雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第33話 挿話11「氷室瑠璃子ちゃんと僕」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中学の文芸部には、個性豊かな人材がそろっている。そのように言えば聞こえはよいが、その実態は、協調性のない面々が巣くっているというものだ。
 そんな、扱いの難しいメンバーの部活に、僕、榊祐介は所属している。二年生で文芸部では中堅どころ。厨二病まっさかりのお年頃だ。そんな僕が、部室でやっていることは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことである。

 そういった、微妙な人間たちが生息している文芸部にも、真面目でおとなしい人が一人だけいます。珍獣の中に紛れ込んだ、可愛い子犬。それが文芸部の先輩の三年生、僕の意中の人である雪村楓さんだ。楓先輩は、眼鏡で三つ編み。見た感じのままの文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ってきたという純粋培養の美少女さんである。

 この、僕や楓先輩が所属している文芸部に、かつてない恐るべき事態が勃発した。それは、文芸部存続の危機である。生徒会長で、演劇部部長の、花見沢桜子さんが、全国大会に行った演劇部の部室を拡張するために、部室明け渡しを要求してきたのだ。
 その無理難題に、城ヶ崎満子部長が出した答えは、公募で賞を獲って文芸部としての成果を出すというものだった。しかし、この部活で文章を書き慣れている人は、満子部長と楓先輩と僕しかいない。そこで、満子部長は、ペアライティングを提唱した。そして、三人以外の部員の初稿を、僕が書くという奇策に打って出た。……というか、僕に丸投げしたのだ。ええええ。

 そういったわけで、今日は僕は、一年生で後輩の氷室瑠璃子ちゃんと、どんな文章を書くかの打ち合わせをしている。いったい、どんな話を書くことになるのか、僕にもまったく予想が付かないのである。

「それで、瑠璃子ちゃんは、何を書くつもりなの?」

 僕は、机を挟んで正面に座る瑠璃子ちゃんに尋ねる。瑠璃子ちゃんは、僕の苦手な相手だ。その名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。しかし、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えない外見。そして人形のように整った顔。瑠璃子ちゃんは、その姿と、鋭い目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている。
 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に対して、すこぶる厳しい。「勉強をしないのは、馬鹿だからですか」とか、「運動をしないと、将来メタボ一直線ですよ」とか、「いかがわしい本をよく読んでいるのは、人間性に問題があるからですか」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。
 その瑠璃子ちゃんが、僕の前で腕を組んで、必死に考え事をしている。

「瑠璃子ちゃん。よい、アイデアが思い浮かばないの?」
「いえ、あるにはあるのですが、どうしようかと思いまして」
「歯切れが悪いね。いつもの、日本刀でばっさり斬り捨てるような口調は、どこにいったんだい?」

 瑠璃子ちゃんは、目を僕に向ける。その鋭い視線に、僕はノミの心臓をぶった切られる。怖いなあ。そう思っていると、瑠璃子ちゃんが、意を決したようにして口を開いた。

「実験記録を作ろうかと思いまして」
「どんな実験なんだい?」
「サカキ先輩の頭を、よくする実験です」
「へー、どうやってよくするの?」
「私が調合した薬を、サカキ先輩に飲ませます」

 うん? 何かよくないフラグが立った気がするぞ。気のせいかな? 僕は微笑みを維持したまま、心の中で考える。
 瑠璃子ちゃんは頭がいい。そして、両親は漢方薬屋をやっている。氷室漢方実験所。それがお店の名前だ。僕は過去に、テストに備えて、その店で作られた謎の薬を飲んだことがある。でも、それは、瑠璃子ちゃんの両親が調合した薬であって、瑠璃子ちゃんが作ったものではない。これが、マンガやアニメなら、僕はその薬を飲むとひどい目に遭う。でも、これは現実で、マンガやアニメではない。だから、同じ結果にはならないはずだ。でも、悪い予感しかしないのは、なぜだろう?

