雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第18話「らめぇ」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部は、頭のネジのゆるい人たちで構成されている。彼らは、迷える子羊のように迷走して、日々の時間を無駄に過ごしている。
 かくいう僕も、そういった不毛な人生を送っている人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。

 そういった、低レベルな人々ばかりの文芸部にも、きちんとした人が一人だけいます。掃き溜めに咲く、一輪の可憐な花。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。そんな彼女は、この部室で地道に真面目に、部活動をしているのです。

「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」

 間延びしたような声が聞こえてきて、僕はモニターから目を外した。楓先輩は、自分の席から、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。その仕草は、小動物のように可愛く、そのお顔は、三次元とは思えないほど素敵なのです。僕は、制服越しに伝わってくる先輩の体温を感じながら、笑顔で返事をする。

「何ですか先輩、またネットで、謎の言葉に出くわしたのですか?」
「うん。サカキくんは、ネットのマエストロよね?」
「ええ。そのように、自負しております」
「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」

 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿をきれいに仕上げるためだ。楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を使うためだった。その結果、発見したのだ。ネットには、未見の言語世界があることを。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。

「らめぇって何?」

 ちょっと待った~~~! その言葉を、楓先輩はどこで目にしたんだ~~~!
 僕は激しい突っ込みを入れたくなりながら、ぐっとこらえる。そして、どんな文脈で、その言葉が出てきたのだろうと考える。僕はその台詞を、主に性的なマンガとか、性的なゲームとか、そういった場所でしか目にしていない。いや、確かにネットの掲示板などで目にすることもある。しかし、それは、ある行為中の女性が、呂律が回らなくなり、抵抗や、拒絶や、現状否定の意思表示のために使うことが、圧倒的に多いのだ。その状態を、先輩は僕に語れと言うのか。

 僕の机に、何かが置かれる音が聞こえた。何だろうと思い、目を向けると、そこには三年生でちょっと強面、女番長と評判の名高い、吉崎鷹子さんが立っていた。鷹子さんは、高圧的で、暴力的で、僕によくアニメや、マンガや、ゲームを持ってこさせては借りていく。そして、僕を部室の真ん中で立たせて、それらの作品の批評や解説をさせるのだ。
 そんな鷹子さんは、黒い紙袋を僕の机に置いていた。僕はその紙袋の中に何が入っているのかを知っている。ちょうど三日前のことだ。鷹子さんに「サカキ、てめえがプレイし終わったゲームを何か貸せ!」と脅迫されて、仕方なく貸したゲームだ。
 タイトルは「らめぇ、淫モラルな女教師2~闇落ち編~」というものだ。鷹子さんの趣味には合わないだろうと思ったけど、ちょうどプレイ直後だったから貸したのだ。僕はクリアまで一週間かかったけど、鷹子さんは三日で返しにきた。きっとお気に召さなかったから、すぐに突っ返しに来たのだろう。

 ちょうどそこまで考えたところで、紙袋から手を放した鷹子さんと目が合った。楓先輩も、鷹子さんの存在に気付いたらしく、目を向ける。

「ねえ、鷹子。らめぇって、知っている?」

 ぶっ! 僕は思わず声を上げそうになる。そして鷹子さんの顔を見た。モデルのようにシャープな顔が赤く染まっている。そして、「聞かなかったことにしよう」といった様子で、視線を背けている。ああ! そのことで、僕は気付いた。鷹子さんは、「らめぇ」を知っている。そして、どこまでプレイしたか知らないけど、「らめぇ、淫モラルな女教師2~闇落ち編~」を、遊んでいたようだ。

「サカキ、これは返したからな。私は自分の席に戻る」

 平静を装っているつもりのようだが、鷹子さんの目と動きは、挙動不審者のそれになっている。楓先輩は、そのことを不思議そうに見ている。そして、僕の机の上に、黒い謎の紙袋があることに気が付いた。

