雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第40話「ぐう畜・ぐう聖・ぐうかわ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

f:id:kumoi_zangetu:20140310235211p:plain

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、お気楽極楽の生活を送る者たちが集まっている。
 かくいう僕も、そういった能天気な人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんな、ゆるい脳みその人間ばかりの文芸部にも、きちんとした人が一人だけいます。ナマケモノの群れに迷い込んだハタラキモノ。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、自分の席から駆けてきて、僕の横にふわりと座る。スカートが軽やかに膨らみ、三つ編みの髪が楽しげに揺れる。僕はその様子を見て、心がうきうきする。楓先輩は、いつもの可愛さで、僕の顔を見上げてきた。

「何ですか先輩。知らない言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね」
「ええ、生き字引です。歩くアレクサンドリア図書館と、呼んでいただいても構いません」
「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿に、何度も手を加えるためだ。そして楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を見るためだった。そのついでに、ネットの情報も読んでしまった。そのせいで先輩は、ネットに無数の文章があることに気付いてしまった。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「ぐう畜って何?」

 僕はほっとする。エッチな言葉でもなく、説明が難しい言葉でもない。今日は、それほど苦労することなく、解説できそうだ。僕はそのことに安堵する。

「ぐう畜は、略称なんです」
「どういった言葉が省略されているの?」
「『ぐうの音も出ないほどの畜生』という一文が短くなって、『ぐう畜』になりました」

 楓先輩は、なるほどといった顔をする。

「かなり長い一文ね」
「ええ。元々は、ネット掲示板の野球選手の話題で書き込まれていた言い回しです。それが、一般に広まり、畜生な行為をした人や、鬼畜な人に対して使われるようになりました。さらに、広まっただけではとどまらず、様々な派生語を生むことになりました」
「派生語? どんな言葉があるの?」

 先輩は、興味津々といった様子で僕に体を寄せてくる。楓先輩は、興奮すると、相手にぎりぎりまで近付く癖がある。僕と先輩は、学生服という布を隔てて密着する。僕は、服越しに先輩の体温を感じる。そして、鼻を満たす先輩の香りに酔いしれながら、幸せな気分になる。

「『ぐうの音も出ないほどの○○』といった感じで、多くの言葉が『ぐう○○』となっています。けっこう種類がありますから、クイズ形式にしましょう。僕が言葉を挙げますので、先輩はどういった言葉と『ぐう』が結合したか、当ててください」
「分かったわ。私の国語力が問われるのね。私たちがいる場所は、言葉を駆使する文芸部だから、そういったのもありよね。さあ、サカキくん質問して。私、がんばって答えるわ!」

 楓先輩は可愛く拳を握り、胸の辺りに構える。その様子は、新しいおもちゃをもらって興奮している子供のようで、微笑ましかった。
 僕は姿勢を正し、颯爽とした姿で問題を口にする。こういった、何でもないような会話を楽しめることに、僕は感謝する。いつもは質問を受けるばかりだけど、たまにはこういった、逆の立場もよいだろう。

「それでは一問目です。ぐう聖」

 僕が問題を出すと、楓先輩は真剣な顔をした。眉をきゅっと寄せて、口元に拳を寄せて真剣な目をする。本気だ。気軽で楽しい会話を想像していたのだけど、楓先輩は入学試験に臨むような気持ちで、必死に考えている。

「頭に聖が付く言葉よね?」
「ええ、そうです」
「ぐうの音も出ないほどの聖徳?」
「うーん、ちょっと違いますね。もっと直接、人を指す言葉です」

 僕の駄目出しに、楓先輩は目を細める。あれ、楓先輩って、けっこう負けず嫌い? 僕は、これまで知らなかった、先輩の一面を発見する。

「じゃあ、ぐうの音も出ないほどの聖徳太子
「ハズレです。人間にすればいいって話ではないですよ」

「なら、ぐうの音も出ないほどの聖母マリア
「ハズレ」

「ぐうの音も出ないほどの聖王、聖者、聖賢、聖帝!」
「全部ハズレです」

 意外に当たらないものだな。僕は、先輩の答えを聞きながら考える。

「ぐうの音も出ないほどの聖戦!」
「あの、楓先輩。ジハードを起こして、どうするんですか?」

「それじゃあ、サカキくんのことだから。……ぐうの音も出ないほどの聖水……」

 楓先輩は、恥ずかしそうに、その言葉を口にした。
 うん? ちょっと待ってくださいよ。僕だから聖水って、どういう意味ですか? 聖水って、カトリック教会で、司祭によって聖別された水のことですよね? もしかして、違う意味で使っているんですか?

