雲居 残月 の 小説道場

主に「小説家になろう」で書いた話を中心に、小説投稿をおこなっていきます。

第15話 挿話5「氷室瑠璃子ちゃんと僕」-『部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ』

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 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中学の文芸部には、一風変わった人間たちが生息している。
 そんな怪しげな部活に、僕、榊祐介は所属している。二年生という真ん中の学年で、文芸部では中堅どころ。そして厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でやっていることは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことである。

 そういった、いかがわしい文芸部にも、普通の人はいます。掃き溜めに咲く、一輪の白い花。それが、文芸部の先輩の三年生、雪村楓さんだ。眼鏡で三つ編み。見た感じのままの文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ってきたという純粋培養の美少女さん。そんな彼女は、僕の意中の人なのです。
 その楓先輩は、今日はクラスの用事で留守だったりする。そのため、ネットで拾った危ない言葉についての質問も、お休みです。そして、楓先輩不在のため、この部室のヤバイ度は、百パーセントになっています。濃縮還元ジュースのような状態です。いやあ、濃いなあ……。僕は自分でも、この状態はどうなんだろうと、思ってしまう。

 よし、この機会に幼児を、――いや用事を済ませておこう。そういった言い間違いをしてしまうのにもわけがある。僕が今から、話しかけようとしているのは、どこからどう見ても、小学校低学年の幼女にしか見えない女の子だからだ。

「ねえ、瑠璃子ちゃん」

 僕は、一学年下の後輩、氷室瑠璃子ちゃんの名前を呼ぶ。できれば避けて通りたい相手である。でも、背に腹は代えられない。何せ、テストが迫っているのだ。ここは、瑠璃子ちゃんに頼るしかないと、僕は決意する。
 分厚い本を読んでいた瑠璃子ちゃんは顔を上げた。彼女が読んでいたのは、文芸書ではない。化学記号とか、数式とか、そういったものがいっぱい載った洋書である。僕には一行たりとも読み進められないような、学術書である。

「どうしたんですか、サカキ先輩。アホづらをさらして、少しは勉強をする気になりましたか?」

 うっ、相変わらず言葉にトゲがある。なぜか瑠璃子ちゃんは、僕に厳しい。勉強をしろだとか、身だしなみを整えろだとか、その振る舞いはみっともないから直しなさいだとか、世話焼き女房のように、あれこれと指図してくる。

「いや、テストが近くてさあ。瑠璃子ちゃんの家の薬を、少しいただければと思ってさあ」

 僕は、年下の女の子に対して、へらへらとした顔を見せる。
 薬といっても法律に触れるようなものではない。瑠璃子ちゃんの家は、漢方薬のお店だ。氷室漢方実験所。そういった名前の場所である。なぜ、研究所ではなく、実験所? そもそも、漢方薬を売るのではなく、実験をするのが目的なの? いろいろと疑問が湧いてくるお店だけど、あえて言うならば、名前通りの施設だったりする。
 そのお店の薬を、僕は瑠璃子ちゃんに、たまに横流ししてもらうのだ。テストが迫った時に、記憶力をアップする薬などをもらうのだ。僕の成績は、それでも低い。もし、瑠璃子ちゃんが薬をくれるのをやめたら、いったいどんな点数を取ってしまうのだろうかと、戦々恐々だ。

「はあ。サカキ先輩は、自分で努力するということを知らないのですか?」
「いや、僕は努力家なんだ。だから、最も少ない労力で、目指す果実を手に入れるためには、どうすればよいのかを真剣に考えるんだ。そして、そのためには、どんな努力をもいとわないんだ」
「そうやって、手抜きをしようとするから、いつまで経ってもダメ人間のままなんです」
「ごめんね。ところで薬はくれる?」