「ねえ、サカキくん。その紙袋は何?」
「えっ? いや、何でもないですよ。らめぇとは、まったく関係ないですよ。ねえ、鷹子さん」
「おっ、おう。無関係だ。まあ、見るほどの価値もないものだな。な、なあ、サカキ」
「ええ~~! プレイする価値のあるゲームですよ。この作品のよさについて、ガチで語りましょうか?」
「馬鹿。今は、そういったタイミングでは!」
「ねえ、サカキくん。鷹子。その袋の中身は、らめぇに関係があるの?」

 楓先輩は、無邪気な様子で、僕と鷹子さんに尋ねてくる。僕と鷹子さんは、言わなくてもよい台詞を大量にしゃべってしまったことを知って、気まずそうに顔を見合わせる。なぜか、僕と鷹子さんは、楓先輩に対して、共犯者のような立場になってしまった。
 僕は、鷹子さんの耳に顔を近付けて、小声でささやく。

「もう、鷹子さん。何でこのタイミングで、らめぇを返しに来るんですか?」
「知らねえよ。私が返しに来たら、たまたま、楓が、『らめぇって何?』とか、言いやがったんだよ」
「どうするんですか、鷹子さん。楓先輩の好奇心は、並大抵ではないから、きっと引き下がりませんよ」
「お前、口が上手いだろうが。適当な説明でごまかせ」
「嫌ですよ。僕は楓先輩には、嘘を吐かない主義なんですから」
「分かったよ。協力してやるから、何とかしろ」
「仕方がないですね。ちゃんと手伝ってくださいよ」

 僕は鷹子さんを、恨みがましそうににらむ。

「ねえ、サカキくん。鷹子。何を話し合っているの?」
「「いや、何も!」」

 二人でハモるようにして答えたあと、僕は一計を案じる。ここは辞書的な説明をするべきだろう。そのシチュエーションを具体的にイメージできないように、無味乾燥的に述べるのだ。そうすれば、先輩は、脳内の辞書に、そういった言葉だと記憶して、それがどういった妄想をかき立てる言葉なのか、頭の中で組み立て直したりしないはずだ。

「では、説明しましょう、楓先輩」
「うん。教えてサカキくん。らめぇを」
「おほん。らめぇとは、駄目という言葉を、舌足らずに言った用法です。たとえば、手塚治虫の代表作『ブラック・ジャック』では、ピノコという女の子が、『愛してる』を『あいちてゆ』のように発音します。同じように、『らめぇ』は、『駄目』を意味する、舌足らずな言い方なのです」

 完璧だ。「ブラック・ジャック」という真面目なマンガの用法を出すことによって、あくまでも表現の一つということで乗り切った!

「だいたい分かったけど、どうもネットで見たらめぇは、もう少し違う意図も入っていたような気がするんだけど」

 ぐわあ~~~~! さすが、楓先輩。文脈を読む、読解力がおありです。しかし、そこまできっちりと解説するとなると、性的な意味合いを含んだ用法を解説するしかない。
 僕は、机の横に突っ立っている鷹子さんの顔をちらりと見る。鷹子さんは、私は関係ないぞという感じで、顔を赤くして目を逸らしている。ええ~~、裏切る気ですか、鷹子さん! 僕一人で、楓先輩に告げなくてはならないのですか? 仕方がないですね、いいでしょう。僕は、あえてその難事業に挑みましょう。

「では、らめぇの用法を説明しましょう。まず前提は、自分の意に沿わぬ形で、性的な快感に酔いしれている女性が、抵抗や拒絶、自分の歓喜の心の否定などのために、駄目と言おうとしているという状況があります。
 しかし、肉体が高揚し、意識が飛びかけているために、きちんとした音声を発生できない。そのために、まるで幼児が舌足らずに言葉を話すように、『駄目』を『らめぇ』としか言えない。それが『らめぇ』なのです。
 また、そういった状況にある女性の台詞から敷衍して、抵抗も虚しく、押し切られてしまうような状況に対して、形ばかりの『駄目』という悲鳴を上げる台詞。それが、多元的な意味を含んだ『らめぇ』という言葉になります」