「その薬は、瑠璃子ちゃん自身は、飲んでみたことがあるのかい?」
「いえ、ありません。サカキ先輩と違い、これ以上、頭がよくなる必要はありませんから。だから、近所の犬には飲ませてみました。その結果、『オスワリ』と言っても、聞かなかった野良犬が、地面に伏して、微動だにしなくなりました。きっと、頭がよくなり、人間の言葉が分かるようになったのだと思います」

 ちょっと待った! 僕は激しい突っ込みを入れたくなる。それは、「オスワリ」を聞くようになったのではなく、薬の作用で動けなくなっただけではないか? 僕は瑠璃子ちゃんの表情を窺う。真剣だ。どこにも冗談めかしたところはない。瑠璃子ちゃんはその薬で、本気で僕の頭がよくなると思っている。

「理論的には、サカキ先輩の頭脳は、大いに改善されます」

 瑠璃子ちゃんは、自信ありげに言う。こういった時の「理論的」は地雷でしかない。様々なお約束のパターンを熟知している僕には、そのことが分かる。森羅万象が叫んでいる。これは、死亡フラグだと。僕は大自然の声に従い、瑠璃子ちゃんの前からフェードアウトしようとする。しかし、その逃亡は、鋭い視線で遮られた。

「いいですか、サカキ先輩。明日、放課後、うちに来てください。選択肢はありません」
「は、はい」

 ヘビににらまれたカエルのように、僕は返事をしてしまった。ああ、どうなることやら。僕は、途方にくれる思いで、その日の部活の時間を過ごした。

 翌日、放課後になり、部室に寄らず、帰宅の途に就いた。瑠璃子ちゃんの家は、僕の家の近くだ。だから、帰りがけに寄ればよい。いちおう、記事を書くためにノートパソコンは用意してきている。でも、生きて帰れるかなあ。もし、死ぬような目に遭ったら、文章を書けないよなあ。僕は不安を抱きながら、灰色の団地の間を抜けていく。
 前方に森が見えてきた。その間に小道がある。そこを抜けると、中華風の建物が見えてきた。氷室漢方実験所。金色の文字の看板が見える。入り口を抜けると、カウンターに瑠璃子ちゃんが座って、店番をしていた。

「やあ、来たよ」
「きちんと来たみたいですね」
「うん。約束は守る主義だからね」
「サカキ先輩の、数少ない美点の一つです」

 褒められているのだか、貶されているのだか分からない。まあ、瑠璃子ちゃんのことだから、褒めているのだろう。

「さあ、私の部屋に行きましょう」

 立ち上がった瑠璃子ちゃんは、小柄な体に、チャイナドレスを着ていた。店番の格好なのだろう。チャイナドレスの幼女も、なかなか乙なものである。
 僕は手招きに従い、店の奥の階段をのぼる。僕は、瑠璃子ちゃんの背中を追いかけて、廊下の奥にある扉を抜けた。
 そういえば、瑠璃子ちゃんの部屋に入るのは初めてだな。そんなことを思いながら足を踏み入れて驚いた。六畳ほどの部屋の壁はすべて本棚になっており、そこに分厚い古書や洋書が詰め込まれていた。部屋の中央にはベッドがあり、奥には学習机があり、その上には顕微鏡や試験管、フラスコやビーカーやガスバーナーが並んでいる。ちょっと変わったところでは、生薬を粉末にするための薬研もある。その空間は、ちょっとした研究室というか、魔法使いの部屋みたいになっていた。

「ここが、瑠璃子ちゃんの部屋なんだ」
「そうです。うちの家訓は『日々実験』なので、日夜新しい薬を開発しては、森の動物で試しています」

 大変だなあ、森の動物も。僕は、他人事のように思う。僕も、これから、その実験台の一つになるのだ。森の動物と、同じレベルの扱いだ。

「それで、薬はどれなんだい?」
「このビンに入っているものです。これを飲み干してください」

 自信満々に差し出されたそのビンには、青紫の謎のゲル状物質が入っている。容量は、おちょこ一杯ぐらいだ。僕は、本当にこれを飲まないといけないのかなと思い、瑠璃子ちゃんに顔を向けた。

「サカキ先輩。信用していないのですか?」
「いや、そんなことはないけどね。そうだ。飲む前に、どんな薬か書き留めておこう。ノートパソコンを出すから、待ってね」

 なるべくその瞬間を先延ばしにしたいという思いから、僕はノートパソコンを出して、学習机の椅子に座る。机や椅子は、僕がいつも利用しているものよりも随分低かった。瑠璃子ちゃんの体格を考えれば当然だ。そこに腰かけると、机に何枚か写真が飾ってあるのが分かった。その写真には、瑠璃子ちゃんと僕が写っていた。自信に溢れて、強そうな瑠璃子ちゃんと、おっかなびっくり、撮影に付き合わされている僕の姿だ。僕の身長から、小学生時代のものだと分かった。