 昔から、SMなどでは、聖水プレイと言えば、小水を利用したものだ。もしかして、そういった聖水を指しているのだろうか? もしそうなら、僕と聖水を結びつける理由は何なのか。いや、僕が先輩に、そういう人間と思われているはずがない。
 僕は、先輩の答えに困惑する。そこに触れるのは、何だか闇の世界を垣間見るようで恐ろしかった。仕方がない。そろそろ先輩に正解を伝えよう。

「正解は、ぐうの音も出ないほどの聖人です」
「……うっ、惜しかったわ。一字違いね」

 楓先輩は、悔しそうに拳を握る。

「全然、惜しくないですよ! その一字を当てる問題なんですから!」

 僕の突っ込みに、楓先輩は拳に力を込めて、さらなる闘志を燃やす。

「ぐう畜の派生語は、まだまだあるのよね?」
「ええ」
「じゃあ、次の問題で正解するわ!」
「分かりました。それでは次の問題です。『ぐうかわ』は、何の略語でしょうか?」

 今度は、前よりも簡単だろう。不正解が連発すると、先輩との間がぎくしゃくしそうで、僕は心配になる。

「『ぐうかわ』だから、きっと『かわ』が頭に付くのよね?」
「そうです」

「うーん、ちょっと待ってね。ぐうの音も出ないほどの川端康成?」
「えー、ノーベル文学賞作家ですね。文芸部っぽい答えですけど、正解ではないですね」

「じゃあ、ぐうの音も出ないほどの河合曽良?」
「マニアックですね。松尾芭蕉の門人で、『奥の細道』で同道した曽良のことですよね。これも、文芸部っぽいですけど違います。楓先輩、文人からは離れましょうよ」

 楓先輩は、渋い顔をする。あれ、おかしいな、素直にたどり着きそうなものだけど。僕は、嫌な予感を覚えながら、楓先輩の答えを待つ。

「ぐうの音も出ないほどの皮算用?」
「ああ、ありそうですね。でも、正解ではありません」

「じゃあ、ぐうの音も出ないほどのカワウソ?」
「……何で動物になるんですか?」

 僕は、ぐうの音も出ないほど、カワウソそっくりな人の姿を、思い浮かべる。

「うーん。ぐうの音も出ないほどの為替介入! ぐうの音も出ないほどの川下り! ぐうの音も出ないほどの厠の神!」
「……しりとりをしているんじゃないですから、意味が通るものにしましょうよ」
「もう、分かんないわ!」

 楓先輩は、とうとうギブアップした。おかしいな、簡単だと思ったんだけど。

「答えは、ぐうの音も出ないほど可愛い、です。この手の、ぐう系の言葉では、『ぐう』は強調を意味する接頭辞として使われます」

 先輩は、疲れた顔をして肩を落とした。

「想像以上に難しいのね。クイズはもういいわ。他にはどんな言葉があるの?」

 まあ、すぐに正解にたどり着くようなら、毎回僕に、ネットスラングの意味を尋ねてきたりはしないだろう。

「たとえば、ぐう天使という言葉があります。これは、ぐうかわと組み合わせて、ぐうかわ天使とも、使われます。他にはぐう正論もありますね。ぐう天使も、ぐう正論も、省略していないから、分かりやすいと思います。あとは、ぐう凡というのも存在します。これは、ぐうの音も出ないほどの凡才の略語です」

 僕の説明に、楓先輩は感心したような顔をする。ネット文化に慣れていない先輩にとっては、とても新鮮な話のようだ。

「なるほどね。ぐう何とかで、その対象の様子を強めて言うわけね」
「そういうことです。まあ、先輩は僕にとって、ぐうかわ天使ですね」

 さらりと言うと、楓先輩は頬を赤めて、もじもじとする。おっ、いい反応だ。さりげなく、僕の好意を先輩に伝えられたぞ。次は、逆に先輩の気持ちを聞き出そう。

「先輩にとって僕は、ぐう何ですか?」
「えっ?」

 戸惑いの声を上げたあと、先輩は真剣に悩み始める。あれ、そこは、そんなに悩むところなのですか? ぐう聖とか言ってくれればOKですよ。でも先輩は、十秒ぐらいじっくり考えたあと、答えを言った。

「ぐうわい、かな…‥」
「ぐうわい? 何を略したのですか?」
「うーん、言わないといけない?」
「いや、いいですよ。じゃあ今度は、僕が当てますよ」

 いったい、どんな言葉かな。僕は頭の中の辞書を検索して、当てはまりそうな言葉を探す。うーん、僕に相応しい言葉かあ。賢いという意味のワイズ、野性的なという意味のワイルド、みんなで楽しくといった擬態語のわいわい、こんなところかなあ。この中で最も適しているのは、どれになるかな。

「そうですね。ぐうの音も出ないほどのワイズ。そういった、ところでしょうか?」
「…‥ごめんなさい、違うの」

 楓先輩は困ったように目を逸らす。えっ、そこ、目を逸らさないといけないところなのですか? いったい何の略語だったのか、僕は楓先輩に尋ねる。先輩は言いよどんだあと答えた。

「ぐうの音も出ないほどの、わ、わ、猥褻……」
「ああ、猥褻だったんですか。……って、ええっ!!!」

 僕は驚きの声を上げる。先輩が言った「ぐうわい」って、「ぐうの音も出ないほどの猥褻」だったのですか? 猥言、猥談、猥本の『猥』。卑猥、淫猥、醜猥の『猥』。僕って、下品で、淫らで、乱れた人だったんですか? いったい、先輩の中で、僕のことって、どう見えているんですか?
 僕は、そのことを尋ねようか迷う。こ、怖すぎて聞けない。

「ぐうわい……ですか?」
「うん。ぐうわい。サカキくん、エッチだもん」
「そ、そうですよね」

 それから三日ほど、僕は先輩からの「ぐうわい」という評価に落ち込み続けた。

広告を非表示にする