雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第37話「虹・惨事」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

f:id:kumoi_zangetu:20140310235211p:plain

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部は、荒くれ者がそろっている。彼らは、趣味や性癖のために、周囲を顧みずにひた走っている。
 かくいう僕も、そういった人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、うつけ者ばかりの文芸部にも、真面目できちんとしている人が一人だけいます。バーサーカーの群れに紛れ込んだ、お姫様。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえて、僕はネット巡回の手を止めた。楓先輩が席を立ち、ととととと、と僕のところまで駆けてくる。そして、ふわりといった様子で、僕の右隣にちょこんと座る。その様子は可愛らしいお人形さんのようで、僕は思わず笑みを漏らす。

「何ですか先輩。また、知らない単語を目撃したのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットのマエストロよね?」
「ええ。ネット界の巨匠。人間国宝とでも言うべき存在です」
「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を丁寧に推敲するためだ。そして楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を利用するためだった。そのついでに、ウェブブラウザを開いてみた。それがいけなかった。先輩は、そこに未知の言語情報があることを知ってしまった。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「虹と惨事って何? よく、対のようにして、出てくるんだけど」

 おっ、そう来たか。僕の脳内では「虹」「惨事」の漢字で変換される。おそらく、楓先輩がネットで見たものも、そういった表記だったはずだ。
 オタク文化、とりわけマンガやアニメに親しんでいない先輩には、すぐに元の漢字は思い付かないだろう。虹は二次、惨事は三次の置き換えだ。もっと言うと、二次は二次元、三次は三次元の略称になる。省略と置換という、二つの変換が入っているから、まったく予備知識がない人には、難しい言葉のはずだ。

「おい、サカキ。借りていたDVDを返すぞ」

 机の上に、茶色い紙袋が置かれた。僕は顔を向ける。そこには、三年生でちょっと強面、女番長と評判の吉崎鷹子さんが立っていた。鷹子さんは、高圧的で、暴力的で、僕にアニメや、マンガや、ゲームをよく持ってこさせるモヒカン族だ。そして、僕を部室の真ん中に立たせて、それらの作品の批評や解説をさせる、恐ろしい人だ。まあ、簡単に行ってしまえば、「ヒャッハー!」な感じの人である。

 僕は、鷹子さんが机に置いた紙袋を見る。昨日貸した「二次元ドリーマー☆平面世界への侵入」というSFアニメが入っている。輝くトラペゾヘドロンを手に入れた主人公が、二次元ドリームランドに迷い込むという謎のストーリーだ。そのマニアックな内容が、一部の好事家の間で、わずかに話題になった。その話を数日前にしたところ、鷹子さんが興味を持ち、貸したのだ。

「どうでした?」

 僕は、いちおう礼儀として感想を聞く。たった一日で返したということは、あまりお気に召さなかったのかもしれない。

「三次の主人公が、二次になるという設定だが、全編アニメで作ることに、そもそもの企画的問題がある。第三者から見れば、ずっと二次だ。これは失敗作だ」

 ああ、そういった評価か。確かに、三次元の人間が二次元に入るという設定なのに、表現はずっと二次元だ。そこに違和感を覚えたら、そもそもこの作品を楽しむことは不可能だ。やはり、一部の好事家の間で、わずかにしか話題にならなかったわけだ。そんな作品のDVDを、なぜ僕が持っているかというと、ヒロインで案内役のニャル子が、可愛かったからなんだけどね。

「ねえ、鷹子は、虹や惨事を知っているの?」

 楓先輩が、興味津々といった様子で尋ねる。鷹子さんは、しまったという顔をして、恥ずかしそうに顔を逸らす。鷹子さんは、女番長だから、アニメやマンガなんて、軟派なものには興味がない。でも、世の中の流れを押さえるために、仕方なく萌えアニメや、萌えマンガをチェックしている。それは、新聞やテレビで、ニュースを確認するのと同じことだ。

「いや、知らんな」

 鷹子さんは、目を逸らしたまま答える。楓先輩は、顔に疑問を浮かべて、鷹子さんの表情を窺う。

「でも、さっき、虹とか惨事とか言ったよね?」
「断じて言ってない」
「嘘」

 楓先輩に視線を注がれ、鷹子さんは、ばつが悪そうに、僕の後ろに隠れる。そして僕の耳元に顔を近付けた。

「おい、サカキ。いったいどうなっているんだ?」
「楓先輩が、虹と惨事の意味を聞いてきたんですよ。その言葉を、鷹子さんが使っていたから、知っていると思い、尋ねたんです」
「何? 私は、二次元とか三次元とか、興味もないし知らん。適当に嘘を吹き込め」
「嫌ですよ。楓先輩には、本当のことしか言いたくないですから。鷹子さんが、密かに二次元に興味があることを暴露しても、いいじゃないですか」
「嫌だ!」

 僕は鷹子さんに襟首をつかまれる。ぐえっ! ぐげっ! 首が絞まる。

「分かりましたよ。何とか曖昧に説明します」
「よし、ここで監視しておく。変なことを言うんじゃねえぞ」

 鷹子さんは僕をにらむ。何でこんなことになったのだろう。簡単な説明だと思っていたのに、いつの間にかハードルが上がってしまった。僕はため息を吐いたあと、楓先輩に向き直る。

「楓先輩!」
「サカキくん。いよいよ解説ね!」
「はい。先輩が尋ねた虹と惨事について理解するためには、深遠な宇宙の仕組みについて知らなければなりません」
「宇宙の仕組み? 何だか壮大な話になってきたね」

