんこつ』という人は、学者かジャーナリストなの?」

 うっ。僕は言葉を詰まらせる。さすがに、エロマンガ家やエロゲの原画家だとは言えない。もし、そう発言すれば、なぜ僕がそのことを知っているのかという、極めて憂慮する問題に直面する。僕はそういった事態を避けるために、先輩の注意を、みさくら語自身に戻そうとする。

「『みさくらなんこつ』という人物は、いったん脇に置きましょう。そして、みさくら語への変換の例を、少し述べましょう」

 僕の提案に、先輩は、こくんと頷く。

みさくら語は、通常の日本語から、二つの方法で変換がおこなわれた言語表現です。
 一つ目の方法は、呂律が回らないようにして、発音を冗長に書くというものです。また、語尾を変化させたり、文末を幼児語のようにしたりして、長々と書き下します。その際、ラ行の発音が増え、小さいあいうえおが増えます。さらに、濁音も付加されます。

 たとえば『私は、先輩が大好きです』という日本語は、みさくら語では『私は、先輩がらいぃしゅきいぃぃっれしゅぅぅぅ』という感じになります。また、『そんなことは駄目です』は『そんにゃことはらめにゃのぉおおぉぉぉ゛れしゅぅぅぅ』といった感じになります。

 二つ目の方法は、特殊な台詞回しで、自分の置かれた状況を実況したり、自分の心の内や、肉体の変化を自己申告したりします。これは、中学生の僕たちが会話で使うのには、あまり適切ではない表現が含まれる可能性がありますので、詳しい解説は避けたいと思います」

 ぬふうっ。危ない、危ない。
 全方位地雷のみさくら語なので、気を抜いて解説すると、すぐに桃色の世界に迷い込んでしまう。ふたなりとか、お○ん○ミルクとか、そういった言葉を駆使して、みさくら語の神髄を語り出せば、この文芸部の部室が、淫靡な空間に変貌してしまう。

「それで、『みさくらなんこつ』という人は、どういう人なの?」

 先輩は、僕のみさくら語についての説明を、ぶった切るようにして尋ねてきた。
 えー、あのー、先輩の興味は、みさくら語ではなく、みさくらなんこつその人に、もう移ってしまっているのですか?

 僕は、目を泳がせて、逃げ場を探す。その僕を逃がすまいとしているのか、先輩は僕にぴたりと寄り添って、上目づかいに僕を見上げている。
 ああ、僕は先輩の下僕です。先輩が、知識の供物を差し出せと言うならば、進んで我が子であろうと屠って犠牲にしなければならないのです。僕は、先輩に「エッチなサカキくん」と認識されることを覚悟して口を開く。

「猥褻なマンガを描く、エロマンガ家であり、卑猥なゲームの原画を描く、エロ原画家であり、美麗で可愛いイラストを描く、イラストレーターです。
みさくらなんこつ』氏は、両性具有的少女の分野で定評があり、女性が被虐的環境に置かれるシチュエーションを得意としています。また、そういった状態で上げる奇声や、精神が壊れていく過程の描写の開拓者です。さらに、白濁した液体の言語表現や、絵画表現に秀でており、その分野の探究者であり、先進的実践者です」

 ああ、終わった。僕は、先輩の精神の許容範囲を超えた、エロスにまみれた情報を受け渡してしまった。おそらく現在、楓先輩の脳みそは、DoS攻撃にも似た、多量のエロティックな情報のせいで、思考が鈍磨して、活動に支障が生じているだろう。
 先輩の顔が徐々に赤く染まっていく。あまりにもゆっくりな変化は、その情報量ゆえに、処理速度が追い付かずに、処理落ちしているためだ。楓先輩は耳まで真っ赤に染め、それで収まらず、頭から湯気を出さんばかりになり、あわあわと口元を動かした。

「サ、サ、サ、サカキくん……」
「何でしょうか、先輩?」

 僕は、「これまでの台詞は、すべて学術的な情報を伝えたまでですよ」といった、紳士的な態度で、楓先輩に相対する。先輩は、僕のそういった泰然自若とした様子に、きっと好感を抱くだろう。そして自分はなぜ、学術的な言葉を、性的な意味として取ってしまったのだろうかと、考えを翻してくれるはずだ。
 しかし、先輩の真っ赤な顔は、まったく変化を見せなかった。そればかりか、目は潤み、体は火照り、わずかに甘い香りがし始めた。楓先輩は、興奮のせいで汗をかいているのだ。僕はそのことを、鋭敏な嗅覚細胞を通して知ることができた。
 先輩は、目を艶やかに濡らしながら、手を口元に動かして、恥ずかしげに吐息を漏らす。その羞恥の様子は、とても魅力的で、僕は今にも襲いかかって、押し倒したい気持ちになる。そういった自身の欲望と、僕は懸命に死闘を繰り広げた。

「楓先輩……」

 僕は、先輩の目を見て、呼びかける。僕の理性と野性は、関ヶ原の合戦を繰り広げている。楓先輩は、僕の目を見たまま、わずかにしなを作った。

「サカキくんの、エッチ……」

 目の端に涙を浮かべながら、楓先輩はつぶやいた。
 あ、ありがとうございます。僕は、その姿と声を、目と耳に焼き付ける。ああ、これぞ青春。青い春。 夢や希望に満ち溢れ、活力のみなぎる、若い時代の輝かしき光景だ。僕は、その素晴らしさに、「ぎも゛ぢいぃ゛いぃ゛ぃ 」と、みさくら語で感動の声を上げた。

 それから四日ほど、楓先輩は僕を避け続けた。そして、「みさくら語で話す人とは、コミュニケーションなんかできません」と、謎の拒絶をし続けた。
 えええええ。そもそも、みさくら語について質問してきたのは、楓先輩ですよ。それに、男の僕がみさくら語を使っても、全然嬉しくないですよ。
 できれば僕は、楓先輩に、みさくら語を使ってエッチな台詞を言って欲しかった。