雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第21話「リア充」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部は、奇特な面々で構成されている。その行動には不可思議な点が多く、学校の先生たちも密かに頭を悩ませているという。
 かくいう僕も、困った生徒ということで、目を付けられている人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、要注意人物ばかり生息する文芸部にも、安全な人が一人だけいます。猛獣の中に紛れ込んだ、無害で可愛い白ウサギ。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえてきて、先輩は僕の横にちょこんと座る。先輩は、僕に触れるほど近くに来て、何も警戒していない様子で、僕を見上げてくる。ああ、他人を素直に信じることのできる人って素敵だな。僕は、先輩の期待を裏切らないように、紳士的に振る舞わなければならないと心に誓う。

「先輩、何でも聞いてください。伊達にネットばかり見ているわけではないですから」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を思う存分推敲するためだ。楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を利用するためだ。その結果、知ってしまったのだ。本とは違う、日本語がそこにあることを。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

リア充って何?」

 僕は、安堵する。今日は危険な言葉ではなかった。これならば、特に深く考えることなく、素直に答えることができる。リア充は、ネットコミュニティではなく、リアル社会の人間関係が充実している人を指す言葉だ。また、そこに含まれる言外の意味や、ルサンチマンも解説すれば、百点満点だろう。僕は、勝利を確信しながら、陽気に声を返す。

リア充はですね、リアルが充実している……」
「リアルが充実のリアルって、どういうこと?」
「えー、ネットの中の電脳世界の活動とか、趣味の妄想活動とか、そういった内向きの活動ではなく、外部での現実の活動ということですね」
「そういった生活が充実しているといえば、この部活では睦月ちゃんじゃないの?」
「へっ?」
「だって、文芸部だけでなく、水泳部にも入っているでしょう。本を読みふけるだけでなく、屋内プールや屋外プールで、体をしっかりと動かしているわけだから」
「いや、そういったリアルや外部の意味ではなく……」

 あれ、おかしいぞ。僕の説明が途中でインタラプトされたぞ。
 もしかして、性的な話にドキドキして、興奮している時の方が、僕の説明はノリノリなのかな? それとも先輩の中で、何の略語なのか想像が付いていて、僕の説明の途中で早合点してしまったのかな? ともかく、僕の説明は、盛大に話の腰を折られてしまっているぞ。

「睦月ちゃ~ん!」

 楓先輩は、僕と同学年で幼馴染みの、保科睦月の名前を呼ぶ。いつもは入り口近くにいる睦月が、席を立って、僕の許までやって来た。

「何でしょうか、楓先輩」

 睦月は、先輩に声をかける。睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。そして、僕の真正面の席に座って、こちらをじっと眺め続けている。僕は、どうすればよいのか分からず、日々途方にくれている。まあ、睦月の水着姿を見るのは好きだから、いいんだけどね。

 ともかく、今日もいつもの水着スタイルの睦月に、先輩は話しかける。

「睦月ちゃんは、毎日が充実している?」
「ええ、まあ」
「ここ最近で、一番充実を感じた出来事は何?」

 睦月は、僕の顔をちらりと見る。そして、わずかに頬を染めたあと、僕の耳に顔を寄せて、楓先輩に聞こえないように答えた。

「ユウスケの部屋で、一緒に過ごしたこと」

 ぶっ! 僕は思わず、口から声を出しそうになる。何だって? それじゃあ、僕がリア充で、爆発しないといけない人間みたいじゃないか。えーと、そんな出来事はあっただろうか? 僕は記憶をたどる。ああ、あった。そういえば、あの事件は、よくよく考えてみれば、リア充的なイベントだったのではないか。僕はその時のことを思い出す。

 その日、僕は、自分の部屋でオンラインゲームをしていた。そこに、幼馴染みで、ご近所さんの睦月が遊びに来たのだ。僕の母親と仲のよい睦月は、顔パスで僕の部屋に入ってきた。僕は、そのことに気付かず、ゲームで遊び続けていた。なぜならば僕は、ヘッドホンを付けて、モニターから三十センチぐらいの距離で、キーボードを叩き、マウスを振り回していたからだ。だから、睦月が部屋に入ってきたことに気付かなかった。母も、いつもの睦月が来たと思い、僕に声をかけることもなく、やり過ごしていた。

 誰か部屋にいるなと思ったのは、ゲームの戦闘が一段落した時だった。背後を振り返って、僕は驚きの声を上げそうになった。そこには、睦月が水着で座っていた。部室にいる時のように、競泳水着になり、僕の部屋のマンガを読んでいた。洋服はきれいに畳まれており、睦月の近くに置いてあった。僕はその姿を見て、くらくらとした。
 部室で、他の部員もいる前で水着姿でいるのは、まあ、そんなものだしなあという見方ができる。でも、僕の部屋で、僕しかいない場所で、水着一枚でいるというのは、どういった料簡だろうか。これがエロゲなら、大変なことになる。僕が、理性より野性を重視する主人公ならば、ケダモノ化して、睦月に襲いかかるところだ。

