雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第20話「JS」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部は、一癖も二癖もある人たちで構成されている。彼らは際立った個性で、学校でも有名な存在だ。
 かくいう僕も、痛い人ということで、学内で知られている。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、悪目立ちする人々ばかりの文芸部にも、真面目で控えめな人が一人だけいます。野に咲く花のような人。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。そんな彼女は、この部室のオアシスのような存在なのです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえてきて、僕はブラウザを閉じた。危ない危ない。むふふな体験談が載ったサイトを閲覧していた。僕はそこで、大人の階段をのぼりかけていたのだ。そして、これから起きるかもしれない未来に対して、傾向と対策を学び、備えていたのだ。

「何ですか、先輩。ネットのことなら任せてください」

 僕の言葉に、先輩は嬉しそうに顔をほころばせてやって来た。そして、僕の横にちょこんと座る。その動きとともに、楓先輩の髪の匂いが、ふわりと僕の鼻に届いた。僕は嬉しくなって、思わず先輩の頭をなでなでしたくなる。楓先輩は、整った顔を僕に向け、眼鏡の下の目を細くして笑みを作る。

「ネットマエストロのサカキくんに、聞きたい言葉があるの」
「何でしょう。この僕に解けない謎などありません」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を何度も書き直すためだ。楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を使うためだ。先輩はそこで、驚くものを発見した。豊穣な言語世界である。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「JSって何?」

 あの、先輩。どこで、そういった言葉を見かけたんですか?
 僕は突っ込みを入れたくなるのを、ぐっとこらえる。JSは、JCやJKと同じ略語だ。これらはJKから派生した言葉と言ってよい。JKは女子高生の略、JCは女子中学生、JSは女子小学生の略だ。そして、JKという略語には、援助交際などの場で使われる、性的な意味での文脈もある。
 果たして、そういった言葉の誕生と使用場所、そして、他の略語への波及まで、先輩に説明するべきだろうか。さらにJSに限って言えば、ジュニアアイドル的世界観まで含んだ、使用者の目線という問題もある。

「サカキ先輩。自重して答えてくださいよ。JK、JCまで含めた、男性の嗜好的な内容に踏み込んだ解説は、楓先輩には刺激が強すぎますから」

 近くの机から、少女が話しかけてきた。うっ、僕の苦手な相手だ。一年生の、氷室瑠璃子ちゃんだ。その名の通り、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えないその外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている。
 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「そんな劣悪な本を読まないでください」とか、「もっと勉強してください」とか、「少しは運動しないと将来生活習慣病になりますよ」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされている。

「あら、瑠璃子ちゃん。JSについて知っているの?」

 楓先輩が瑠璃子ちゃんに顔を向ける。

「ええ、まあ。サカキ先輩に教えられましたから。その後、独自に調査をして、その背景まで含めて、言葉の全貌を把握しました」

 瑠璃子ちゃんは、少し照れくさそうに言う。
 えっ? 僕はいつ、瑠璃子ちゃんにJSの話をしたのだろう。謎だ。謎過ぎる。いったいどのタイミングで? 僕は記憶をたどる。そして、小学六年生のある時点に立ち戻る。

 それは、僕が純真無垢な小学六年生の時だった。今でもウェディングドレスのように、純白な心の僕だが、その頃は、そのドレスを漂白したようにきれいな心だった。場所は運動場だ。その端にある砂場である。そこに僕はいて、一人で遊んでいた。
 いや、一人ではない。もう一人いた。そう、瑠璃子ちゃんが。瑠璃子ちゃんは、僕の横にしゃがみ、僕のことをにらんでいた。なぜ、そんなきつい目で見られないといけないのだろう。僕は、その監視におびえながら、何か悪いことをしたかなと考えていた。
 瑠璃子ちゃんは、おしっこをする時のような格好で座っていた。そのため、わずかにパンツが見えていた。それを僕が盗み見ているのが原因かなと思いつつ、砂と戯れていた。

「サカキ先輩は、そろそろ卒業ですよね」
「うん。僕の意志とは関係なく、僕は卒業するらしいよ。だから、そのことで瑠璃子ちゃんに叱られるのは、お門違いだと思うんだ」

 その頃にはすでに、瑠璃子ちゃんの尻に敷かれていた僕は、自分が何か悪いことをしているという前提で声を返した。瑠璃子ちゃんは、ため息を吐いたあと、僕に鋭い視線を向けた。僕という人間の駄目さ加減を嘆いているのだろうか。僕が、人類でも稀有なダメ人間だから、卒業という事態に陥ると思っているのだろうか。瑠璃子ちゃんの仕草は、そういった想像を僕に抱かせた。
 僕が砂をいじっていると、瑠璃子ちゃんは、意を決したようにして口を開いた。

「サカキ先輩の、女性の趣味を確認したいのですが」

 その声は、刃のように鋭い。僕は考える。これまでの人生で、瑠璃子ちゃんに何度その言葉を言われただろうかと。そして、そのたびにがんばって適切な解答を返してきた。瑠璃子ちゃんは、僕に対して、どういった答えを求めているのだろう。ここは、ジェントルマンとして、「あなたが僕のストライクゾーンです」と答えるべきだ。
 僕はこれから卒業する。そして中学生になる。当然、その性的興味の対象は、女子中学生になるだろう。そのことを素直に答えると、瑠璃子ちゃんに対して、礼を失してしまう。瑠璃子ちゃんは、僕が中学生になっても小学生のままだ。そうであるのならば、答えは一つしかないように思えた。

