雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第46話「キモオタ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、学校でも悪目立ちする人間が集まっている。そして、蠱毒のように、その危険な部分を高め合っている。
 かくいう僕も、そういった向上心溢れる人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、駄目な方向へ突き進んだ人間ばかりの文芸部にも、まっとうな道を歩んでいる人が一人だけいます。ワンダリングモンスターの大軍に紛れ込んだ村娘。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は表情を改めた。危ない危ない、アニメの画像を見て、にやにやしていた。僕は、いつも冷静沈着、ジェントルマンなサカキくんだ。清潔、爽やか、好感度。そんな、楓先輩の王子様を演じなければならないのだ。
 僕は、イケメンスマイルを楓先輩に向ける。すると先輩は、僕の横にちょこんと座った。楓先輩は、眼鏡の下の目を嬉しそうに細めて、上目づかいで僕のことを見上げる。ああ、いつものように可愛くて、抱きしめたい。先輩のためなら、火の中、水の中。宇宙にでも、異次元にでも向かいますよ。僕は、そういったことを考えながら、楓先輩に声をかけた。

「何ですか、先輩? また、ネットで知らない言葉に出会ったのですか」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね」
「ええ、博物学者も真っ青なレベルです。南方熊楠に匹敵すると言ってよいでしょう」
「そんなサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも書き進めるためだ。その一環として、楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書にアクセスするためだ。そのことが、楓先輩の運命をもてあそぶとは、誰が想像しただろうか。先輩はネットに触れてしまい、そこに大量の文章があることを知った。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「キモオタって何?」

 う、ううっ。それはまた、答え難いところを攻めてきたな。僕は落ち着きなく、目をさまよわせながら考える。楓先輩は、清廉潔白なお人柄だ。だから、他人を蔑むような言葉はあまり知らない。家族や友人で、そういった言い回しを利用する人も少ない。そのため、侮蔑的な意味を持つ、キモオタという言葉を知らなくても仕方がないだろう。

 僕は、楓先輩によって、自分がキモオタに分類される可能性を考える。そして、あらかじめ弁護をしながら、キモオタという用語について解説しようと決意する。

「楓先輩は、人生のリソースについて考えたことはありますか?」
「えっ? リソースというと、資源のこと? ううん。それと、キモオタが何か関係があるの?」
「ええ、大いにあるのです。人生というものは有限です。人間に与えられた時間は、誰でも一日二十四時間です。この制約があるために、人間は選択し、決断する必要があるのです。日々の行動を、そして人生の歩み方を」

 僕は、哲学者のように真面目な顔をして、両手を机の上に置く。楓先輩は、そんな僕を、まるで熱心な生徒のような顔つきで眺める。

「言われてみればそうね。人生の時間は限られている。どう生きるかは、みんな選ばないといけない。それは真実だと思うわ」

 楓先輩は、一言一言を確かめるようにして告げる。

「そうです。そういった選択と決断は、時間だけではありません。金銭についてもそうです。人は、無限に財貨を持っているわけではありません。学生ならば、給料やアルバイト代といった制約があります。社会人にも、収入といった制限があります。その中で、どうやりくりするか、人々は考えていく必要があるのです」

 楓先輩は、こくりと頷く。ここまでの話は納得してくれたようだ。僕は、思慮深い顔をしたまま、話を進めていく。

「そこで人間は、リソースの配分を決めるわけです。人生を、より豊かにするために、そして、死という終わりの時を迎えた際に、悔いのない生き方をするために努力するのです。キモオタというのは、そういった、生き様に関わる言葉なのです」
「サカキくん。何だかとっても深い話ね。人間の生き方、死に方を含めた、哲学的な話題になっているね」

 楓先輩は、拳を膝の上に置いて、僕の顔をじっと見る。よし、聞き入っている。楓先輩は、僕を、深遠な洞察力を持った後輩として認識しているぞ。
 僕は、そのことを喜びながら、先輩に対して微かに笑みを見せる。抑制が利いた、わずかなほころびといった程度の表情だ。楓先輩は、いよいよ本題に入るのだと感じ、全身を緊張させながら、僕の言葉に耳を傾ける。

「キモオタは、普通の人とは違い、大胆な人生設計をした人間のことを指します。彼らは、世間一般の人とは、大いに違うリソース配分を選択しています」
「どういった、リソース配分をしているの?」

 僕は沈痛な面持ちを見せる。この先の説明は、通常の人間にとってはマイナス評価となる内容だ。その負の面を、僕の話術により、選択と集中の結果であると、すり替えるつもりだ。いわば、僕は話術のマジシャンとして、楓先輩をミスリーディングする予定なわけだ。

「まず、服飾の流行を追いかけることをやめ、服装にかける時間とお金を劇的に減らします。次に、運動に割く時間を削減して、運動不足に陥ることを選択します。それだけでなく、健康的な食事を取ることをやめて、ジャンクフードで時間を稼ぎます。また、周囲の人と適切なコミュニケーションを取る努力を放棄して、一方的な会話や、交渉の断絶で、時間を作りだします。
 さらに人によっては、服を着替えるコストを抑制したり、掃除を排除したり、洗顔、散髪、髭剃りの時間も削ります。もっと踏み込んだ人は、入浴の回数を減らします。そうやって、細かな時間や金銭を積み上げることで、他人が持たない大きなリソースを確保するのです。