 やり遂げた! 僕はある種の達成感を覚えながら、仕上げをしなければならないと思う。この場から立ち去ろうとする鷹子さんの服を引っ張り、小声で告げる。

「鷹子さん、協力してくれますよね?」
「な、何をだよ」
「らめぇ、と言ってください。用法を説明したから、今度は用例です」
「む、無茶を言うな!」
「もう、ゲームを貸しませんよ」
「ぐっ、ぐっ、ぐぐぐぐ……」

 鷹子さんは、悔しそうに僕をにらんだあと、仕方がなさそうに楓先輩に顔を向け、顔を真っ赤にして口を開いた。

「ら、らめぇ……」
「もっと、激しく!」
「ら、らめぇ!」

 羞恥の色に染まった鷹子さんは、その言葉を告げたあと、一転して僕の頭に拳骨を落としてきた。

「何を言わせるんだよ、サカキ、てめえ!」

 僕は、鷹子さんにヘッドロックされる。

「うわ、痛いです」

 その悲鳴を上げたあと、僕は横で魂を抜かれている楓先輩に気が付いた。何かを見て、呆然としている。僕はその視線をたどり、顔面を蒼白にする。僕と鷹子さんが暴れたせいで、紙袋が倒れて、中身が机の上に転がり出ていた。その箱を、何だろうと思い、楓先輩は手に取って固まっていたのだ。

「らめぇ、淫モラルな女教師2~闇落ち編~」そのパッケージを持った楓先輩を見て、僕は顔を手で覆う。その箱には、こんな絵が描かれている。抵抗も虚しく、男に調教される女教師の姿が。そしてその顔には、羞恥の中にも、芽生えつつある快楽と、それを否定しようとする形ばかりの抵抗が浮かんでいる。楓先輩は、そういった猥褻物を見て、思考の歯車を停止させていた。

「借りたものは返したからな。私は去るぞ」
「うわっ、ずるいですよ、鷹子さん!」

 鷹子さんは、走って逃げる。

「サカキくん」

 振り向くと、楓先輩がぷりぷりと怒った顔で、僕の横に座っている。先輩は左手で僕の腕をつかんで、もう片方の手でパッケージを持っている。

「こんなエッチなものを、学校に持ってきてはいけません!」
「いや、今日持ってきたのは、鷹子さんなんですが」
「鷹子も!」

 鷹子さんは、すでに部室から抜け出ていた。おかげで楓先輩の矛先は、僕だけに向かってしまう。楓先輩は、僕の顔を見上げて、きっとにらむ。その距離は、ほんの数センチのところで、僕はドキドキしてしまう。僕と目が合ったことで、楓先輩は眼鏡の下の頬を紅潮させて、もじもじと態度を軟化させた。

「駄目ですよ。先輩として、サカキくんに注意しておきます」
「はい」
「こんなものを持ってきては、らめぇ…‥」

 先輩は、新しく覚えた言葉を使ってみたかったようだ。僕は、先輩の、恥ずかしそうに言う「らめぇ」に、いたく満足した。そして、先輩の忠告に従おうと心に決めた。僕は、楓先輩のぬくもりを感じながら、幸せな気分になった。

 翌日のことである。昨日のことを忘れたのか、鷹子さんが、ぶっきら棒な調子で、高圧的に、僕のところにやって来た。

「サカキ。3を貸せ」
「3って、何ですか?」
「続きだよ! 『らめぇ、淫モラルな女教師3~淫虐の館~』だよ!」

 どうやら、「らめぇ2」は、先輩にとって、かなりツボだったらしい。その叫び声を聞いた楓先輩が、当然のように僕と鷹子さんに説教をしたことは言うまでもない。