雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第23話「中田氏」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部は、人生に迷走した人々が集結している。彼らは、まともな部活動をおこなわず、部室で勝手気ままに振る舞っている。
 かくいう僕も、歯止めの利かない自由運動を続けている人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった自堕落な人間ばかりの文芸部にも、自制心に溢れた人が一人だけいます。ゴミ屋敷の中で、唯一掃除されたぴかぴかの部屋。それが、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。この楓先輩は、僕の意中の人なのです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえてきた。先輩は、ととととと、と僕の席まで歩いてくる。そして、スカートをふわりと一瞬浮かせて、僕の横にちょこんと腰かけた。それとともに、先輩の甘い香りが僕の鼻をくすぐる。僕はドキドキして、心臓を高ぶらせる。先輩は、無邪気な様子で僕の顔を見上げて、にっこりと微笑んだ。

「楓先輩。どんな言葉でしょうか。僕が全力で説明します」
「サカキくんは、ネットの黒帯よね?」
「ええ。ザ・ブラックベルトです。牛でも熊でも、どんと来いという感じです」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿に真剣に取り組むためだ。そして楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を見るためだ。そこで出会ってしまったのだ。ネットに存在する、活字とは違う文章の世界に。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「中田氏って何?」

 先輩は、「ナカダシ」ではなく、「ナカタシ」と発音した。ネットの掲示板などには、読み方までは載っていない。そのため楓先輩は、その言葉を「ナカタシ」と認識して、どういった意味だろうと謎に思ったのだ。

「普通に考えれば人名なんだけど、どうも、みんなの使い方を見ていると、人名ではないような使い方をしているのよね。だから、意味が分からないの。サカキくんなら、きっと分かると思って、質問してみたの」

 楓先輩は、屈託のない笑みを浮かべる。僕はその姿を見て、汚れのない先輩が、中田氏される様子を想像する。駄目だ。そんな不埒な想像は厳禁だ。僕は、何ということを考えているのだろう。僕は、「煩悩退散!」と百八回唱えて、自分の心に潜む妄想を追い出そうとする。

 しかし、どうすればいいんだ? 僕は先輩の発した中田氏という言葉に、衝撃を覚えながら考える。正しく説明するためには、男女の性的な交遊活動と、そこから生じる肉体の交歓、そして生命の神秘にいたる排出活動と、その受け入れについて語らなければならない。
 しかし、そんなことを赤裸々に語れば、先輩は僕のことを卑猥な人間だと認識するだろう。それは駄目だ。僕への先輩の信頼が、揺らいでしまう。ここは何とか、そういった危機に陥らずに、中田氏の何たるかを、先輩に教えないといけない。これは、難易度が高い説明だ。

 僕は必死に考える。灰色の脳細胞を駆使して、解決への道を探ろうとする。ここはやはり、ネット用語の生成過程を伝え、その言葉がどういった変化で誕生したのか理解させ、自分で解決への道を見つけてもらうしかないだろう。正しい言葉にたどり着いたからといって、先輩がそこから性的な何かを想像するとは限らないわけだから。よし、そうしよう!

「先輩。ネットの用語が、どのように生み出されていくか、ご存じですか?」
「ううん。私はネットの初心者だから知らないわ」
「それでは解説しましょう。ネット用語の少なくない言葉が、表記の変更によって生み出されているのです」
「表記の変更?」
「そうです!」

 先輩は、真面目な顔で僕を見上げる。熱心な生徒の目で、間近にある僕の顔を凝視する。僕は、ほんの数センチ先にある、先輩のご尊顔にめろめろになりながら、勢いに乗って話を進める。

「ネット用語では、『ひらがなやカタカナに漢字を当てる』『漢字の言葉に別の漢字を当てる』『頭文字や子音を取って、そのアルファベットを並べる』そういったことが頻繁におこなわれます。たとえば、『ロ』というカタカナに、原子炉の『炉』という漢字を当てるなどは、その一例です」
「なるほど、そういったことがおこなわれるね」

 楓先輩は、両手を軽く握って、胸元に持ってきて、すごいすごいといった様子で体をゆする。僕は、その様子に勇気をもらいながら、言葉を続けていく。

「これは、実は日本の言語史において、古くから見られる手法なのです。その最もよい例が、万葉仮名です。当時の日本には、口語の日本語はあっても、文字はなく、文語の日本語も存在していませんでした。そういった際に、大陸から入ってきた漢字を借用して、その音を写し取ったのです。
 たとえば、いろは歌の『いろは』に、漢字の『以呂波』を当てる。『なつかし』という言葉に、夏の樫という漢字を当てて『夏樫』とする。こういった手法は、日本語において伝統的なやり方なのです。