「これは?」

 指差して尋ねる。

「宝物です」

 瑠璃子ちゃんは、得意満面といった様子で答える。
 可愛い女の子に、自分と納まった写真を「宝物」と言われるのは、悪い気はしない。それが、いつも厳しい瑠璃子ちゃんであってもだ。そうか、宝物か。僕は、口元をほころばせる。仕方がない。瑠璃子ちゃんの実験に付き合うか。僕は、その薬の製法を聞き、ノートパソコンに入力したあと、ビンを手に取り、口へと近付けた。

 うっ、何だこの悪臭は。横をちらりと見る。瑠璃子ちゃんは、期待の眼差しを僕に向けている。いつも、散々僕のことを叱っている瑠璃子ちゃんだ。僕がこの薬を飲んで、明晰な頭脳になることを夢見ているのだろう。
 ええい、ままよ。僕は、ごくりと飲み込む。うん? 何も起きないぞ。これは、喜ぶべきことなのかな。
 んがんぐ! 僕は、めまいを覚え、吐き気を感じる。それとともに、異常に頭が冴え、脳内に無数の文章が、浮かび上がった。

「うおぉぉぉぉっ!」

 僕は、狂った猿のようにキーボードを連打する。無数の文字が入力されて、圧倒的な速度で文章が出来上がっていく。これは、本当に頭がよくなったのか! 僕の手の動きは残像を作り、キーボードはマシンガンのような音を立てる。書ける、書ける、書ける! 無駄! 無駄! 無駄! 自分でも、何を書いているのか分からなくなるほど、超速で文章を仕上げていく。すごい。すごいぞ! 僕は人類の壁を突破しようとしている!
 鼻から鼻血が垂れた。どうやら、オーバーヒートしているようだ。それでも手は止まらず、脳は活動を続ける。僕の意識は飛び、視界はブラックアウトした……。

 気が付くと僕はベッドに寝ていた。どうやら瑠璃子ちゃんのベッドに寝かされていたようだ。顔を動かすと、瑠璃子ちゃんが椅子に座り、僕の顔を見下ろしていた、その顔は、珍しくしおらしく、泣きそうになっていた。

「どうしたんだい、瑠璃子ちゃん?」
「ごめんさい、サカキ先輩。先輩が倒れたあと、両親に怒られました……」

 どうやら瑠璃子ちゃんは、過剰な成分を僕に投与してしまったようだ。僕は、瑠璃子ちゃんを安心させようとして起き上がる。何だか体が妙にふわふわして、そのまま、瑠璃子ちゃんに倒れ掛かってしまった。

「むぎゅう」

 僕は、瑠璃子ちゃんに支えられて、ぐんにゃりとなる。瑠璃子ちゃんは、仕方がないなあという顔をして、僕の背中をぽんぽんと叩いてくれた。

「サカキ先輩は、私がいないとどうなるか分かりませんから。目を離すと心配です」
「そんなものかなあ」
「小学六年生の一年間は、中学生になったサカキ先輩が心配で、気が気ではありませんでした」
「大丈夫だよ。僕は普通に暮らしていたし」

 薬が抜けてきたようだ。頭が普通の速度で動き始めた。つまり、いつものお馬鹿な僕に、戻ったということだ。

「結局、文章はできたのかな?」
「いちおう、最後に『了』と書いてあるから、完成しているみたいですよ」
「よし、これをそのまま投稿しよう」
「でも、かなり前衛的ですよ」
「いいよ、いいよ。そういうのも、ありなんじゃないの?」

 そして、僕は、覚醒状態になった時に入力した文章を、そのまま文芸賞に投稿した。

 後日、一次予選落ちしたという手紙が届いた。なぜだ! 寸評を見ると、この小説は、官能小説ですので、本賞には相応しくありませんと書いてあった。あれ、そうだったかな? 僕は、その文章を読み直してみた。そこには、豊穣で多彩な隠語がちりばめられていた。どれだけ頭がよくなっても、僕の語彙はそのままだ。巧みに使われた猥褻な言葉は、臨場感溢れる濡れ場を演出していた。
 僕は、瑠璃子ちゃんの前で、その文章を入力していた。そのことを思い出して、僕は赤面してしまった。