 では、こうやって稼いだ時間や金はどこに使うのか。それは趣味です。自己満足のために割り振るのです。人はパンのみでは生きられません。精神的な豊かさが、生きていく上で必要になります。その豊かさをどこに置くか。それは、人それぞれの価値観であったり、思想であったりします。
 近代国家の憲法では、思想の自由が保障されています。それはなぜなのか。人が人として生きていくために、必要だと考えられているからです。人は、自分の人生を豊かにするために、生き方を選択して決断します。

 心の豊かさとは、自らの欲求を追及することです。それが、家族や恋人、社会的地位という人もいます。また金銭という、ゲームのレベルのように、分かりやすい数値の場合もあります。そういった、欲求の一つに、自分の好むものを収集したり、娯楽で遊んだりすることも含まれるのです。
 つまり、キモオタとは、近代民主主義が認めた、人が人であるための選択を、極限まで追求した人々なのです。いわば、人間賛歌の表れなわけです」

 僕は、キング牧師が黒人解放運動を語るような熱を込めた口調で、楓先輩にリソース配分と心の豊かさについて説明する。外見や振る舞いはどうであれ、それは社会に認められた一つの生き方である。そういった視点を強く強調する。
 僕の、熱い弁論を受けて、楓先輩は神妙な面持ちで考え込む。よし、上手くいっているぞ。これで、楓先輩は偏見なくキモオタを見ることができる。たとえ僕が、まかり間違って楓先輩にキモオタ認定されても、それはそれで一つの生き方だという、広い心で受け入れてくれるだろう。

「つまり……」

 楓先輩は、頭の中を整理するようにして声を出す。

「キモオタというのは、流行に無頓着な服を着て、周りの人とちゃんと会話をしない、太って不健康な、身だしなみに気を使わない人ということ?」

 ああああああ。何ですか、その寸評は! まさにその通りといった要約かもしれませんが、僕の熱い演説は、先輩の耳を素通りして、虚空の彼方に消えていったのですか?
 僕は自分のトークが空回りだったことを知って悲嘆する。駄目だ。僕の拙い話術では、キモオタのイメージを払拭することはできなかった。僕は、自らの能力のなさに絶望する。
 でも、希望はある。僕は、キモオタ認定されないかもしれない。今の説明の内容ならば大丈夫だ。僕は毎日お風呂に入っているし、朝は顔を洗う。学校で先輩と会う時は制服だ。洋服の流行を追いかけているかは関係ない。

「ねえ、サカキくん」
「何ですか、楓先輩?」
「ネットを見ていると、キモオタという言葉は、それだけに限定された言葉とは思えないの」
「というと?」

 僕は、おそるおそる声を返す。

「だって、ネットの相手は、姿が見えないでしょう。そういった相手に対しても、キモオタという言葉を使っているのを、何度か見たことがあるの。人生のリソースをどう使っているか、あるいは、そのせいで外見や行動にどういった影響が出ているのか。そういった部分以外にも、キモオタという言葉の意味があるように思えるの」

 うっ。……そうだ。キモオタには、もう一つの罵倒の用法がある。それは、単純に言動が気持ち悪いオタクの人に対する使い方だ。楓先輩は、そういった用法を目撃している。そこまで知っているのならば、解説を避けては通れないだろう。僕は、楓先輩の知識を補うために、果敢に説明を試みる。

「オタクと呼ばれる、アニメやマンガやゲームなどが好きな人の中には、偏った考えに凝り固まって、それを声高に主張したり、自分の考えを相手に押し付けようとして他人と衝突したり、周囲の空気を読まずに、自己の主張を延々と語ったりする人がいます。そういった、普通の人から見ると異常に映る言動をする人も、キモオタと呼ばれます。
 ちなみに、キモオタというのは、気持ち悪いオタクの略称です」

 楓先輩は、僕の説明を聞いて、なるほどといった顔をする。そして、僕の顔をじっと見る。その視線が僕に突き刺さって痛い。僕は、楓先輩の視線の意図を想像する。僕とキモオタを関連付けている。そうでなければ、こんな目で僕を見ることはないだろう。

「サカキくんって……」

 先輩は、言い難そうに声を出す。

「何ですか?」

 僕は、死刑宣告を聞くような気持ちで、楓先輩の台詞の続きを尋ねる。

「ちょっとキモオタ入っているかもね」

 ああ。僕は、打ちひしがれる。やはり、楓先輩には、そういう目で見られていたのか。

「えー、あのー。ちょっとって、どれぐらいですか?」
「うーん、七割ぐらい?」

 それって、四捨五入しなくてもキモオタじゃないですか~~~! 僕はその場で悶絶する。

「そうですか。僕はキモオタですか」
「うん、ちょっとだけ」

 どうやら僕は、言動がキモイオタクだったらしい。

 それから二日ほど、僕は暗い顔で、背中を丸めて、身だしなみを整えずに、部室に顔を出した。その様子は、どこから見ても、完全なキモオタだった。ああ、僕は、自分の真の姿に絶望した。