雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第39話「アナニー」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、性的な知識の探究者が、そこはかとなく集まっている。彼らは、自らの性癖に逆らうことなく、日々精進を重ねている。
 かくいう僕も、そういった迷える子羊の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そんなアブノーマルな人間が集う文芸部にも、ノーマルな人が一人だけいます。変態紳士の国に迷い込んだ、不思議の国のアリス。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕は画像フォルダーをそっと閉じた。危ない危ない、僕のTSフォルダーを先輩に見られるところだった。そんな画像で萌えていると知られたら、どんな変態さんと思われるか分からない。僕は、何事もなかったかのように、笑顔で先輩に振り向いた。

「何ですか先輩。知らない言葉に出会ったのですか?」

 楓先輩は、僕の隣にちょこんと座る。その様子はまるで、リスやウサギといった小動物のようだ。僕は、そんな先輩の姿を見るだけで、ついつい顔がほころんでしまう。

「そうなの、知らない言葉に遭遇したの。サカキくんは、ネットの達人よね」
「ええ、宮本武蔵クラスの剣豪です」
「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を家でも書くためだ。そして楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を使うためだった。そのついでに、ウェブサーフィンにも、果敢に挑戦した。そのせいで先輩は、ネットに大量に蓄積された文字情報に出会ってしまった。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「アナニーって何?」

 ぶっ! 僕は、心の中で盛大に噴いてしまう。な、な、な、何ですか、その破廉恥な言葉は! 僕は、楓先輩が、どこでその単語に出会ってしまったのか想像する。
 きっと、女性向け小説サイトに迷い込み、そこからBLに分け入り、男性同士のちょめちょめの街道を抜け、その関連情報という魔窟に潜り込み、そこで紆余曲折あり、アナニーという単語に出会ってしまったのだろう。

 どう説明しようかなあと、僕が思考を始めた時である。部室の片隅で「ガタン」という大きな音が鳴った。
 うん? 何だろう。僕は、その音がした場所に顔を向ける。そこには、僕と同じ二年生、鈴村真くんが立ち上がっていた。鈴村くんは、顔を真っ赤に染めて、腰の辺りをもぞもぞとしている。

 鈴村くんは、華奢な体に、女の子のような顔立ちの男の子だ。そんな鈴村くんには、他人に隠している秘密がある。実は鈴村くんは、女装が大好きな、男の娘なのだ。彼は家に帰ると、女物の洋服を着て、等身大の姿見の前で、様々な可愛いポーズを練習している。そして、女の子の格好をする時には、「真琴」という女の子ネームに変わるのだ。僕は、その真琴の姿を、これまでに何回か見たことがある。その時のことを頭に浮かべながら、鈴村くんの姿を見た。

 えっ、まさか? そういうこと!
 僕は、鈴村くんがアナニーという言葉に反応した意味を考える。まったく知らなければ反応はしない。だから、少なくとも鈴村くんは、アナニーという言葉を知っている。そして、それがどういったものなのかも把握している。
 問題は、女の子に憧れている鈴村くんが、その単語が指す行為を、実践しているかだ。あるいは、かなり進んでおり、エネマグラなどの医療器具に手を出しているかも重要だ。

 僕は鈴村くんの表情から、何がしかの情報を読み取ろうとする。そうやって、時間を費やしている間に、僕の横に座っていた楓先輩が立ち上がり、ととととと、と駆けていき、鈴村くんの手を引いて戻ってきた。

「ねえ、鈴村くん。今、サカキくんに、アナニーって何、と聞いていたんだけど、鈴村くんはもしかして知っているの?」

 無邪気な様子で、楓先輩は鈴村くんに尋ねる。ああ、触れないであげて先輩! もうやめて、鈴村くんのライフはゼロよ! 鈴村くんに無慈悲な攻撃を加える楓先輩に、僕は心の中で慈悲を乞う。

「鈴村くん。アナニーって何? 知っているなら、教えてちょうだい」

 僕の願いも虚しく、楓先輩は、鈴村くんに精神攻撃を加える。鈴村くんは、恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めて、体をぷるぷると震えさせている。これは、さすがにやばい。僕は、友人のために、一肌脱ごうと決意する。男気に溢れている僕は、友人のために立ち上がったのだ!

「先輩!」

 僕は、楓先輩の注意を引くために、ひときわ大きな声で呼ぶ。

「何、サカキくん?」
「アナニーの秘密について、鈴村くんではなく、僕が語りましょう!」
「本当! 知りたいわ。アナニーがどんな意味の言葉で、どのように使われるのかを」

 楓先輩は興奮気味に声を出す。そして、僕と触れ合うほど近くにきて、目をきらきらと輝かせる。ああ。僕は、その姿を見て、眩しさを感じる。この世界のどこに、これほど純真で、無垢で、アナニーと叫びながら、男性に近付いてくる女性がいるのだろうか。僕は、この奇跡のような瞬間を神に感謝しながら、これからその言葉の正体を暴露しなければならない、自身の運命を呪う。

