雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第25話「フラグ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、ちょっと変わった性的嗜好の人々がいる。彼らは日々、自らの欲望に忠実に人生を送っている。
 かくいう僕も、二次元を愛してやまない人間だったりする。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、紆余曲折しまくった人々ばかりの文芸部にも、真っ直ぐすくすくと育った人が、一人だけいます。ゴミ捨て場に咲いた、一輪の可憐な白い花。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。そんな彼女は、この部室で真面目に、清らかに生きています。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえてきて、僕は画像ビューワーを慌てて閉じた。危ない危ない。むふふな画像を、ジャンルに分けて整理していたところだ。僕の崇高な分類学の研究が、楓先輩の目に触れてしまうところだった。僕は、心の中の冷や汗を拭いながら、先輩が横に座るのを受け入れる。

「先輩。何か、知らない単語にでも出会ったのですか?」
「うん。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。エキスパートでも、スペシャリストでも、ウィザードでも、好きな名前で呼んでいただければと思います」
「そんな、サカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でも聞いてください。僕に答えられない質問はありませんから」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を様々な形式で印刷してみるためだ。そして楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を引くためだった。そこで出会ってしまったのだ。ネットの有象無象の情報に。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「フラグって何?」

 ああ、今日は簡単な単語だった。特に隠し立てする必要もないだろう。そう思い、僕は勢いよく口を開く。

「フラグは、元々、プログラミングの用語です。フラグというのは、日本語に訳せば旗という意味です。プログラムでは、スイッチに相当するものをいくつか用意しておき、ある特定の条件を満たした場合に、そのスイッチをオンにして処理を分岐します。こういったことを、『フラグを立てる』と言います。
 このフラグの概念は、扉を開ける鍵を考えると分かりやすいです。たとえば昔話で、大きな城にいる主人公が、秘密の部屋の鍵を拾う。そのことで、今まで行けなかった場所に行けるようになる。そういった状態を、『フラグが立つ』と呼ぶのです。この場合は、鍵を手に入れることで、『フラグが立つ』わけです。

 そういった用語から転じて、ある出来事が起きた時に、お約束として、次に起きるべき展開が予想できる時に、『フラグが立つ』と呼ぶようになりました。たとえば映画で、人が死ぬ時のお約束の展開を、『死亡フラグ』と言うようになったのです。
 たとえば戦場で『俺は、この戦争が終わったら、恋人に結婚を申し込むんだ』と告白した兵士が死ぬとか、ミステリーで『殺人犯と一緒にいられるか。俺は一人で部屋にこもる!』と宣言した人が死ぬとか、様々なお約束を『フラグ』と呼ぶようになりました。こういった、本来の用語から派生した用法の中には、『恋愛フラグ』というものもありまして……」

 その時、部室の片隅で、「ガタリ」という音が響いた。僕は、何だろうと思い、視線を向ける。そこには、同級生の鈴村真くんが立っていた。
 華奢な体に、女の子のような顔立ち。そのポーズは、誰の目から見ても可愛いくなるように、等身大の姿見で練習を重ねたものだ。そんな鈴村くんは、実は男の娘だ。そして、女の子の格好をする時には「真琴」という女の子ネームに変わる。僕は、その真琴の姿を、これまでにも何回か見たことがある。いや、そういえば昨日見た。僕はそのことを思い出す。

 昨日、僕は、新しいゲームの発売日だったために、部活を早く帰ることにした。その日、家での用があるため、鈴村くんも同じ時間に部室を出ることになった。帰宅部の人たちがすでに帰った時間のため、校内はがらんとしていた。そのため、僕と鈴村くんは、誰もいない廊下を、二人並んで歩くことになった。
 鈴村くんは、クラスの男子たちが「付き合いたい子ナンバーワン」に推す、可愛い子だ。そんな子と二人っきりの時間を過ごすことは、それなりに充実したことだ。僕は、同じ部の仲間という気安さも手伝って、鈴村くんと雑談を交わしながら玄関を目指していた。