 瑠璃子ちゃんは、あからさまに呆れた顔をして、僕を蔑むような目で見る。幼女に見下されている僕。それは何だか、背徳的な快感があったりする。

「分かりました、サカキ先輩。仕方がないから、あとで一緒に、うちに取りに行きましょう。その丸薬を飲めば、勉強効果が三倍にアップするという、我が家の秘薬の一つです」
「やった! ありがとう、瑠璃子ちゃん!」

 僕は、もろ手を上げて喜ぶ。

「いいですか、先輩。三倍ということは、少しは勉強をしなければならないということです。ゼロに、何をかけてもゼロです。たとえば百点を取りたければ、三十三点分は勉強をしないといけないということです」
「えー、面倒だなあ。ということは、赤点にならないぎりぎりの点数が六十点だから、二十点分は勉強をしないといけないのか」

 瑠璃子ちゃんは、じと目で僕のことを見る。

「本当に先輩はダメ人間ですね。私が付いていてあげないと、どんなことになるのか心配です」
「大丈夫だよ。どうにもならないから!」

 僕は、あっけらかんと答える。瑠璃子ちゃんは、疲れたような顔をして、ため息を吐く。これでは、どちらが年上か分からない。瑠璃子ちゃんは、僕と違って、しっかりしているなあといつも思う。

「それで、テストの点数が上がる魔法の秘薬は?」
「勉強の効果を増進させる漢方薬です。今から、うちに来ますか?」
「うん、行こう。どうせ、僕の家の近くだし。そのあと僕は帰宅するよ」

 今日は、楓先輩も不在だ。部室にいても、先輩とのフラグが立つイベントはないだろう。僕は荷物をまとめて立ち上がる。瑠璃子ちゃんも、帰る準備をして、二人で部室の外に出た。

 アパートが立ち並ぶ道を抜けて、僕と瑠璃子ちゃんは歩いていく。僕は瑠璃子ちゃんの姿を見て、中学の制服を着ていなければ、どう見ても小学生低学年にしか見えないよなと思う。もし、私服で僕と並んでいたら、僕が小さい子に、いたずらしようとしていると思われそうだ。いや、大丈夫だろう。僕の外見は、そういった怪しいものではない。うん、大丈夫なはずだ。

 灰色の積み木が並ぶような景色を抜けたあと、周囲は緑色の世界に変わった。森の奥に道が続いている。そこを通っていくと、前方に二階建ての中華風の店が見えてきた。入り口には、金色の文字で「氷室漢方実験所」とある。瑠璃子ちゃんの家、その家業の漢方薬屋だ。

「サカキ先輩、ちょっと待っていてください。裏口の鍵を開けてきますから」

 瑠璃子ちゃんは、周囲に視線を走らせたあと、店の入り口に駆けていく。僕は、他人に見られてはいけない存在なのだろうか。そりゃあ、自分が人類の汚物寄りの人間だとは自覚しているけど、その扱いはないだろうと思う。
 しばらくすると、店の側面にある扉が開いた。学校の制服を脱いで、チャイナドレスを着た瑠璃子ちゃんが顔を出してきた。なぜ、チャイナドレス? そういえば、家ではお店の手伝いをしていると言っていた。漢方薬ということで、中国四千年の歴史を感じさせる服装でもしているのだろうか?
 でも、チャイナドレス自体は、清の時代に支配者だった満州民族の服が元になっている。清の建国は一六三六年で、中国を支配し始めたのは、一六四四年だ。四千年の歴史には、ほど遠いよなあと思う。

 裏口から顔を出した瑠璃子ちゃんが、手招きした。僕は、小走りで近付いていく。建物に入る。どうやら、そこは倉庫らしく、様々な段ボール箱や、壺や、紙包みが並んでいる。その中を僕は、チャイナドレスの幼女の先導で移動する。

「ここです」

 瑠璃子ちゃんは、倉庫の一角で足を止めた。そこには、軽自動車ほどの大きさの金庫があった。普通の金庫とはだいぶ違う。年季の入ったその姿は、百年以上経った骨董品に見える。特徴的なのは、その錠前の構造だった。扉の右端と左端にハンドルが付いている。おそらく、それを同時に回して、鍵を開けるのだろう。