「アナニーとは、二つの言葉の合成語なのです」
「サカキくんが、よく教えてくれる、ネット用語に多いパターンね」
「そうです。ネットには、二つの言葉を短くして繋げたスラングが非常に多いです。アナニーもそういった言葉の一つです」
「それで、どういった言葉が、合体したの?」

 楓先輩は、聞きたくてたまらないといった様子で、顔を近付けてくる。きっと、眼鏡の楓先輩は、裸眼では顔を近くまで寄せないと、ものが見えないのだ。だから、眼鏡をかけている時も、ついつい間近まで顔を寄せてしまう癖があるのだろう。

 僕は、鈴村くんをちらりと見る。おびえて、消え入りそうな姿をしている。その顔は悲痛で、助けを求めているように見える。大丈夫だよ、鈴村くん。僕は、友人として、君の代わりに、すべてをつまびらかにしよう。そして殉教者のように、「サカキくん、エッチ!」という、非難の業火に焼かれよう。

「アナニーは、口から続く消化管の終端を指すアナルという言葉と、性的自己処理を指すオナニーという言葉を合成した用語です。
 通常、日本語で、二つの単語が合成される時は、二音ずつ取り、合成語は四音になることが多いです。しかし、この単語では、アナルの『ナ』と、オナニーの『ナ』が同じために、この『ナ』を架け橋として、非常に麗しく結合しているのが特徴です。

 さて、それでは、このアナニーとは、どういったものかを、医学的に解説します。主にこのアナニーは、男性を対象にして使われることが多い言葉です。
 男性は通常、体外に露出した器官を刺激することで快感を得て、生殖にいたる反応を引き起こします。しかし、その他の部位でも、適度な刺激を繰り返し与えることで、刺激に対する感度を上げ、脳を順応させて、快感を得ることが可能なのです。

 そういった、通常とは違う刺激対象として、特に前衛的な男性に好まれるのが、前立腺という生殖器官です。
 この前立腺は、膀胱頸部と尿道を輪状に取り巻く器官です。その前立腺を刺激するには、体内から押すことが効果的なのです。そのために、消化管の終末部から指や器具を差し入れることが、おこなわれます。これが、アナニーと呼ばれる行為の全貌なのです」

 僕は怒涛の勢いで説明を終えた。圧倒的な言葉の奔流が、医学的知識という殻を被って、楓先輩に投げ付けられる。このまま先輩が、表面上の知識だけをなぞってくれれば、それでいい。そこに性的な意味合いを感じ取り、僕への蔑視を喚起しなければ、僕はそれで満足だ。

「ええと、ちょっと待ってね」

 楓先輩は、一生懸命、頭の中を整理しようとする。

「消化管の終末部って、どこかしら……。あと、性的自己処理と、言っていたわよね……」

 先輩の顔が、じわじわと赤くなってくる。ああ! 楓先輩は、僕の言葉の煙幕をかいくぐり、アナニーの本丸にたどり着いてしまった。このままでは、僕が言葉で築いた、砂上の城が攻略されてしまう。僕は助けを求めて、鈴村くんに顔を向ける。今だ、鈴村くん! 援軍を差し向けて、見事、この窮地を救ってくれ!
 僕に見つめられた鈴村くんは、顔を真っ赤に染めて、照れた様子になった。

「サカキくんも、アナニーに興味があったんだ。実は、最近、やり方の載った本を見つけて、買うかどうか迷っていたんだ。サカキくんも気になっているなら、購入して僕の部屋で一緒に読む?」

 ノ~~~~~! 何を言っているんだ鈴村くん。友軍を希望していたら、敵軍が攻めてきた。やめてくれ鈴村くん。同好の士を見るような目で、僕のことを見るのは! 駄目だ。僕のライフはゼロだ。敗軍の将になった僕は、この場から逃げ出そうとして、腰を上げる。
 立ち上がった僕は、その拍子に楓先輩とぶつかってしまった。先輩が倒れそうになり、僕は社交ダンスのように手を伸ばして、楓先輩の体を支える。おっ、けっこういい感じの、絵になるポーズになったぞと、僕は思う。

「あの、サカキくん」

 楓先輩は、恥ずかしそうに顔を染めている。

「何ですか、楓先輩」

 僕は、王子様のような笑みで、腕の中の楓先輩に声をかける。

「サカキくんも男の子だから、そういったことをするのは分かるし、いろいろなことを試みるのは理解しようと思うわ。でも、お尻を触ったあとは、きちんと手を洗うようにしてね。いろいろと病気の原因になると思うから」

 ノ~~~~~! 先輩、僕はアナニーなんてしていません! 僕は先輩から、とんでもない誤解を受けたまま、衛生的観点で心配されてしまった!

 それから三日ほど、部室からトイレに行くたびに、楓先輩は僕に付いてきた。そしてトイレの外から、僕がきちんと手を洗っているか確かめ続けた。だから、あそこは開発していないですって! 僕は何度も、そう主張したけど、楓先輩はなかなか誤解を解いてくれなかった。