「あの、睦月さん?」
「何、ユウスケ?」
「なぜ水着なのですか?」

 睦月は頬を染めて、恥ずかしそうに体育座りする。ああ、お尻から太腿の素肌が眩しい。僕は、睦月の健康的な肉体美に陶酔する。そして、人類が築いてきた理性の砦を崩壊させて、襲いかかりそうになる。
 いやいや駄目だ。僕には、楓先輩がいる。でも、つまみ食いぐらいなら許されるかもしれない。それが駄目でも、なでるぐらいは、いいんじゃないのかな? いいと思うんだけどなあ。うん、大丈夫じゃないかな。僕の頭は、遠心分離機のように高速に回転する。

 僕が悩んでいるのに気付いたのか、睦月は体を動かした。服を着てくれるのかなと思ったら、睦月は僕のベッドに寄りかかった。そして、上目づかいで、僕のことを眺めてきた。これは、誘っているのだろうか。僕とベッドインしてもよいというサインなのだろうか。僕は意を決して立ち上がる。男性の本能を炸裂させて、睦月の前にそそり立つ。
 その瞬間、ヘッドホンのコードが抜けた。そして、新たなモンスターが出てきたファンファーレが、大音量で鳴り響いた。

「祐介、あんた宿題もせず、またゲームばかりして!」

 母親が部屋に飛び込んできた。僕は股間を膨らませて仁王立ちしており、睦月は裸に近い水着姿でベッドに寄りかかっている。睦月の洋服は、きちんと畳まれて、足下に置いてある。それは、外部から見れば、合意のサインのように見えた。

「あっ、お邪魔したみたいね。今日は、お赤飯かしら」
「ち~が~う~~~!!」

 僕は、そのあと、母親の誤解を解くのに苦労した。それは、非常に困難なことだった。あれは消したい記憶だ。だから僕は、自分の記憶を消去していた。テスト勉強と同じだ。僕は、記憶したことを、端から消滅させる特殊能力を持っている。
 そういった、僕の厨二病的特殊能力はともかくとして、睦月はどうやら、あの危うくお赤飯を炊かれそうになった日を、充実した日だったと思っているらしい。なぜだろう。僕は、疲労感しか覚えなかったのだが。

 ともかくも、そういったことが数日前にあったのだ。それを指して、睦月は充実したことがあったと言っているのだ。

「ふーん、よく分からないけど。睦月ちゃんは、リア充なのね。やっぱりスポーツ少女は違うわね!」
「はあ。よく分からないですけど、そうかもしれません」

 楓先輩は、リア充の意味を、間違えたまま会話を続けている。これは、放っておいてもよいのだろうか。いや、駄目だ。ここは文芸部で、僕は先輩の忠実な下僕だ。間違った言葉の用法は、きちんと直して差し上げなければならない。仕方がない。僕は、意を決して声を出す。

「楓先輩。リア充の意味と使い方が、間違っています」
「えっ、そうなの? それで、正しい意味と使い方は、いったいどんなものなの?」

 先輩は、教えを乞う生徒にようにして姿勢を正し、真剣な顔で僕の姿を見上げる。

リア充とは、インターネットのコミュニティなどに入り浸っている人が、現実世界での生活が充実している人を、自虐的に指して呼ぶ言葉から来ています。そして、近年では、デジタルの恋人ではなく、現実社会での恋人がいたり、伴侶がいたり、そういった人々を、羨望や揶揄、嫌悪や敵意を込めて呼ぶ言葉として発展しています。
 そういった文脈から、自分とは違い、リアルで充実した肉体行為を伴う人間関係を持っている人への攻撃的な用法として、『リア充爆発しろ』などと使われたりするのです」

「そうだったの、サカキくん。それじゃあ睦月ちゃんは、校則を守る真面目な生徒だから、リア充ではなかったのね!」
「そうだよね、睦月!」

 僕は、正しい意味と用法を伝えられたことに満足しながら、睦月に笑顔を向ける。睦月は、水着姿でもじもじとして、恥ずかしそうに答えた。

「その意味で、ユウスケとリア充です」

 ぶっ! いつの間に僕は、睦月とリア充な関係になっていたんだ!

「つい最近も、ユウスケの部屋で服を脱いで、一緒に過ごしましたから」

 睦月の台詞に、部室が凍り付いた。僕も凍結した。その沈黙がしばらく続いたあと、僕は楓先輩に視線を向けた。先輩は、驚きと混乱で、石化したように固まっている。

「ふ、不純異性交遊は駄目! リア充禁止! リア充撲滅! リア充爆発しろ!」

 楓先輩は、顔を真っ赤にして、両手を振り上げて必死に主張した。僕はそれから三日ほど、部室内でリア獣というあだ名で呼ばれた。充ではなく獣。あの日、僕はオンラインゲームをしていただけなのに、いつ大人の階段をのぼったのだろう。僕は、その呼び名に納得がいかなかった。