「ねえ、瑠璃子ちゃん。別に、ここまで僕を連れてこなくても、中身だけ取ってきて、渡してくれれば、よかったんじゃないのかな?」

 瑠璃子ちゃんが、蔑むような目で僕を見る。

「届かないんですよ、私の手では」

 瑠璃子ちゃんは、大きく手を横に広げる。人間の身長と、その両手を広げた長さは、おおむね同じぐらいだ。背が低い瑠璃子ちゃんは、両手の長さも当然短く、二つのハンドルを同時につかむことができない。だから、協力者が必要だったのだ。

「薬は、この中に入っているの?」
「ええ。サカキ先輩の要求のたびに、いろんな薬をこっそりと持ち出していたら、その手の薬は、ここに隠されてしまったんです。いわば、これはサカキ先輩の責任です。だから私と共同作業をしてください」
「うっ、そうだったのか。ごめんね。でも、共同作業って、何だか結婚式みたいだね」

 僕がその台詞を言うと、瑠璃子ちゃんは、じわじわと顔を上気させて、照れたようにして顔を逸らした。

「先輩が、お願いするなら、してあげないこともないですけど」

 なぜか、もじもじしながら、瑠璃子ちゃんは小さな声でつぶやく。
 その時、扉が開く音がした。僕たちは慌てて、金庫の前から移動する。そして、瑠璃子ちゃんの先導で、裏口近くの、狭い場所に潜り込んだ。
 瑠璃子ちゃんのお父さんかお母さんが、商品を取りに来たのだろう。暗がりの狭い場所で、僕と瑠璃子ちゃんは密着する。体の小さな瑠璃子ちゃんは、僕の両手の間に、すっぽりと収まるようにして体を丸めている。
 僕は、そんな小さな瑠璃子ちゃんの姿を見下ろす。瑠璃子ちゃんは、背が低くて、幼い容姿であることを除けば、相当の美人さんだ。その瑠璃子ちゃんが、少し息苦しそうに顔を上げた。
 僕と瑠璃子ちゃんの顔は、鼻息がかかるほどの距離に接近する。瑠璃子ちゃんの体が硬くなる。目が泳ぐようにして動いている。耳は真っ赤だ。しばらく見つめ合っていると、瑠璃子ちゃんの体から力が抜けた。瑠璃子ちゃんは、僕に体を預けて、顔を寄せてきた。そして、二人の目が合った。

 どうやら今日は、お客さんが多い日だったらしい。それからも、ひっきりなしに扉が開き、僕たちの企みはことごとく妨害された。三十分ほど粘ったあと、僕たちは裏口から外に出た。そして、二人で大きく伸びをして、森の新鮮な空気を吸い込んだ。

「先輩、すみませんね。今日は、うちが忙しかったみたいで」
「いいよ。僕が無茶を言ったわけだから。瑠璃子ちゃんのせいではないよ」

 瑠璃子ちゃんは珍しく、しおらしい表情をしている。僕は、そんな瑠璃子ちゃんの頭を、ぽんぽんと叩いてあげる。瑠璃子ちゃんは、複雑な気持ちですといった表情で、僕のことを見上げてくる。

「サカキ先輩、テストはどうするんですか?」
「うん。たまには、自分の力でがんばってみるよ」
「赤点、取らないでくださいよ」
「大丈夫だよ。僕は、雑学なら、いくらでも覚えられる人間だから」

 その日は、そうやって、チャイナドレスの瑠璃子ちゃんと別れた。そして、数日、真面目に勉強した。
 僕は、テストを受けた。結果が返ってきた。その点数は、十九点だった。僕の勉強は無駄に終わった。そして、たとえ瑠璃子ちゃんに、三倍成績がよくなる薬をもらっていても、六十点に届かなかったことを知った。
 どうして、こうなった。僕は努力の虚しさを知り、ダメ人間に、さらに磨きがかかった。

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