「……ねえ、サカキくん」
「何だい、鈴村くん?」
「今、誰も見ていないよね」
「うん? まあ、僕はいるけど、それ以外は誰もいないみたいだね」
「実は今日、僕はブラジャーを着けて学校に来たんだ」

 僕は「ぶっ!」と噴き出しそうになる。何を言っているんだ鈴村くん。最近、君の変態度が、徐々に上がってきている気がするぞ。親友の僕は、気が気ではないですよ。もう、本当に、まったく。

 僕は立ち止まり、鈴村くんに顔を向ける。すると、鈴村くんは、恥ずかしそうに顔を上気させて、制服のボタンに指をかけ始めた。
 な、な、何をする気だね鈴村くん。いや、やろうとしていることは分かる。鈴村くんが男の娘だと、唯一知っている僕に、そのブラジャーを見せようとしているのだ。

 僕は、その行為をやめさせるべく、両手を鈴村くんの両肩に置く。鈴村くんは、一瞬びくっと体を縮こまらせたあと、ボタンに指をかけたまま、僕の顔を見上げた。その顔は、男子の顔ではなく、少女のそれだった。鈴村くんは、僕との距離を縮めることにより、真から真琴に変貌していた。その変化に僕は硬直する。まるで魔法をかけられたように、僕の時間は止められていた。

「ちょっと待ってね、サカキくん」

 真琴は照れくさそうに笑みを浮かべて、ボタンを一つ一つ外していく。僕は、背の低い鈴村くんを、斜め上から見下ろしたまま、その様子を凝視する。
 ボタンによる拘束は解け、白いシャツが見えた。その下には、淡いピンク色のブラジャーが透けて見える。華奢な真琴に、胸の膨らみはほとんどない。わずかに盛り上がっているのは、ブラジャーの形なのか、詰め物をしているのか、それとも白い肌の下に柔らかな脂肪の隆起があるのか、僕には分からなかった。

 僕の両手は、真琴の両肩にある。真琴は、すっと手を動かして、シャツの一番上のボタンに触れる。花の花弁がゆっくりと開くように、白いシャツの下から白い肌が覗いていく。その胸の辺りが、薄紅色の女性用下着で隠されている。真琴は、滑らかな下腹部まであらわにして、小さく吐息を漏らした。

「ねえ、サカキくん。お願いがあるんだ」

 僕の頭は混乱していた。常識と非常識の境界に立たされた僕は、酩酊状態に陥っていた。真琴は、左手を上げ、僕の右手を優しく包んだ。そして、その手を動かして、真琴の胸の辺りに持っていく。そして、白いシャツの下に、僕の手を滑り込ませた。僕の手は、真琴の背中側に回る。僕の心臓は、爆発しそうなほど音を上げる。真琴は、こんなに大胆なのか。いったい、どうしたんだ。これがエロゲなら、このまま、ことにおよぶような場面だぞ。

「真琴!」

 僕は真琴のことを抱きしめそうになる。その寸前に、真琴が僕に台詞を告げてきた。

「背中側のホックが上手く留められないんだ。上手くかかっているか、確認して欲しいんだけど」
「……ああ、そうだよね。自分じゃ、やりにくいだろうしね」

 咳払いを一つして、僕はホックがきちんと留まっているか確かめる。二つあるホックの一つしか、かかっていなかった。僕は両手を鈴村くんの白いシャツの中に入れて、ブラジャーの谷間に顔を埋めながら、きちんとホックを整えてあげた。