「うーん、JSかなあ」

 その答えを聞いた瑠璃子ちゃんは、決心したような表情で拳を握った。

「分かったわ。私、JSになる!」

 ああ、きっと理解していないのだろうなと思った。JSは女子小学生の略。瑠璃子ちゃんは、なろうと思おうが、思うまいがJSだ。その会話は、それきりとなった。

 僕は現在に立ち戻る。僕の横には楓先輩が座っている。少し離れた席には瑠璃子ちゃんの姿がある。僕は考える。あの日のJSの会話。その後、瑠璃子ちゃんが、よもやJSについて詳細に調べているとは思いも寄らなかった。

「ねえ、サカキくん。それでJSって何なの?」

 楓先輩の疑問の言葉に、瑠璃子ちゃんが割り込んで答える。

「サカキ先輩は、JSがストライクゾーンだそうです」

 ちょっと待った! 僕は心の中で叫び声を上げる。瑠璃子ちゃんは、平然とした顔でこちらを向いている。僕に厳しい瑠璃子ちゃんは、勝手に説明のハードルを上げてきた。
 JSが女子小学生だと説明すれば、僕が好きなのは、女子小学生だということになる。それはまずい。変態過ぎる。仕方がない。ここは断腸の思いだが、楓先輩に目くらましをするために、JK、JC、JSすべてについて語り、先輩の興味を分散させるしかない。僕は、決意を固めて口を開く。

「JSという言葉はですね、ある系列に属する略語なのです。その系列というのは、JKを筆頭とする言葉です。JKは女子高生の略で、これは雑誌などでもよく使われており、ネットとも相性のよい言葉です。
 インターネットの掲示板や、携帯電話の出会い系サービスなどでは、少ない文字数でやり取りすることが好まれます。そのためJKは、女子高生を表す言葉として、性的な意味合いを持ち、使われてきました。
 JC、JSは、その派生語と言ってよいでしょう。JCは女子中学生の略、JSは女子小学生の略です。これらの言葉も、JK同様、文脈によって、多分に性的な意味合いを持ちます。ちなみに僕はJSがストライクゾーンなわけではありません。全方位ストライクゾーンですから!」

 僕は高らかに、自分の好みを宣言する。これで僕が、JSのみを好んでいるといった疑いは、晴れたはずだ。楓先輩は、僕の言葉を聞き、困惑したようにして瑠璃子ちゃんに尋ねる。

「ねえ、瑠璃子ちゃん。サカキくんは、JSも好みなの?」
「ええ、無茶苦茶好みだそうです」
「それは、少し問題ありね」

 えっ、そうなの? JSだけがストライクゾーンでなければ、問題ないじゃないですか。僕は、自分が中学二年生で、小学生とは二歳しか離れていないことを主張する。二歳の年の差カップルなんて、いくらでもいるではないか。しかし、楓先輩は、僕の言葉を納得してくれなかった。

「年齢がどれだけ近くても、小学生を性的な対象として見ては駄目よ。まだ肉体的にも、精神的にも未発達だから、生涯尾を引く禍根を残す可能性があります」

 楓先輩は、反論の余地のない正論を吐く。

「じゃあ、何歳からだったらいいんですか!」

 僕は、先輩の線引きが分からず、大声で尋ねる。

「サカキくんの年齢だったら、自分より年上の女性に限ります」

 そう答えたあと、楓先輩は耳まで真っ赤に染めて、顔を逸らした。えっ、今の言葉のどこに、恥ずかしがる要素があるのですか? あっ! 僕は気付く。自分より年上の女性となると、先輩を含んでしまう。先輩は、自分で僕に向かって、性的な対象として見てよいと、言ってしまったのだ。

「はい。先輩の進言に従います!」
「サカキくん。今の取り消し!」

 先輩は両手を、顔の前でぶんぶんと振る。

「いえ、男に二言はありません。全力で、年上の女性を性的な対象として見ます!」

 その時、泣き声が部室に響いた。何事かと思い、顔を向けると、瑠璃子ちゃんがわんわんと泣いている。いったいなぜ? 僕と楓先輩は驚き、瑠璃子ちゃんの前に行って、必死にあやす。

「いったいどうしたの、瑠璃子ちゃん」

 楓先輩が、瑠璃子ちゃんの顔を胸に抱いてあげながらが尋ねる。

「すべて、サカキ先輩が悪いんです」

 瑠璃子ちゃんは、すねたようにして言ったあと、僕からぷいっと顔を背けた。僕には、瑠璃子ちゃんが怒っている理由が分からなかった。
 翌日、部室に行くと、楓先輩は一枚の張り紙を、壁に貼っていた。

 ――サカキくんは、年下の女の子も、年上の女の子も性的な目で見てはいけません。JSも、JCも、JKも禁止です。

 うーん、複雑な条件だなあ。僕は、数学のベン図を描いて、僕が性的な目で見てよい人間の範囲を知ろうとする。それは、どこにもなかった。僕は修行僧のように、禁欲生活を送らないといけないようだった。