雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第44話「厨房・処女厨」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、頭のネジのゆるい人間たちが集まっている。そして、日々どんちゃん騒ぎを繰り返している。
 かくいう僕も、そういった人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、人間のカスのような者ぞろいの文芸部にも、きちんとした人が一人だけいます。酔っぱらいの群れに紛れ込んだ、素面の女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。そこには、いつもの楓先輩がいて、僕の方へと駆けてくる。先輩は、ふわりとスカートを膨らませて、僕の横に座る。そして、眼鏡の下の目を楽しそうに細めて見上げてきた。ああ、先輩は、今日もとっても可愛らしい。

「先輩、何ですか? 分からない単語を見つけたのですか」
「そうなの。サカキくんは、ネットに精通しているわよね」
「ええ、達人です。巨匠や宗匠と呼んでいただいても構いません」
「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、納得がいくまで推敲するためだ。そして楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を使うためだった。それが運命の分かれ道だった。先輩は、ウェブブラウザを開き、ネットに数々の文章があることを知った。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「厨房って何?」

 僕は、密かに安堵する。今回は、性的に危険な言葉でもなければ、解説していくうちに問題が発生しそうな言葉でもない。厨房は、ネットスラングの中では、飛車や角レベルで重要度の高いものだが、その説明に困難はない。僕は、先輩に笑顔を向けて、にこやかに解説を始めた。

「楓先輩は、IMEをご存じですか?」
「IMEって何?」
「パソコンで文字を入力すると、漢字の候補が出て、その中から選びますよね。そういった機能を提供しているソフトウェアを、インプット・メソッド・エディタ、略してIMEと呼ぶのです」
「そういえば、そういった感じで、文字を選んでいたわね」

「このIMEによる入力は、ネットの世界で数々のスラングを生み出す原因になっています。たとえば、間違った変換結果が出ることを、誤変換と呼びます。この誤変換が、そのままネット用語として定着することがあります。また、わざと違う候補を選ぶことで、漢字が違う用語を作ることもあります。厨房は、そういった、IMEが作りだした新語の中でも、非常に著名なものになります」

 楓先輩は、僕の説明に聞き入っている。よしよし、いい調子だ。これならば、先輩の尊敬と信頼を勝ち取って、この説明を終えられる。僕は喜び勇んで、言葉を続ける。

「楓先輩。厨房が、元々はどういった言葉か分かりますか?」
「うーん。キッチン?」
「違います」

 僕は、微妙な顔をしながら答える。

「いいですか、楓先輩。キッチンと入力しても、厨房とは変換されないですよね?」
「あっ、そうか。言われてみれば、そうね」

 パソコンにまだ慣れていない先輩は、IMEのことを、いまいち理解していないようだ。僕は、さっさと答えを教えた方がよさそうだと思い、解答を口にする。

「答えは、中学生坊主という意味の、中坊になります」
「へー。でも、ネットでは厨房を、罵倒の意味合いで使っているみたいだったんだけど、中学生のお坊さんという意味が、どうして悪口になるの?」

 楓先輩は、きょとんとした顔をする。ああ、そこから語らないといけないのか、と僕は悟る。

「中坊という言葉は、元々は不良の間で使われていた言葉です。たとえば、高校生の不良が、粋がっている中学生を見かけた場合に、『おい、こら、てめえ、中坊の分際で生意気だ!』といった感じで恫喝します。この『子供の癖に生意気だ!』といった意味合いの用法が、一般にも普及したのです。
 その『中坊』という不良用語がネットにも入ってきて、中坊を厨房と置き換えて使うようになったのです」

 完璧だ。性的要素もなければ、自分を危険に陥れるような罠もない。そして説明としても、順当なところだろう。このまま、広辞苑に載せたくなるような華麗な解説だ。

「へー、そういった言葉だったんだ。それにしても、厨房はよく見かけるわね」
「まあ、厨房は、ネットスラングの中でも、普及率上位の言葉ですからね。この厨房は、何々厨といった感じで、様々な派生語を生み出しています。この何々厨は、『釣りキチ三平』や『釣りバカ日誌』で見られる、『何々キチ』『何々バカ』と似たような感じで使われます。末尾に厨を付けることで、『何々がひどい』といった、強調の意味になります」

「釣り厨とかが、あるの?」
「釣り厨は、見ないですね」
「どういった、厨があるの?」

「そうですね。たとえば危険厨だと、危険を過度に強調したり、反応したりする人になります。安全厨だと、安全を過度に強調したり、過信したりする人といった意味になります。原発事故の時に、様々な極端な意見が出たので、それを揶揄する危険厨、安全厨といった言葉がよく使われました」

「なるほどね。他には、どんなのがあるの?」
「うーん、そうですね。処女厨とかですかね」
処女厨?」

 先輩は、きょとんとした顔をして、首を傾ける。

「過度に処女の人……って、どういう意味?」

 あっ、しまった。地雷を踏んだ。
 僕は、自分が調子に乗っていたことに気付く。言わなくてもよい言葉を、ぽろりと口にしてしまった。ネットに吹き荒れる暴風雨。ディスクを割ったり、商品をばらばらにしたり、殺害予告を出したりといった、バーバリアンな方々を包含する危険な言葉を、先輩に教えてしまった。これは、何とかして取り繕わなければならない。

「か、楓先輩は、処女という言葉はご存じですか?」
「うん。知っているわよ。『キリスト教のマリア様が、処女懐胎した』といった感じで出てくるわよね。あっ、もしかして! 処女厨って、聖母マリア信仰と関係しているの?」