 楓先輩は興奮気味に声を出す。僕は、胸を張って説明を開始する。

「そうです。この宇宙は、縦横高さに時間を合わせた、四次元で構成されると過去に言われていました。
 しかし、宇宙の諸現象の辻褄を合わせるためには、僕たちが認知できない、隠された次元があると仮定した方が都合がよい。宇宙は、より多次元で構成されているとして計算すれば、整合性がある。そういったことから、宇宙は十一次元である、十二次元であるといった議論が現在おこなわれています。

 なぜ、そういった考えが出てきたのか。それは、卑近な例で説明できます。私たちは、四次元よりも大きな次元を想像できません。しかし、四次元よりも小さな次元は、頭に思い浮かべて、簡単に俯瞰できます。
 たとえば三次元は、縦横高さを持った立体で表されます。そして二次元は、縦横だけを持った平面で表現できます。
 人間の認知が、仮に二次元にしかおよばないものとします。その時、平面上の物体が、持ち上げられて、立体的に移動して、他の場所に置かれたとします。その際、二次元上の人間は、その物体が瞬間移動したように見えます。しかし、三次元から見れば、ただ単に立体的に移動しただけになります。

 このように、ある次元で説明の付かない現象は、より高次元を仮定すれば、解決することがあるのです。こういった、高次元の存在の恐怖を描いた作品には、山田芳裕の『度胸星』というSFマンガがあります。このマンガでは、テセラックという超立方体が登場して、作中人物を苦しめます。
 楓先輩が質問した、虹、惨事というのは、実は、こういった次元に関係する言葉なのです。虹は二次元、惨事は三次元を表しています。そして、この虹、惨事は、表現における、次元の違いに起因しているのです」

 楓先輩は、僕の言葉の大波に飲み込まれる。そして、圧倒的な情報の海に、溺れそうになる。よし、あともう一息だ。先輩を煙に巻いて、説明を完了して、そのまま立ち去れば、この難局を乗り切れる。

「三次元とは、縦横高さのある肉体を持った存在です。この三次元は、三次と省略されて呼ばれます。この言葉は、現実世界の女性を表すメタファーであり、性的な肉体関係を示唆します。
 二次元とは、縦横の平面に表現された世界です。この二次元は、二次と短く言われます。これは、アニメやマンガといった、テレビ画面や紙の上に表現された平面世界を示します。また、それだけでなく、そういった作品中の女性を暗示します。この言葉には、恋愛対象として三次元の女性を見限り、二次元世界に没入している人間の姿が、ほのめかされているのです。

 この三次と二次という言葉は、その性的嗜好が、生身の女性なのか、それともアニメやマンガのキャラクターなのかといった対比の文脈で使われます。そこには、現実から目を背けていたり、現実では満たされなかったりといった、ルサンチマン的ニュアンスが含まれています。
 そのため、三次を、酸っぱいブドウ的に、惨事という貶める漢字を当て、二次を、虹という夢のような言葉を当てるといった、無意識的当てはめがおこなわれていると、僕は推測しています。

 また、先の宇宙の次元の話に立ち戻りましょう。自分より低次の存在は、相手の意志に寄らず、もてあそぶことができます。三次元の肉体を持った人間にとって、二次元の平面的存在は、自由に扱うことができる低次の存在です。
 三次元で満たされない人間にとって、より手軽に、自己の欲望を満たすことのできる存在として、二次元のキャラクターは扱われる傾向があります。僕は、二次元愛好者の中に、そういった非対称的恋愛関係を好む性向があることは、否定できないと思っています。

 虹と惨事といった言葉には、そういった言外の文脈があります。そして、鷹子さんは、その虹の作品を、そこはかとなく気に入っているようなのです」

 僕は、長大な説明を一気に述べた。これで、楓先輩は理解するのに時間がかかるはずだ。そして、その間に、僕はこの部室を抜け出す。完璧だ。どこにも欠陥のない、パーフェクトな作戦だ。僕はそのことに満足して、この場を立ち去ろうと腰を上げる。その直後、鷹子さんの手が、僕の襟首をつかんで天井へと向かった。僕は、にゃーといった感じで、首輪を持たれた猫のように、空中に吊り上げられる。

「おい、サカキ。何勝手なことを言っているんだ」
「く、苦しいですぅぅぅ」

 僕はじたばたと足を動かす。僕は、鷹子さんの腕力で、宙吊りになっている。何でこんな目に遭っているんだ? あっ。そういえば、説明の最後に、鷹子さんのことを、ぽろりと言ってしまった。鷹子さんは、その部分に目ざとく気付き、僕に制裁を加えているのだ。

「ねえ、鷹子」

 楓先輩が、鷹子さんに声をかける。

「何だ、楓」

 鷹子さんは、楓先輩をじろりとにらむ。

「鷹子は、惨事ではなく虹が好きなの?」
「そんなことはない。ただ、……か、か、か、可愛いと思っているだけだ」

 鷹子さんは、顔を真っ赤にして、僕を壁へと投げ飛ばした。そして、怒ったようにして部室を出ていった。そうか、鷹子さんは、二次元の女の子を、可愛いと思っていたのか。僕は、なるほどと思った。
 それから二日ほど、楓先輩は鷹子さんに、二次元のどういったところがよいのか、しつこく尋ね続けた。鷹子さんは、そのたびに逃げ回り、僕をぶん投げた。むぎゅう。何で僕が被害に遭うの? 理不尽だなあと、僕は思った。