雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第41話「ぷに」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、学校でも目立つ面々が集まっている。
 かくいう僕も、そこはかとなく名前を知られてしまっている人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、個性派ぞろいの文芸部にも、控えめな人がいます。建物の陰でひっそりと咲く、ヒナゲシの花。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を向けた。楓先輩は、楽しそうにやって来て、僕の横に座る。スカートがふわりと広がり、ぱすんと閉じた。その動きに合わせて、三つ編みの髪が楽しげに揺れる。ああ、何て可愛いんだろう。僕は幸せな気持ちになって、楓先輩の姿を見下ろした。

「何ですか先輩。ネットで、未知の言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね」
「ええ、日々研究していますから」
「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿に、何度も赤を入れるためだ。そして楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を確かめるためだった。そのついでに、ネットも覗いてしまった。その結果、先輩はネットに大量の文字情報があることに気付いた。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ぷにって何?」

 楓先輩は、興味津々といった様子で尋ねる。僕は安心する。特に説明に困難を要する言葉ではない。元の言葉と、現在の用法を伝えれば、それで事足りるだろう。僕がそう思い、口を開こうとすると、部室の一角から声が聞こえてきた。

「サカキ先輩は、ぷにについて一家言あるようですが、あまり踏み込みすぎると、楓先輩には毒だと思います」

 えっ、僕って、ぷにに一家言あるの? そうだったかな? 僕は疑問を抱きながら、近くの机に顔を向ける。そこには、僕の苦手な相手、一年生の氷室瑠璃子ちゃんが座っていた。

 瑠璃子ちゃんは、その名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えないその外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている女の子だ。
 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「なぜ、一度言ったことを覚えられないのですか」とか、「理解できないのは、頭が悪いからですか」とか、「怠惰なことは知っていますが、健康を維持する程度には運動をしてください」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされている。

 その瑠璃子ちゃんが僕に、「ぷにについて一家言あるようですが」と言ったのだ。なぜ、そんな台詞が出てきたのだろうと、僕は記憶をたどる。そういえば小学校時代に、そういったやり取りがあった。僕は、そのことを思い出した。

 小学四年生の頃である。僕は小学校の中堅どころとして、中間管理職のような悩みを抱えていた。上には五、六年生がおり、下には一、二、三年生がおり、その板挟みになっている。学年の垣根を越えて遊ぶと、上級生は好き勝手にいばり、下級生は気ままに振る舞う。間にいる僕は、その間で、いつも調整役として苦労していたのだ。
 そういった世間の荒波に疲れた僕は、時折運動場の端に一人で行き、木の枝を拾って、おっぱいを描いていた。そういった時にはよく、瑠璃子ちゃんが付いてきて、僕の奔放な創作活動に、様々な批評を加えていたのだ。

「サカキ先輩は、おっぱいが好きなのですか?」

 愚問だな。僕は、瑠璃子ちゃんの質問にそう思う。人間は、哺乳類として生まれる限り、授乳という過程を経る。それは男女問わず、母親のおっぱいの恩恵を得ることを意味している。そうであるならば、人類でおっぱいが嫌いな者がいるはずがない。つまるところおっぱいとは、太陽や月と同じぐらい、人類にとって普遍的な概念であり、思慕の対象なのだ。

 僕は、小学四年生の頭でそんなことを考えながら、小学三年生の瑠璃子ちゃんの姿を見る。瑠璃子ちゃんは、両手を胸の辺りにあてがい、自分の体のおっぱいが、どれぐらい育っているかを確かめようとしている。
 いや、その年の瑠璃子ちゃんに、育つべきおっぱいが、あろうはずもない。だから瑠璃子ちゃんの振る舞いは、自分におっぱいがあれば、現況を変えられるかもしれないという、欲求を代替する行為に過ぎない。

「瑠璃子ちゃんは、おっぱいに興味があるの?」
「いえ、サカキ先輩が、おっぱいに興味があるようでしたので」

 なるほど。僕という対話者と円滑にコミュニケーションを取るために、自身におっぱいがあることが有効だと思ったわけだ。
 僕は瑠璃子ちゃんに対して、失礼なことをしてしまったと反省する。僕が彼女の前でおっぱいの絵を描くことは、まるで、瑠璃子ちゃんにおっぱいがないことを、非難していると受け取られても仕方がない。これは、ジェントルマンとして、恥ずべき行動だと反省する。
 僕は紳士である。変態紳士かもしれないが、紳士であることには変わりない。僕は、ノブレスオブリージュ、貴族の務め、という言葉を思い出す。僕は精神的に高貴な人間として、貴族としての義務を果たさなければならない。つまり、目の前の女の子を、言葉で喜ばせなければならないわけだ。

「瑠璃子ちゃん。僕が好きなのは、おっぱいではないんだ」
「じゃあ、何が好きなのですか?」
「ぷに、かな」
「ぷに、ですか?」
「うん。僕はぷにには、一家言あるんだ。陶芸家が、焼き物に独自の主張があるように、彫刻家が、立体造形に対して審美眼を持つように、ぷに愛好家の僕は、ぷにに対しては、深遠かつ膨大な見識があるんだよ」
「そうなのですか?」
「ああ。僕は当代随一の、ぷに博士だからね。その知識とともに、ぷにを愛好する豊かな心を持っている。それはまるで、神の慈愛に匹敵する。僕はいずれ、ぷに神になるだろう。それぐらい、僕はぷにが好きなんだ」

 瑠璃子ちゃんは、感心した様子で僕を見ている。小学三年生の幼子の前で、僕は学究の徒のように、真面目な顔をする。しばらく瑠璃子ちゃんは僕の姿を見ていた。僕は、再びおっぱいを描くわけにもいかず、地面に枝で、ぷにな感じの女の子を描き始める。