 楓先輩は、嬉しそうな顔で僕に尋ねる。これは、自分の推理を確信している表情だ。だが、残念ながら全然違う。これは、訂正しておかないとまずい。楓先輩がキリスト教徒の人と会話をした際に、「あなたも処女厨なんですか?」と、笑顔で質問しかねない。まあ、ある意味、キリスト教原理主義の人とは話が弾みそうな気がするけど、そういった文脈の言葉ではないからなあ……。

 仕方がない。処女厨は、かなり説明の難しい言葉だけど、がんばるしかない。しかしまあ、何で、自分でハードルを上げてしまったのかなあ。ああ、厨房の説明の頃が懐かしい。僕は、茨の道へと裸ダイブするつもりで、処女厨についての解説を始める。

「楓先輩。処女厨は、キリスト教のマリア信仰とは、まったく関係がありません」
「えっ、そうなの? じゃあ、どういった言葉なの」

 僕は、真面目な顔をして、被告を弁護する弁護士のように語る。

「世の中には、オタクと呼ばれる、アニメやマンガを好み、現実の女性にはあまり関心を持たない、あるいは持たない振りをしている人々がいます。
 彼らのうち男性は、多くの場合、童貞、つまり女性経験を持っていません。そして、そのことに劣等感を抱えています。そこで、アニメやマンガやゲームのヒロイン、そしてアニメのキャラクターの声を演じている声優、アイドルにも、同じように男性経験を持たないことを要求することが多いのです。

 それは、自分の劣等感を刺激されないためであったり、自分と他人を比較されないためであったり、あるいは、相手に自分だけを見てもらいたいためであったり、相手と同じ土俵に立ち、相対したいためであったりなど、様々な理由があります。
 そういった背景があるために、作品中のヒロインや、声優、アイドルに対して、過剰に処女であることを要求するのです。そして、それが裏切られた時、ゲームのディスクを割るなどのように、それまで購入してきた商品を破壊したり、現実の人間に脅迫状を送ったりといった凶行におよぶのです。
 このような危険を伴う、狂信的な愛情を持った人々を、処女厨と呼ぶことがあるのです」

 これはある意味、ネットの闇の部分だと思う。僕は、その痛ましい事実を、悲しい事件を語るようにして告げる。
 正直なところ、処女厨については、僕も他人事ではないと思う。処女厨か、処女厨でないかと問われれば、僕は処女厨に近い思いを抱いている。しかし、そこまで危険な精神状態にならないのは、僕がまだ若いことと、僕が崇拝してやまない楓先輩が、中学三年生で、奥手で乙女で純真だから、処女に間違いないだろうと確信しているからだ。

「ねえ、サカキくん」
「何ですか、先輩?」
「男の人って、そんなに、女の人の男性経験にこだわるものなの?」
「えっ?」

 困惑とともに、僕は声を漏らす。楓先輩は、そんな僕の顔をじっと見たまま、台詞を続ける。

「だって、ヨーロッパ文化圏はともかくとして、日本は南洋の文化を引き継いだ夜這いの習慣を、地域によっては江戸時代まで持っていたと本で読んだわ。だから日本人は、あまり女性の処女性については気にしないと思うのだけど」

 何を言っているんだ楓先輩は? 僕は、必死に考える。楓先輩が、こういったことを、遠回しに言っているということは、もしかして、楓先輩は実は処女ではないのだろうか?
 いや、馬鹿な。そんなことはないはずだ! もしそうだとしたら、僕はいったい、どんな破壊活動におよぶか分からない。部室で暴れて、備品のパソコンを破壊して、「ムキーッ!」と叫びながら、怒ったドラえもんのように、机を持ち上げて駆け回るだろう。

 楓先輩は、僕のことを、何気ない顔で見上げている。僕は、額から汗をだらだらと垂らしながら、先輩の顔を見下ろしている。真実を知りたい。でも、それは恐ろしい。しかし、そんな疑いを抱きながら暮らすのは、心が苦しい。ああ、これは恋なのか。恋だよなあ。元々僕は、楓先輩に恋をしているのだから。
 そうやって散々悩んだあと、僕は重い口を開いて、楓先輩にどうしても聞きたいことを尋ねた。

「楓先輩は、処女ですか?」

 先輩は、僕のあまりにも直接的な説明に驚いて、顔を赤く染める。

「サカキくんの、エッチ……」

 こ、答えは、いったいどっちなんだ~~~! 僕は、悶絶する。その様子を見た楓先輩は、ぷんすかぷんといった表情で、口を開いた。

「私は真面目だから、結婚するまで、そんなことはしません」

 僕は、全身から力が抜けた。ああ、よかった~~。これで安心だ~~~!
 僕は、天にも昇る気持ちになり、安堵のため息を吐く。あれ、でも、ということは、僕は楓先輩と結婚できない限り、楓先輩とエッチができないというわけなの? 在学中に恋愛関係になり、肉体関係にいたるという攻略ルートは、存在しないということなのかな?
 僕は、勝手に飛躍した考えをして、「それは困る。というか、厳しすぎない?」と懊悩した。

 それから数日、先輩は僕に対して、様々な厨を付けて、新しい言葉を練習した。エッチ厨、エロ厨、セクハラ厨。……何で、全部性的な内容なんですか! 僕は、楓先輩の厨厨に、しばらく悩まされ続けた。