「これでいいと思うよ」
「ありがとう、サカキくん。こんな相談ができるのは、サカキくんしかいないから」

 鈴村くんは嬉しそうに顔をほころばせる。僕は、その顔を見て赤面する。

「うん。でも、着替えのシーンを、男子に見せるべきではないと思うな。僕は一瞬、僕と鈴村くんの恋愛フラグが立ったかと、勘違いしてしまったから」
「えっ?」

 鈴村くんは、顔を耳まで染め上げる。僕はその真正面で、照れくさそうに頬をかいた。

「う、うん。気を付ける。サカキくん以外には見せないようにするね」

 いや、そうじゃなくて、僕に見せるのもよくないよ! その台詞は、なぜか上手く言えずに飲み込んだ。僕と鈴村くんは、二人並んで下駄箱へと向かった。

 そういったことがあり、僕と鈴村くんの恋愛フラグは、危うく立ちかけた。これがエロゲなら、大変なことになっていたのだ。

「ねえ、サカキくん。恋愛フラグは、どういったものなの?」

 横に座る楓先輩が、興味津々といった様子で尋ねてきた。
 僕は、意識を現在に戻し、顔を真っ赤に染める。鈴村くんは、自分の席で立ち、もじもじとしている。駄目だ。今説明すれば、鈴村くんが過剰反応してしまう可能性がある。自制心溢れる僕ならまだしも、鈴村くんは、どんなことを口走るか分からない。恋愛フラグについて、今説明するのは地雷過ぎる。

「ねえ、ねえ、サカキくん。恋愛フラグは何?」

 楓先輩が、興奮して、僕の体に抱き付き、ぶんぶんと振ってくる。ううっ、仕方がない。僕は先輩の忠実な下僕だ。答えないわけにはいかない。僕は意を決して説明する。

「恋愛フラグも、死亡フラグに似たものです。死亡フラグは、そのキャラクターが死にいたるような、お約束の台詞回しや演出でした。同じように恋愛フラグは、そのキャラクターたちが恋愛関係にいたるような、お約束のシチュエーションを指します。
 たとえば、『遅刻遅刻~と言いながら、登校途中の曲がり角でぶつかる』とか、『前日に一悶着あった相手が、翌日転校生として教室に現れる』とか、『幼い頃に結婚の約束をして、その後離れ離れになった女の子に再会する』とか、『図書館で、同じ本に手を伸ばして、指先が触れてしまう』とか、『空から飛行石を持った女の子が降ってくる』とか、そういったものが当たります。

 また、恋愛シミュレーションゲームにおいて、本来のプログラム的意味合いでのフラグが立つようなイベントもあります。
 たとえば、『用もないのに、毎日、放課後の教室に通っていると、三日目でクラスの女の子に出会う』とか、『学校をさぼって家にこっそりと帰ると、妹が実は血の繋がりがないと知ってしまう』とか、『周りをごまかすために、恋人の振りをして欲しいと言われてOKする』とか、特殊な行動をした直後に、何かのスイッチが入ってしまうようなこともあります」

 僕は、エロゲやアニメやマンガの知識を駆使して、様々な事例を述べる。

「いろいろと、恋愛フラグがあるのね。サカキくんは、恋愛フラグを他にもたくさん知っているの?」

 先輩は、感心したような顔で聞いてきた。僕は調子に乗って声を返す。

「ええ、まあ。僕は、その手の情報には詳しいですから。他にはたとえば、『友人が実は女の子だったと知る』とか、『友人が実は男の娘だったと知る』とかも、含まれます」

 その直後だ。鈴村くんが僕の近くまで、ととととと、と歩いてきて、僕の手を力いっぱい握った。うん? どうしたんだ? 僕は何か、フラグが立つようなことを言ったのかな? 僕は自分の台詞を検討する。今話した言葉を忠実に適用すれば、僕はすでに鈴村くんとの恋愛フラグを立ててしまっていることになる。

「サカキくん」

 鈴村くんは、恥ずかしそうに僕の手を握り締める。

「いや、ちょっと待って! 僕は、そんなつもりではなく! というか、僕は楓先輩とフラグを立てたいわけで!」

 鈴村くんは、そんな僕の台詞を無視して、僕の腕に抱き付いてきた。その様子を見た、楓先輩は、一歩退いたあと、困惑した顔をした。

「ごめんね、サカキくんと鈴村くんの仲が、そういったことになっていたなんて知らず」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ先輩。僕は、楓先輩一筋ですよ!」

 先輩は、ちょこんとお辞儀をしたあと、自分の席へと戻っていった。僕は、この誤解を解くために、三日ほど費やした。その間、鈴村くんは、僕の隣に座り、僕の腕に抱き付き続けた。