「サカキ先輩!」
「うん? 何かな、瑠璃子ちゃん」

 僕は、齢を重ねた老学者のように、重々しく真面目な口調で答える。瑠璃子ちゃんは、決心したような表情で拳を握った。

「分かったわ。私、ぷにになる!」

 その声は、力強く、決意に満ちたものだった。ああ、瑠璃子ちゃんはきっと、僕の言葉の意味を理解していないのだろう。僕は、そう思った。
 ぷには、ほっぺがぷにぷにの幼女を指す言葉だ。瑠璃子ちゃんは、なろうと思おうが、思うまいが、すでにぷにだ。ぷにぷにの可愛い幼女だ。そのことを、きちんと話すべきかなと思ったけど、あまりにも瑠璃子ちゃんが真剣な顔つきだったので、何も言わなかった。そして、その会話は、それきりとなってしまった。

 僕は現在に立ち戻る。僕の横には楓先輩が座っている。少し離れた席には、瑠璃子ちゃんの姿がある。僕は考える。あの日の、ぷにの会話。それから四年ほどが経っている。まさか今でも、瑠璃子ちゃんがぷにであるとは、当時予想しただろうか? 瑠璃子ちゃんは、まさに言葉の通り、ぷにになったのだ。その努力に、僕は惜しみない拍手を送りたい。

「ねえ、瑠璃子ちゃんは、ぷにについて知っているの?」

 楓先輩が、瑠璃子ちゃんに尋ねる。

「ええ。サカキ先輩ほどではないですが、世間一般の人よりは、ぷにに対しての知識は有しています。それと、サカキ先輩はぷに好きだそうです。ぷにを愛しすぎて、神になるレベルだそうです」

 ちょっと待った! 僕は思わず声を上げそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉が真実ならば、僕は幼児好きの変態さんになってしまう。ぷには、幼い少年少女を指す言葉である。そう説明すればよかっただけなのに、その説明をすれば、僕が幼児好きだと、楓先輩に誤解されてしまう。
 おかしい。いきなり説明のハードルが上がってしまった。いったい、どうなっているんだ? これは、瑠璃子ちゃんが僕に与えた試練なのか? 僕は、突然訪れた危機に頭を悩ませる。

「サカキくん。ぷにって何? サカキくんは、ぷに好きなんでしょ?」

 楓先輩が、僕に体を密着して尋ねてくる。ああ、うう、どうしよう。真実を話すべきか。それとも逃げたり、ごまかしたりするべきか。いや。僕は、楓先輩の忠実な下僕です。忠犬ハチ公です。そんな僕が、楓先輩に対して、卑怯な態度を取れる理由があろうか? いや、あるまい。
 僕は、腹をくくる。そして、意を決して口を開く。僕は、今、神への階段をのぼろうとしている!

「ぷには、元々は『ぷにぷに』という擬態語になります。この言葉は、マンガやアニメで、赤ちゃんのような、ぷにぷにほっぺの幼い子供キャラを指す用途で使われていました。そうするうちに、『ぷに』と短く言われるようになったのです。そしてネット時代に入り、同様の傾向のキャラを表す言葉として、多用されるようになったのです。

 このぷには、ぷにキャラを見て心が癒やされる、といった用途で使われます。また、幼児を好むペドフィリア的視点で用いられることもあります。
 この言葉は、一定の市民権を得ており、ぷにに限定した同人誌即売会ぷにケット』が、古くから存在しています。また、ウェブブラウザの主流が、まだネットスケープだった頃に、YHMP、『やわらかそうなほっぺたをみかけたらぷにぷにする会』という、謎の会も存在していました」

 僕は、必要にして充分、かつ一部蛇足の情報を楓先輩に伝える。いろいろと多岐にわたるようにしたから、楓先輩は混乱して、僕が幼児好きだという結論にいたらないかもしれない。僕は、そういった淡い期待を抱く。

「ええと、ちょっと待ってね、サカキくん。つまり、ぷには、幼い子供を指す言葉で、ぷにが好きということは、幼児性愛的嗜好を持つということを意味するの?」
「いえ、そういうわけではありません。ぷには、そういった視点ではなく、見るだけで心が癒やされると言う、母性本能的な意味合いも含む、包括的な言葉です」

 必死の反論を試みたあと、僕は自分の服を、誰かがつかんでいることに気付く。いつの間にか、瑠璃子ちゃんが僕の許まで来て、服の端を握っていた。

「サカキ先輩は、ぷに好きですから」

 その台詞を言い、瑠璃子ちゃんは、頬を恥ずかしそうに赤らめる。
 ノ~~~~! これでは誤解が確定に変わってしまう。僕は、言い訳をしようとして、楓先輩に顔を向ける。先輩の顔は青ざめていた。そして、残念なものを見るような目で、僕のことを見ていた。

「ごめんなさい、サカキくん。サカキくんが、そういった趣味の人だったなんて知らずに。だから、瑠璃子ちゃんが、サカキくんになついていたのね。私、サカキくんのことを、誤解していたわ……」

 楓先輩は立ち上がり、顔を隠して離れていった。

「楓先輩、カムバ~ック!」

 僕は手を伸ばして、懸命に名前を呼ぶ。しかし、先輩は立ち止まらず、部室から外へと駆け出した。
 それから三日ほど、楓先輩は、僕に痛々しい視線を送り続けた。だから、違うんですってば! その間、瑠璃子ちゃんが僕にデレデレだったのには、ちょっとだけ困ってしまった。