 また、漢字やひらがな、カタカナといった、特定の文字体系から、別の文字体系への変換も伝統的におこなわれてきました。たとえば、ひらがなは、漢字の草体から作られた草仮名を簡略化したものです。平安初期から中期に成立して、主に女性がその担い手となりました。
 カタカナは、同時期に漢字の一部を使い、奈良の学僧たちが、漢文を和読するのに用いていたのが発端だと言われています。このように、ある文字体系から別の文字体系への変換は、日本語では非常に一般的な現象と言えるのです」
「すごいね、サカキくん。ネットの言葉の説明だと思っていたら、日本語の変遷にまで踏み込んだ、壮大な説明になってきたね!」

 楓先輩は興奮して、僕に体を密着させる。先輩の体温が、学生服を通して僕に伝わってくる。その吐息が僕をくすぐり、僕の全身を火照らせる。よし、いよいよ中田氏の話に突入だ!

「中田氏も、そういった、文字の置き換えによって誕生した、文語スラングなのです」
「ということは、何か元の言葉あるというわけね?」
「そうです。楓先輩ならば、置き換えられるはずです!」
「ナカタシに、別の漢字を当てるとすれば、どうなるんだろう?」
「ナカタシではなく、ナカダシです!」

 僕は、先輩の読みを訂正する。そこを間違うと、いつまで経っても正解にはたどり着けないからだ。

「分かったわ。ナカダシね。えーと、ナカダシ、ナカダシ。略語でないとすれば、ナ・カダシ、ナ・カダ・シ、ナカ・ダシ、ナカダ・シの四つの分割が考えられるわね。このうち、最初の二つは、カダシ、カダという言葉が必要になる。でも日本語では、その音に有効な言葉は考えにくいわ。となると、後者の二つが有力候補になるわね、
 ナカ・ダシ、ナカダ・シ。このうち、後者は、中田という人名に戻り、置き換えには相当しない。そうなれば、ナカ・ダシが元の単語のはず。ナカは、一般的に考えて『中』だと推測できる。『ダシ』は『出し』『山車』『出汁』であると考えられる。でも、ネットでは、中田氏を動詞のように使っていた。ということは、元の言葉は、動詞の可能性が高い。
 分かったわ、サカキくん! 『中田氏』は『中出し』の言い換えなのね!」
「明察! そうです。そうなのです! 『中田氏』の正体は『中出し』なのです!」

 先輩は、答えにたどり着いたことで、両手を上げて喜ぶ。頬をわずかに上気させて、目をきらきらと輝かせる。

「ねえ、サカキくん」
「はい、先輩」
「それで、中出しって、どういうこと? 何を、何の中に、出すの?」

 ぐわああああ~~~! そう来るか! 僕は頭を抱えて、のたうち回りそうになる。必死におこなった説明は、僕を地獄の門にたどり着かせるだけの結果になってしまった。真面目で、純真で、好奇心旺盛な楓先輩を、僕は侮っていた。きちんと最後まで説明しないと、先輩は納得してくれなかった。

「ねえ、サカキくん。中出しって何? 中出しを教えてちょうだい。中出しを教えてよ」

 先輩は、僕をぶんぶんとゆする。ええい。これ以上、先輩に淫語を唱えさせるわけにはいかない。ここは、僕が損害を受けても、きちんと説明するべきだ。

「先輩。中出しというのはですね。男女の情交の際に、女性の体内に、男性のほとばしりを直接放つことを意味するのです。つまり、ノット・避妊を指すのですよ!」

 楓先輩は一瞬きょとんとする。そして、じわじわと顔を真っ赤に染めて、耳の裏まで血をのぼらせた。先輩は、ぎこちない動きで、僕から数センチ離れる。そして、両手を胸元に当てて、その可愛らしいおっぱいを隠しながら僕に視線を送ってきた。

「サカキくんの、エッチ……」

 え~~! そもそも、中田氏について、聞いてきたのは、楓先輩じゃないですか~~!
 先輩は席を立ち、とととと、と自分の席まで戻り、恥ずかしそうにもじもじとし始めた。もしかして、中田氏の説明で、僕との姦淫について想像してしまったのだろうか。そして、僕の男性としての射出を受け入れるシチュエーションを、頭に思い浮かべてしまったのだろうか。
 僕は立ち上がる。そして先輩に、頼れる男であることを伝えようと思い、ナイスガイなポーズを取る。

「大丈夫ですよ、楓先輩! 僕は、中田氏なんてしません。紳士的な避妊派です!」
「サカキくんの、エッチ~~~~!」

 先輩は、大きな声で叫び、僕のところにきて、両手を可愛らしく握って、ぽかぽかと殴ってきた。

 それから二日ほど、僕は部室で、口に絆創膏を貼られた。僕が猥褻な言葉をつぶやかないようにするためだ。
 あの……、中田氏をそもそも、言い出したのは先輩なのですが。僕は、自分の置かれた状況に、納得がいかなかった。